Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

二十五年前の市民の連帯

2011-08-13 | 歴史・時事
「五山送り火」の為の陸前高田の薪の汚染量が発表された。キロ当たり500Bq*ほどなので予想通り都内のものよりはまだ綺麗だろう。それで中止することの決定は京都の住民の意思であるからその是非を議論しても仕方がない。重要なのは、その数字以上の「情報の伝達」なのである。

チェルノブイリ25周年の独仏共同文化放送局制作番組をネットで視聴した。放映は311以後であるが、制作はそれ以前なので福島については触れられていない。それでもその内容はチェルノブイリを経て福島後の日本を含む社会の動きの原点であり、現在に直接に繋がっている。

スェーデンでの異常発見から、西ドイツ、東ドイツ、フランスでの対応を平行して扱っていく。そしてその背景にある社会や政治状況、世論を描き出している。

フランスに関しては、核保有国であり中央集権のお国柄が、その原発推進政策とともに国民に真実を知らせなかった事情とその影響が映し出されて、一党独裁の東独での事情とも重ねられている。その東独での資料から、ソヴィエトへの問い合わせやその反応など興味深い裏事情や、反原の地下発運動も紹介されている。

そうした中央集権の国々に挟まれた西ドイツの連邦共和国で何が起こったかをみると、そこで現在の脱原発への取り組みの道筋がつけられていたのを知るのである。連邦州で最初の緑の党の大臣となったフィッシャー氏が語るように、「さあ、これから、これから」では何時までもそうであり続ける「従来の革新」が多くの人々に不安感さえ与える運動方針からさらに進んで長い道筋をゆっくりと登っていくことで多数決を獲得できるのだという議会制民主主義の根本が再提議されている。

結局ヴィリー・ブラントの背後にいて脱原発を進めていた社会主義者ゲルハルト・シュレーダー首班の連立政権で、はじめてそれが具体的な政治課題となって、緑の党の最も大きな政治課題の一つとして今日に繋がったのであった。

そして当時母親であったり妊婦であった人達の証言は、今我々が福島の彼女らの声として聞いても何一つかわらないのである。ミュンヘンで一般的な保守党支持者であったお母さんが緑の党のデモに参加していくような状況は、まさに情報の欠如からの政府不信と怒りがなした行動の変化であった。

これに対応するかのようにフィッシャー氏が語る地方議会の市民への近さが政治家として大きな財産となったとしているように、地方自治からのボトムアップの重要さを示していて、今や国民政党となった緑の党の支持基盤の拡大の道程であった。

さて、福島においても様々な有意義な自主的な活動が繰り広げられていて、ミュンヘンのお母さんが当時語っていたように、「政治的な支持層枠を超えた連帯意識を強く感じたことは未だ嘗てない」様な状況となっているのである。

また日本の原子村と同じように西ドイツにもドイツェバンクやダイムラー、テュッセンなどの大企業がスポンサーになって原発推進の広報組織が活躍をしたのだが、チェルノブイリを境にその活動は事実上崩壊して、それ以降原発を一基も新設出来ないまま、老朽化した原発から操業停止へと追い込まれていくのであった。


*後になって1130Bqと増やされた。どうも報道規制が無きにしも非ずで、安全デマへのマスメディアの貢献は大きい。



参照:
Die Tschernobyl-Wolke/German,
Le nuage - Tchernobyl et ses consequences/French (ARTE)
Die Wolke - Tschernobyl und die Folgene/German,
Le Nuage de Tchernobyl et ses Conséquences/French (YouTube)
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