Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

現代的過ぎた小澤征爾

2024-02-11 | マスメディア批評
フランクフルターアルゲマイネ紙の訃報記事に続いて独語圏最古の新聞ノイエズルヒャー紙からスピノラ女史の記事。

指揮台で情感的に、練習では精密に、回りには友好的で物分かりの良さと音楽の世界の舞台で最初の日本人を表した。

1960年代の販宣の写真を掲げて、当時の日本ではその鼻っ柱からも適さなかった保守的ではない様相だったとしている。ニューヨークフィルに同行して、そしてそれがNHK交響楽団での演奏拒否に遭い、小澤の余りにも現代的で自意識が高かったとの記述に先行させて書いてある。その出立が、保守的な興行界に対峙したモードだったと。そうした計算された光彩が当時の知識人を逆なでして、それでも日フィルを起用しての日生劇場の特別演奏会は大成功に終わった。

トロントのあと、サンフランシスコの交響楽団を任されると、同時にボストン交響楽団の夏のタングルウッドでバーンスタインのアイスタントをギュンター・シェラーと別け合ったとある ― その人物が一昨年のそして今年同じエンゲル指揮で再演されるミンギス作曲「エピタフ」の校訂者である。

栄光のボストン時代での成功に続いてヴィーンの歌劇場では「オネーギン」引き摺らないテムピで、大河のように迫る意味ある響きの融け合いがセンチメンタルにもなることなく分厚くもならないチャイコフスキーとして大成功をあげた。

独墺音楽の録音は他の者に任せる一方、そのブラームスは仕事部屋の自然の香りがして素晴らしく、その音楽を取り巻く難しい闘争から解放するものだった。フランス音楽は、ベリオーズ、フォーレ、ドビュシー、ラヴェルからオネガー、デテュユ―迄のレパートリーを明らかにより自身のものとしていた。そこでは万華鏡の如くキラキラして、透明な風景が開けることで、その表現の園を拓いていた。

その透明で細部に亘る音響は、浪漫派や後期浪漫派においては上手に距離を開けることから、パトスへの節度の無い極端とスポーティーなデトックスの間の中庸を見つけていて、その水彩画的な透明な響きの流れに高揚感へと誘いその全ての感情の制御が、オバートーンの輝きの中に昇華させるのは特筆されるものだった。

バルトーク、ストラヴィンスキー、シェーンベルクを取り囲む第二次楽派への興味、リゲティ「サンフランシスコポリフォニー」、ヘンツェ八番、ケージ、ミヨー、クセナキス、武満の初演が、そして「アシジの聖フランシスコ」のエポックメーキングな初演指揮。

晩年の教えたがりにも言及してあるが、ここでは日本での音楽の定着と継承を斎藤に倣ってとなっている。ヴィーナヴァルツァーのことと同時にそこの劇場が必ずしも理想的なビオトープでなかったとしていて過不足無い記事になっていて、両紙で十分で、欠けているのは指揮に関するその才能と天才性への言及のみだろうか。誰かがどこかで書き加えるだろう。
Boston Symphony Orchestra Remembers Seiji Ozawa with Remarks and Bach's Air on the G String




参照:
Er diente sieben Jahre, um selbst ein Diener der Musik zu werden, Julia Spinola, NZZ vom 9.2.2024
ただの天才音楽家の死 2024-02-10 | 文化一般
齢を重ねて立ち入る領域 2017-07-01 | 文化一般
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