Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

サンダル映画制作現場

2024-02-08 | 文化一般
承前)月曜日の初日の評が出てきている。フィガロ紙のものとこちらの地元のルートヴィヒスハーフェンとシュヴァルツヴァルトの三紙のネット版は無料では読めない。しかしその独紙で書いていることはその著者からほぼ想像がつく。先ずは無料で読めるフランスのネット評を読む。

演出に関して、まだプログラムを読み切っていないが、またレクチャーにも出かけなかったのだが、そこに上手に纏められている。つまり、映画仕掛けとした背景が50年代にフランスとの共同制作などでイタリアのB級映画とされたサンダル映画だと説明されている。

これは実はよく考えてみないとよく分からなかった。なぜならばその面白さは、例えば「ベンハー」とかの大スペクトラル映画の方をどうしてもイメージしてしまうとこの所謂カトーン映画と繋がらなく、今回の演出の映画ポスター状の幕にも繋がらないからだ。

なるほどここではオペラセーリアとされるバロック期のギリシャの神々が舞台に登場するのだが、それがまたクレオパトラの映画とも繋がりにくい。しかし、会場から若い学生からも笑いを取った南の島のタヒチかどこかの妖精のムームーの踊りの一コマで、この説明がとてもよく繋がった。

例えばそれは日本では60年代に白黒で制作されて、70年代でもお茶の間のカラーTVに映されていた再放送枠の映画にも相当する。「モスラ」とかでザピーナッツが草履履きで踊っていて、神を称えて生贄踊りをする時の状況であり、そういう映画の元となっているものを指す。

勿論ここで、妖精だけでなくてギリシャ神話の一つ目の怪物などが火口の上に首を出して、その麓で小さな人間が仰ぎ見るというような舞台を作る大枠として、B級映画の撮影シーンが舞台の上で繰り広げられるというコンセプトとなっている。

音楽劇場上演である事には変わらないのだが、一体今時この300年前に二大カストラートの歌手とソプラノ歌手を目玉にしてのロンドンでの上演をどのように三時間の間退屈させることもなく、その音楽的内容に注目させるかという演出上の課題が解決されることになる。この成果は、そこに集った1100人ほどの聴衆の反応にその成功として証明されることになる。

まさか、こうしたオペラセーリアをして、一つ目怪物の真実性が描かれていないとする聴衆は流石にいないであろう。そもそもギリシャ神話、ここではホメロスの作品であるのだが、それを如何に1730年代に世界の大都会ロンドンで舞台化したかということでもある。

ここで興味深いのが、その音楽的な解決法でもあるのだが、新たに劇場から出されたヴィデオで、指揮者のエマニュエル・アイムが語っていて、ライヴァルであったヘンデルとの最大の相違はその歌唱への作曲にあり、それも母音の置き方であり、そして当時の多種のイタリア楽派の中でもナポリ派のそれだと見ているということである。これはこの作品でのそしてこの制作での最大の成功点の核心がそこにあると感じさせた。(続く
OPÉRA | POLIFEMO | Entretien avec Emmanuelle Haïm et Bruno Ravella

モスラの歌 ザ・ピーナッツ 1961年【歌詞・翻訳付】




参照:
Strasbourg : première française pour Polifemo de Porpora, Michel Thomé, 7.2.2024
エントロピー制御の作曲 2023-12-26 | 音
カウンターテノール?! 2017-12-31 | 文化一般
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