Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

生誕二百年記念式典前

2018-05-05 | 
ザール流域を旅行中のSaarweinさんから写真の提供があった。とても貴重な写真である。5月5日に生誕二百年記念式の行われるカール・マルクス像のビフォア―の写真である。アフターは先ずは中共からの旅行者によって、億を超える投稿が続く写真となると思うが ― 要するにネット世界で最も写された素材の一つとなるだろう ―、皮被りのままはメディア関係も出していない。お披露目の時は頭だけが解放されていた。撮影日時は5月3日である。

週末はワインの試飲会が二件立て続く。一件はナーへのシェーンレーバー醸造所、もう一件はラインガウのキュンストラー醸造所である。前者は毎年出掛けるが、後者に三年ほど前に一度出掛けただけだ。今回はお客さんが居るという事で是非この機会に経験値を増やして貰おうと計画した。後者にも六月に行くナーへのデンノッフ醸造所が相互参加しているので、ドイツ最高の甘口も一部試飲出来る。それでなくても売れ残りも含む60種を超える試飲出来るので、それだけでも如何に本気で真剣勝負の試飲になるか分かるだろう。要するに口に含んでなんだかんだとボヤいているようでは務まらない。ソムリエの試飲のような瞬時の正確な判断が要求される。

こうした無料の試飲会の重要性は、個人が買い付けに行ってちょぼちょぼと出して貰うようなそれとは一線を画していて ― つまり冷やかし交じりのお試しとは違うのだ ―、オーダーメードの試飲ではないので、水練で海に突き落とされるようなものである。そこで色々な人の感想を聞いてみて初めて自身の嗜好などが問われることになる。謂えば、その七割方の人が同じような感想を漏らし、そうやって揉まれることで精査される。客観によって主観が磨かれるとでも謂おうか。業者が売れ行きや儲けを考えて試飲する本気と個人が限られた本数を確保するのは、こうすることで初めて同じ真剣みを帯びるのだ。

つまり有料の試飲会で興味があるようなものを試したり、ジャーナリスト顔で話題を探っていたりしているようでは百年経ってもワインが選択出来ない。要するにいつまでも初心者であり続ける。しかしこうした試飲会の洗礼を受けることで、いよいよワインが分かってくる可能性が広がってくるのである。如何にこうした機会を活かすことが大切か、機会を逃してはいけない理由である。習うより慣れろといはよく行ったものでまさにその通りのことである。 

因みに私の目的は両日ともに決まっているのだが、それはそこ実際に2017年物を試してから結論することも少なくない。流石に私といえども最初から分かっている位ならば無理して同行はしない。そもそも毎年出て来るものが分っている程度ならば誰もワインなんかに興味を持って買わない。お客さんには一皮剥けて貰えるだろうか?。



参照:
偉大なるマルクス様像 2018-04-16 | 文化一般
ホッホハイムで初試飲会 2016-05-01 | 試飲百景
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