Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ゴムの仮装の日本文化

2014-06-29 | 文化一般
車中のラディオで面白い話題を聞いた。一つは「ゴディラ」の映画で、映画音楽紹介だったが、嘗ての日本製のゴムの仮装のような効果に比べてハリウッドのそれは音楽的にも優れているというものだった。伊福部については触れられていなかったが、なるほどそれを比較すると、伊福部の如何にも粗い仕事と今回の丁寧な造りでは比較しようが無いのかもしれない。屑のようなトリック映画に、ゴジラ並みの荒い音楽となる。それに比べて、2014年版のそれは「春の祭典」や「サロメ」や「エレクトラ」を想起させると言うのだ。

伊福部の音楽は日本では一時再評価されていたが、こうして代表的な仕事を比較すると武満のような成功を導くものでなかったことは明らかで、奇しくもサロメの音楽を書いているのも面白い。個人的なプロフェッショナル性への興味よりも、ここになにかとても荒い日本文化の精緻繊細へと至らない文化的な特徴のようなものを見て取れるのだがどうだろうか?それは、伊福部の目指したバーバリズムへの志向や芸術的な主張とは異なる匠を通しての芸術的な感性と言うものなのである。

日本人の多くは「日本文化は繊細で」とか信じ込んでいるが ― 日本食が繊細な素材の味や食感をより以上提供しているわけでは決して無いのと同じように ―、少なくともその仕事振りや付け焼刃的な文化的な摂取の局面においては全くそうした仕事振りに至っていないのは明らかで、個人的な資質であるよりも明らかにそうした文化の授受におけるロストトランスレーションのようなものが存在するのであろう。

本来はラディオ番組が伝えたように、広島・長崎、ビキニ岩礁水爆実験禍が突然変異の「ゴディラ」の素性であったが、それ以上にフクシマ禍が何を生むかは知らないが、それを乗り越えて丁寧な仕事をして文化・文明とするためには少なくとも合理的な視点と明快な認識が欠かせない。その意味から今後も日本の文化がその域に至らないことは想像に容易いことなのである。

またラディオは伝える。消費者動向がEUのマイナス金利によって更に冷え込んでいるという調査結果を出している。経済の原則に従うならば、金利が下がればそれだけ消費が増えるはずなのだが、企業投資などとは異なり、更に年金生活者などが多数を占める先進工業国では、金利を下げインフレ効果を狙う政策では少なくとも一般的な多くの個人は消費を控えるという傾向があるらしい。



参照:
近所のアポロンとディオニソス 2010-07-25 | マスメディア批評
破局へと葬られるもの 2006-03-03 | 歴史・時事
灰の水曜日を前にして 2006-03-01 | 歴史・時事
鳥の肢で薬禍を制す 2005-11-19 | 雑感
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