(承前)週末の疲れは様々な理由があるようだ。実質三本を長い時間かけて登っただけでそれ以外には何もしていない。暑くもなかったので、疲れの意味はあまり分からない。しかし、集中力の限界に来ていたのは知っている。最初のチムニー登攀は既に書いたように、登り方だけでなくて、中間支点の設置などとても頭を働か避ければいけないのと同時に忍耐強さが要求された。忍耐強さはこの程度の登攀になるともっとも重要な能力の一つのようだ。
その証拠に後続した相棒は、外に広がった割れ目に入れた楔を取るところまで登れなかった。あまりに先の方まで突っ張って進むので、ただ単にザイルの走る方へと登るだけでは到達しないのだ。そこで足場に戻ってから、余っているザイルの中間メーキングを下に投げやって、上から直接降ろしたザイルで確保することにした。それでも中間支点を回収して貰わないと懸垂下降中には遠くて回収できないので、ザイルにぶら下がって貰って回収させた。その後は、同じように屋根の下に入ってきて、頭を上の壁に挟んでいたが、左へと出て貰って、同じように抜けて貰った。
兎に角、頭を使うのである。その次に勧めに応じて登ったのは、左へとラムぺ登るルートから、懸垂下降の視点へと抜けるルートである。これは、大きな傾斜地は、その凹状のところに支点を挟めば、左へと切れ落ちている壁も安全に登って行けるというものである。技術的には何ら問題が無いのだが、確りと大きな楔で中間支点を設置してそれに全てを掛けて行くしかないのである。そしてどうしても支点からザイルまでの間に十分な延長を入れなければいけないのだが、ずり落ちることを考えれば、怖くてどうしても短めにザイルを引っかけてしまうのである。そしてそのラムぺが終わるといよいよ上に小さな庇が張り出している。その下は割れ目に足が入る感じで落ち着いて入れるのだが、上が見えない、勿論立ち上がるまでに出来るだけの中間支点を用意しておかないと怖くてどうしようもない。それ以上に今ひっかけてきたザイルが流れなくなっている。そこで下側からも引っ張って貰ったりして、凹角内に引っかかっているザイルを引き出す。
なんとかザイルが投げれるようになったところで、先ずはこれから立ち上がる岩の頭にシュリンゲを二本連ねて引っかけて中間支点とした。これは外れない限り強い支点である。そしてその上を見ると二十センチほどの割れ目が突っ張りだした岩の鱗に入っているので、そこに楔を掛けた。短いのと岩が平べったく割れそうなので怖いのだが無いよりはましである。そしておもむろに立ち上がると頭上にリングが見えた。最初のボルトハーケンである。しかし簡単には手が届かない。先ずは庇の下の棚に右足を上げて乗り越しを試みてみる。
下は切れ落ちているので怖いのだ。同じような体験はアルゴイの石灰もルートであったのだが、あそこはハーケンが連打されていた。それに比べるとなんと頼りない。乗り越したと同時にリングが目の前に届いた。急いでカラビナを掛けてザイルを掛けてこれで初めて一安心である。そうなればもはや頂上も間近である。ザイルを引っ張りながら下降支点に出た。
若いザイルパートナーでもあり指導員がなぜこれを私に勧めたかは明らかだ。所謂アルプスのそれもドロミテ風の登攀の練習である。そこで如何に落ち着いて考えながら支点を築いて、安全に登るか?彼の試験は合格したに違いない。正しく庇の下の二か所の中間支点こそが安全対策の味噌であった。それが無ければリングへの乗り越えは命がけの行為となるのだ。ザイルが流れなければ切れることもないとは言えない。
こうした経験をつんで初めて、登るためにだけではなくて確保支点などで如何に頭脳プレーであるかを改めて感じるのである。航空機などの運転よりも、殆んどマニュアルのようなものが無くて、絶えずアイデアをひねり出さないといけない知的なスポーツであることが分かる。それも可成りの状況での試行錯誤なので、戦略の専門的な能力に相当していそうである。(終わり)
その証拠に後続した相棒は、外に広がった割れ目に入れた楔を取るところまで登れなかった。あまりに先の方まで突っ張って進むので、ただ単にザイルの走る方へと登るだけでは到達しないのだ。そこで足場に戻ってから、余っているザイルの中間メーキングを下に投げやって、上から直接降ろしたザイルで確保することにした。それでも中間支点を回収して貰わないと懸垂下降中には遠くて回収できないので、ザイルにぶら下がって貰って回収させた。その後は、同じように屋根の下に入ってきて、頭を上の壁に挟んでいたが、左へと出て貰って、同じように抜けて貰った。
兎に角、頭を使うのである。その次に勧めに応じて登ったのは、左へとラムぺ登るルートから、懸垂下降の視点へと抜けるルートである。これは、大きな傾斜地は、その凹状のところに支点を挟めば、左へと切れ落ちている壁も安全に登って行けるというものである。技術的には何ら問題が無いのだが、確りと大きな楔で中間支点を設置してそれに全てを掛けて行くしかないのである。そしてどうしても支点からザイルまでの間に十分な延長を入れなければいけないのだが、ずり落ちることを考えれば、怖くてどうしても短めにザイルを引っかけてしまうのである。そしてそのラムぺが終わるといよいよ上に小さな庇が張り出している。その下は割れ目に足が入る感じで落ち着いて入れるのだが、上が見えない、勿論立ち上がるまでに出来るだけの中間支点を用意しておかないと怖くてどうしようもない。それ以上に今ひっかけてきたザイルが流れなくなっている。そこで下側からも引っ張って貰ったりして、凹角内に引っかかっているザイルを引き出す。
なんとかザイルが投げれるようになったところで、先ずはこれから立ち上がる岩の頭にシュリンゲを二本連ねて引っかけて中間支点とした。これは外れない限り強い支点である。そしてその上を見ると二十センチほどの割れ目が突っ張りだした岩の鱗に入っているので、そこに楔を掛けた。短いのと岩が平べったく割れそうなので怖いのだが無いよりはましである。そしておもむろに立ち上がると頭上にリングが見えた。最初のボルトハーケンである。しかし簡単には手が届かない。先ずは庇の下の棚に右足を上げて乗り越しを試みてみる。
下は切れ落ちているので怖いのだ。同じような体験はアルゴイの石灰もルートであったのだが、あそこはハーケンが連打されていた。それに比べるとなんと頼りない。乗り越したと同時にリングが目の前に届いた。急いでカラビナを掛けてザイルを掛けてこれで初めて一安心である。そうなればもはや頂上も間近である。ザイルを引っ張りながら下降支点に出た。
若いザイルパートナーでもあり指導員がなぜこれを私に勧めたかは明らかだ。所謂アルプスのそれもドロミテ風の登攀の練習である。そこで如何に落ち着いて考えながら支点を築いて、安全に登るか?彼の試験は合格したに違いない。正しく庇の下の二か所の中間支点こそが安全対策の味噌であった。それが無ければリングへの乗り越えは命がけの行為となるのだ。ザイルが流れなければ切れることもないとは言えない。
こうした経験をつんで初めて、登るためにだけではなくて確保支点などで如何に頭脳プレーであるかを改めて感じるのである。航空機などの運転よりも、殆んどマニュアルのようなものが無くて、絶えずアイデアをひねり出さないといけない知的なスポーツであることが分かる。それも可成りの状況での試行錯誤なので、戦略の専門的な能力に相当していそうである。(終わり)