ドイツチームは、本日夕刻にスヴェーデンといよいよ決勝トーナメントを戦う。イングランド戦を引き分けに持ち込んだ力は恐れるに足る。スヴェーデンなら勝てると言う意識があるので、この時点でイングランドとドイツがあたらなかったことを感謝しなければいけないだろう。
先日伝えたブラウンベアーは未だに捕獲されていない。前回優勝したときにも同じような騒ぎがあったとかで、慶兆として受け止められている。ベアーは、断るまでもなくゲルマン人とって特別な意味を持っている。決勝地ベルリンの市旗を見ろ。
それに本日はなんと言ってもヨハニの日。もし勝利する事があればミュンヘンの夜の乱痴気騒ぎは最高潮となろう。スヴェーデン人も同じゲルマン系なのでいずれにせよとなる。
更に夜ライプツィッヒでのアルゼンチン対メキシコもハイレヴェルの戦いとなろう。実力のあるどのチームも予選リーグでのアイドリングを経て調子を上げつつあるので、ここで一気に本格的な祭りとなりそうだ。
昨晩は韓国がスイスに敗北してアジア勢はオセアニアのオーストラリアを除くと全滅した。日中はケルンの街中で韓国舞踊の鐘太鼓が喧しく響いていた。あの騒々しさとシャーマニズムを髣髴させる押し付け強さはパンソリの「怨念」とかの文字を呼び起こす。
髪を虎刈りのように染めた韓国選手がゴールを決める事が出来なかったようだが、バーゼルで働いていると言うから、本人にとってはその方が良かったのかもしれない。兵役免除などと言う「気が効いている様で馬鹿げたご褒美」を出しているような共和国が勝ち進んで貰ってはいけない。
絶えず同胞の敵対国家と臨戦体制にある国家が兵役を実施しているのは不思議でもなんでもないが、決勝進出を争ったのが国民皆兵のスイス連邦共和国となると、兵役への考え方が問われる。国民皆兵といってもだれもその義務を喜んでいるわけではない。それでも免除する考え方は、プロスポーツとは言えそれを愚弄し、兵役自体をも辱めているような感じを与える。言い換えるならば否定的なパトリオティズムが存在しているのかも知れない。
そのような歪な印象は、朝鮮民族の自己主張のあり方にも共通している。ある意味それらは素直な国威発揚の姿に上手に重なるようである。そのような精神が必ずしも肯定的に受け止められずに、否定的に映るのは民族のコンプレックスが底辺に泥の川のように淀んでいるからであろう。
何れにせよ今回のワールドカップの重要なスポンサーである自動車会社の母国が姿を消すのは痛々しく、アジア・オアセニアではオーストラリアや何れは中国が中心となってフットボールは継承されるのだろうか。
参照:蹴球愛国主義と文化水準 [ 雑感 ] / 2006-06-12
先日伝えたブラウンベアーは未だに捕獲されていない。前回優勝したときにも同じような騒ぎがあったとかで、慶兆として受け止められている。ベアーは、断るまでもなくゲルマン人とって特別な意味を持っている。決勝地ベルリンの市旗を見ろ。
それに本日はなんと言ってもヨハニの日。もし勝利する事があればミュンヘンの夜の乱痴気騒ぎは最高潮となろう。スヴェーデン人も同じゲルマン系なのでいずれにせよとなる。
更に夜ライプツィッヒでのアルゼンチン対メキシコもハイレヴェルの戦いとなろう。実力のあるどのチームも予選リーグでのアイドリングを経て調子を上げつつあるので、ここで一気に本格的な祭りとなりそうだ。
昨晩は韓国がスイスに敗北してアジア勢はオセアニアのオーストラリアを除くと全滅した。日中はケルンの街中で韓国舞踊の鐘太鼓が喧しく響いていた。あの騒々しさとシャーマニズムを髣髴させる押し付け強さはパンソリの「怨念」とかの文字を呼び起こす。
髪を虎刈りのように染めた韓国選手がゴールを決める事が出来なかったようだが、バーゼルで働いていると言うから、本人にとってはその方が良かったのかもしれない。兵役免除などと言う「気が効いている様で馬鹿げたご褒美」を出しているような共和国が勝ち進んで貰ってはいけない。
絶えず同胞の敵対国家と臨戦体制にある国家が兵役を実施しているのは不思議でもなんでもないが、決勝進出を争ったのが国民皆兵のスイス連邦共和国となると、兵役への考え方が問われる。国民皆兵といってもだれもその義務を喜んでいるわけではない。それでも免除する考え方は、プロスポーツとは言えそれを愚弄し、兵役自体をも辱めているような感じを与える。言い換えるならば否定的なパトリオティズムが存在しているのかも知れない。
そのような歪な印象は、朝鮮民族の自己主張のあり方にも共通している。ある意味それらは素直な国威発揚の姿に上手に重なるようである。そのような精神が必ずしも肯定的に受け止められずに、否定的に映るのは民族のコンプレックスが底辺に泥の川のように淀んでいるからであろう。
何れにせよ今回のワールドカップの重要なスポンサーである自動車会社の母国が姿を消すのは痛々しく、アジア・オアセニアではオーストラリアや何れは中国が中心となってフットボールは継承されるのだろうか。
参照:蹴球愛国主義と文化水準 [ 雑感 ] / 2006-06-12
ただ純粋にサッカーをたのしむ、という風に願うのは、ムリな希望というものなのかしら?
