アレクサンダー・フーバーの印象について忘れないうちに書き留める。相棒がいつもと異なって遠慮勝ちであったので、じっくり話す余裕はなかったが、アウトグラムや金の受け渡しで、「そこに投げ込んでおいて」と言った具合に、とても人懐っこい人柄は分かった。
兎に角、この人物に関して詳しくはないもののその業績や写真から命知らずのモンスター的でエキセントリックな人間像を想像していると、全く違うその人間像に驚く。なによりも身長が低く、相棒に言わせると私より小さいだろうとなる。一般的に世界最高級のフリークラーマーは大きくはないが小さくはないと言われているので、その身長とともに肉付など身体的特徴にも関心が向いた。中肉小背といった感じで、スポーツクライマーのように痩せぎすでもなく、筋肉にものを言わせるタイプでも全然なかった。手足も全然長くない。ドイツ人としてはとても小さい。しかし、その身の動きは四十四歳にしては機敏そのもので、とてもスポーティーなのである。
講演は殆ど後ろの三列を残して埋まった三百人以上の観客を前にして始まったが、主催者のライオンズクラブの雰囲気ではなくアウトドーアー関係者が多く、平均年齢も若かった。室内壁を登って直行したのだが、流石にそういう連中は少なかったが、少なくとも三人の仲間に出会った。
講演内容は、「第五次元」と物理学士らしく名づけていて、おかしな方向へと進むかと危惧していたのだが、ドロミテのチンネ西壁の大屋根登攀、シャモニのグランキャピサンの単独登下降、カラコルムのネームレスタワー登攀、南極海のウルヴェターナ登攀を中心に、とてもスポーツ心の溢れる活き活きとした内容であった。
導入部としてパウル・プロイスが先駆者として挙げられていたが、ヘルマン・ブールからメスナーへ、その導入の通りこの講演に出かける前は疑心暗鬼であったアルピニズムの継承を彼の活動に十分見て取れた。しかし彼が主張するのはそういった限定されたアルピニズムイデオロギーではなくて、純粋にスポーツ的な意味での将来の人間の可能性への挑戦としてのそれであって、更にその舞台は「自然から生まれ自然へと帰る人間の営みとしての挑戦の舞台」であるのだ。そこには、他のスポーツクライマーにありがちな宗教的であったり哲学的であったりする意識よりもやはり自然科学の理論を学んだ人の明晰な発想であった。
スライド上映による講演と思っていたのだが要所要所にVIDEOが流されて、映画を観るよりも、ルートの取り方などがレーザーポイントで示されることでとてもためになる講演となっていて、本人は理論物理専攻らしいがこれも技術屋さんのそれを真似た感じでとてもクールだった。そして、最近我々の間で話題になることの多い花崗岩の細かな摂理や美しさがその苦心に満ちた数学的なパズルのルート取りに示されると、なるほどとその心酔のあり方に共感して心打たれた。
それに比較すると石灰の岩場でのやり方は異なるのだが、足の幅しかないところで一時間半ほど体を休めての全力での挑戦には鬼気迫るものがあるのは当然である。そして、カラコルムの空気の薄い高所での山靴を履いての登攀風景同様に、南極圏での零下五十度での登攀風景は胸を打った。それは当然のことながら手袋を使わなければ登れない場所での困難度七級の登攀であったり、リスが細くなって手が入らなくなったところでのスカイホックなどを利用しての人工登攀風景であった。五級までは何とかなるが、七級を山靴と手袋で登ってしまう実力をまざまざと見せ付ける。装備などはスポンサーのアディダス尽くしで少々食傷気味になるほど目に付いた。
正しくこうした辺りにこのクライマーがアルピニズムを継承していると直感させるものがあって、その体つきだけでなくルート取りや技術的な詳細が我々の目指しているものの延長線上にあることが分かるのだ。
例えばグランカプサンの単独登攀も、先ず普通のクライマーと登っておいて、ルートを研究して単独では敢えて難しい脆いルートを避けるようにするなどと、決して単純ではない計画を立てているのだ。そして登頂後には同じルートをクライミングダウンするのが最も合理的な単独登攀のあり方であるとしてそれをなしている。当然のことながら登るよりも難しいのが降りることなのだが、指の力をより以上に使って降りてきている。ここでも今我々が出来る限り室内ではオヴァーハングもクライミングダウンすることで練習しようとしていることに共通している。本来ならば下る方が重力に従うのであるから体力的には容易な筈なのだが、やはり草臥れるのだ。
同様にオヴァーハングでのその体重の移動などを観察していると、とても強い体幹とバランス感覚の冴えが、クライミングダウンを可能にしていることも分からせてくれて、そのレヴェルは大きく異なっていてもとても勉強になることと、溜飲の下がることばかりなのだ。
寄付のためにカレンダーに一人一人アウトグラムを入れて20ユーロで売ったが、可也売れている様子だった。喉の渇きもあってビールを休憩を挟む二時間近くの講演中に飲み干してしまったが、鮮烈に記憶に残る講演内容でその入場料15ユーロと2013年度カレンダーはとても価値のあるものだった ― 彼のバイエルン方言は決して聞き良くはなかった。入場券をネットで購入したお陰で、相棒が送料等を含んで20ユーロ払ってくれたので、現金が手元にあってアウトグラムも貰えた。相棒もとても満足した夜だったようだ。
参照:
Alexander Huber - Free Solo (Hasse BrandlerVIII+),
Huber,
photo shooting by Michael Meisl (Alexander Huber in Panaroma) by ZENITH (YouTube)
