Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

量から質向上への経済

2008-12-23 | マスメディア批評
消費などは求められていない。真っ赤な嘘である。個人にとって大切なのは購買力でなくて、生活の質の向上への意志でしかないのである。そのためには、なにが求められるか。

出来る限り短い時間を働いて、必要最小限の収入を得て暮せる社会秩序なのである。そのためには、先ずは大量消費を控えなければいけない。

消費の量と質が混同して考えられているのが問題なのである。そして、不要不急の消費を止め、大量消費品は生活必需の消費に限り支出を圧縮する一方、質の向上に投資すべきなのである。その投資先は、人によって千差万別である筈だ。だから、大量消費ではなく少量生産の高品質のものが適価で購入出来る市場が成立する。

そうした実例を様々な欧州の日用品や高級品に見て来たが、また一つ面白い例が確認された。殆どを輸出向けに生産している甘口ドイツ最高級ワインである。なるほど同じ商品名で、様々な仕様の商品が市場に溢れているのはこうした高級品の大量消費の供給体制の典型的な例であって、衣料や家庭用品などにも例を挙げれば限が無い。広告と呼ばれるマスメディアやマスイヴェントに踊らされて大量消費へと扇動されている大衆に本物の高級品の質など判る訳が無い。

今回確認された高級リースリングの場合は、その商品コンセプトは知らないが、樽毎によって大分商品が異なるにも拘らず普通一般にはその中身の差が判らなくなっていて、消費者の選択の可能性を奪っているようだ。もともと売り手市場である事から、生産コストがかなり違うものも同じように市場に流せるだけの需要過多の市場は、まさに高級ブランドとか呼ばれるものの市場である。

世界的に有名な高級ブランドの商品が、それが向けられる市場によって差異が付けられているといっても知らない者はそれを信じない。要するにその差異が判らないものには、高級な商品などを流すのは無駄でしかないのである。そして、そうした判らない者達こそが大量消費をして大衆市場を形成している。

そうした無駄な消費に関与することなく消費の質を上げようとするならば、大量消費されているものに手を出さないことに限るのである。そもそも質の良いものは市場に数は出ない。どんな馬鹿者でもそんな事ぐらいは理解出来る。

生活の質を向上させるには、先ずは各々が支出を切り詰めて反大量消費を明確にして、大量消費市場を圧迫していくべきである。市場は淘汰されて、最終的には質の良い商品だけが支持されて質の良い市場だけが発展する。

経済規模は個人消費の低下に伴って縮小となるが、国の財政を切り詰めて小さな政府を目指すならばなぜ小さな個人消費と市場を目指さないのか。消費の質もしくは生活の質の向上の為には、税を含めた支出だけでなく収入の量を抑え、そこに厳選され縮小された意志を明確にしていく事が重要である。

立派な製品は清貧こそが生み出すものなのである。



参照:
華のないエゴン・ミュラー (新・緑家のリースリング日記)
We do not sell wine..... [ マスメディア批評 ] / 2008-10-08
人のためになる経済 [ 文学・思想 ] / 2005-04-11
脱資本主義へのモラール [ マスメディア批評 ] / 2006-05-16
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