Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

欧州文化での進化

2024-01-23 | 文学・思想
資料音源などを調べている。先ず、ブーレーズ指揮BBC饗の録音は使い物になりそうにない。もともとブーレーズ指揮シェーンベルクは不評であったのだが、この録音に至ってはバランスがとてもぎこちない。なぜこのようになって仕舞ったのかは、ギーレン指揮SWR饗の名録音と比較すると、やはり声楽の扱い方ではないかと思った。それ程ギーレン指揮の器楽声楽のバランスが絶妙で、もしかするとこの指揮者の代表的な録音ではないかと思うぐらいだ。勿論、ペトレンコ指揮は全てにおいて軽く超えてくるだろう。

PDF化されているプログラム冊子を読むと最後にベルリナーフィルハーモニカーで指揮したのは1985年6月のドホナーニのようで、その前にはギーレンが1970年2月が初めてだったらしい。

やはり難物である。音楽的に詳しくは更に見ていくとして、解説のクラスティング氏がユダヤ人がプロテスタントに改宗して、更にユダヤ教に戻った過程をユダヤ人の視線から捉えていてとても興味深い。勿論ここでは作品の旧約聖書のモーゼの章のエザウの兄弟葛藤のことから創作の宗教性への言及となる。

非宗教的なリベラルな家庭から23歳で急に離脱して、その後カンディンスキーの影響などを受けたようだが、大きなきっかけになったのは1921年6月ザルツブルクに近いマット湖でユダヤ人逗留者が締め出された事件に遭遇して、欧州人として育ったのにドイツ人でも、欧州人でも殆ど人でもないと初めて気が付いたのだというのである。それによってユダヤ人は国が必要と考えるようになって、シオニズム同等の考え方にいたり、自身の政党を作る準備までしたとある。

ここでは、既に1912年に構想があって、1917年から準備を始めて、1922年に殆どのスケッチを書き終えた作品における宗教性が語られている。無神論者がどうしての説明となっていて、このことがこうして書かれているのを初めて読んだ。

古代宗教を残す一神教の源泉への触れることは難しい。そこに全ての根源があるからだが、シェーンベルクのその宗教性としてここで描かれていると同時に、ここでは一つの未完の作品の中にその音楽的な芸術的な進化が観察されるということになる ― その音楽的な姿を見届けるというのが今回のベルリン紀行の個人的な目的である。

そして上の解説文から分かるように、そうした進化論的な干渉が現実世界ではシオニズムからイスラエル建国へとの政治歴史にも観察されて、それがまさしく今日の世界であり、それは同時にこうした精神社会的な芸術行為に反映される。

このプログラムは早くから、先日のデュテュユーなどのプログラムに続いて演奏されることになっていた。10月7日のハマスによるテロ事件とは一切関係がない。しかし、それはなにもそれ以前から何一つも変わっておらず、何故アンチセミティズムが欧州社会の大きな問題になるのかは、ここに説明されている — ポストコロニアズム的な見解は一つのイデオロギーでしかない。

ソヴィエト出身の指揮者ペトレンコが宗教については今迄十分に考えて来なかったということで、この楽曲について語っていたのも当然のことながらこうした欧州文化の根幹に触れるという意味でもある。



参照:
世界の実相が描かれる 2022-03-06 | 文化一般
拍手喝采する意義 2023-11-22 | 文化一般
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