Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ニコゴリの取り持つ絶妙

2007-06-15 | 料理
煮凝りである。散髪屋に出かける前に朝食用のフライシュケーゼとブロッツェンを取りに行く。その序に旨そうなニコゴリを見つける。二種類あって、片方はリースリングと豚肉で旨そうであるが、先ずは小振りの甘酸っぱくしてある足肉のズルツェを選ぶ。

散髪屋に行かねばならないので、束の間、ガレージに置いておこうかとも思ったが、培養シャーレの中身のようなニコゴリであり、安全を考えて冷蔵庫へとしまう。

床屋では、商店の開店時間について話していると、こちらの「夜中に買物は異常」だから「ドイツを、ロンドンやパリのようにしてはいけない」とする保守的で定言的な意見に対して、床屋の親仁の方が「社会のバランスが難しい」と遥かに中庸な見解を示すので面白い。

さて、ニコゴリを焼きたてのブラートカルトッフェルに塗して食するのであるが、甘酸っぱいのが絶妙で、比較的豊満な辛口リースリングを合わせると、甘い方と酸っぱい方の両翼へと味が分かれ、その中間に押し入るようにワインの香りと味覚が広がる。

これは、妙なる体験で、その中間層にじわりとニコゴリ本来の味が浮かび上がり、コンビーフのような足の肉の味が下支えしているのは、ワイン体験でもあり食事の味体験でもあるのだ。微妙なバランスと言うほかない。このような時間経過と構築感のある味覚を、グルメ趣味は珍味とか呼ぶのだろう。

さて、焼きジャガイモの方は、蒸し器で硬めに蒸して、冷やしてから炒めたつもりであるが、若干柔らか過ぎて自然冷却も充分ではなかった。それでも、敢えて焦げ目をつけなかったにしろ、フライパンにこびり付くことも無く、また脂でギトギトすることも無かった。

ニコゴリの繊細さもあり、マジョーラムと塩コショウとバターのみで、ニンニクなどを入れなかったゆえに、ジャガイモの熱さで融けるゼラチンと肉の味の妙が、ワインによって取り持たれて、皮肉にもこの「おばあちゃんの味」に、その食感と相俟って高質な味覚が口の中で展開した。


参照:
肉屋の小母さんの躊躇 
[ 料理 ] / 2006-02-18
厚切り咬筋と薄切り肝臓 
[ 料理 ] / 2005-12-01
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民主是個好東西 可平

2007-06-14 | マスメディア批評
本日のFAZ一面三段目の囲みの記事が踊っている。中国共産党がスウェーデン型の民主主義社会への移行を検討していると言うのである。ここでも定期的にFAZの記事としてのみならず、中共の政治思想に興味を持って来た。

ここで扱われているのは既に多くの論文で、中国に必要な政治社会システム論じてきた俞可平北京大学比較政治経済学研究所教授の「民主主義ほどよいものはない」とする意見が、最近盛んにネット等で論じられて、保守革新双方を巻き込んだ議論を白熱化していると言うことである。勿論のこと、それは中共政府の意向であると分析する。

その背景には、二期目を迎えてなんとか権力が掌握出来たフウ・ジンタオ主席の指導力があり、ここへ来てやっと基本政策である社会作りへと挑むことが出来たのだとされる。

例えば、党内だけでなく、地方から中央へと広がる選挙の必要性は、 極 論 を 避 け た 中での、社会利益と建設的なシステム構築に、個人の多大な関与を反映させることを指す。そして、民主主義制度こそが蔓延する腐敗を防ぐ事が出来るとする。

既に、「報道の自由」が議論となっていることから、これは政府の自信を示しており、西洋的自由主義を警戒するまでも無く、民主化への道を見つけ出したとする知識人もいると伝える。

フウ・ジンタオは、「民主主義は資本主義のものであらず、民主主義と社会主義はお互いに相反しない」と発言したのみならず、地方における選挙にも言及していると言う。しかし、それらは、政治学者刘熙瑞が言うような党内における選挙制度の改革であり、「中国的民主主義」と呼ばれるものらしい。

「西洋における 民 主 主 義 信 仰 などは、ここにはない」と記者は書く。

党機関紙「求是」においても正統派の社会主義者に対して党保守派は、「西洋的な分権や政党政治を取り入れることは決してありえない」と反論している。

つまり、独自の民主主義への道への歩みには疑いがないが、どのような形となるかは、五年前の第十六回共産党大会の前にも、多党化を含めた議論が活発化したように今回も楽天的な観測に過ぎぬきらいもあると言う。

しかし、秋の党大会へと向けて、政府首脳陣は、政界の議論のみならずネットでの公論に強く関心をもって固唾を飲んでいることは間違いないようである。

その意味からすると、今西欧が求めている 公 正 な自由民主主義の目標へと、反対側から社会民主主義への道を中国は歩むことになる。しかし、前者が新旧教会を中心としてその精神面から後押しされつつ日々模索されているのに対して、後者の唯物論者がその制度を論じるほどには、その実現は容易ではないことが判っている。しかし、民主主義を標榜する社会が(腹が)順調に潤っていけば、極東の安定に繋がることは確かであり、最大公約数的な同一文化圏が共存して充分に繁栄して行く事は可能であろう。

上記した状況から、日本を中国と別の文化圏とする意見は既に当てはまらない。それを言うならば米国の孤立を挙げなければいけない。

そして、必ずしも、絶えず改革と前進を必要とする米国社会や西欧社会の自由民主主義が、第三世界の模範でないことは自明であり、この記事が示唆するように、中国型社会民主主義を発展途上国は模範と出来るようになるかもしれない。また、そのように願いたいのである。



