Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

残された旦那にお悔やみ

2012-12-06 | 
埋葬から帰って来た。山仲間の顔も見たがそれ以上に多くの老若男女が集っていた。古い村の旧市街にある古い共同体の墓地である。旦那の家系がそこで古いことを物語っていた。

花を用意していったのだが、埋葬に行くというと埋葬してから冬中保つクリスマスツリーのような花環を勧めてくれた。なるほど墓場で新しい花などの土台となる無くてはならないものである。

その緑がどこか神道のそれにも似ているようで、静物らしい命を感じさせるものである。墓場のチャペルでは既に式が始まっていたが、真新しい白木の十字架の横に二つほどそれが並んでいたので、そこに包装用紙を剥がして置いた。

本人に希望でドイツポップスの歌が流れると啜り泣きが方々から漏れた。1961年の夏の生まれである。本人も十分に若いが、周りにはまだまだ若い世代が付き添っていたのだろう。

お棺がチャペルから車代に載って墓場へと進む。チャペルの中は、極近親の物しか入れないぐらいの広さであったが、集まった人数は二百人を超えていたと思われる。旦那の仕事の関係者や地縁も多いのかも知れないが、極平凡な夫人の葬式としては例外的に集まっていたように思われる。子供もいなかったようだが、それなりに若い親戚筋らしいものもいて、やはり比較的若い人が亡くなったことを示していた。

旦那から直接メールを貰った中で我々三人以外にも山関係は六人ほど居ただろうか。列に並んだ我々三人は、墓穴に沈められたお棺の上にスコップで砂をかけ、最後の別れをして、旦那にお悔やみをする。お悔やみをせずに帰る人は寧ろ本人との付き合いが強かった人たちかもしれない。どちらの方が悲しみが深いかというと当然故人と身近な人たちであろう。

決して義理という訳ではないが、残された旦那の方が気になる方の部類でも、勿論本人の想い出もあり、寒い日に地中へと埋葬されるとなると特別な気持ちになるのである。幸いながら、雪も雨も止んで、足元も思ったように悪くは無く、多くの人が落ち着いてお別れを出来たのは良かった。

旦那のリハヴィリに今後関わっていくことになるのだろう。旦那を残していく嫁さんの気持ちは分らないが、それも安らかな死には必要なものではないだろうか?新しい恋人の話はまだ聞いていないけれども。

埋葬のときに花が、用意してあると思ったのだが、なかった。知っていたら切花を投げ込んでいた。恐らく経費の問題ではなく、技術上の問題で、めいめいが投げ込む生花は健全な白骨化にあまり好ましくないのかもしれない。



参照:
検診自体が疾病の証拠 2012-12-04 | 生活
何を差し置いても弔いに参列 2012-06-15 | 生活
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