Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

おおきにハラショー

2012-09-09 | 生活
今年はロシア語を母国語とするとの付き合いが広がっている。語学学校においても寧ろ苦手なタイプが多く、イタリア人よりも相性が合わないと思っていたのだが、それがなぜか悪くはないのである。

今までポーランド人との付き合いは公私共に多かったのだが、やはりロシア語の響きもポーランド語ほど鋭くは無く、その響きだけでなく肌触りが大分異なるなという印象が強い。

特にクライミングのパートナーとして付き合うと、男女の関係並に、かなり本質的なものを感じるようになったのも、スラヴ系の血なのだろうか?フランス人やその他の中欧人とではあまり感じない本能的なものを感じるのである。兎に角、状況への対応の仕方がドイツ的なくそ真面目感とは大分異なり、ある種の肉感的な感覚は、フランス人などの感覚とも全然違う。

それを友人に話すと、「躾け」ではないかと一言で言った。流石に青少年を相手の仕事をしている山の友人である。「躾け」と書いたが、両親からの教育でもあり、社会的な環境でもあるのだ。

その明快な回答を得る前には、もしかすると人種的ななにかかと思っていたのだが、それでは全く説得力が無かった。どのような「躾け」を東スラヴ人がしているかは分らないが、例えばドイツ人のそれや、イタリア人それや、英国人のそれを考えると良く分るような気がする。

例えば時間通りに現れる現れないとか、先に来て待っているとかいうのは明らかに、そうした環境が影響するので、その先には様々な相違があるのは当然なのである。

例えばクライミングで典型的に表れるのは、やはり真剣さというか状況の捉え方などによるのだ。友人に言った、やはりアエロフロートよりもルフトハンザに乗りたいねと。それは必ずしも経済的な背景を言うのではなく、その社会の構造をつくる個人個人の「躾け」なのである。

そのようなことはヒットラーを出すまでも無く、ヘーゲルの書物などにも頻出する国民性や文化性の問題なのだろう。要するに、どのように物事を捉えるかも「躾け」に多く依存するということを否定することは出来ないのだ。そして、それを形作っていくものが、歴史社会であることは確かなので、民族・文化特有のものである。

巷の議論においては、遺伝と環境の二項対立で捉えられるような全てを、「躾け」をもって、民族固有の歴史や文化そして社会と個人という中で捉えるようことを可能にするキーワードであったのだ。



参照:
メッカでのオペラプリマ 2012-06-11 | アウトドーア・環境
脱リビア、脱毛、脱貧困 2011-03-01 | 歴史・時事
「つくる」に近い「うむ」の具象 2010-01-18 | 歴史・時事
鹿の角に宿るいらいらさせるDNA 2010-01-11 | 女
ドイツ語で喋るということは 2009-11-05 | 女
私の一週間の仕事表 2008-11-04 | 生活
安全に保護される人質 2007-07-30 | 歴史・時事
190CM、足47、右頬に傷 2007-07-14 | マスメディア批評
カローンが水脈引き行く 2007-04-28 | マスメディア批評
熊のブルーノの死 2006-06-27 | アウトドーア・環境
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