世界の頂点への長い道程 2012-12-01 | 生活
情報巡廻で歴史化不覚 2008-10-27 | アウトドーア・環境
兎に角、この人物に関して詳しくはないもののその業績や写真から命知らずのモンスター的でエキセントリックな人間像を想像していると、全く違うその人間像に驚く。なによりも身長が低く、相棒に言わせると私より小さいだろうとなる。一般的に世界最高級のフリークラーマーは大きくはないが小さくはないと言われているので、その身長とともに肉付など身体的特徴にも関心が向いた。中肉小背といった感じで、スポーツクライマーのように痩せぎすでもなく、筋肉にものを言わせるタイプでも全然なかった。手足も全然長くない。ドイツ人としてはとても小さい。しかし、その身の動きは四十四歳にしては機敏そのもので、とてもスポーティーなのである。
講演は殆ど後ろの三列を残して埋まった三百人以上の観客を前にして始まったが、主催者のライオンズクラブの雰囲気ではなくアウトドーアー関係者が多く、平均年齢も若かった。室内壁を登って直行したのだが、流石にそういう連中は少なかったが、少なくとも三人の仲間に出会った。
講演内容は、「第五次元」と物理学士らしく名づけていて、おかしな方向へと進むかと危惧していたのだが、ドロミテのチンネ西壁の大屋根登攀、シャモニのグランキャピサンの単独登下降、カラコルムのネームレスタワー登攀、南極海のウルヴェターナ登攀を中心に、とてもスポーツ心の溢れる活き活きとした内容であった。
導入部としてパウル・プロイスが先駆者として挙げられていたが、ヘルマン・ブールからメスナーへ、その導入の通りこの講演に出かける前は疑心暗鬼であったアルピニズムの継承を彼の活動に十分見て取れた。しかし彼が主張するのはそういった限定されたアルピニズムイデオロギーではなくて、純粋にスポーツ的な意味での将来の人間の可能性への挑戦としてのそれであって、更にその舞台は「自然から生まれ自然へと帰る人間の営みとしての挑戦の舞台」であるのだ。そこには、他のスポーツクライマーにありがちな宗教的であったり哲学的であったりする意識よりもやはり自然科学の理論を学んだ人の明晰な発想であった。
スライド上映による講演と思っていたのだが要所要所にVIDEOが流されて、映画を観るよりも、ルートの取り方などがレーザーポイントで示されることでとてもためになる講演となっていて、本人は理論物理専攻らしいがこれも技術屋さんのそれを真似た感じでとてもクールだった。そして、最近我々の間で話題になることの多い花崗岩の細かな摂理や美しさがその苦心に満ちた数学的なパズルのルート取りに示されると、なるほどとその心酔のあり方に共感して心打たれた。
それに比較すると石灰の岩場でのやり方は異なるのだが、足の幅しかないところで一時間半ほど体を休めての全力での挑戦には鬼気迫るものがあるのは当然である。そして、カラコルムの空気の薄い高所での山靴を履いての登攀風景同様に、南極圏での零下五十度での登攀風景は胸を打った。それは当然のことながら手袋を使わなければ登れない場所での困難度七級の登攀であったり、リスが細くなって手が入らなくなったところでのスカイホックなどを利用しての人工登攀風景であった。五級までは何とかなるが、七級を山靴と手袋で登ってしまう実力をまざまざと見せ付ける。装備などはスポンサーのアディダス尽くしで少々食傷気味になるほど目に付いた。
正しくこうした辺りにこのクライマーがアルピニズムを継承していると直感させるものがあって、その体つきだけでなくルート取りや技術的な詳細が我々の目指しているものの延長線上にあることが分かるのだ。
例えばグランカプサンの単独登攀も、先ず普通のクライマーと登っておいて、ルートを研究して単独では敢えて難しい脆いルートを避けるようにするなどと、決して単純ではない計画を立てているのだ。そして登頂後には同じルートをクライミングダウンするのが最も合理的な単独登攀のあり方であるとしてそれをなしている。当然のことながら登るよりも難しいのが降りることなのだが、指の力をより以上に使って降りてきている。ここでも今我々が出来る限り室内ではオヴァーハングもクライミングダウンすることで練習しようとしていることに共通している。本来ならば下る方が重力に従うのであるから体力的には容易な筈なのだが、やはり草臥れるのだ。
同様にオヴァーハングでのその体重の移動などを観察していると、とても強い体幹とバランス感覚の冴えが、クライミングダウンを可能にしていることも分からせてくれて、そのレヴェルは大きく異なっていてもとても勉強になることと、溜飲の下がることばかりなのだ。
寄付のためにカレンダーに一人一人アウトグラムを入れて20ユーロで売ったが、可也売れている様子だった。喉の渇きもあってビールを休憩を挟む二時間近くの講演中に飲み干してしまったが、鮮烈に記憶に残る講演内容でその入場料15ユーロと2013年度カレンダーはとても価値のあるものだった ― 彼のバイエルン方言は決して聞き良くはなかった。入場券をネットで購入したお陰で、相棒が送料等を含んで20ユーロ払ってくれたので、現金が手元にあってアウトグラムも貰えた。相棒もとても満足した夜だったようだ。
参照:
Alexander Huber - Free Solo (Hasse BrandlerVIII+),
Huber,
photo shooting by Michael Meisl (Alexander Huber in Panaroma) by ZENITH (YouTube)
世界の頂点への長い道程 2012-12-01 | 生活
情報巡廻で歴史化不覚 2008-10-27 | アウトドーア・環境