参照:
"Modell Schweden" von Petra Kolonko, FAZ vom 13.6.2007
2007/06/10, 日本経済新聞 朝刊 (原始人の日記)
日本の中国朝鮮化を止めるために (蓬莱の島通信ブログ別館)
排队日 (私は北京に住んでいます)
遵法的議会外政治行動 [ マスメディア批評 ] / 2007-05-30
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夏バテ時のためのサラダ

2007-06-13 | 料理
ヴルストサラタは、夏の風物詩でもある。暑い夏に、肉気のものを食したくなれば、これに限る。何でもないソーセージを細切りにして、酢を効かしてマリネーにすれば良いだけである。地方によって、チーズを入れたり、使うソーセージが変わるぐらいで基本は同じである。

今回は、フライシュヴルストと呼ばれるソーセージに、BLOGで教えて頂いた玉葱とトマトのマリネーを胡瓜のピクルスに加えて合わせた。変り種であるので、イタリア風にオリーヴオイルなどをかけた。

玉葱が充分に浸かっていたので、刺激臭が無く食べ易く、唐辛子が効いてレモン汁の清涼感も良かった。

肉の薄細切りを使うフライシュサラタと言うのもあるが予算は膨らむ。ソーセージは、一般的に繋ぎが多い物が使われるのでお徳で手軽な食事となる。

つけ合わせには、パンからポメス、ブラートカトッフェルと範囲は広い。通常は、これにビールが旨い。



参照:暑くなったから、夏バテ時のためのサラダ(ザ大衆食つまみぐい)
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克服すべき倫理と回答

2007-06-12 | 数学・自然科学
生物医学部門の最先端の研究について述べられている。ミュンスターのマックスプランク研究所の分子生医学所ハンス・シェラー所長が最新の成果から研究の必要性を訴えている。

胚性幹(ES)細胞農場は必要無くなった、心配は要らない」と京大山中伸弥教授とMITのラドルフ・ジュニッシュ教授、コンラーロ・ヘックディンガー教授らの各々の最新の成果を紹介して、厳しい規制の中で成果を出し難いドイツの研究者のなすべきことを訴える。

つまり古くなったネズミの皮膚から胚細胞の状態へと戻す技術の驚くべき成果を指している。十ヶ月ほど前の発表が今しがた三種の細胞グループにおいて証明されたと言う。

更にネーチャーやセルステムセルのオンライン公表によれば、倫理的議論はあるものの、その精巧な進化した技術によって、その変遷と増大によって不可能とされる人間の胚細胞のコピーが近く可能となるとされる。

所長は、「これが、胚性幹細胞にとって代わるわけではないが、大変近づいており」、「こうした分化全能性(プラリポテンシー)を所持する細胞はあらゆる臓器の細胞を、その治療において万能となる」として、「現時点ではこうした機能を持った動物の細胞が疾患を和らげたり回復させるかは未知であるとされるが、充分に技術的に可能であるとされている」と発言する。

汚染された全能性細胞による癌の膨大を防ぐための技術的困難は、何れ克服出来ると言うことである。

Oct4、Sox2、c‐Myc、Klf4の遺伝子から皮膚が再生することがテストされて、 培養グラスにおいてさえ胚性幹細胞の遺伝要素を維持出来ることが示された。これで、プラリポテンシーの謎が解けたと言うことになるようだ。

これらは、他の成長に寄与する遺伝子の制御に置ける重要な鍵となっていると知られていたことを、日本の研究者たちは若いマウスの遺伝子を持って実証した。一年ほど前の研究成果では、部分的な胚性幹細胞が扱われていて、本物のコピーとはならなかったのだが、今回の成果によるとかなり目標に迫ったとしてヨアヒム・ミューラー・ユンク記者は記す。それを、iPS(体細胞からの多能性胚性幹細胞)と呼ぶようだが、今回の成果は様々な遺伝子を混合の中で正確に取捨選択していて、この四つの遺伝子が特に安定したものであった事を証明したことにあるようだ。

数日間をおいたあと、三週間で必要な活動域へと至り、再生への流れへと向ったと言う報告から、再プログラム化はゆっくりとした段階をもっていることが知れる。このプロセスは、古い皮膚に置ける遺伝的マーカーが書き換えられる行程であり、遺伝子の化学的な変遷を意味する。それどころか、二つの女性X染色体に一つにおいて、遺伝子全体の遮断がなされて分子生物学的かつ形態発生学的に胚性幹細胞と等しくなったことを言う。

こうした成果を受けて、シェーラー所長は、「人工授精における、90年代からのH1,H7,H9として知られる線維芽の培養が世界中で大きな成果を挙げている」ことをから、それでもドイツでの不安のもとは奇形の可能性に止まらずに、歴史的な背景が不安を強化していると見解を示す。

だからこそ今回の山中教授らの成果は、我々にとってその恐怖心を拭うものとして重要だとする。そして、細胞核が全ての臓器を司り形成して新たに再生させる事は、羊のドリーで見られたものであり、そこからその各々の細胞核での再生プログラムの機能が研究されてきたのであると説明する。そして今回、その中で何が万能細胞となるかが突き止められた。24種類の候補から山中教授が四つを取捨選択したのである。

