Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

面白いパブリックレディオ

2008-06-21 | マスメディア批評
新たに面白いラジオステーションを見つけた。サンフランシスコのKQED局である。ニュース解説・社会話題主体の番組構成であるがノンコマーシャルのコミュニティーラジオであるが流していて邪魔にならない。

何よりも車で聞いている独SWR2などの文化放送風の雰囲気が良い。ニュースソースはパブリックニュースのNPRであるようだが、その扱い方やコメンテーターの選択などがなかなか良いようだ。

まるで車で流すようになにかをしながら流しているだけなので、まだ十分にはその切り口が判っていないが、コメンテーターとモデレーターの会話の内容はかなり文化的で気持ちが良い。

そのローカル社会の一定の社会層の感覚が直裁に出るような話しの進み方にある特徴を見出す楽しみと同時に、西側市民社会での良識や学術的な常識のようなものを感じられるのはなによりもこうしたあるコミュニティーを映し出した放送の聞き所だろうか。

そうした考え方への興味ばかりでなくて、兎に角話題がキューバについてやオバマからイスラム、ハイスクールのセックスからメディアへとニュースを挟みながらスピード感を持って進む番組構成は秀逸である。どうしても耳をそばだててしまう。

しかし、こうした淀みの無い番組構成は膨大な録音を準備して繋いで流しているとしか思えないのだがどうなのだろう。TVではないので、画像が無い分限られた予算で番組制作出来るのだろうが、それにしてもやはり米国は予算が違うと思わせる。

床屋に行くと、親仁は関心なくEMのTVを見ていないと言う。なにもドイツの全員がサッカーをみている訳では決して無い。メディアにおける大衆市場を見直していく時期に来ていると感じている。



参照:
NPRのライヴストリーム番組一覧表
前に広がる無限の想像力 [ 音 ] / 2008-06-17
世界の机の前に齧り付く [ テクニック ] / 2008-06-15
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アラーとかパンソリの世界

2008-06-21 | 
意固地にTVを見ない。EMの結果は試合前から打ち上げられる爆竹やゴ-ルの度の花火で判る。昨晩のトルコ対クロアチアのあとはなにも聞かなかった。朝起きて見ると屋根の上に見つけたのが写真の光景である。それにしても静かだったのは、恐らく昨晩は満月の次の夏至の前なので宗教的な戒律があったのだろうと想像する。ドイツ対トルコの修羅場はどうなるだろうか?

先日来ラジオをかけていても必ずしも面白いものを数多くの中から瞬時には探せない。しかし興味ある曲などが生演奏されているとどうしても耳を傾けてしまう。

ブルックナーの交響曲八番の大作が流れていた。少し聞いているだけで、科を作ったいやらしい弦楽と管の響きなどあまり聞いていられない代物と感じた。フランスの放送管弦楽団であることは放送するラジオ局から殆ど分かっていたのだが、それにしてもこれほどおかしな響きはレニングラードの交響楽団がムラヴィンスキーで演奏したもの以外に知らない。

いつもこれほどおかしな演奏をする管弦楽団ではないのでホームページを覗く。すると、サンドニの音楽祭からの実況中継で韓国人の指揮者チュンの演奏と分かった。その指揮者のメシアンの曲を演奏したCDは嘗てザルツブルクでプレゼントされた事があるので所持しているが、ドイツ音楽をこれほど滑稽に厭らしく演奏するとは思ってもいなかった。小澤氏の浪花節でもそうかも知れないが、そうしたパンソリの世界感にへきへきするだけで、なんら普遍性が無いのは確かである。

ブルックナー協会の会長であった指揮者フルトヴァングラーが記念演説の中で、その二面性での一方の土着性を語っているが、そうした側面がなんら東アジアのそれと共通性を持たないのは明らかで、中欧ドイツ語圏以外のそれらの音楽家どころか聴衆もこうした内容を理解するのは不可能だとするのはある意味正しい。
コメント (2)
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