意識的に忘れていた中継録音を聴いた。コロナ期間中にベルリンでの演奏の翌日にザルツブルク祝祭大劇場で演奏されたものだ。二日目にはいつものように休憩の無い一曲抜けたプログラムでトリフォノフがベートーヴェンのハ短調を弾いている。
意識的のこの中継のことを忘れていたのは、なによりもベルリンのシーズン初日に続いてここでのブラームスの演奏実践の折衷的な方法に失望したのと、もう一つはベルリンで二つ目のプログラムをやり直した様に、本来ならば其の儘演奏されるルツェルンでの演奏会が中止になっていたからだった。
当時の新聞評の悪評が、個人的な思いを越えて、今その時の録音を聴くととても感動する。当時指揮者のペトレンコが語っていた「折衷」とは交響曲が初演された所謂シュタインバッハ版とされるその歴史とベルリンでの演奏実践の歴史との折衷だということだったが、後者の具体性は上手く描けなかった。
しかし今回聴いてそのコロナ間隔での演奏の難しさとあっちこっちへと外して上手に合わないアンサムブルには、カラヤンサンドとかとは全く異なる指揮の分かりにくいフルトヴェングラーのそれに近いそれも晩年の核に近いような物だけの響きがある。
それは一つはブラームス自身が書いているように「私よりは愛らしいかもしれないが、甘みの溢れるチェリーでは全然ない、しかし決してへんな四番を書こうとしたものではありません。」としているその味であり、更に先の見えないコロナ当時のやるせない響きにもなっていて、思いの外感動させられる。
まさしくそれは私達がフルトヴェングラーの指揮として聴いてきたブラームスの交響曲のその内容であって、最早そこには人を魅了するような響きもなくアンサムブルの精緻さもない。しかしそこに残る骸骨のようなものがある。
車のタイヤは金曜日午前の時点では空気抜けのような兆候はない。走っていないのでなんとも言えないのだが、月曜日に気がつく前に走ったのはワイン地所とかであって、距離も限られていた。また子供が悪戯で空気を抜くようなところにも停めていない。空気が抜けていて気がつかなかったとしてもどれぐらいか?少なくとも走りが鈍いと思ったのは月曜日ぐらいで、それ以前に気がつかなかったことはあり得るか?なるほど運転席から最も気が付きにくい前輪右なので、右横に車が停まっている場合気が付かないことはあり得る。それでも故意に空気を抜かれるような状況は思い浮かばない。その前の土曜日の朝に抜けていなければ、月曜日に抜けていた可能性も少ない。来る月曜日に現状の様ならばアウトバーンに乗る前にタイヤ圧を測るまでもない。
嘗ての事故経験から運転中にタイヤに異常があれば直ぐに気が付く。実はその時も右前のフォイールを損傷していて、後輪駆動だった。今回は状況は異なるが、空気が抜ければ直ぐに気が付く筈だ。それゆえに月曜日の駐車場までの感覚を今も思い起こしている。その時は抜けていた。その前の鼻先の底を打った時の土曜日には気が付かなかった。しかし空気が抜けるような雨水溝ではなかった。摩訶不思議。
参照:
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日帰り旅行の空気圧 2024-01-12 | 雑感
意識的のこの中継のことを忘れていたのは、なによりもベルリンのシーズン初日に続いてここでのブラームスの演奏実践の折衷的な方法に失望したのと、もう一つはベルリンで二つ目のプログラムをやり直した様に、本来ならば其の儘演奏されるルツェルンでの演奏会が中止になっていたからだった。
当時の新聞評の悪評が、個人的な思いを越えて、今その時の録音を聴くととても感動する。当時指揮者のペトレンコが語っていた「折衷」とは交響曲が初演された所謂シュタインバッハ版とされるその歴史とベルリンでの演奏実践の歴史との折衷だということだったが、後者の具体性は上手く描けなかった。
しかし今回聴いてそのコロナ間隔での演奏の難しさとあっちこっちへと外して上手に合わないアンサムブルには、カラヤンサンドとかとは全く異なる指揮の分かりにくいフルトヴェングラーのそれに近いそれも晩年の核に近いような物だけの響きがある。
それは一つはブラームス自身が書いているように「私よりは愛らしいかもしれないが、甘みの溢れるチェリーでは全然ない、しかし決してへんな四番を書こうとしたものではありません。」としているその味であり、更に先の見えないコロナ当時のやるせない響きにもなっていて、思いの外感動させられる。
まさしくそれは私達がフルトヴェングラーの指揮として聴いてきたブラームスの交響曲のその内容であって、最早そこには人を魅了するような響きもなくアンサムブルの精緻さもない。しかしそこに残る骸骨のようなものがある。
車のタイヤは金曜日午前の時点では空気抜けのような兆候はない。走っていないのでなんとも言えないのだが、月曜日に気がつく前に走ったのはワイン地所とかであって、距離も限られていた。また子供が悪戯で空気を抜くようなところにも停めていない。空気が抜けていて気がつかなかったとしてもどれぐらいか?少なくとも走りが鈍いと思ったのは月曜日ぐらいで、それ以前に気がつかなかったことはあり得るか?なるほど運転席から最も気が付きにくい前輪右なので、右横に車が停まっている場合気が付かないことはあり得る。それでも故意に空気を抜かれるような状況は思い浮かばない。その前の土曜日の朝に抜けていなければ、月曜日に抜けていた可能性も少ない。来る月曜日に現状の様ならばアウトバーンに乗る前にタイヤ圧を測るまでもない。
嘗ての事故経験から運転中にタイヤに異常があれば直ぐに気が付く。実はその時も右前のフォイールを損傷していて、後輪駆動だった。今回は状況は異なるが、空気が抜ければ直ぐに気が付く筈だ。それゆえに月曜日の駐車場までの感覚を今も思い起こしている。その時は抜けていた。その前の鼻先の底を打った時の土曜日には気が付かなかった。しかし空気が抜けるような雨水溝ではなかった。摩訶不思議。
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