月曜日の午後面白い情報をラジオで聞いた。高齢化社会における健康を考えるハイデルベルク大学のマルシリウス研究会のお話である。脳医学から社会学まで広い専門分野渡る共同研究グループである。
お客さんとしてマイクロフォンの前に座っていたのは脳生物学教授ヨハネス・シュレーダー博士であった。氏の研究分野は脳におけるドーパミンの分解などのようだが、その研究から得られた「結論」が面白い。一部その意外性に驚かされた。
教授によると、「認知年齢」は幾つかの要素によって個人差が出るというのだ。その認知年齢の意味が良く分からなかったのだが、どうもドーパミンやその誘導体、認知症に関わるそれであると分かってきた。要するに老齢化して行く過程で、如何に若さを保つかというアンチエージングの考え方の一つであるようだ。
先ず老齢化が何処で始まるかという見解では、個人差があるが四十歳台であり、現在では若年老人を六十歳としているが、それはいづれ六十五歳ほどに引き上げられるかも知れないとしている。老人性遠視などの始まる四十歳代からその個人差が出てくると言うのである。
これは皆うすうす感じている様々な状況が思い起せるが、教授は次ぎの様に断言する。遺伝子的な体質や個人的な危険への対処、仕事や生活態度などを除いた要因として意外な条件が浮かび上がる。
一つ目に教育程度だと言うのである。これは認知という言葉を考えれば納得できるものであり、それが教養を表わすのか高等教育における理解度を表わすのかは判らなかったが、所謂知性的かどうかという事になるのであろう。当然の事ながら単純な話よりも難しい話しに関心が持てるかどうかでもあり、具象よりは活字、大衆文化よりは高度な芸術に関心が向くかどうかの相違であろう。少なくとも同じ放送局SWRの第四波よりは第三波を聞いているリスナーの方が遥かに知性的なことには間違いなく、大衆紙と高級紙の読者層の違いでもある。
二つ目に挙がったのはこれまた関心事である中高年の運動である。これはある程度の年齢から身体を動かせるようにしておくのと、そうでないときの相違を語っている。プロのスポーツ選手のような動体視力や瞬発力を要求されたり身体の特定の部所に負荷を掛け続けていると磨耗疲労したりする事と、これは矛盾している。しかし、そこへと至る筋力の強化や基礎的な条件を整えるのがある年齢を越えると難しくなってくるのは承知している。それはここでも取り上げている肥満やまたは気力の喪失更には疾病というそれ以前の問題が係わっているからである。肉体の劣化はある種の「それ以前に出来ていた感覚との差異」という精神と肉体の乖離として「統合失調」を推し進める。この問題は所謂中高年の自殺とか鬱とも結びついているに違いなく、その傾向や観察は実際に現われて来るあらゆる形の表現として認知出来る ― たとえば三島由紀夫の晩年の作品や桂枝雀の新作落語に観察しても面白い。
三つ目が最も意外で考えもしなかったのが、子供の時の栄養状況だと言うのである。これは脳のホルモン機構に与える発達に大きく影響しているのだろうか。胎児教育ではないが、そこまで遡るべきかと思うのだがどうだろう。
これらの医学的な研究と平行して、このグループによる講演として火曜日の夜大学の旧講堂で行なわれたのが、元国務大臣であるウルスラ・レーア博士教授女史の「人口構成の変化 ― 共同体、経済、商業における一つの課題」と題する講演である。そこで話題となったのは、高年齢の就業者の増加とその質の巨大な差異、共同体におけるあり方等々のようである。高齢化した先進工業国はこの問題に真剣に取り組まずにはいられないのである。
参照:
Arbeitsvorhaben Prof. Dr. Johannes Schröder (Marsilius Kolleg)
本当に、加齢によって体力は低下するのか? (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
奈良帯解・円照寺 夏の日ざかりの庭で (庭は夏の日ざかり)
夢たまご1 2 0001 (YOUTUBE)
夢たまご2 2 0001 (YOUTUBE)
記憶にも存在しない未知 2007-05-27 | 文化一般
