連休明けに床屋に行こうと思った。前夜から、早起きして、パンを取り、一走りして、シャワーを浴びて床屋に駆け込み、サマーカットで肉屋に立ち寄って、朝食にするべく、備えた。シャワーを出たのが遅く、髪を濡らしたまま「ウェットカット」と店の前に立つと、張り紙があってもう二日お休みだった。髪を濡らして肉屋に寄り、雪辱を期す。幸運にも雷雨となり、散髪無しでも耐えられた。
もう暫くは天候不順で週末になって初めて気温が上がるようなので、順番待ちをすることも無く、間違いなく散髪を終えたい。そして来月のミュンヘンにも備えたい。愈々リハーサルが始まったようで、その合間にマーラーの交響曲でバービカンセンターまで客演するようだ。この夏最大の注目音楽劇場上演との下馬評であるが、その舞台に関してはそれほど期待していない ― まだ新制作が五つはあるが。現在の体制での評価は歴史的にも既に定まっており、もはや意外性に期待することも無い。オペラファンは次期体制になるのを待つだけだ。音楽監督キリル・ペトレンコにとってはキャリアー中期のスプリングボードとしての一時期でしかないだろう。
朝の車中のラディオで知ったヘンリク・シェリングのシュヴェツィンゲンでの演奏会録音中継が予想通りよかった。同じ録音がカセットテープに残っているかもしれないと思って探したが見つからない。1979年の録音であるからその年にNHKで流されたとしても、当時使用していたカセットデッキは現在も使っているものより一つ前である筈だ。日本で話題になって来日公演が連続放送されたの1976年のようだ。するとその年ならば更に古い方のデッキを使っていただろうから、今手元にテープが見つからないのだろう。今回の放送では1979年頃が名声の絶頂としていて、同じようなプログラムでザルツブルクなどで盛んにリサイタルとあった。記憶にあるのはその頃で、シュヴェツィンゲンへの想いが募ったのもその当時であり、最初に家探しに滞在する遠因となる。
居眠りしていてモーツァルトのソナタの頭は聞き逃した。記憶していたよりも、現在の古楽器のそれに共通する奏法を工夫していて、シゲティの再来などとも言われたが、どうして中々現在でも通用するものがある。しかし所詮オブリガート付きのソナタだけあって、このヴァイオリニストの演奏としては若干この曲では物足りない。番組の最後に放送された1969年にリーダーハーレで演奏されたパルティータに関して、その彼が校訂したショット版の楽譜が今でも教科書になっているというのは当然だと思う。シゲティの録音に関してはCDになってから初めて入手した位で、その録音の音質とかを言い訳に聞いていなかったように思うが、意外にそれは本質的な事で、現在の古楽器奏法に馴染んだ耳には、なにも技術的な事が分からなくとも、余計にこのシェリングの苦慮や工夫などをサウンド的にも評価しやすくなっているのではなかろうか。二曲目のベートーヴェンは中々そのソナタらしく弦とピアノの葛藤のような響きも充分で、記憶以上に聞き甲斐があった。ピアノを弾いているジェムス・トッコはARDの優勝者だったとは知らなかった。中々上出来のデュオになっている。使用楽器はガルネリとあるが、ストラディヴァウスのような鋼の芯は無いが、固い木のような強靭な張りがある。同時に涼しさもあって、当時活躍していたグァルネリカルテットなどにはなかったものだ。また後年のクレメルのガダニーニなどに比較すると「古楽器の鳴り」が美しい。
もう一つ同時刻にフルトヴェングラー指揮ルツェルンでの最後の演奏会の録音が放送されていた。これは調べてみるとSACD化されたものらしいので、金曜日に聞くシューマンの第四交響曲だけでもと思って、ダブルブッキングを何とか熟した。その前の曲のエロイカで録音の程度も確認した。第四楽章だから当然かもしれないが、低音も綺麗にリズミカルに刻まれる。カラヤン世代によって無視された音楽芸術の洒脱性や軽妙な繊細である。その後のお待ちかねのシューマンは、楽譜を見ていたが、問題の弦と管と重なりなどの場合は管が優位になるようなバランスになっていて、「ロマンツェ」でのチェロも補強のような形になっている。
1953年8月26日演奏の管弦楽団は所謂祝祭管弦楽団で、その会場はクンストハウスである。その会場が気になっていたので片付けてあるプログラムを調べてはっきりした。現在のホールKKLが完成する前のホールの名前だった。そして1992年のそれを開いて驚いた。その年のベルリンからのフィルハーモニカーを聞いていた。完全に忘れていた。それどころかアバド指揮のフィルハーモニカーの演奏の記憶が全くなかったからである。50スイスフランで37列目7番のようだ。今なら六倍の値段はする席だろうか。ただ記憶していたのはそのコンサートが新ホール建設のためのガラ公演だった事で、そのホールへの最後のベルリンからの登場だったのだろう。先頃ひょんなことで「ダフニスとクロエ」を生で聞いたことがあるなと記憶を辿っていたのだが、これですっきりした。
