ルクセムブルクに向かう。燃料は余分に40L入れたので往復出来る筈だ。カイザースラウテルンへと山越えで近道を走ろう。準備万端整えたつもりが、取りに行った洗濯屋が臨時休業していた。出かける序に立ち寄るが、回収できなかった時のために他のシャツを持っていく。タイも二種類色違いをもっていかなければ仕方がない。
早めに出かけて、ザールの醸造所に立ち寄り、ピクニックもいい時間に済ませてとなると、14時出発では殆ど余裕が無く、工事中とかで迂回路を走ることになれば焦って走り抜くしかなくなる。途上の醸造所へは地道を長く走るからだ。つまり気持ち良いドライヴでなければ疲れるだけなのだ。そこで12時前にシャツを取りに行くとなると、完全に二時間近くの時間が出来る。早めに試飲してピクニックで一眠りも可能だろう。アルコールはコンサートのために避けたいのだが、運転の疲れは帰路の夜間運転に影響する。帰路は高速を走り続けるだけなのだが、200㎞近い道を走り通さなければいけない。つまり往路は三時間以上かけて、帰路は二時間以上かけて戻ってくることになる。
イヤフォンでグルダのピアノでホルスト・シュタインが指揮したベートーヴェン、そしてサイン・ラトル指揮のシューマンの交響曲集等をハイレゾリューション再生で聞いてみた。もう少し低音も抜けず、細かな部分も上手く聞けない。早速アンドロイドのアプリケーションをインストールしたが、まだまだ調整していかないと駄目なようだ。そもそもこの価格で期待される耽美的な音楽鑑賞が可能なのかどうか、まだ分からない。
その一方、ノイズキャンセル効果については耳栓さえ整えればある程度は行くだろうなと想像する。先ずはルクセムブルクへの走行中に試してみたい。繰り返すが、有線なんてありえない。しかし、室内で比較すると最も大きな違いは車の音なんかよりも鳥の歌声が完全にカットされることで、若干損失のような気さえする。ソニーのエンジニア―は音の氾濫している日本のようなところしか考えていないのかもしれないが、室内で使用するとなればやはりヴァ―チュアルなサラウンド感覚の音体験でしかない。少なくとも今までのところその程度に至るのかどうか、不明である。
この間上のシューマン以外に、バレンボイム指揮シカゴ交響楽団のLPを見つけた。流石にスタディオ録音らしく、演奏技術的に最も優れていて、同時にショルティー時代に客演で振っている指揮者の制限も感じる制作だ。つまりアンサムブルは典型的な当時のショルティーのそれで些か木で鼻を括るの感は免れないが、指揮者がロマンティックな歌を遣ろうとしている。総合的にはその情報量の割には統一的なシューマン像に至っていない。当時のブルックナー全集などにも共通する「名演奏」なのかもしれない。スタディオ録音と言えば、先日のフルトヴェングラーのコンサート前にベルリンで録音されたものがスタディオだとアナウンスされていた。フルトヴェングラーのそれはSPの「悲愴」や戦前の「運命」などを除くとフィルハーモニア管とヴィーナーフィルハーモニカー録音以外主兵での録音はほとんど残っていないと思っていたので驚いた。勿論このDGのモーツァルトやヒンデミトなどの録音は聞いているのだが、ライヴかスタディオの違いは明白に認知していなかった。一体どのような事情でスタディオ録音になったのだろうか。戦後の占領RIAS放送のための放送録音なのだろうか。
もう一つのラトル指揮の録音はライプチッヒ版とされるもののようで、改訂版よりも斬新なものとして指揮されている。なるほど同じ作曲家のファンタジーなどの曲を考えれば交響曲もそのようになるのだろう。その演奏の全体の印象としては、なにか二十世紀のネオロマンティズムを想起させて、少なくとも同じアメリカの作曲家で言えばエリオット・カーターよりもジョージ・クラムやもしかするとジョン・アダムスを想起させて仕舞うのだ。
そいうこうしていたらjpcのサイトで僅か29歳?の新鋭キリル・ペトレンコ指揮のブラームスの協奏曲を見つけた。orfが実況をCD化している。冒頭の動機は強拍が伸びる感じで、だから弱拍のアクセントも強拍のそれも思う様に付けられている。これならばギーレンのそれでは足りない面も恐らくハイティンクのやりたかったことも同時に実現されているのではなかろうか。我々凡人からすると、どうして才能を以って世界的に活躍する重鎮たちでさえもこんな基本的なことが出来ないのかなと思うのだが、言ってみてもなにも始まらない。
そして二楽章のアダージョではいつものように早いテムポで始まってどんどんと流れるのだが十二分に歌い込んでいる。要するに嫌らしくないのである。そして三楽章ではこれまたピアノに合わせて事故が起きないような快適なテムポながらしっかりと刻んでいる。こんな僅かな触りを聞いても、改めてこの人はロシアの何とかというよりもただただ天才だと改めて感じる。よかった、ここで、グリモーとフィラデルフィアのそれをしっかりと見極める一つの指針を掴んで。
