ケプラーの月旅行の本を読み始める。とても面白い。こうした古典的な著書でラテン語で書いてあるものでも、ドイツ語に上手に訳されているとまるでそこにケプラーが居て語っているような趣がするのである。魔女裁判にかかったと言われる母親のことをこの大物科学者が知識の源として尊敬する母親として語るとなると、その魔女裁判もさもありなんと思わせるシュヴァーベンの目から鼻に抜けるような聡明を超えた非常に知的程度の高い女性を想起させる。現在の視点から見ても、一体そうした教育や環境がどのようなものだったかと考えると更なる頁に興味が尽きない。
そのようなことからすれば福一の17時50分問題はそれほど複雑なものとも思われないのであるが、実証となるとなかなか時間が掛かりそうである。なによりも数時間後にNHKなどでも短く伝えられた建屋での放射線量の急上昇やその後の注水時の不思議は、圧力容器への配管の損傷で説明がつくと言うのである。
要するに、地震で老朽化していた施設の一部が損傷していた可能性を東電や政府などが隠し続ける理由は、再稼動への耐震基準への影響が多いからと思われる。今回の地震はその津波によって特長つけられる以上に、長い時間にわたって振動し続けた巨大地震の性質とも言われている。長い配管などが巨大な格納容器などに設置されていると、どうしても波長の長い基本振動で、丁度高層ビルのようにゆっさゆっさと大きなゆれを齎す共振が発生したに違いない。そうなれば、何十センチにも及ぶズレを蛇腹で吸収できるような機構になっているとは考えられない。
興味深いのは圧力容器の蓋が上に押し上げられて逃がし弁となっていると言うことである。その幾つも円形の縁に並んでいるばねで支えられている構造を想像してみるのだが、浮かすことは問題がなくとそれが何度も圧力鍋のように圧抜きになって、圧力鍋の圧抜きのようにシュシューと音を立てて何度もそれが繰り返されるような情景は思い浮かばない。上から重量だけで蓋が乗っている訳では機密性も無いだろうから、どのような合わせになっているのだろう?
引き続き連邦共和国の再生可能エネルギー推進法案の技術的詳細について懲りない質問に説明を繰り返している。謂わば、エンジニアリングとは自然科学ではないという面も本人たちが納得できるように教育しなければいけないだろう。そうした学術を取り巻く環境を理解できない者に限って学術を主張するのが常である。なるほど規制値などは学術的な根拠がある。しかしその学術と言うのは必ずしも自然科学や工学の数学的な解析に限らないのである。なるほど政治も社会科学も市場心理も全て学術的分析が可能である。そもそも現代の数学的確率論や分析自体がそうした環境を取り込むこと無しに成立しない。
参照:
Johannes Kepler: Der Traum, oder: Mond Astronomie
甚だしい科学的無知蒙昧 2011-08-18 | アウトドーア・環境
To be or not to be - のT.B. 2010-12-07 | 文化一般
忙しい時はいやに忙しい 2008-11-15 | 生活
議論を喚び起す試算の公表 2011-08-26 | 文化一般
再生可能な文化的社会 2011-10-12 | マスメディア批評
そのようなことからすれば福一の17時50分問題はそれほど複雑なものとも思われないのであるが、実証となるとなかなか時間が掛かりそうである。なによりも数時間後にNHKなどでも短く伝えられた建屋での放射線量の急上昇やその後の注水時の不思議は、圧力容器への配管の損傷で説明がつくと言うのである。
要するに、地震で老朽化していた施設の一部が損傷していた可能性を東電や政府などが隠し続ける理由は、再稼動への耐震基準への影響が多いからと思われる。今回の地震はその津波によって特長つけられる以上に、長い時間にわたって振動し続けた巨大地震の性質とも言われている。長い配管などが巨大な格納容器などに設置されていると、どうしても波長の長い基本振動で、丁度高層ビルのようにゆっさゆっさと大きなゆれを齎す共振が発生したに違いない。そうなれば、何十センチにも及ぶズレを蛇腹で吸収できるような機構になっているとは考えられない。
興味深いのは圧力容器の蓋が上に押し上げられて逃がし弁となっていると言うことである。その幾つも円形の縁に並んでいるばねで支えられている構造を想像してみるのだが、浮かすことは問題がなくとそれが何度も圧力鍋のように圧抜きになって、圧力鍋の圧抜きのようにシュシューと音を立てて何度もそれが繰り返されるような情景は思い浮かばない。上から重量だけで蓋が乗っている訳では機密性も無いだろうから、どのような合わせになっているのだろう?
引き続き連邦共和国の再生可能エネルギー推進法案の技術的詳細について懲りない質問に説明を繰り返している。謂わば、エンジニアリングとは自然科学ではないという面も本人たちが納得できるように教育しなければいけないだろう。そうした学術を取り巻く環境を理解できない者に限って学術を主張するのが常である。なるほど規制値などは学術的な根拠がある。しかしその学術と言うのは必ずしも自然科学や工学の数学的な解析に限らないのである。なるほど政治も社会科学も市場心理も全て学術的分析が可能である。そもそも現代の数学的確率論や分析自体がそうした環境を取り込むこと無しに成立しない。
参照:
Johannes Kepler: Der Traum, oder: Mond Astronomie
甚だしい科学的無知蒙昧 2011-08-18 | アウトドーア・環境
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