12月9日付けの中華連邦共和国宣言の303人の署名が発表された。チャルタ08としてFAZ新聞全二面に原語とルートヴィヒスハーフェンの東アジア研究所のルドルフ教授の注釈と独訳がついている。
呼びかけ人は既に北京のアパートで逮捕された嘗ての天安門広場の学生リーダーに一人刘晓波である。303人の呼びかけ人に対して5000人を越える署名が集まっていて、事態を重く見た共産党はネットからそれらの情報を一掃しようとしているらしい。
「プラハの春」から十年後のチャルタ77で有名な後にチェコ大統領となったハーヴェル氏も賛同人となっている。さてそれをざっと流し読んで見ると中国の知識人が何を考えているかが良く知れる。
その宣言の内容自体は、西洋自由民主主義の基本憲章の内容となんら変わらないが、中共政府にとっては民主主義革命でしかない。
しかしなによりも不細工なのは、近代社会を是とした主義主張で、歴史的に最も古い極東の共和国としながらも、その後の抗日戦争で民主主義の土台が破壊され、国民党に優った共産主義の台頭でますます民主主義から遠ざかっていく状況が描かれていることであろう。
結局、ここでもマルク・ジーモンスの報告シリーズを取り上げてきたが、文革を零年とするポストモダーンの民主革命はこの文面からは読み取れないのみならず、せめても一党独裁を打倒してまともな民主主義社会を構築することが先決だと読み取れるに留まっている。
正直な感想は、社会の近代化を西洋的な価値基準においていて、信教の自由やその他の西洋スタンダードをこれによって獲得しようとしているが、共産主義が教育や実権から遠ざかり普通選挙や地方自治が正しく行なわれ、自由競争の経済秩序と私有資産の保障がされたとしても、1919年5月4日から再び自由化への道を時間と共に取り返して立派な連邦共和国には容易にはならないことは周知という事である。
ワルシャワパケットからEUへと組み入れられた国々やロシアや、紆余曲折はありながらも百年以上も絶えず近代化社会を構築しようとし続けていた日本の政治風景をみただけでも、この宣言にある綱領だけで百年やそこらで容易に西洋化した社会が完成するのでは無い事は確かである。
この宣言に偉大な思想を感じない。ヴェルサイユ条約に反応した1919年5月4日の運動から始まる「新文化運動」と呼び、これを思想における欧州化もしくは近代化を評価している。その後の動きを上のラストエンペラーの清の滅亡と共和制樹立とともに内外からの干渉としてその運動への障害として一気に扱い、日本の侵略時代を終えて、その後の粛正と引き締めを通して一党独裁体制が強化され、やっと20世紀の終りへと、毛の完全な全体主義と貧困から抜けて、やっと人権の世界条約の枠組みの中で再び復帰しつつあるとしている。
前記五四運動を原点として入る事から、これが連邦共和国宣言となっているのは当然で、さらに帝国主義的つまり君主制を絶対否定して、国民の自意識確立の時代としている。ここで誰もが感じるのは、中華思想の放棄とIDの喪失を伴った既に百年以上も葛藤しているとされる近代化意識ではなかろうか。
常任理事国としての一種の国連主義をとったこの宣言のその底の浅さをこの辺りに見て、りんりん、らんらん、と幼児言葉を好んで操るシナ文化の程度を見てしまうと言えば、シナ人にお叱りを受けるかもしれない。
私の名は「ミミ」とはこの22日に生誕百五十年が祝われた作曲家プッチーニのオペラ「ボエーム」であるが、その遺作「トューランドット」の中国の役人は各々「ピン」、「パン」、「ポン」と名付けられている。こんな低脳な文化もなかろう。
その点、日本文化が少しは賢そうに見えるのは私だけであろうか?いつものように少し古くはなっているが丸山真男の「日本の思想」から引用したい。
― 歴史主義といわれる思想は、やはり直接には絶対精神の自己実現(発展)として歴史をとらえる汎合理主義対する反動として生まれ、あらゆる時代はそれぞれ神につながる(ランケ)という主張で、逆に歴史的個性を絶対化したところに特徴づけられる。
ところが日本では歴史的見方とか歴史意識という際にはヘーゲルの絶対精神を物質的生産力に、「理性の狡智」を階級闘争の論理に置きかえたマルクス主義の歴史観がやはり代表している。 ―
こうした現在の修正主義者が採用する思考法でもなく、同じようにマルキズムを標榜するでもない、歴史を扱えないジャーナリズムは無用である。
ポストモダーンの現代において、共産主義から連邦共和制へと向おうとするシナに比べて、日本はやはり大きな利点を持っている。それは三島由紀夫ではないが皇室というジョーカーに違いない。
問題は、八咫鏡という優れた「お宝」を持ちながらそれを社会を映す鏡と出来ない、もしくは弄れない程度の低い日本のジャーナリズムでしかないのである。明仁天皇の社会を体現するようなまるで尊い一片の歌が詠まれているような発言もしくは宮内庁の意味深く高度な施策に対して、議論を通して十分な対応が出来ない自意識に目覚めない国民であるから、未だにどうしてもシナ人と比較したくなるのである。
参照:
DAS DOKUMENT, Die Charta 08, Dr. Jürgen-M. Rudolf, FAZ vom 22.12.08