参照:
またもや因果な商売 2018-05-23 | 雑感
外国人を叱る統合政策 2018-05-22 | 文化一般
早めに出かけて、ザールの醸造所に立ち寄り、ピクニックもいい時間に済ませてとなると、14時出発では殆ど余裕が無く、工事中とかで迂回路を走ることになれば焦って走り抜くしかなくなる。途上の醸造所へは地道を長く走るからだ。つまり気持ち良いドライヴでなければ疲れるだけなのだ。そこで12時前にシャツを取りに行くとなると、完全に二時間近くの時間が出来る。早めに試飲してピクニックで一眠りも可能だろう。アルコールはコンサートのために避けたいのだが、運転の疲れは帰路の夜間運転に影響する。帰路は高速を走り続けるだけなのだが、200㎞近い道を走り通さなければいけない。つまり往路は三時間以上かけて、帰路は二時間以上かけて戻ってくることになる。
イヤフォンでグルダのピアノでホルスト・シュタインが指揮したベートーヴェン、そしてサイン・ラトル指揮のシューマンの交響曲集等をハイレゾリューション再生で聞いてみた。もう少し低音も抜けず、細かな部分も上手く聞けない。早速アンドロイドのアプリケーションをインストールしたが、まだまだ調整していかないと駄目なようだ。そもそもこの価格で期待される耽美的な音楽鑑賞が可能なのかどうか、まだ分からない。
その一方、ノイズキャンセル効果については耳栓さえ整えればある程度は行くだろうなと想像する。先ずはルクセムブルクへの走行中に試してみたい。繰り返すが、有線なんてありえない。しかし、室内で比較すると最も大きな違いは車の音なんかよりも鳥の歌声が完全にカットされることで、若干損失のような気さえする。ソニーのエンジニア―は音の氾濫している日本のようなところしか考えていないのかもしれないが、室内で使用するとなればやはりヴァ―チュアルなサラウンド感覚の音体験でしかない。少なくとも今までのところその程度に至るのかどうか、不明である。
この間上のシューマン以外に、バレンボイム指揮シカゴ交響楽団のLPを見つけた。流石にスタディオ録音らしく、演奏技術的に最も優れていて、同時にショルティー時代に客演で振っている指揮者の制限も感じる制作だ。つまりアンサムブルは典型的な当時のショルティーのそれで些か木で鼻を括るの感は免れないが、指揮者がロマンティックな歌を遣ろうとしている。総合的にはその情報量の割には統一的なシューマン像に至っていない。当時のブルックナー全集などにも共通する「名演奏」なのかもしれない。スタディオ録音と言えば、先日のフルトヴェングラーのコンサート前にベルリンで録音されたものがスタディオだとアナウンスされていた。フルトヴェングラーのそれはSPの「悲愴」や戦前の「運命」などを除くとフィルハーモニア管とヴィーナーフィルハーモニカー録音以外主兵での録音はほとんど残っていないと思っていたので驚いた。勿論このDGのモーツァルトやヒンデミトなどの録音は聞いているのだが、ライヴかスタディオの違いは明白に認知していなかった。一体どのような事情でスタディオ録音になったのだろうか。戦後の占領RIAS放送のための放送録音なのだろうか。
もう一つのラトル指揮の録音はライプチッヒ版とされるもののようで、改訂版よりも斬新なものとして指揮されている。なるほど同じ作曲家のファンタジーなどの曲を考えれば交響曲もそのようになるのだろう。その演奏の全体の印象としては、なにか二十世紀のネオロマンティズムを想起させて、少なくとも同じアメリカの作曲家で言えばエリオット・カーターよりもジョージ・クラムやもしかするとジョン・アダムスを想起させて仕舞うのだ。
そいうこうしていたらjpcのサイトで僅か29歳?の新鋭キリル・ペトレンコ指揮のブラームスの協奏曲を見つけた。orfが実況をCD化している。冒頭の動機は強拍が伸びる感じで、だから弱拍のアクセントも強拍のそれも思う様に付けられている。これならばギーレンのそれでは足りない面も恐らくハイティンクのやりたかったことも同時に実現されているのではなかろうか。我々凡人からすると、どうして才能を以って世界的に活躍する重鎮たちでさえもこんな基本的なことが出来ないのかなと思うのだが、言ってみてもなにも始まらない。
そして二楽章のアダージョではいつものように早いテムポで始まってどんどんと流れるのだが十二分に歌い込んでいる。要するに嫌らしくないのである。そして三楽章ではこれまたピアノに合わせて事故が起きないような快適なテムポながらしっかりと刻んでいる。こんな僅かな触りを聞いても、改めてこの人はロシアの何とかというよりもただただ天才だと改めて感じる。よかった、ここで、グリモーとフィラデルフィアのそれをしっかりと見極める一つの指針を掴んで。
参照:
またもや因果な商売 2018-05-23 | 雑感
外国人を叱る統合政策 2018-05-22 | 文化一般