ルクセムブルクでのフィラデルフィア管弦楽団演奏会は私にとっても大きな出来事だった。昨秋のクリーヴランド管弦楽団とはまた異なる体験だった。後者はアメリカのそれとしては変わり種で「細いピンセルで」とホームグラウンドの会場の音響ゆえに決してグラマラスな管弦楽にはならないのだが ― 恐らくジョージ・セルの芸術はそうした環境によって形成さられたのだろう ―、それに反してこちらはゴージャスそのものでフィラデルフィアサウンドとして知られている。要するにビッグ5の中でも最もアメリカ的と考えられているが、私の関心のありどころはそのサウンドにあった訳ではない。
それに関してビッグファイヴの解説をプログラム冊子で試みている。書き手の見解では各々の管弦楽の創立年代を併記すればその特徴が浮き上がるとなる。ニューヨーク1842、ボストン1881、シカゴ1891、フィラデルフィア1900、クリーヴランド1918となる。つまり輸入?音楽のその目的に敵った編成、形態や機能がサウンドを形作っているという事になる。欧州のベルリン1882、アムステルダム1888をそこに並べてみるとどうか?欧州の場合は創作活動の場と演奏実践の場が重なり影響し合うので変化が伴うが、アメリカの場合は輸入文化としてある程度固定される可能性が強い。さて具体的にはどうか。
だからメトで活躍のネゼセガンの指揮への期待でも、エレーヌ・グリモーを聞きたかった訳でも無かった。もう少し複雑で、ムーティやレヴァイン指揮でその録音を聞いていて、最近中継放送で聞き始めたこの管弦楽団の機能性と現在の水準を確認したかった。だからネゼセガンのような力のある指揮者が常任として振っている事が欠かせなかった。その意味でバーンスタイン指揮でしか知らないニューヨークのそれは未だに確認できていない。
肝心の実力であるが、演奏旅行という事で一曲づつ少なくとも管楽器はベストメンバーが配された豪華さで、一曲目のブラームスや休憩後のオルガン協奏曲にはバス―ンのマツカワが出ていなかったので残念に思っていたぐらいだ。ダニエル・マツカワはその楽器の名人のようで、フィラデルフィアからの放送でも最も多く名前が発せられる。だから残念に思っていたが、二曲目よりも編成の小さなシューマンで登場となった。そしてこの名人が吹くことの意味を確認した。この人の名前を知るようになったのは放送を聞くようになってからだが、どうして頻繁に名前が挙がるのかはシューマンを聞けば一聴瞭然だった。この人が入ると管弦楽の響きが変わるのだ。その吹いている様子を見ているとバスラインをコントラバスやチェロなどと一緒に支えている。金管と違うのはその音色で、一吹きすると合奏の弦楽器の音が変調する。
まさしくゴージャスなフィラデルフィアサウンドになる。そして放送で聞き取れなかったのはやはり音の揃ったコントラバスの締まり具合で、キリル・ペトレンコが先頃の「指輪」ツィクルスの特に「ヴァルキューレ」で聞かせたような触れたら切れそうなそれには到底至らなくとも同じ方向であり、クリーヴランドのあの乾き切った音ではないのも、正しくバス―ンが綺麗に重ねているからだ。オーボエのリチャード・ウッドハムズも立派な音が出ていた。フルートのジェフリー・カーナーも良かったが、クラリネットのリカルド・モラーレスがマツカワの横で芯のあるクラリネットを響かすという腕利き揃いだ。モラーレスも ― レヴァインに悪戯されていないのだろうか? ― 、彼らの名前は放送で知っていてもこうして写真とHPを合わせて初めて顔を認識した位だが、それらが一曲目ブラームスでは休憩をしていて、中入りからトリとなると揃ってくるのだから千両役者勢揃いの横綱相撲のようである。
そこからすると一曲目のブラームスの協奏曲では、前日ブルッセルでは「フリーパレスティナ」の抗議行動で演奏を中断・再開しており、この日も指揮者登場前にフィルハーモニー支配人が一言述べたように、聴衆も演奏者も一寸した高揚と緊迫感があった。ネゼセガンに期待される正確な読みと指揮技術はその通りだったが、若干ピアノをマスキングしてしまうぐらいな音量を出していたのは残念だった。メムバーもプリンシパルが若干落ちた編成で演奏していて、音量コントロールが儘ならなかったとも思われない。少なくともグレモーのあのピアノにはもう少し丁寧に合わせてもよいと思った。言うならばそこがこのメトの次期監督が、キリル・ペトレンコ指揮の「ばらの騎士」のカーネギー会場で習わなければいけないと指摘されるところだろう。もう一つ危惧していた二楽章などでの合わせ方は、これはよく辛抱していたと思う。三楽章はピアノもコントラストが付いていたのでとてもうまく運んだ。違う会場で、合わせものを演奏する難しさもあったかもしれない。つまりネゼセガンがそこまでコントロール出来ないのか、若しくはペトレンコのブラームスの様にそこまで合わせようとしないのかの疑問は指揮者に向けられるもので、管弦楽団の技術的な問題とはまた異なる。(続く)