今回使われたのはウイルスを持った細胞と癌細胞であったので、そのまま治療目的とはならないが、近いうちに他の可能性を持ってiPSが出来ると想像される。そこで、いつ、だれが、使えるものの培養に成功するだろうかとする答えは、少なくとも、法律的に縛られて、充分な線維芽を獲得出来ないドイツ国内では無いとする。

そして、人間の胚細胞を使った研究でこそ、将来的な分化全能性細胞への胚性幹細胞を不用とするような方法が生まれることが認知されるのを希望する。我々には頭脳も人材もあるので、今回の成果が人間の幹細胞での成果となるまで待つべきではないと訴える。



参照:韓国の大スターと子供達 [ テクニック ] / 2005-10-03
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最も古いドイツ語医薬書

2007-06-11 | 文化一般
ナギイカダ、梛筏と書くようだがあまり聞いたことがない。ステロイドなどを含むサポニンを含有していることから、20世紀になってから再び注目された薬草と言う。静脈流、痔、浮腫に効用がある。

この写真は、ロルュッシュの修道所の墓地跡の敷地で、ドイツで最も古いロルッシュ医薬書に因んで栽培されているものである。ドイツ語では、モイゼドルンと呼んでいる。つまり、倉庫にネズミが来ないように棘の出たこれを廻りに植えると言うのである。

この手書きの書物は、8世紀の終りに書かれたとされて、150頁に渡って当時の医薬の知識が編集されている。1989年まではバンベルガー・コデックスとして知られたいたものである。

また21世紀からヴュルツブルク大学で新たなプロジェクトが始まり、一世紀における「マテリア・メディカ」とヒルデガルト・フォン・ビンゲンの「フィジカ」へと遡る16世紀のレオンハルト・フックスやプファルツの植物学者でリースリングの名付け親ヒロニウス・ボックスの間を埋める中世の医薬書としてその内容が研究されている。

ウイキのサイトに触れられているが、こうした薬草の効用を研究する企業はあまりないと言う。合成によって製造することが出来なければあまり商売に合わないからのようである。

さてカロリンガー朝の文化政策、特にカール大帝の教育政策としてこの医薬書を見るばかりか、このベネディクト会修道所がまさにそのために存在したとする推測が出来るようである。

それは、後に再びアラブ文化圏の影響を受けてヘレニズム化した医学が科学として研究される前の時代であり、医療自体がキリスト教の生死感のなかでしか考えられなかった時代であることに留意したい。

その他にも多くの薬草が植えられていたが、もう一つアカントュスと呼ばれる薬草がそこにあり、これを手で擦ると匂いが出てくる。ハアザミ、葉薊と言うもので、ゴム菓子ハリボのコーラ味に使われているらしい。これも、適量さえ投下すれば効用がありそうだ。
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骨肉の争いの経験と記憶

2007-06-10 | 生活
「ニーベルンゲンの歌」もしくは「ニーベルンゲンの神話」は、北方ゲルマン神話として良く知られている。その起源は、ヴォルムス・マインツ・アルツァイを中心とするラインプファルツに移ったブルグンダー人に起源を発すると言う。ローマ皇帝プローブス治世にレッヒ川周辺からネッカー流域へと追い遣られたこの一ゲルマン人部族が、その130年後程後の五世紀始めにライン川を渡り、その地に住みついたのであった。

その名前から判るように、アレマン人とローマ人の争いの間で、物語のようにフン族のアッティラではなくてアエティラ率いる西ローマ軍に敗れ、傭兵化してローマ化して移動して行く。そのようにして現在のローヌ川を中心とするスイスから南東フランスの多くの地域に広がる民族文化圏となっている。

そうした背景もしくは、メロヴィンガー朝の東フランク族ブルニヒルド女王と王妃フレデグンデの骨肉の争いがこの神話の材料になっていると言われる。文字化されたのは13世紀で中部高地ドイツ語で書かれている。つまり、その時点までに神話化の過程を終えていて、こうして少なくともそれ以前の語継ぎをも今日知ることが出来るのである。

その地理的歴史的複雑さは、ゲルマン人の大移動の様そのままで、なかなか把握出来ないが、それらの痕跡をラインネッカー地方の古い町にも見る事が出来る。もちろん、それは物語に因んで言い伝えられる剣とか巨岩とか竜の洞窟を指すのではなくて その歴史の痕跡を言うのである。

例えばネッカー河畔のラーデンブルクには色濃く、ローマ人の遺跡である波止場や城郭や井戸が残されて、その上に野蛮なゲルマン人の強奪やメロヴィンガー朝支配の痕跡がそこかしこに見られる事を言う。それには、現在のニーベルンゲン街道と名付けられたヴォルムスを起点とする観光街道があり、そこかしこにそれに因んだものが見られると言う物へと伝承は変遷して行くのである。ユネスコ指定のロルッシュの博物館にもそれらしいものが展示されている。これらロマン的な文化現象と神話が更なる「伝承」として、混在して巧妙に重ねられているのである。

つまり、文献からその13世紀頃の民族歴史への回想とナショナリズムが勃興する19世紀のロマン主義に、またそれから更に200年ほどの歴史への回想を積み重ねる懐古が存在して、現在壁画などが描かれているのを見ることが出来るのである。

哲学者ミシェル・フーコーが、この神話の作者をつきとめようとしたが徒労に終り、結局口述で伝承されたものの意味に言及しているらしい。現代の我々にとって興味あるのは、こうした神話がリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇で近代にまで意味を持ち得たのみならず、世界中に知られるのは、19世紀におけるグリム童話などと同じで、神話の世界へ回想と記憶が何時しか人類共通の記憶になる過程であろう。今や北京にでまでこうした音楽劇が上演されて、言語を越えた音響体験として、神話が記憶となって浸透していっている。