参照:
外国人を叱る統合政策 2018-05-22 | 文化一般
再考察ルツェルンの宿 2018-04-09 | 雑感
もう暫くは天候不順で週末になって初めて気温が上がるようなので、順番待ちをすることも無く、間違いなく散髪を終えたい。そして来月のミュンヘンにも備えたい。愈々リハーサルが始まったようで、その合間にマーラーの交響曲でバービカンセンターまで客演するようだ。この夏最大の注目音楽劇場上演との下馬評であるが、その舞台に関してはそれほど期待していない ― まだ新制作が五つはあるが。現在の体制での評価は歴史的にも既に定まっており、もはや意外性に期待することも無い。オペラファンは次期体制になるのを待つだけだ。音楽監督キリル・ペトレンコにとってはキャリアー中期のスプリングボードとしての一時期でしかないだろう。
朝の車中のラディオで知ったヘンリク・シェリングのシュヴェツィンゲンでの演奏会録音中継が予想通りよかった。同じ録音がカセットテープに残っているかもしれないと思って探したが見つからない。1979年の録音であるからその年にNHKで流されたとしても、当時使用していたカセットデッキは現在も使っているものより一つ前である筈だ。日本で話題になって来日公演が連続放送されたの1976年のようだ。するとその年ならば更に古い方のデッキを使っていただろうから、今手元にテープが見つからないのだろう。今回の放送では1979年頃が名声の絶頂としていて、同じようなプログラムでザルツブルクなどで盛んにリサイタルとあった。記憶にあるのはその頃で、シュヴェツィンゲンへの想いが募ったのもその当時であり、最初に家探しに滞在する遠因となる。
居眠りしていてモーツァルトのソナタの頭は聞き逃した。記憶していたよりも、現在の古楽器のそれに共通する奏法を工夫していて、シゲティの再来などとも言われたが、どうして中々現在でも通用するものがある。しかし所詮オブリガート付きのソナタだけあって、このヴァイオリニストの演奏としては若干この曲では物足りない。番組の最後に放送された1969年にリーダーハーレで演奏されたパルティータに関して、その彼が校訂したショット版の楽譜が今でも教科書になっているというのは当然だと思う。シゲティの録音に関してはCDになってから初めて入手した位で、その録音の音質とかを言い訳に聞いていなかったように思うが、意外にそれは本質的な事で、現在の古楽器奏法に馴染んだ耳には、なにも技術的な事が分からなくとも、余計にこのシェリングの苦慮や工夫などをサウンド的にも評価しやすくなっているのではなかろうか。二曲目のベートーヴェンは中々そのソナタらしく弦とピアノの葛藤のような響きも充分で、記憶以上に聞き甲斐があった。ピアノを弾いているジェムス・トッコはARDの優勝者だったとは知らなかった。中々上出来のデュオになっている。使用楽器はガルネリとあるが、ストラディヴァウスのような鋼の芯は無いが、固い木のような強靭な張りがある。同時に涼しさもあって、当時活躍していたグァルネリカルテットなどにはなかったものだ。また後年のクレメルのガダニーニなどに比較すると「古楽器の鳴り」が美しい。
もう一つ同時刻にフルトヴェングラー指揮ルツェルンでの最後の演奏会の録音が放送されていた。これは調べてみるとSACD化されたものらしいので、金曜日に聞くシューマンの第四交響曲だけでもと思って、ダブルブッキングを何とか熟した。その前の曲のエロイカで録音の程度も確認した。第四楽章だから当然かもしれないが、低音も綺麗にリズミカルに刻まれる。カラヤン世代によって無視された音楽芸術の洒脱性や軽妙な繊細である。その後のお待ちかねのシューマンは、楽譜を見ていたが、問題の弦と管と重なりなどの場合は管が優位になるようなバランスになっていて、「ロマンツェ」でのチェロも補強のような形になっている。
1953年8月26日演奏の管弦楽団は所謂祝祭管弦楽団で、その会場はクンストハウスである。その会場が気になっていたので片付けてあるプログラムを調べてはっきりした。現在のホールKKLが完成する前のホールの名前だった。そして1992年のそれを開いて驚いた。その年のベルリンからのフィルハーモニカーを聞いていた。完全に忘れていた。それどころかアバド指揮のフィルハーモニカーの演奏の記憶が全くなかったからである。50スイスフランで37列目7番のようだ。今なら六倍の値段はする席だろうか。ただ記憶していたのはそのコンサートが新ホール建設のためのガラ公演だった事で、そのホールへの最後のベルリンからの登場だったのだろう。先頃ひょんなことで「ダフニスとクロエ」を生で聞いたことがあるなと記憶を辿っていたのだが、これですっきりした。
参照:
外国人を叱る統合政策 2018-05-22 | 文化一般
再考察ルツェルンの宿 2018-04-09 | 雑感