選手たちも「国家のために」を口にする者(もちろんそういったことをいわない選手もいる)が多く、ちょっとがっかりもするものです
サッカーというスポーツに国家というフィルターをかけて見ると、観戦のポイントも自ずとピンボケし、意味のわからん愛国心だけで国家名だけを連呼する連中が爆増します
チームを応援しているのか、国旗などの象徴としてのチームを応援しているのか
ワールドカップの意義自体をすこし考えさせられるものです
選手たちの代表に選ばれたというプライドをぶつけ合う世界最高峰の舞台
代表とは、その「地域・コミュニティの代表」なのか、それとも「国家を代表した」ものなのか、これは似ているようで、まるでちがう感覚だったり思うものであります
ドイツ代表もオボモイエラを代表にするか、しないかでネオナチが騒いでいたとのウワサも日本に聴こえてきましたが、クリンスマンはその点でなかなかに立派な判断を下したと思います
オボモイエラは落ちちゃったけど、オドンコルなんてサプライズ召集しちゃったり、選手時代もすぐれたプレイヤーだと思ったけど、監督としてもなかなかポイント高く評価しちゃいますよ
例えばドイツの組織は、地方から代表へとユースからセニョールへと繋がっています。その中にプロの組織があると理解しています。球技どころかスポーツ以外でも大抵の組織が同じような組織図をなしています。何かを真剣にしている人は直接全国組織に繋がっています。そのもの連邦国家の基本構造です。
昔の釜本選手とプロの選手の違いを、前者が「アマチュアーとして国旗をかけて戦った」のに対して、後者は「プロの技量を国旗の下で披露」と書き別ける事は出来ないでしょうか?野球の世界大会も似たようなものだったと聞いていますが。Jリーグ選手には世界の中ではその意識がまだ十分で無いと感じましたが、間違いでしょうか。
サッカーに戻ると地元の組織をサポートしてと言う形式を日本もJリーグ発足の時に拘ったと聞きます。どの企業がスポンサーをしていても同じです。阪神タイガースを仮に上場出来ても、サッカーチームは難しいでしょう。地域から国旗のレヴェルへ繋がっていかないのは社会やシステムの方に問題があるかも知れません。
クリンツマンの場合、良くは知りませんが奥さんの関係もあってコスモポリタンな感覚があるようです。彼についてはまた改めて。
大阪ABCのネットラジヲを聞くと、日本での開催の時とは全然雰囲気が違うと報告していました。なるほどと思いました。サッカーはただの興行でも国際大会でも無い事を肌で感じたようです。
簡単に言えば、最高に単純な球転がしに負けた方は全てを否定されたように打ちのめされる感覚です。体格も体力も知力も技能も全てです。これは全てお遊びの中にある訳ですが、人格が否定されるほどの真剣なゲームです。そして四年に一度しかリセット出来ません。勝つか負けのどちらかしか存在しません。
それでも、ドイツにおいてもこうしたパトリオティズムのあり方は注意深く観察されて、そこから社会の実状が変わってきていることを考える切っ掛けになります。その枠となる国家とか社会とかの認識の変化です。それについては改めて書きますが、ただ身近であろう例だけ挙げます。
今回はブラジル系の移民が各国で何人か活躍していますね。その一人アレックスがインタヴューに日本語で答えていました。「僕は見た目は違うけど心は日本人だと感じているからね」と言う感じです。本文で朝鮮民族に触れましたので補足します。例えば大阪市ならば町中が赤鬼応援になっているのかとか言う問いです。双方の事例は、本来ならば十分に注意しなければいけない実状と思います。
まあ、そんな発想からは逃げられない。
さて、次回からだったか、オーストラリアはアジア枠に入るとか。となると、今回のようにオーストラリアが勝ち残った場合、アジアの代表だと思えるかどうか。アボリジニの人が一人でも選手に選ばれる?
野球は、アメリカとキューバと中国や台湾、韓国などほんの数カ国が熱心なだけ。しかも、ワールドベースポールクラシックもアメリカは大リーグの余技だと思っている(審判もローカルな人だったことが示している)。だから、日本が勝てたという面があるような。
近代ってのはナショナリズムの勃興と切り離せない面があるし、国と国との戦いが歴史に記憶に新しく刻まれている。国って意識が愛国主義者ではなくたって強烈に醸成されてしまっている(ドイツとはどういう国、日本って特殊な国…etc.)。
ワールドカップを冠せられた競技は数々あるけど、その名に値するのは今の所、サッカーのみ(野球は論外のレベル)。サッカーは、その意味で国意識からは決して離れられないし、だからこそ、一つの競技でオリンピックより世界中で関心を持たれているのだと思う。
やはり日本が韓国がアジアが負けたという発想や感覚は<正しい>のかもしれない。
オーストラリアがアジア・オアセニアとして含まれるのは良いでしょう。原住民の競技人口は知りませんが、移民を含めて純血な参加国は少ないですから。ドイツ人のキーパーやクロアチア人のリーダーなどオーストラリアの特徴が出ていた様に思います。
ヨーロッパにおけるフットボールは、新たな意味を持ってきているようです。少なくとも建前上は当事者間の軍事衝突が無くなったEU内における戦いとしてです。
世界に目を向けるとこうしたゲーム感覚が十分に浸透しているとは言いがたい。イランの新指導者の招待などが実現しなかった、フットボール事情や世界の政治事情が整っていないと言うことかもしれません。
ヨハニの日、とは、洗礼者ヨハネの祭日のことでしょうか?
ドイツでは特別なお祝いか何かをする日なのですか。
もちろん自称(?)仏教徒が多い日本では、お祝いは何もありません。普通の日です。
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/370ff859c4346412daef4dc55cde439c
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/93b1225f7c2f878cc5aa7c0b26e58791
民間伝承は、土地によってあるなし・内容が違うので網羅するのは難しそうです。