こうしたものの伝承は、ナチの神話の利用を見ても判るように、フーコの指す「血生臭い歴史的経験」として定着すると、過去から現在への継承において、同じく現在から未来へと橋渡しされる豊富な経験の記憶ともなるのである。

写真は、19世紀にロルッシュ旧市会議事堂の壁に描かれた「ジークフリートの葬送」の光景。



参照:
記憶にも存在しない未知 [ 文化一般 ] / 2007-05-27
矮小化された神話の英霊 [ 文学・思想 ] / 2006-08-21
豊かな闇に羽ばたく想像 [ 文化一般 ] / 2006-08-20
名文引用選集の引用評 [ 文学・思想 ] / 2006-04-02
客観的洗練は認識から [ 雑感 ] / 2006-03-05
御奉仕が座右の銘の女 [ 女 ] / 2005-07-26
落ちまくリーノ (たるブログ)
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胃が痛むほどに追詰める

2007-06-09 | 
温暖化対応へのハイリゲンダムG8参加国の足並みは、昨晩のニュースで大きく伝えられたが、何よりも先駆けを許さず国連の枠組みを遵守する姿勢は重要である。

2050年までの1990年排出量の半減と2012年以降への対策確認で、気温の上昇を二度以内に押さえることが出来るとしても、その温度上昇は並々のものでは無く、今後世界の社会や経済に与える影響は尋常では無いであろう。

根拠となるIPCCの技術的な指標を根拠としてこれらの国が対応していく事が確認されれば、政策として最重要視していく以外に方法はないのである。

他国との調整と確認の準備万端を整えて、手練手管を駆使しながら、米国や日本などのその場逃れの政策首班を、議論の場に引き出した。彼らを追い詰めたメルケル首相の手腕が評価されていて、G8会場の周りに張り巡らされた柵はジョージ・ブッシュが逃げられないようにした檻のようだTV解説は伝えている。いつぞやの会議では肩揉みにご機嫌窺いにやって来たジョージを、今回も首を振るまでは冷ややかにあしらったこの女性の「政治的」男性経験の深さを垣間見た。その意味からも、活動家にメルケル首相は後押しされたかもしれない。

アフリカ問題において、米中の資源の奪い合いを防げたと言うが、半分の地下資源が中国に渡っており、これを牽制して今後は国連の枠組みで、中国が協調することが求められる。中国に対する不信感は強いが、北京留学のテクノクラートがまともに働けば将来もあるように思われる。それが公正な貿易投資関係で無ければいけない。

それにしてもロストックの港であるヴァルネミュンデを、嘗て、コペンハーゲン発モスクワ行きの寝台列車に乗り込み、そこの夜中の波止場を通過した思い出がある。当時は、カーテンを開けてはいけないなどのドイツ民主共和国の保安上の規制は厳しく、びくびくしながらの旅であったことを考えると、こうしてG8首脳会議を檻の中に追いやって、警察や海上国防軍と活動家が子供の鬼ごっこ宜しくネズミと猫の追いかけっこを繰り返すその地の変わりように、感慨以上のものがある。それこそが未だロシアには欠けるものである。

ATTAC代表へのTVインタヴューを観た。そして、もし黒装束の警官がナチの共産党国会放火事件のように過激派グループを先導していたとしても、黒装束の左翼セクトを排除する決断が出来ていない様子を示しているのは大変遺憾である。

如何に自由民主主義が素晴らしいものであるかを、故郷の近いメルケル首相の選挙民達が肌で感じているだろうか。左派党も必要であるかもしれないが、それ以上に議会制民主主義への懐疑と批判の輪が広がることが望ましい。



参照:
グリンピースの活躍ヴィデオ
議会制民主主義と政治参加(PDF)、渡辺 樹(国会図書館調査局)
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制限域の自由な境界線

2007-06-08 | 
ハイリゲンダムのG8サミットの主人公は、具体的CO2削減目標が出ない限り、反グローバリズムの議会外活動家に違いない。恐らく、警備費用を含む人件費などをいれるとそれらの平和的活動を保障する警備費が、檻内のG8会議費用を上回るに違いない。膨大な公共投資の対象となった自由民主主義運動である。

カールツルーヘの憲法裁判所は、「集会の自由の制限」への強制執行を伴う判断を下さなかったが、自由な集会の出来る環境整備を提供出来なかった警備当局を批判している。この判断を受けてATTACは、柵へ向けての行進のプログラムを断念した。これは、民主主義の根幹にあるだけに今後も議論される。

その一方、平和的な議会外政治行動を催すとしても、更にその参加者が増え、国民的な大祭典となるとき、どうしてもその群集の挙動は大関心事となる。

ノーベル文学賞作家のエリアス・カネッティは、その大衆を幾つかの種類に分けて扱っているが、先ずここで当てはまるのは祭りの群集ではないだろうか。そこで言われる祭りの群集は、特別な目標を持たないのである。だから、飲み食いをして、祝祭的なときを共に過ごすのである。男から女へ、女から男へと、禁断は解かれ無礼講に酔いしれるのである。

それに対して、禁止された大衆を定義する。境界を引かれて、ダムが築かれて、禁止されることによって、行動目標が統一されて先鋭化する群衆である。その典型的な例として、労働放棄のストライキが挙がる。労働は手で行うもので、普段は様々な役割を与えられ分担して生産に当たっているが、それを放棄することで同じ目標へと向かうのである。それは、労働者だけでなく、その労働によって公共サーヴィスを受けている者までが、放棄によって、その日常を客観視することが出来るようになる。

