クリスマスから年始迄の食材は月曜日までに尽きる。特に肉類は追加で手羽を購入して繋ぐ。コール首相の缶詰も週末に開けることになるかもしれない。経過理由はあるのだが、一つ買えなかったことと、日程的に早めに始まったことがあり、またコロナ期に比較すると食事量が伸びている。
缶詰の付け合わせのザウワーボーネンも新年で未だスーパーに入荷していなかった。他の付け合わせも考えてみなければいけない。
年末年始で最初に開けたのがラインガウのグレーフェンベルク2014年である。クリスマスに南プファルツの雑食砂岩「ガンツホルン」でその年度を確認していたので、開けてもよいとなった。細やかさはあるのだが、熟成向きではないのは明らかで、若い時のキュートさがなくなって面白くない。その前年の態々買い足した黴臭い年度ではなく素直なのだがそれが余計に詰まらなくなっている。
勿論リースリングの煮凝りに合わせたりでは全く問題がないのだが、その価格と瓶熟成の年月を考えるとその期待に応えたとは言い難い。前回開けたのは2021年で三年前であった。同様な印象が書いてあって、どうも当時はまだ樽熟成に100%木樽を使っていなかった頃かもしれない。やはり適当に呼吸が出来て、発酵の炭酸ガスが自然に抜けるぐらい出なければいけないのだ。
なるほどワインに自然の炭酸が残っているぐらいの方が口当たりが良くて清涼感があるのだが、そのガスは瓶熟成で消えてなくなる。その時に退屈な味であってはいけない。基本的に若い時にガスが残っているということはステンレス醸造をしていて、偉大なワインとはならない。
ラインガウでは最も高い位置にあるグランクリュの一つで、なによりも秋には冷えて優れた酸が効くことが重要で、過熟成するような果実からは良いリースリングは醸造されない。
ヴィーンでのノイヤースコンツェルトの放送は見聞きしていない。最早完全に興味がなくなった。個人的な思いなのかどうかは分からないが、新聞評では絶賛してあって「いい意味でプロシア風、内容充実だが感じやすく、甘くても粘っこくない」と見出しになっている。それを読んでも殆どむかつく。要するに催し自体がもうとても鬱陶しくてついていかれない。日本では地震があって生中継はなくなったようだが、中共で熱心に観られたことだろう。
ああいう催し物は最早文化的な先進国では受け入れられないだろう。一体このようなご時世にヴィーナーヴァルツァーもあったものではない。改めて、先月20日に生中継されたガザ地域とイスラエルの市民の保護へのチャリティーコンサートの録音を流す。やはりそこには偽りの無い音楽がある。
あんな商業主義の催し物などとは今更ながら無関係だと感じる。なるほど「こうもり」のようにそこに作られたヴィーナーというものが描かれてこそ初めて芸術化するのとは大分事情が違う。
参照:
ロックダウンの延長 2021-01-05 | 生活
シャンペンの泡の様に 2024-01-02 | 音
缶詰の付け合わせのザウワーボーネンも新年で未だスーパーに入荷していなかった。他の付け合わせも考えてみなければいけない。
年末年始で最初に開けたのがラインガウのグレーフェンベルク2014年である。クリスマスに南プファルツの雑食砂岩「ガンツホルン」でその年度を確認していたので、開けてもよいとなった。細やかさはあるのだが、熟成向きではないのは明らかで、若い時のキュートさがなくなって面白くない。その前年の態々買い足した黴臭い年度ではなく素直なのだがそれが余計に詰まらなくなっている。
勿論リースリングの煮凝りに合わせたりでは全く問題がないのだが、その価格と瓶熟成の年月を考えるとその期待に応えたとは言い難い。前回開けたのは2021年で三年前であった。同様な印象が書いてあって、どうも当時はまだ樽熟成に100%木樽を使っていなかった頃かもしれない。やはり適当に呼吸が出来て、発酵の炭酸ガスが自然に抜けるぐらい出なければいけないのだ。
なるほどワインに自然の炭酸が残っているぐらいの方が口当たりが良くて清涼感があるのだが、そのガスは瓶熟成で消えてなくなる。その時に退屈な味であってはいけない。基本的に若い時にガスが残っているということはステンレス醸造をしていて、偉大なワインとはならない。
ラインガウでは最も高い位置にあるグランクリュの一つで、なによりも秋には冷えて優れた酸が効くことが重要で、過熟成するような果実からは良いリースリングは醸造されない。
ヴィーンでのノイヤースコンツェルトの放送は見聞きしていない。最早完全に興味がなくなった。個人的な思いなのかどうかは分からないが、新聞評では絶賛してあって「いい意味でプロシア風、内容充実だが感じやすく、甘くても粘っこくない」と見出しになっている。それを読んでも殆どむかつく。要するに催し自体がもうとても鬱陶しくてついていかれない。日本では地震があって生中継はなくなったようだが、中共で熱心に観られたことだろう。
ああいう催し物は最早文化的な先進国では受け入れられないだろう。一体このようなご時世にヴィーナーヴァルツァーもあったものではない。改めて、先月20日に生中継されたガザ地域とイスラエルの市民の保護へのチャリティーコンサートの録音を流す。やはりそこには偽りの無い音楽がある。
あんな商業主義の催し物などとは今更ながら無関係だと感じる。なるほど「こうもり」のようにそこに作られたヴィーナーというものが描かれてこそ初めて芸術化するのとは大分事情が違う。
参照:
ロックダウンの延長 2021-01-05 | 生活
シャンペンの泡の様に 2024-01-02 | 音