Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

何故に人類の遺産なのか

2008-06-26 | マスメディア批評
窓を開けて寝ているので、どうしても昼眠くなる。相変わらず蒸し暑い。夕方には力仕事もしていないのに肌がねっとりと汗ばんでいる。

アルプス交響楽の爽快感を想像しながらも、少々の昼過ぎの夕立は根本的な涼しさを齎しては呉れなかった。こうした時に限って、先日から楽劇「トリスタンとイゾルデ」を流している。

先日来、一通り針を通した「ニーベルンゲンの指輪」に続いて指揮者フルトヴェングラーのヴァーグナー実践に親しんでいる。取り分け、1952年にロンドンで録音された名歌手フラグスタートが歌う全曲録音は歴史に残るヴァーグナー解釈とされている。これをもってヴァーグナーの音楽録音の代表としても良いもので、指揮者どころかこの作曲家の作品実践としても、これは人類の遺産に違いない。

HMVのプロディーサー、ヴァルターレッグが召集したフィルハーもニア管弦楽団に与える積極的で明晰な指示は、ベートーヴェンともシェークスピアとも異なる形で、ヴァーグナーの音楽構造の面白さをここに余すことなく音化している。

その楽団のマットな音色も、このLP一面毎にフェードアウトを入れてある中性的な音響の録音になかなか魅力的で、手下にあるややつや消しのような日本盤の魅力ともなっている。最晩年にヴィーンで録音した生気の薄れた、ルーティン仕事に慣れた座付き楽団への録音とも、ローマで放送のためのラジオ録音とも違い、美学的な美しさに恵まれた録音テイクの数々となっている。

LP五枚組みのどこかに針を下ろすと最後まで聞いて再び全部を繰り返して聞きたくなるように、漲る集中力のみならず全曲を通してのコンパクトな交響的な纏まりが実感出来るのである。このLPは、個人的には最初に手元においたオペラの全曲レコードであったような記憶があり、小学生にはその内容は充分に手に負えないものであったのは当然である。そのおかげが、結構肉厚のLPで、一部を除いて針音も少なく、今こうして愉悦に浸る事が出来るのである。

この暑い最中、十分な集中力が欠けていて、船便で手元にやってきた珍しい文庫本などを捲っていると、同じような意味あいから、その本を購入した時は何を思って頁を開いていたのだろうなどと思うことが多い。

三島由紀夫の作家論は、いつ頃買ったものか全く記憶がなかったが、川端康成をニッチェを通してリヒャルト・ヴァーグナーと直接比較しているのが面白い。そして「雪国」冒頭のトンネルを抜けて窓ガラスに列車内が映る情景から停止したまま一向に先に読み進む事ができない原因が、そこに説明してあって感心した。そのような按配で全編を読んでいない者がその事に触れることはできないが、上の楽劇の録音の芸術性に対する理解に関連して触れておきたい。

要するに、十歳になったばかりの子供とそれから十分年を取った同じ人間が物事にに対応するし方の違いを考えてみたのである。重要な点は、一般の大人が得意げに語るような自己の社会体験や教育で齎された経験とかとは、「芸術の理解」は殆ど結びつかないことであり、感覚を通した頭脳の働きは想像力つまり創造力に準じていることである。広義の意味では「体験」と呼んでも良いかも知れないが、上の青年指揮者が年を経て初めてその楽曲の構造を把握して行くような「進展」は誰にも起りうることであり「予測不能」なのである。それは決して社会生活や研究生活を通して学べるような代物ではない抽象的な思考であるのだ。

その抽象的な思考が、普遍的であるとか最大公約数的な経験から生じているのではなく、前述の想像力もしくは創造力とすると、コミュニケーションの妙味とか表現の限界とか呼ばれる大変高度な話題となる。



参照:
語学学習の原点に戻る [ 生活 ] / 2007-12-22
森の泉の渋味の世界 [ ワイン ] / 2008-05-19
解消されるまでの創造力 [ 文化一般 ] / 2008-06-18
前に広がる無限の想像力 [ 音 ] / 2008-06-17
オーラを創造する子供達 [ 文化一般 ] / 2007-09-24
襲い掛かる教養の欠落 [ 雑感 ] / 2007-07-27
骨肉の争いの経験と記憶 [ 生活 ] / 2007-06-10
豊かな闇に羽ばたく想像 [ 文化一般 ] / 2006-08-20
コメント (2)
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