それでは、ハイリゲンダムの保安境界の柵の中での祝祭と、檻の外での境界線の攻防とどちらが、明確な目標を持てるかと言えば、後者となってしまう。しかし実際には、前者においては米英と大陸の境界がハッキリと存在して、後者においては暴力イデオロギーに縛られた無法者が混在することから、禁止された集会の意味が弱まる。

先日見学したロルッシュは、カロリンガー朝からのベネディクト修道会とローマンカソリックのマインツ大司教区が覇権を争うこととなる。その境界石がそこにあった。マインツの支配を示す輪と修道会の十字がそこに記されている。

本日から地元の二週間に渡るワイン祭りが始まった。フロンライヒナムの祝日に。



参照:
エロ化した愛の衝動 [ マスメディア批評 ] / 2007-01-04
活き活き、力強く、先鋭に [ 雑感 ] / 2007-06-06
顔のある人命と匿名 [ 歴史・時事 ] / 2007-02-01
遥かなるラ・マルセエーズ [ 暦 ] / 2005-11-14
偉大な統治者と大衆 [ 文化一般 ] / 2005-10-14
ヒロシマの生き残り [ 生活・暦 ] / 2005-08-06
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石頭野郎にぶつけろ!

2007-06-07 | 生活
憲法裁判所が今回のハイリゲンダムでの集会の制限を認めたと言う。一方、千人以上が境界を越えて行進して、鉄道に座り込んだことから、この柵と緩衝地帯の弱点を曝け出した。

森の中を進むことから、接近に成功したデモンストレーションの波の顔ぶれを見れば、黒装束の極左セクトは一部となっていて、強行突破をする全体の運動方針が示されている。

当然のことながら、九千人と言われるデモ隊と保安当局との暴力沙汰はエスカレートしている。そして、檻の中へと向う鉄道や道路を座り込みで閉鎖したことから、ジャーナリストたちはタグボートで会場へと乗り込まなくてはいけなくなった。抗議行動の成果を示しているのであろう。

キリスト教民主同盟元代表理事ハイナー・ガイスラー議員は、今回の対グローバリズム抗議行動の主催者ATTACを変わらず支持して、メルケル首相に、このデモンストレーションを、G8のお客様たちの石頭野郎の何もわからんやつらにぶつけろと言う。

議員自らは豊富なアルプスでのクライミング経験から、喜んでリスクを被るが、計算出来ないのがデモンストレーションでもあるとして、現地で共にデモをしてトロキストの黒装束のアウトノーメンと共に警察に対して正当防衛として暴力を振るうことはないとする。しかし、ATTACの目標は、そもそもメルケル首相の主張と同じであり、1975年の反対運動とも大きく異なり、広く連邦一体となっている活動であるとする。

つまり、投石したりの暴力は決して受け入れられないが、私たちは皆、ヘッジフォンドや欲丸出しのフォンドが、巨額な利益を上げる一方でアフリカなどに多大な損失を与えると言う、経済や金融構造の中での暴力を受けていると主張する。

だから、開催国に係わらず、首相と一緒になって、「死体の上を行進するような経済」を阻止するには、統一的な国際秩序が存在しない限り多角的な条約を必要とするとインタヴューに答えた。



参照:
投資家の手に落ちる報道 [ マスメディア批評 ] / 2007-06-01
遵法的議会外政治行動 [ マスメディア批評 ] / 2007-05-30
緑のシンプルライフ推奨 [ 女 ] / 2007-03-04
エロ化した愛の衝動 [ マスメディア批評 ] / 2007-01-04
現況証拠をつき付ける [ マスメディア批評 ] / 2006-12-17
TOB期間を引き続き延長 [ 生活 ] / 2006-06-04
減反政策と希少価値 [ ワイン ] / 2006-05-18
脱資本主義へのモラール [ マスメディア批評 ] / 2006-05-16
覚醒の後の戦慄 [ 歴史・時事 ] / 2005-10-15
政治的東西の壁の浸透圧 [ 歴史・時事 ] / 2005-07-12
人のためになる経済 [ 文学・思想 ] / 2005-04-11
「暴動」の真実 (ハイリゲンダムサミットからの緊急レポート
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活き活き、力強く、先鋭に

2007-06-06 | 雑感
カロリング朝時代の壁画である。このユネスコの世界遺産に指定されているロルッシュ修道所あとの「王のホール」と呼ばれる建物の施工主なども、そもそもこの建造物が裁きに使われていたのかなどの用途も、定かでない。そこにある壁画である。カロリング朝が後に分家化した東フランク王国の文化の粋がここに見られる。

何れにせよカール大帝の孫に当たるルートヴィッヒ・ドイツ王もしくはルートヴィッヒ敬虔王の息子がここに葬られている。





この建物の施工年代を特定するために、荒壁に見つかった文字のタイポグラフから九世紀中盤のものと推測される。





そして別の壁に描かれているのは、音楽をする天使達で、フィードル・リュート・竪琴・ホルンなどが見て取れる。しかし、その横の中壁には、どこからか持ってこられたブルータスの腕の彫刻が建造に使われて掘り出されて散見出来る。

