Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

安全デマで五山の恥さらし

2011-08-08 | 文化一般
「被災地の松、「送り火」使用断念」と読んで驚いている。なるほどエゴイズムが否定的にしか考えられない訳である。伝承行事や宗教的活動においてこうした否定的なエゴイズムが通じるなら、もはやまともではないだろう。「盂蘭盆会ト称シ精霊祭等停止ノ事」となるのは当然のことであろう。

陸前高田の被災の木材を京都五山送り火に使おうという企画が、なんと放射能汚染の不安から変更になったという話題である。関西の人間にとっては福島も陸前も同じ太平洋側の東北で同じであることを考慮しても、あれだけ情報が流れているのだからその距離感は茫然と分っているに違いない。

そしてその企画の内容も知らされている。まさに京大の小出氏が問いかけるように、「家族同然のペットが被曝したからといって、それを汚物のように扱えますか?」ということになる。

実際のところ、陸前高田までの福島からの距離は二百キロを越えていて、都内までとかわらず、寧ろ風向きからしても地形からしても遥かに首都圏よりも汚染が少ない筈である。京都の宗教関係者は首都圏からの物資を拒否して贅沢な生活が維持出来ると思っているのだろうか?

それどころかセシウムの汚染は間違いなく宇治茶にも現れている。なるほど静岡の非常識な茶の出荷への認識を京都府は分かち得ないだろうが、我々から見ると狭山茶も静岡茶も宇治茶も味噌糞一緒である。

一体こういう風に一体誰がしてしまったのだろう?正確な表示や情報を与えることに消極的な日本政府の隠蔽体質がこうした悲劇を招いたに過ぎない。そうした悪の循環が日本を席巻しそうであるが、誰かがこうした流れを止めなければいけないのである。要するに安全デマと呼ばれるものが現実をその環境をしっかりと見据える態度や能力を市民から奪っているのである。

ハイデルベルクがそうであるように琵琶湖や宇治川沿いに原発を使用者負担で設置しないから、こうして民意が高まらないのである。しかし若狭で事故が起きれば陸前高田の距離の半分ぐらいしかないので、被害はそれほど変わらないのである。



参照:
アメリカから (たるブログ)
誰の生活が第一なのか? 2011-08-04 | マスメディア批評
コメント (3)
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