二日続けて出かけた。ボールダーの課題は思ったよりも梃子摺っている。同時に三つほどの課題が解決しそうなのだが、どれも解決しなかった。乗り越しが怖いのだ。それどころか新たに二つの課題に手をつけてしまった。
一つは前日に出会った若者が手をつけた場所で、一度試したことがあったが結局その課題自体が十分に理解できずにいた。しかしこうしてチョークの痕を見るとなるほどこをどうして登るのか分った。スロープに手を掛けるので怖そうだが、もしかすると比較的早く何とかなるかもしれない。自身の課題も彼が手をつけたようで、上の手掛かりが白くなっていた。超えたのだろう。結局それは再挑戦できずだった。
もう一つは先日から目をつけていた割れ目で、上部を掃除したら、良い課題になることも分った。最後に一寸試してみたが、これも乗り越しが怖くて泥に入るので断念した。ここまで手をつけておいたら皆が試すので、綺麗になってくるだろう。割れ目の中が綺麗だったので可能性を感じたが、初登攀出来なくてもここでこれから何時でも肘と膝の入る割れ目が練習できるのでとても役に立つ。この地域で二箇所目の本格的な割れ目課題だろう。難易度は4ぐらいだろうか。それでも普通のクライミングルートなら6以上である。
フクシマの謀略の実体が益々見えてきた。日本社会の苛め構造というか、官僚組織がそうした構造を作って、社会の末端までそれが行き渡るようにする方法は、恐らく江戸幕府の支配構造に根源があるのだろう。フクシマの被害を、無理やり避難をしないでよい地域に指定することで、多くの勤労者はそこで働くことを公式に拒否することが出来なくなっているのである。そこに仕方なくもしくは自分を騙し騙し住んでいる人がいることで、本来ならば住んではいけないところでの就業を余儀なくされるのである。
だれも態々危険な地域に住み移りたいとは思わないが、少なくともボランティアや公共性を考えるときに率先してそこで従事しても良いと思う人は少なくないに違いない。しかし、こうした避難地域に含まれないこういう汚染地域で就業を余儀なくされても、そこになんらの経済的な価値が付加されて、褒められるようなことは一切無いのである ― ドイツの楽団が連帯を示して其処で演奏会を開けば本人も土地の人も満足する。つまり、そうした地域で就業を命ずることは殆どブラック労働を命ずるということでもある。なんら知識が無くて、安全と鵜呑みにして喜んで同じ給与で働く馬鹿を当てにするのがブラック企業と呼ばれるもので、まともな企業ならば生涯被曝量の増加などを憂慮してそれなりの処置を取るべきなのである。しかし、官僚組織の決めた枠を利用することで、放射能汚染の負荷を知らぬ存ぜぬと決め込むのである。これが所謂日本の苛め構造の本筋に違いない。そして上から下まで誰も責任を取らないでよいようになっている。その構造の中で自己責任とかの給うこと自体が苛めの仲介以外の何でもないものなのだ。
腕が張っている。走る方も合わせて大した運動をしていないが、日曜日の八キロコースの疲れが何処其処に残っている感じだ。腹筋にも来ているので、こうした運動が続けられれば強くなるだろう。しかしである。先日もふと考えたが十代の前半に疲れて出来なかったことが、今完全に出来ているわけでもないのだが、あの当時と比べると時間の使い方などは少しは合理的になってきているかと考える。合理的な課題の克服は合理的な時間の使い方やそのライフスタイルであることは間違いないようである。
参照:
家庭内セックスに関する議論 2014-09-25 | マスメディア批評
思わず飛び降りそうになる 2014-09-26 | アウトドーア・環境
一つは前日に出会った若者が手をつけた場所で、一度試したことがあったが結局その課題自体が十分に理解できずにいた。しかしこうしてチョークの痕を見るとなるほどこをどうして登るのか分った。スロープに手を掛けるので怖そうだが、もしかすると比較的早く何とかなるかもしれない。自身の課題も彼が手をつけたようで、上の手掛かりが白くなっていた。超えたのだろう。結局それは再挑戦できずだった。
もう一つは先日から目をつけていた割れ目で、上部を掃除したら、良い課題になることも分った。最後に一寸試してみたが、これも乗り越しが怖くて泥に入るので断念した。ここまで手をつけておいたら皆が試すので、綺麗になってくるだろう。割れ目の中が綺麗だったので可能性を感じたが、初登攀出来なくてもここでこれから何時でも肘と膝の入る割れ目が練習できるのでとても役に立つ。この地域で二箇所目の本格的な割れ目課題だろう。難易度は4ぐらいだろうか。それでも普通のクライミングルートなら6以上である。
フクシマの謀略の実体が益々見えてきた。日本社会の苛め構造というか、官僚組織がそうした構造を作って、社会の末端までそれが行き渡るようにする方法は、恐らく江戸幕府の支配構造に根源があるのだろう。フクシマの被害を、無理やり避難をしないでよい地域に指定することで、多くの勤労者はそこで働くことを公式に拒否することが出来なくなっているのである。そこに仕方なくもしくは自分を騙し騙し住んでいる人がいることで、本来ならば住んではいけないところでの就業を余儀なくされるのである。
だれも態々危険な地域に住み移りたいとは思わないが、少なくともボランティアや公共性を考えるときに率先してそこで従事しても良いと思う人は少なくないに違いない。しかし、こうした避難地域に含まれないこういう汚染地域で就業を余儀なくされても、そこになんらの経済的な価値が付加されて、褒められるようなことは一切無いのである ― ドイツの楽団が連帯を示して其処で演奏会を開けば本人も土地の人も満足する。つまり、そうした地域で就業を命ずることは殆どブラック労働を命ずるということでもある。なんら知識が無くて、安全と鵜呑みにして喜んで同じ給与で働く馬鹿を当てにするのがブラック企業と呼ばれるもので、まともな企業ならば生涯被曝量の増加などを憂慮してそれなりの処置を取るべきなのである。しかし、官僚組織の決めた枠を利用することで、放射能汚染の負荷を知らぬ存ぜぬと決め込むのである。これが所謂日本の苛め構造の本筋に違いない。そして上から下まで誰も責任を取らないでよいようになっている。その構造の中で自己責任とかの給うこと自体が苛めの仲介以外の何でもないものなのだ。
腕が張っている。走る方も合わせて大した運動をしていないが、日曜日の八キロコースの疲れが何処其処に残っている感じだ。腹筋にも来ているので、こうした運動が続けられれば強くなるだろう。しかしである。先日もふと考えたが十代の前半に疲れて出来なかったことが、今完全に出来ているわけでもないのだが、あの当時と比べると時間の使い方などは少しは合理的になってきているかと考える。合理的な課題の克服は合理的な時間の使い方やそのライフスタイルであることは間違いないようである。
参照:
家庭内セックスに関する議論 2014-09-25 | マスメディア批評
思わず飛び降りそうになる 2014-09-26 | アウトドーア・環境