そしてこの建造物の現在が示す珍奇な様式は、その復元再合成の好い加減さにも責任があるようだ。珍奇な形態は、何もそこにだけあるのではない。ハイリゲンダムG8サミットで抗議活動を催すATTACと称する団体の28ページに及ぶ行動プログラムにもあるようだ。特のその中の過激派グループ「アウトノーメン」が息を吹き返したようで今回注目されている。その黒装束グループは、その投石などから警備と活動家の双方1000名負傷の責任を負っていて、「お引き取り願いたい」とATTACは声明を出したが今後もフーリガン騒動は続きそうである。

ネオナチグループと共にこうした共産主義セクトは、その思想から暴力テロ傾向が強いとして、内務相公安によって監視されている筈だが、こうした暴力沙汰をどうしても許している。左派党も一線を引く表明をしたのは当然で、こうした暴力集団には旧東独スタジの面々や旧西側極左過激派の流れもあるようでその暴力革命思想自体が、ネオナチ暴力思想同様に、犯罪思想である。

それでも、遵法的なグローバル化反対市民運動は、ケルンで始まった独プロテスタント大会で強い支援と支持を受けている。代表委員で嘗てのザクセン・アンハルトの首相ヴォルフガング・ヘェップナーは、「限定された領域で人々を蝕むネオリベラリズムにグローバル化を任せることなく、政治的な責任をアピールしたい」として、ケーラー大統領のみならず、柵の中でG8会議をするメルケル首相が、抗議活動者と週末に合流して「世界の中の欧州」を話題にして討論することを評価する。そして、「グローバリズムの償いと公平な国際経済秩序を求める」。

今回の教会の日は、「威厳溢れる力」をモットーに、スローガンを「活き活きと、力強く、先鋭に」と掲げる。これは以下のヘブライ人への手紙4章12からの引用である:

― というのは、神の言葉は生きており、活動していて、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを引き離すほどであり、心の思いや志を見分けることが出来るからです。―

...この神に対して、わたしたちは自分のことを説明しなければいけません。― 同4章13



参照:
石頭野郎にぶつけろ! [ 生活 ] / 2007-06-07
遵法的議会外政治行動 [ マスメディア批評 ] / 2007-05-30
適切な国の責務とは? [ 歴史・時事 ] / 2007-06-02
朝食ドイツパンの衝動 [ 生活 ] / 2007-05-23
キラキラ注がれる水飛沫 [ 暦 ] / 2007-06-05
ハイリゲンダムサミットからの緊急レポート
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キラキラ注がれる水飛沫

2007-06-05 | 
ユネスコディーで各地は賑わったようだ。その地の一つ、ロルッシュに午前中の教会合同オープンエアー礼拝から詰掛けた。独日協会のスタンドが出ることから、特別に無料のガイドを得る事が出来たからである。

オープンエアーの礼拝は、ユネスコに登録されている一部である「王のホール」と呼ばれる世にも不思議な様式の大門状の建物の前にベンチを並べて催された。

カトリックの若い神父とエクメーニシュの女性神父にプロテスタントの牧師が交互に式を進める。どうしても最大公約数的なミサ式次第になるのは致し方ない。また、全キリスト教会的な連帯を強調すればするほど、その領域を閉じてしまうことになるので、それはそれで窮屈な感じがする。一神教の是を告白するのは当然であるが、それはそれで今一つ暈けた印象が否めない。

その反面、女性によって空に十字が切られるのは、それなりにはっとさせられる。オープンエアーと言う効果を得難い状況の、降り注ぐ強い日差しの下で、「洗礼と潜水」の話から、水が扱われる状況は、それでもなかなか秀逸であった。

聖水を少女が注ぎ、神父が掌で聖杯へと移すときの、水飛沫に強く跳ね返り輝く日差しが、カトリックミサにおけるサンクテュスの秘蹟に代えられる。映画好きなどには、主人公などが河原で水飛沫を盛んに上げる光景などが浮かぶかもしれない。

そして其々の神父や牧師の手元へと聖水を受けに行く列から見て圧倒的に元来のカトリック信者が多く、あとは女性神父の所よりも幾らか多くが牧師の元へと集まっていたぐらいである。

神学的な対立だけでなく、政治的な相違を越えてと言う説教になっていた。しかし、本物の政治の世界では、合同以上に重要なのは、議会制民主主義への批判でしかない。

G8サミットの安全を意図する、100億円を越えると言われる隔離壁を巡って、厳しい批判が飛び交っている。ショイブレ内相の病的なまでの処置は、その全長30KMに及ぶ柵をして、またその検問所をしてチェックポイントチャーリーなどと呼ばれている。このようなことをしていると、特に第二党の社会民主党には選挙で大きな鉄槌が振り下ろされることであろう。

さらに、そのから6KM以内のデモンストレーションの禁止を地裁が認めた事から憲法裁判所でこれが判断される事となる。地域的なデモの禁止は保安上の意味を認めれば理解できるが、なにがなんでもこの距離は甚だおかしい。これを認めると、天安門広場でのデモ禁止と同じような社会に成下がる。

議会内から、野党、緑の党だけでなく、自由党の方からも憲法判断を呼びかける声がでており、議会制民主主義と議会外の行動の意味を改めて検問しなければいけないだろう。

ここでも盛んにデモ行進に向けて「政水」の放水がキラキラと光を反射させているのだろうか。
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歯脆シュパーゲル食納め

2007-06-04 | 料理
十日ほど前にアスパラガスを食した。食べ納めに、飽きてきたこともあり、古くなったものを焼いた。所謂ベーコン巻きにして食したのである。