Carnegie Hall Live Recap: Kirill Petrenko and the Bavarian State Orchestra
参照:
まるでマイバッハの車中 2018-05-27 | 生活
細い筆先のエアーポケット 2017-11-03 | 音
とても魅力的な管弦楽 2017-01-30 | 音
それに関してビッグファイヴの解説をプログラム冊子で試みている。書き手の見解では各々の管弦楽の創立年代を併記すればその特徴が浮き上がるとなる。ニューヨーク1842、ボストン1881、シカゴ1891、フィラデルフィア1900、クリーヴランド1918となる。つまり輸入?音楽のその目的に敵った編成、形態や機能がサウンドを形作っているという事になる。欧州のベルリン1882、アムステルダム1888をそこに並べてみるとどうか?欧州の場合は創作活動の場と演奏実践の場が重なり影響し合うので変化が伴うが、アメリカの場合は輸入文化としてある程度固定される可能性が強い。さて具体的にはどうか。
だからメトで活躍のネゼセガンの指揮への期待でも、エレーヌ・グリモーを聞きたかった訳でも無かった。もう少し複雑で、ムーティやレヴァイン指揮でその録音を聞いていて、最近中継放送で聞き始めたこの管弦楽団の機能性と現在の水準を確認したかった。だからネゼセガンのような力のある指揮者が常任として振っている事が欠かせなかった。その意味でバーンスタイン指揮でしか知らないニューヨークのそれは未だに確認できていない。
肝心の実力であるが、演奏旅行という事で一曲づつ少なくとも管楽器はベストメンバーが配された豪華さで、一曲目のブラームスや休憩後のオルガン協奏曲にはバス―ンのマツカワが出ていなかったので残念に思っていたぐらいだ。ダニエル・マツカワはその楽器の名人のようで、フィラデルフィアからの放送でも最も多く名前が発せられる。だから残念に思っていたが、二曲目よりも編成の小さなシューマンで登場となった。そしてこの名人が吹くことの意味を確認した。この人の名前を知るようになったのは放送を聞くようになってからだが、どうして頻繁に名前が挙がるのかはシューマンを聞けば一聴瞭然だった。この人が入ると管弦楽の響きが変わるのだ。その吹いている様子を見ているとバスラインをコントラバスやチェロなどと一緒に支えている。金管と違うのはその音色で、一吹きすると合奏の弦楽器の音が変調する。
まさしくゴージャスなフィラデルフィアサウンドになる。そして放送で聞き取れなかったのはやはり音の揃ったコントラバスの締まり具合で、キリル・ペトレンコが先頃の「指輪」ツィクルスの特に「ヴァルキューレ」で聞かせたような触れたら切れそうなそれには到底至らなくとも同じ方向であり、クリーヴランドのあの乾き切った音ではないのも、正しくバス―ンが綺麗に重ねているからだ。オーボエのリチャード・ウッドハムズも立派な音が出ていた。フルートのジェフリー・カーナーも良かったが、クラリネットのリカルド・モラーレスがマツカワの横で芯のあるクラリネットを響かすという腕利き揃いだ。モラーレスも ― レヴァインに悪戯されていないのだろうか? ― 、彼らの名前は放送で知っていてもこうして写真とHPを合わせて初めて顔を認識した位だが、それらが一曲目ブラームスでは休憩をしていて、中入りからトリとなると揃ってくるのだから千両役者勢揃いの横綱相撲のようである。
そこからすると一曲目のブラームスの協奏曲では、前日ブルッセルでは「フリーパレスティナ」の抗議行動で演奏を中断・再開しており、この日も指揮者登場前にフィルハーモニー支配人が一言述べたように、聴衆も演奏者も一寸した高揚と緊迫感があった。ネゼセガンに期待される正確な読みと指揮技術はその通りだったが、若干ピアノをマスキングしてしまうぐらいな音量を出していたのは残念だった。メムバーもプリンシパルが若干落ちた編成で演奏していて、音量コントロールが儘ならなかったとも思われない。少なくともグレモーのあのピアノにはもう少し丁寧に合わせてもよいと思った。言うならばそこがこのメトの次期監督が、キリル・ペトレンコ指揮の「ばらの騎士」のカーネギー会場で習わなければいけないと指摘されるところだろう。もう一つ危惧していた二楽章などでの合わせ方は、これはよく辛抱していたと思う。三楽章はピアノもコントラストが付いていたのでとてもうまく運んだ。違う会場で、合わせものを演奏する難しさもあったかもしれない。つまりネゼセガンがそこまでコントロール出来ないのか、若しくはペトレンコのブラームスの様にそこまで合わせようとしないのかの疑問は指揮者に向けられるもので、管弦楽団の技術的な問題とはまた異なる。(続く)
Carnegie Hall Live Recap: Kirill Petrenko and the Bavarian State Orchestra
参照:
まるでマイバッハの車中 2018-05-27 | 生活
細い筆先のエアーポケット 2017-11-03 | 音
とても魅力的な管弦楽 2017-01-30 | 音