お馴染みのBLOG「壺中山紫庵」にて、富山からの視点で日本の山に関する記事が投稿されている。そこで、なにに興味があるかと云えば、その視点なのだ。
一つ目の話題は、市街地から望む立山・後立山連峰の屏風のような光景で、私自らの登山行為が限られているためか、当時は車の移動よりも夜行列車が主な移動手段であったためか、それともある山の岩壁などにこそミクロの興味が行っていたためか、その遠望と眺望はある意味未知なのである。
それが、スイスアルプスなどにスキーを含めて年中車で通うようになってから、奥深くの谷は云うに及ばず、麓のそれも市街地からの遠望に馴染むようになって、その都会生活の日常から見える非日常の世界への視点のあり方に気がつくようになった。
幸か不幸か、欧州で云えば、インスブルックやミュンヘン、チューリッヒ、ルツェルン、ベルン、ジュネーヴやグルノーブルなどの町に住む機会を未だに得ていない。つまり白い高峰が聳える世界として、精々東京からの富士山を見ての日々が思い出されるぐらいである。
二つ目の話題は、それを空間的な視点とすると、これは歴史的な時間軸を辿る視点の移動であるが、その視座が存在する人々の生活とそうした山との関係を探ると云う意味では共通していないだろうか?
具体的には、修験道者により日本の山の開山されていった事実関係を、そこにおける宗教的登山の動機を容易に山岳宗教として片付けてしまっているのはどことなく衒学的な態度にしか見えなくなっている。まさにBLOG「schatzky☆ドイツ忘我と結実の境」にて報告された「クーヘン」博士号授与の研究態度とは正反対のあり方なのだ。
もちろん霊山信仰登山は今も富士山を代表に各地で伝統というお題目の惰性で催されているようであるが、その一言で総てを片付けられるとは思わない。それはアルプスの高峰に十字架が建てられているからといってその登山行為とその設置に宗教そのものを見出すのと同じぐらい、もしくは聖サンフランシスコが宗教的な欲求で登山したと決めつけるのと同じぐらい好い加減な定義に違いない。
当然ながら個別の文献やその他の考証によって研究を進めている向きもあるのだろうが、そうした上からの解釈を覆すほどの新たな解釈は知らない。寧ろそうした歴史文化こそが捏造されていると考える方が、― 昨今の証拠証拠とかなんとか宣、修正主義者の似非学問をみていると ― 自然であると思わせるのだ。
だからこそ大衆小説作家の新田次郎などが想像力を精々働かせて、「品格」の無い作文などを売りまくったのだが、こうした大衆の近くにいると見せ掛けた「文化人」は本当にその人々の生活心情を知っているのだろうか?あまりにも、如何わしい。執拗に拘るようだが、だからこそぬけぬけと「アルプスは麓から見上げている方が美しい」などと、谷に住む人間の生活や山との係わり合いを一考もせずに、そのような馬鹿げた事が云えたのである。
そうした大衆文化の稚拙さが、その文化や社会の品格になっていると考えた。
参照:
今日は外出三昧? !
槍ヶ岳の開祖・播隆上人 (壺中山紫庵)
ケーキ(文化)の研究って、楽しそうだね
ケーキ(文化)の研究って楽しそうだね 2 (schatzky☆ ドイツ 忘我と結実の境)
一つ目の話題は、市街地から望む立山・後立山連峰の屏風のような光景で、私自らの登山行為が限られているためか、当時は車の移動よりも夜行列車が主な移動手段であったためか、それともある山の岩壁などにこそミクロの興味が行っていたためか、その遠望と眺望はある意味未知なのである。
それが、スイスアルプスなどにスキーを含めて年中車で通うようになってから、奥深くの谷は云うに及ばず、麓のそれも市街地からの遠望に馴染むようになって、その都会生活の日常から見える非日常の世界への視点のあり方に気がつくようになった。
幸か不幸か、欧州で云えば、インスブルックやミュンヘン、チューリッヒ、ルツェルン、ベルン、ジュネーヴやグルノーブルなどの町に住む機会を未だに得ていない。つまり白い高峰が聳える世界として、精々東京からの富士山を見ての日々が思い出されるぐらいである。
二つ目の話題は、それを空間的な視点とすると、これは歴史的な時間軸を辿る視点の移動であるが、その視座が存在する人々の生活とそうした山との関係を探ると云う意味では共通していないだろうか?
具体的には、修験道者により日本の山の開山されていった事実関係を、そこにおける宗教的登山の動機を容易に山岳宗教として片付けてしまっているのはどことなく衒学的な態度にしか見えなくなっている。まさにBLOG「schatzky☆ドイツ忘我と結実の境」にて報告された「クーヘン」博士号授与の研究態度とは正反対のあり方なのだ。
もちろん霊山信仰登山は今も富士山を代表に各地で伝統というお題目の惰性で催されているようであるが、その一言で総てを片付けられるとは思わない。それはアルプスの高峰に十字架が建てられているからといってその登山行為とその設置に宗教そのものを見出すのと同じぐらい、もしくは聖サンフランシスコが宗教的な欲求で登山したと決めつけるのと同じぐらい好い加減な定義に違いない。
当然ながら個別の文献やその他の考証によって研究を進めている向きもあるのだろうが、そうした上からの解釈を覆すほどの新たな解釈は知らない。寧ろそうした歴史文化こそが捏造されていると考える方が、― 昨今の証拠証拠とかなんとか宣、修正主義者の似非学問をみていると ― 自然であると思わせるのだ。
だからこそ大衆小説作家の新田次郎などが想像力を精々働かせて、「品格」の無い作文などを売りまくったのだが、こうした大衆の近くにいると見せ掛けた「文化人」は本当にその人々の生活心情を知っているのだろうか?あまりにも、如何わしい。執拗に拘るようだが、だからこそぬけぬけと「アルプスは麓から見上げている方が美しい」などと、谷に住む人間の生活や山との係わり合いを一考もせずに、そのような馬鹿げた事が云えたのである。
そうした大衆文化の稚拙さが、その文化や社会の品格になっていると考えた。
参照:
今日は外出三昧? !
槍ヶ岳の開祖・播隆上人 (壺中山紫庵)
ケーキ(文化)の研究って、楽しそうだね
ケーキ(文化)の研究って楽しそうだね 2 (schatzky☆ ドイツ 忘我と結実の境)