それよりも随分上等なものを、5月の始めにワイン醸造所の蔵出しレストランで食した。そのときはロース牛肉ステーキのつけ合わせとなっていて、歯脆い食感を愉しんだのであった。その分牛肉は硬く、年寄り向けではなかったが、文句を付けるほど筋があった訳ではない。油につけるなどの下拵えを怠っていたのであろう。

さてベーコンと言ってもシュヴァルツヴァルト産の燻製豚肉を良く焼いて、粗茹でしてある白アスパラガスに捲いて、強火でさっと炒めるのである。

食感も緑のアスパラに比べて繊維が歯脆くて、なかなか良いものであった。
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自由民主の連邦共和制

2007-06-03 | 歴史・時事
承前)ドイツは、遅れて植民地主義へと進んで行く。中欧において安定した重しとなったドイツのビスマルク時世以降の展開に「自由民主主義」と「中欧における国の統一」の意義を、ヴァイツゼッカー元大統領はこの演説で探って行く。

重要な列強の一つとなった新ドイツ帝国は、植民地と海外覇権にその課題を写して行きます。平和な桃源郷と思われたドイツは、覇権と栄光を求めて、スタール夫人の名付けた「思索の古里」は、失われました。

私達が知っているハムバッハにおける国の形成は、背後へと追いやられたのです。国の祝日が、フランスでは民族解放の自由への戦いの7月14日 « quatorze juillet »であるのに対して、そこでは近隣諸国への勝利を祝う日であったのです。ナショナリズムの勃興です。それは、他の国に対しての優越感を感じる重要な国であることとなりました。自国が覇権を持つことが、ドイツに知的所有権がある訳ではなく、ただ遅れてきたこのナショナリズムの部分所有者であっただけなのです。「民族をその自由のもとに纏めるとする国の意味」は中毒して、国の名のもとに自由は危機に曝されるのです。

帝国を求めた国の一つがドイツとなったのです。第一次世界大戦の勃発理由としてチャーチルが名指したものです。英国が帝国を寡占した訳ではありません。しかし、それに挑みかかったのがドイツであり、近隣国は一致してそれに対抗するようになります。第一次世界大戦の勃発です、そして最後にドイツは征服されます。

賢いアメリカ人ジョージ・ケナンは、大戦の勃発を「啓蒙された世界の源破局」と呼びました。実際勝者の自意識は極度に強化されて、ドイツのそれは地に落ちました。欧州の解放と充足以上のものに見舞われたのです。アメリカ大統領ウィルソンは、90年前にハムバッハにやって来て、偉大な行いを敢行しました。ポーランドの独立を助けたのですが、彼の国は諸国の統合へと参加せずに、孤立化への道を歩みます。敗北のドイツにおいての共和制への移行には、行動的民主主義の力と数は、あまりにも弱く、小さなものでした。

陣営は、極右と極左に激しく別れ、人種主義のヒトラーが台頭したことが第二次世界大戦へと導き推移して、破滅を向える。そこでも「ドイツがまだ何かを意味する事が出来たか」と元共和国大統領は尋ねる。

それでもドイツ国は存在し続けて、分断されて、二つの東西の境地に不幸にも別れながらも中央の真ん中に位置して、ドイツ問題として諸外国をも含めて再び課題となるのです。

そこで初めて、1832年にハムバッハー祭りで、政治的具体性も無く叫ばれた、「欧州連邦共和制」と「自由への希求を共にする民族」の一つの欧州が目標となるのでした。連邦共和制は、ただ国を通してなされるとするハムバッハを満たしていた基本がここに確信となるのでした。

ハムバッハー祭りの市民には、先ず国ありきそして共に発展してのヴィションが欠けていました。自由の希求への信仰が、唯一つのそれだったのです。絶えず強権を翳して競争する諸国とその連合は、それではありませんでした。その様に、欧州連邦を運命つけた、幻想以外のなにものでもない、ナショナリズムへの道が示されたのでした。諸国の協力こそが将来への唯一の道と、国の政治家が戦争の教訓を通して目を開くようになったのです。

そして、あの自他共に認める帝国主義者チャーチルがヤフタ会議後の1946年にチューリッヒへやって来て欧州合衆国を提唱したことが語られて、その後の西欧がヤフタ会議に関わらず自主的に形成されていき、さらに1975年以降市民運動として東欧もそれに加わって来たことが回想される。そして、エルンスト・モーリッツ・アルントの言葉が掲げられる。

「一体祖国ドイツとは?」に、明確に自由民主主義憲法をその基礎に置くのです。私達は、隣国に統一を強制などしませんでした。そうではなく彼らの意志によってなされたのです。2004年5月には、東から南東からの民主的政府の欧州への参加も、私達ドイツの特筆される働きによってなされたのでした。そのように連邦欧州への道は均されています。私達ドイツ人はその中央にいるのです。ロシアと中国を除いてこれほど沢山の九つもの隣人を持つのは私達だけです。ですから私達の歴史は一人のものではありません。そのようにそれは外から内へと内から外へと発展して行きました。今日、どの隣人も私達を恐れていませんし、私達も誰からも脅かされていません。これを以って、ドイツの歴史的な開かれた問いに回答が得られました。

もう一度、1832年のハムバッハー祭りへの記憶は、それが無意識にしろ意識されたにしろ、蘇ったのです。その大きな目標である、自由、統一、欧州は、今日ほどそれが生命を持つことはありませんでした。当時の大きな市民の集会と要求を、注意と考察を以って、ハムバッハの思考を私達の課題として意識し続けてこそ、それは初めて活かされるのです。

こうしてリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元大統領の演説は閉じられたが、嘗ての有名な「荒れ野の40年」の演説と比較するまでもなく、現在のドイツ連邦共和国の置かれた立場と確信と自信に満ちた自由民主主義の社会が表出している。それはEUにおける立場でもあり、世界における立場でもある。同時に、自由民主主義は絶え間無く希求されるもので、それは発言の自由などの「権利や制度」として 必 ず し も 保障されている訳で無く、あくなき市民の民主的行動によって保持されることを明白にしている。同時にそれが民主主義国の成り立ちであり、議論と行動無くしては、存続し得ない事をも示している。欧州連邦が現実的な政治課題となる現時点において、民主的な政体を通しての連邦共和制構想が、自由民主主義的な基礎をもつ必要をここに確認出来るのではないだろうか。
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適切な国の責務とは?

