人の悪口を言うのは好まない性分である。出来る限り直接批判するようにする。勿論自らが直接間接にメディアで批評されると、誰でも神経を尖らす。特に勘違いと言うか適当に批判される時は弁解の必要を感じるのが普通である。
その点からも、ネットにおける批評は、当事者に聞こえる可能性も高く、出来るだけ誠実に批評しようと思う。誰でも気になるので、自ら世に問うたものをネットでリサーチするのは普通なのである。
ネットの場合は、商業や専門的な枠組みがないのは素晴らしいが、殆ど攻撃や嫉妬に当たる、同程度の理解の範疇での議論ではなくこき下ろしに近いものまであるので、正当な批判として受け取れないものも多いかもしれない。そうした愚の衆合に落ちいるだけでは、大衆を代表するオピニオンとはならないのみならず、同時に批判の対象になんら影響を与える事もない。だから批評は的を得ていなければなにもならない。
さて、先日から試したワインの感想を纏めておく。生産者にとっては、単純なワインと言っても、この批判は棘があるかも知れないが、そうした批判をしておくのは重要と思われる。
ゲオルク・モスバッハーのグーツヴァインと呼ばれる一リッターのワインは、決して悪くはない。しかし、どうしてももう一つ上の0.75リッターの本物のグーツリースリングを期待させてしまう商品である。食事を流しこむにはこれで誰も文句は言わぬだろうが、この醸造所らしいフルーティーな香りの特徴が殆ど無い。
勿論大量生産の商品とは異なるのだが、ミネラル質などの凝縮を感じさせないのは少し残念で、これだけを飲んで楽しむには些か物足りない。価格の5.4ユーロは他の醸造所の6.5ユーロとの差を際立たせている。反対に、この価格ならば他の格下の醸造所のものと比較できる。それでも、剥き出しのコルク栓を抜いてから三日ほど経っても充分に飲めるのは大したものだ。
それと比べて、買いつけた葡萄で作ったリースリングは、流石に質が落ちる。機械摘みらしい枝やらが交じったような味の悪さを久しぶりに自宅で飲む。巷で飲むこうしたワインは味を調えられて、悪酔いさせるように作っているのだが、これはその欠点をそのまま出しているだけそれほど悪くはないが、全く旨くもない。食事を流すには気にならないが、これをちびちびやっていると直ぐに嫌気がさす。
そこで、こうした安物を量飲む義務もないので、もう少し良いものを少量飲んだ方が幸せと言う結論に至る。その方が健康に良く、無駄もない。いやいや飲酒するなどは最低である。
さて、いよいよ最も廉価なミュラーテュルガウのリッターヴァインである。この葡種にもっている印象よりも酸が利いていて果実風味が良いと喜ぶのも束の間、如何せんリースリング種の風味や深みがなく、つまらなくなって行く。
緑家さんにコメントで鋭く指摘されたように、リースリング愛好家にとっては、「二割増しでもリースリングを買え」と言うぐらいリースリング種は高貴なのである。ミュラートュルガウをワイン酒場で選ぶ人は多い。リースリングの酸に弱いという地元の人も多く、これを好む人もいるがどうしても半辛口になる。決して悪い品種ではないが所詮つまらない品種なのである。
しかし、トマトソースや大蒜などのパスタを食するなら繊細なリースリングは惜しくて合わない。そう、ミュラートュルガウが良いのだ。そうした飲み別けも重要である。
結局、個人的には現時点では、グーツヴァインは酒代節約精神で買えるが、ミュラートュルガウならばスーパーでの手ごろで単純な南国イタリアワインなどとの競合となる。
勿論そうした判定は、個人個人によって事情が異なる事を前提として下すのである。だから、ワインに、その購買・競争力に相対的な点数などはつけれるでなく、つける意味もない。
その点からも、ネットにおける批評は、当事者に聞こえる可能性も高く、出来るだけ誠実に批評しようと思う。誰でも気になるので、自ら世に問うたものをネットでリサーチするのは普通なのである。
ネットの場合は、商業や専門的な枠組みがないのは素晴らしいが、殆ど攻撃や嫉妬に当たる、同程度の理解の範疇での議論ではなくこき下ろしに近いものまであるので、正当な批判として受け取れないものも多いかもしれない。そうした愚の衆合に落ちいるだけでは、大衆を代表するオピニオンとはならないのみならず、同時に批判の対象になんら影響を与える事もない。だから批評は的を得ていなければなにもならない。
さて、先日から試したワインの感想を纏めておく。生産者にとっては、単純なワインと言っても、この批判は棘があるかも知れないが、そうした批判をしておくのは重要と思われる。
ゲオルク・モスバッハーのグーツヴァインと呼ばれる一リッターのワインは、決して悪くはない。しかし、どうしてももう一つ上の0.75リッターの本物のグーツリースリングを期待させてしまう商品である。食事を流しこむにはこれで誰も文句は言わぬだろうが、この醸造所らしいフルーティーな香りの特徴が殆ど無い。
勿論大量生産の商品とは異なるのだが、ミネラル質などの凝縮を感じさせないのは少し残念で、これだけを飲んで楽しむには些か物足りない。価格の5.4ユーロは他の醸造所の6.5ユーロとの差を際立たせている。反対に、この価格ならば他の格下の醸造所のものと比較できる。それでも、剥き出しのコルク栓を抜いてから三日ほど経っても充分に飲めるのは大したものだ。
それと比べて、買いつけた葡萄で作ったリースリングは、流石に質が落ちる。機械摘みらしい枝やらが交じったような味の悪さを久しぶりに自宅で飲む。巷で飲むこうしたワインは味を調えられて、悪酔いさせるように作っているのだが、これはその欠点をそのまま出しているだけそれほど悪くはないが、全く旨くもない。食事を流すには気にならないが、これをちびちびやっていると直ぐに嫌気がさす。
そこで、こうした安物を量飲む義務もないので、もう少し良いものを少量飲んだ方が幸せと言う結論に至る。その方が健康に良く、無駄もない。いやいや飲酒するなどは最低である。
さて、いよいよ最も廉価なミュラーテュルガウのリッターヴァインである。この葡種にもっている印象よりも酸が利いていて果実風味が良いと喜ぶのも束の間、如何せんリースリング種の風味や深みがなく、つまらなくなって行く。
緑家さんにコメントで鋭く指摘されたように、リースリング愛好家にとっては、「二割増しでもリースリングを買え」と言うぐらいリースリング種は高貴なのである。ミュラートュルガウをワイン酒場で選ぶ人は多い。リースリングの酸に弱いという地元の人も多く、これを好む人もいるがどうしても半辛口になる。決して悪い品種ではないが所詮つまらない品種なのである。
しかし、トマトソースや大蒜などのパスタを食するなら繊細なリースリングは惜しくて合わない。そう、ミュラートュルガウが良いのだ。そうした飲み別けも重要である。
結局、個人的には現時点では、グーツヴァインは酒代節約精神で買えるが、ミュラートュルガウならばスーパーでの手ごろで単純な南国イタリアワインなどとの競合となる。
勿論そうした判定は、個人個人によって事情が異なる事を前提として下すのである。だから、ワインに、その購買・競争力に相対的な点数などはつけれるでなく、つける意味もない。