天皇陛下の誕生日 (作雨作晴)
反照に浮かび上る世界観 [ 歴史・時事 ] / 2008-12-21
呼びかけ人は既に北京のアパートで逮捕された嘗ての天安門広場の学生リーダーに一人刘晓波である。303人の呼びかけ人に対して5000人を越える署名が集まっていて、事態を重く見た共産党はネットからそれらの情報を一掃しようとしているらしい。
「プラハの春」から十年後のチャルタ77で有名な後にチェコ大統領となったハーヴェル氏も賛同人となっている。さてそれをざっと流し読んで見ると中国の知識人が何を考えているかが良く知れる。
その宣言の内容自体は、西洋自由民主主義の基本憲章の内容となんら変わらないが、中共政府にとっては民主主義革命でしかない。
しかしなによりも不細工なのは、近代社会を是とした主義主張で、歴史的に最も古い極東の共和国としながらも、その後の抗日戦争で民主主義の土台が破壊され、国民党に優った共産主義の台頭でますます民主主義から遠ざかっていく状況が描かれていることであろう。
結局、ここでもマルク・ジーモンスの報告シリーズを取り上げてきたが、文革を零年とするポストモダーンの民主革命はこの文面からは読み取れないのみならず、せめても一党独裁を打倒してまともな民主主義社会を構築することが先決だと読み取れるに留まっている。
正直な感想は、社会の近代化を西洋的な価値基準においていて、信教の自由やその他の西洋スタンダードをこれによって獲得しようとしているが、共産主義が教育や実権から遠ざかり普通選挙や地方自治が正しく行なわれ、自由競争の経済秩序と私有資産の保障がされたとしても、1919年5月4日から再び自由化への道を時間と共に取り返して立派な連邦共和国には容易にはならないことは周知という事である。
ワルシャワパケットからEUへと組み入れられた国々やロシアや、紆余曲折はありながらも百年以上も絶えず近代化社会を構築しようとし続けていた日本の政治風景をみただけでも、この宣言にある綱領だけで百年やそこらで容易に西洋化した社会が完成するのでは無い事は確かである。
この宣言に偉大な思想を感じない。ヴェルサイユ条約に反応した1919年5月4日の運動から始まる「新文化運動」と呼び、これを思想における欧州化もしくは近代化を評価している。その後の動きを上のラストエンペラーの清の滅亡と共和制樹立とともに内外からの干渉としてその運動への障害として一気に扱い、日本の侵略時代を終えて、その後の粛正と引き締めを通して一党独裁体制が強化され、やっと20世紀の終りへと、毛の完全な全体主義と貧困から抜けて、やっと人権の世界条約の枠組みの中で再び復帰しつつあるとしている。
前記五四運動を原点として入る事から、これが連邦共和国宣言となっているのは当然で、さらに帝国主義的つまり君主制を絶対否定して、国民の自意識確立の時代としている。ここで誰もが感じるのは、中華思想の放棄とIDの喪失を伴った既に百年以上も葛藤しているとされる近代化意識ではなかろうか。
常任理事国としての一種の国連主義をとったこの宣言のその底の浅さをこの辺りに見て、りんりん、らんらん、と幼児言葉を好んで操るシナ文化の程度を見てしまうと言えば、シナ人にお叱りを受けるかもしれない。
私の名は「ミミ」とはこの22日に生誕百五十年が祝われた作曲家プッチーニのオペラ「ボエーム」であるが、その遺作「トューランドット」の中国の役人は各々「ピン」、「パン」、「ポン」と名付けられている。こんな低脳な文化もなかろう。
その点、日本文化が少しは賢そうに見えるのは私だけであろうか?いつものように少し古くはなっているが丸山真男の「日本の思想」から引用したい。
― 歴史主義といわれる思想は、やはり直接には絶対精神の自己実現(発展)として歴史をとらえる汎合理主義対する反動として生まれ、あらゆる時代はそれぞれ神につながる(ランケ)という主張で、逆に歴史的個性を絶対化したところに特徴づけられる。
ところが日本では歴史的見方とか歴史意識という際にはヘーゲルの絶対精神を物質的生産力に、「理性の狡智」を階級闘争の論理に置きかえたマルクス主義の歴史観がやはり代表している。 ―
こうした現在の修正主義者が採用する思考法でもなく、同じようにマルキズムを標榜するでもない、歴史を扱えないジャーナリズムは無用である。
ポストモダーンの現代において、共産主義から連邦共和制へと向おうとするシナに比べて、日本はやはり大きな利点を持っている。それは三島由紀夫ではないが皇室というジョーカーに違いない。
問題は、八咫鏡という優れた「お宝」を持ちながらそれを社会を映す鏡と出来ない、もしくは弄れない程度の低い日本のジャーナリズムでしかないのである。明仁天皇の社会を体現するようなまるで尊い一片の歌が詠まれているような発言もしくは宮内庁の意味深く高度な施策に対して、議論を通して十分な対応が出来ない自意識に目覚めない国民であるから、未だにどうしてもシナ人と比較したくなるのである。
参照:
DAS DOKUMENT, Die Charta 08, Dr. Jürgen-M. Rudolf, FAZ vom 22.12.08
天皇陛下の誕生日 (作雨作晴)
反照に浮かび上る世界観 [ 歴史・時事 ] / 2008-12-21