最近RSS リーダーのための情報を送らないサイトが多い。何を隠そう自らのミラーサイトの方が一月ほど更新していないことになっている。そのためか訪問者数も減っている。自らのものは構わないのだが、リーダーにて更新した知らせが無いとどうしても知らず知らずご無沙汰してしまう。気になって覗きに行くと変わらず更新されている。
先日、VISTAの日本語環境を整えたお礼に手作りにチーズケーキなどを更に頂いたが、同時に独文の満月の俳句風の短詩を貰った。
勿論それを俳句にしなければいけない。ベレー帽を被ったオレンジ色の満月に雲がかかって行ってついには満月を包み隠してしまうと言う内容である。
早朝の一時間ほどを俳句化に思慮を巡らした。先ずは、原文が安易な言葉であまり凝らない構文であるので、出来る限り我々が知っている一茶の俳句のような些か滑稽味のある俳諧を目指す。
そのためには五七五のみならず季語にも気をつけた。重要な語句を並べると、満月、月、バスク帽、ベレー、オレンジ、雲、夏至、夜空と言うことになる。勿論最後の三つは前提条件として暗示されているだけで用語化されていない。
さらにこの原詩の核は、隠喩化された言語の滑稽味であるが、寧ろここでは意味論的な面白さとなる可能性があることに留意した。
一つには隠されている、夏至の時期のなかなかくれなかった夜空であり、それは雲に隠れて行く月の情景の時間経過である。
それらを表わす言葉として、オレンジの色目に拘って夏橙の夏蜜柑を入れて一句、また夏至と雲のベレーを織り込んで一句、バスク帽と夏で一句と詠みなおした。
視覚的にはやはり色がついている一句目がよく、滑稽味も十分にある。二句目は、時間経過が盛り込まれていないのでイメージの広がりはないが、その分情報量が多く季節感は強い。三句目は、ことばの響きがよく尚且つ滑稽味に欠かない。
ご本人に早速返したので驚かれたが、幾ら時間をかけて推敲してもレヴェルが挙がらないことを知っているのでそれで良しとした。どの句が最もまともでまた本人にも気に入るかどうかはなんとも分からない。
昨日出合ったライヴストリームでは、ボストンのWGBH局が面白そうだと思った。何よりも金曜日におとずれるボストン交響楽団の生中継を改めて聞いてみたいと思わせる。聞いた時にやっていたのはワシントンのオペラ劇場からのサンサーンスの「サムソンとデリラ」の中継録音であった。こうした米国の実態を知ると幾らドイツ連邦共和国が文化に全予算の九パーセントと国会の運営予算以上の額を投資しているからと言って米国にはとても適わないと思わせる。予算を更に整理して重点化して行く必要を思わせる。
晩にローマのRAI5チャンネルで耳にしたのは、指揮者クラウディオの兄、マルチェロ・アバードの管弦楽のための曲である。息子ロベルトの指揮でRAIの交響楽団の定期公演で演奏されていたが、意外によく出来ていたので驚いた。この作曲家の管弦楽曲を耳にする事はあまりないので徳をした気になった。
写真は、夏至23時10分過ぎの 北 の空と山影。
先日、VISTAの日本語環境を整えたお礼に手作りにチーズケーキなどを更に頂いたが、同時に独文の満月の俳句風の短詩を貰った。
勿論それを俳句にしなければいけない。ベレー帽を被ったオレンジ色の満月に雲がかかって行ってついには満月を包み隠してしまうと言う内容である。
早朝の一時間ほどを俳句化に思慮を巡らした。先ずは、原文が安易な言葉であまり凝らない構文であるので、出来る限り我々が知っている一茶の俳句のような些か滑稽味のある俳諧を目指す。
そのためには五七五のみならず季語にも気をつけた。重要な語句を並べると、満月、月、バスク帽、ベレー、オレンジ、雲、夏至、夜空と言うことになる。勿論最後の三つは前提条件として暗示されているだけで用語化されていない。
さらにこの原詩の核は、隠喩化された言語の滑稽味であるが、寧ろここでは意味論的な面白さとなる可能性があることに留意した。
一つには隠されている、夏至の時期のなかなかくれなかった夜空であり、それは雲に隠れて行く月の情景の時間経過である。
それらを表わす言葉として、オレンジの色目に拘って夏橙の夏蜜柑を入れて一句、また夏至と雲のベレーを織り込んで一句、バスク帽と夏で一句と詠みなおした。
視覚的にはやはり色がついている一句目がよく、滑稽味も十分にある。二句目は、時間経過が盛り込まれていないのでイメージの広がりはないが、その分情報量が多く季節感は強い。三句目は、ことばの響きがよく尚且つ滑稽味に欠かない。
ご本人に早速返したので驚かれたが、幾ら時間をかけて推敲してもレヴェルが挙がらないことを知っているのでそれで良しとした。どの句が最もまともでまた本人にも気に入るかどうかはなんとも分からない。
昨日出合ったライヴストリームでは、ボストンのWGBH局が面白そうだと思った。何よりも金曜日におとずれるボストン交響楽団の生中継を改めて聞いてみたいと思わせる。聞いた時にやっていたのはワシントンのオペラ劇場からのサンサーンスの「サムソンとデリラ」の中継録音であった。こうした米国の実態を知ると幾らドイツ連邦共和国が文化に全予算の九パーセントと国会の運営予算以上の額を投資しているからと言って米国にはとても適わないと思わせる。予算を更に整理して重点化して行く必要を思わせる。
晩にローマのRAI5チャンネルで耳にしたのは、指揮者クラウディオの兄、マルチェロ・アバードの管弦楽のための曲である。息子ロベルトの指揮でRAIの交響楽団の定期公演で演奏されていたが、意外によく出来ていたので驚いた。この作曲家の管弦楽曲を耳にする事はあまりないので徳をした気になった。
写真は、夏至23時10分過ぎの 北 の空と山影。