Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

超一流世界のその奥行

2024-02-13 | 
小澤指揮録音のCDは、プロコフィエフ交響曲全集以外に、売れ残りのフランスの放送管弦楽団で入れたビゼーの曲集、バッハの20世紀の編曲集、ラフマニノフのピアノ協奏曲ルドルフゼルキンの伴奏をしたベートーヴェン協奏曲全集、それ以外には狙って購入したのは最初のCDとしてメシアン「アシジの聖フランシスコ」初演実況録音だけではないかと思う。基本的にアナログ録音のCD化は金まで出して買わないので、どうしても安売りのケントナガノ指揮のCDの方が遥かに多い。

最初の全集から有名な五番を流してみると、一番の問題はベルリナーフィルハーモニカーでの不協和音の総奏の響きになるかと思う。現在のペトレンコが最も骨を折って鳴らしているところでもあり、客演指揮者で可能なことは限られていたとしても、現在の水準からすればもう一息腑分けをして鳴らさないと駄目である。聴かなかったのだがムーティ指揮シカゴ交響楽団は恐らく素晴らしい成果を出していた筈だ。そうした不協和音のところで流してしまう傾向があるのも小澤指揮の特徴ともなる。

それらから交響曲二番の方がとても良い演奏になっている。七抜きとされる日本のそれから変奏主題が取られている。

それに比較するとLPに戻って同時代のバルトークの「不思議なマンダリン」はやはりその独自の和声の鳴らし方としても、一昨年にミュンヘンの劇場で部分的に挿入されて演奏されたエンゲル指揮の演奏と比較するとやはり音のベースが希薄になり、要するにその音響の意味するところの焦点が失われている。そこは試しにブーレーズ指揮のシカゴ交響楽団の演奏で聴くと、あれほど端折ってしまう指揮での演奏でも表現が全く立体的であり、完璧な演奏となっている。要するに小澤の演奏では譜読み的にも橋にも棒にもかからない。反対に現在超一流交響楽団を振ってこれ程のバルトークを指揮できる指揮者はペトレンコ以外には想い浮かばない。ブーレーズ指揮全集ではストラヴィンスキーよりもバルトークの方がもしかすると歴史的価値が高いのではないだろうか。

こうやってざっと録音だけでも比較してくると音楽で出来ることと出来ない事との差異が甚だしく、そういうのを超一流とか三流ぐらいのクラス別けではカテゴライズすることが出来ないのが分かる筈だ。幸い大きな市場の多くの人は鈍感なのでそこまでの経済差がつかない。

上からの流れでサンフランシスコで録音された「パリのアメリカ人」のLPを流す。言及した「新世界」にも似ていてドライな印象がこの曲にあっているのかどうか。分かっているのはニューヨークあたりでは全く違った音楽があってとなるのだが、そこまで誰が関心があるのかどうか。但し気が付くのはやはりもう少し違うバランスで楽譜の読みが出来る筈だということで、そうした基礎的な音感覚はやはり日本での基礎教育や環境由縁だと分かる。勿論新聞に書かれていた様に、パリかヴィーンでしっかりと修行をしていれば、例えばメータがスヴァロフスキーの下で習った様に一拍一拍を腑分けして音として確認していく作業を身に着けていれば違ったのかもしれない。要するに小澤の音では鳴りきらないものがあるということだ。それが音楽芸術とされるものだろう。



参照:
カーニヴァル前に棚卸 2024-02-12 | 雑感
ただの天才音楽家の死 2024-02-10 | 文化一般
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