Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

乾かないレチタティ―ヴ

2024-02-05 | 
オペラセーリア「ポリフェーモ」のお勉強をしたい。残された時間は殆どないのだが、少なくとも2021年にバイロイトのバロックフェスティヴァルで演奏された演目で、芸術監督のツェンチッチとレジュネヴァらで歌われていた作品と知って、少し馴染みを感じた。前者は初演時にセネジーノが請け負ったウリセーを歌う、後者はクッツォーニが担った役の「ミトリダーテ」をガラテアを歌う。

作曲者ポルポーラは、長くヘンデルのライヴァルとして有名であったが、少なくとも今世紀に入ってからはそれ以上に演奏されることが多くなった作曲家で、大きな切っ掛けは去勢のカストラート歌手のファルネリなどの映画成功も大きかった。

同性愛者の友人などが一生懸命になっているのは知っていたが、その音楽的な興味はやはり演奏回数が増えるようになってからの関心が大きい。要するにロンドンの市場でヘンデルの試みを阻害するだけのポピュラリティーに溢れる作曲家という印象が強かった。

即ち歌手の力に依る所が大きいということになる。つまり上のフェスティヴァルでの上演がそうであったように、演奏会形式ではやはり判断しかねるというのが率直な感想だ。なるほど昨年の復活祭で今回と同じ指揮エイムの指導で演奏されたオペラには社会的に出来なかった作品ならば、他の選択はないのだが、その筋が結構複雑であって、そこのドラマテュルギーが発生するべく作曲となると異なる。

ポルポ―ラのオペラはシュヴェツィンゲンで出演者の誘われてシュヴェツィンゲンのナポリはオペラ上演で1730年作「ミトリダーテ」を観たことがある。その点で今回のものはその延長線上にあり乍らよりロンドンの状況に合わせた楽器編成なども立派なものである。

今回の上演もその指揮と合奏団ゆえに出かけるのだが、なんと言っても初演ではファルネリが担ったアシ役をフランコ・ファッジョーリが歌うというのがなによりもの目玉なのだろう。ファッジョーリの歌はフランクフルトのバッハの会で聴いている筈だが、資料を調べないと思い出せない。

実はヘンデルのオペラではそれ程感心したことはなく、それ程好きではないのである。それに比較してポルポーラがどうかということになる。興味深いのは恐らくロンドンという先端市場においてのことゆえなのかもしれないが、半世紀後のモーツァルトの様に伴奏の無いような乾いたレチタチーヴではなくて伴奏が活躍するというのがとても興味深い。

今迄このことに留意したことが無くて、通奏低音のみの伴奏によるそれがより言葉の意味やニュアンスを其の儘伝えるとされるのだが、その選択は如何にということにもなる。その先にはシェーンベルクでの様に喋る歌が準備されていて、より話し言葉に近づく。

余談ながらモーツァルトはジンクシュピールと呼ばれる芝居の台詞と音楽を合わせたドイツの歌劇を創作していることも付け加えておかなければいけないだろう。

勿論ポルポーラがロンドンで英語による芝居を上演するよりも、こうした伴奏されたレチタティーヴの方が容易に創作できたのは想像し易い。



参照:
乾かないレチタィ―ヴ 2017-12-31 | 文化一般
認知されるアレゴリー 2023-04-09 | 文学・思想
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