Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

見識の無いパラダイムシフト

2011-08-23 | 文学・思想
現代の政治家に求められているヴィジョンとは、近代の克服でしかない。其れは具体性を以って、環境やエネルギー政策などに表れる。その自然科学的な歴史発展を考察する一方、社会科学的な見識が言葉としての重要な表明となる。

「福島」を扱った書籍としてレヴィ・ストロースの本を捲っているが、そこに「自然哲学」を考察する。丸山真男の日本の思想のアプリオリと木村資生の中立進化論を挙げている。

「自然哲学」とはあまり耳馴染みの無い定義であるが、嘗てここで新カント派のエルンスト・カッシラーなどの名前が出てきたときに使ったことがあった。そして改めて、そうした哲学的な概念を捉えることが核や再生可能エネルギーそして環境を考えるときに有意なものであると感じた。

そこでは、名詞化される言葉の概念と、歴史社会的な認識と、そもそも進化という概念を捉える必要性が再確認されるだろう。

こうした場合に環境とは、広義には世界観におけるアプリオリなものであり且つアポステリオリなものとすることが出来るのだろうか。狭義には、現代のエネルギー政策や遺伝子工学政策における社会的な認識とすることが出来よう。

こうした点での議論や分析無しには、ジャーナリズムやアカデミズムは愚か、世界をリードする政策や産業・経済活動などは無意味なのである。

全てのこうした思考を棄てて、ある定まった輸入された枠組みでの功利性を追求する合理が日本や今や韓国などを席捲していて、それはパラダイムなどと近頃日本語として常用される言葉に顕著に表れているのだ。

そこで使われているようなパラダイムやパラダイムシフトなどの意味合いと、環境の概念は全く相容れないことは少々考察すれば自明ではないだろうか。


写真:容器の一次冷却系。



参照:
欧州的環境を政策とするとは 2009-09-20 | マスメディア批評
平均化とエリートの逆襲 2005-11-06 | マスメディア批評
皮膚感覚のフマニタス 2006-11-29 | 雑感
再生不可能な科学的教養 2011-08-09 | 文化一般
再生可能な環境税の導入 2011-06-11 | アウトドーア・環境
国際的社会への基礎技術 2011-08-21 | テクニック
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