大脳辺縁系に伝わる記憶 2009-01-06 | 文化一般
感受性に依存する認知 2009-01-03 | 文化一般
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お客さんとしてマイクロフォンの前に座っていたのは脳生物学教授ヨハネス・シュレーダー博士であった。氏の研究分野は脳におけるドーパミンの分解などのようだが、その研究から得られた「結論」が面白い。一部その意外性に驚かされた。
教授によると、「認知年齢」は幾つかの要素によって個人差が出るというのだ。その認知年齢の意味が良く分からなかったのだが、どうもドーパミンやその誘導体、認知症に関わるそれであると分かってきた。要するに老齢化して行く過程で、如何に若さを保つかというアンチエージングの考え方の一つであるようだ。
先ず老齢化が何処で始まるかという見解では、個人差があるが四十歳台であり、現在では若年老人を六十歳としているが、それはいづれ六十五歳ほどに引き上げられるかも知れないとしている。老人性遠視などの始まる四十歳代からその個人差が出てくると言うのである。
これは皆うすうす感じている様々な状況が思い起せるが、教授は次ぎの様に断言する。遺伝子的な体質や個人的な危険への対処、仕事や生活態度などを除いた要因として意外な条件が浮かび上がる。
一つ目に教育程度だと言うのである。これは認知という言葉を考えれば納得できるものであり、それが教養を表わすのか高等教育における理解度を表わすのかは判らなかったが、所謂知性的かどうかという事になるのであろう。当然の事ながら単純な話よりも難しい話しに関心が持てるかどうかでもあり、具象よりは活字、大衆文化よりは高度な芸術に関心が向くかどうかの相違であろう。少なくとも同じ放送局SWRの第四波よりは第三波を聞いているリスナーの方が遥かに知性的なことには間違いなく、大衆紙と高級紙の読者層の違いでもある。
二つ目に挙がったのはこれまた関心事である中高年の運動である。これはある程度の年齢から身体を動かせるようにしておくのと、そうでないときの相違を語っている。プロのスポーツ選手のような動体視力や瞬発力を要求されたり身体の特定の部所に負荷を掛け続けていると磨耗疲労したりする事と、これは矛盾している。しかし、そこへと至る筋力の強化や基礎的な条件を整えるのがある年齢を越えると難しくなってくるのは承知している。それはここでも取り上げている肥満やまたは気力の喪失更には疾病というそれ以前の問題が係わっているからである。肉体の劣化はある種の「それ以前に出来ていた感覚との差異」という精神と肉体の乖離として「統合失調」を推し進める。この問題は所謂中高年の自殺とか鬱とも結びついているに違いなく、その傾向や観察は実際に現われて来るあらゆる形の表現として認知出来る ― たとえば三島由紀夫の晩年の作品や桂枝雀の新作落語に観察しても面白い。
三つ目が最も意外で考えもしなかったのが、子供の時の栄養状況だと言うのである。これは脳のホルモン機構に与える発達に大きく影響しているのだろうか。胎児教育ではないが、そこまで遡るべきかと思うのだがどうだろう。
これらの医学的な研究と平行して、このグループによる講演として火曜日の夜大学の旧講堂で行なわれたのが、元国務大臣であるウルスラ・レーア博士教授女史の「人口構成の変化 ― 共同体、経済、商業における一つの課題」と題する講演である。そこで話題となったのは、高年齢の就業者の増加とその質の巨大な差異、共同体におけるあり方等々のようである。高齢化した先進工業国はこの問題に真剣に取り組まずにはいられないのである。
参照:
Arbeitsvorhaben Prof. Dr. Johannes Schröder (Marsilius Kolleg)
本当に、加齢によって体力は低下するのか? (月山で2時間もたない男とはつきあうな!)
奈良帯解・円照寺 夏の日ざかりの庭で (庭は夏の日ざかり)
夢たまご1 2 0001 (YOUTUBE)
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