2007-06-02 | 歴史・時事
(承前)「市民の自由への希求は、ハムバッハー祭りの時代と比べて、今日しばしばさらに先鋭化する次ぎなる課題を導くのです。市民の安全を護る国の義務と市民の自由への憲法上の配慮が相反することになるのです」とフォン・ヴァイツゼッカー元大統領は演説を続ける。

私達は皆、民主主義が破壊される幾つかの兆候を、国境の解放、グローバリズム、テロリズムの恐怖に見ています。市民の自由が自らの保護のためにではなく不適切に制限されるとき、「自由市民の保護は公正であれ」と言う大変大きな責務を担っております。その適切に関しては、盛んな議論があるのです。これが大切なのです。

これは、私達の自由を理解する良い兆候で、ハムバッハでの重要な演説を読むように理解をするのです。ハムバッハーの遺産である 適 切 な 処 置 を伴なう自由の目標は、私達にとっても変わらぬ生きた課題なのであります。

しかし、1832年のさらなる合言葉は「自由と統一」であって、諸外国に励まされて、自らの国に求めた自由とは、ドイツにとっては些か違うものであったのですと続ける。

一体ハムバッハーの主張とは、何だったのだろう?先ず統一か、そして統一されたなかでの自由だったのか?それともです、自由は道具として先にあり、それを以って統一を可能とするのか?この当時の疑問を追えば追うほど、ハムバッハーの主張を現在にも活かしていかなければいけないことが益々はっきりとしてくるのです。

それを見るには、1806年ヴィーンにおいて神聖ローマ帝国の王冠を皇帝が降ろしてから、過去二百年のドイツの歴史をざっと見る必要があるでしょう。ナポレオンがロシアのツァーの力を使って古い世界を征服して、ヴィーン会議にフランス王を向えた時、ドイツはどうだったのでしょう。オーストリアとプロイセンがかなりの絶対君主へと進むのです。「統一」と「自由」は?そしてドイツ連邦は、中欧で殆ど意味を失っていました。それは、中欧の共通の願いとして、求心力を持つのではなく、ある程度の秩序を意味していたのです。

そして産業革命が徐々に始まり、自由主義へと流れは移って行きます。統一と国への願いは高まる。ここから元大統領は、スラヴ運動やヤーンの活動を挙げて所謂民族主義的な傾向を客観視すると共に、「民主的共和制」の勃興にハムバッハー祭を組み入れる。つまり、「日々の市民の、各々が自由に共生するために、どうすれば良いかの判断が国」であると言明する。これが、後にフランス人ルナンが言う« La Nation est un plébiscite de tous les jours »である。

そこで相成った旗印が三色旗であるとするが、金色が神聖帝国を表わすとする説からすると若干異なる意見でもある。シラー百年が盛り上がり、フランクフルト国民議会は、成果の出なかった1948年革命同様に、希望を持って開かれたが、ここでも成果は出なかった。ベルリンの王家は、国民から王位を授かるよりも選定候からのそれを欲しがった。

そしてビスマルク時代が来るとするが、既に演説のはじめに詩人クライストのロマン思考やシラーが処したように、革命的なナショナリズム的な民族主義的運動としてそれらをここまでの史実として一括しているのである。

そのビスマルクにとっては、ナショナリズムの声は、推進するものにはならなかった。大ドイツ主義に対してヴィーンを抜いた小ドイツ主義を採って、血と鉄のみならず、プロシアの主導の下ヴェルサイユ宮殿にて、小ドイツが発足する。やっと、重要な近隣の諸国に遅れて、ドイツがやってくるのである。

これで、「ドイツとは」との開かれた問いに回答しているでしょうか?バランスと中庸を採ったビスマルク以上に、東西の狭間となるドイツ帝国の置かれている地政学的位置付けを熟知している者はいなかったのでした。それは、欧州の中心にある枠を越えることなく存在すべきなのであります。(続く



参照:
推定無罪の立証責任 [ 雑感 ] / 2007-04-21
秘密の無い安全神話 [ 雑感 ] / 2007-02-11
顔のある人命と匿名 [ 歴史・時事 ] / 2007-02-01
煙に捲かれる地方行政 [ 生活 ] / 2006-12-12
イドメネオ検閲の生贄 [ 音 ] / 2006-09-29
自尊心満ちる軽やかさ [ ワールドカップ06 ] / 2006-07-12
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投資家の手に落ちる報道

2007-06-01 | マスメディア批評
去る5月26日、ハムバッハー175年祭の記念に、キリスト教民主同盟のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元大統領が当地で演説した。ワイン街道のノイシュタットには、この期間一万一千人の人が集ったと言う。州首長で社会民主党のクルト・ベック党首がこの主賓を迎えて開会された。

各報道は、G8サミットを控えた現在進行形の話として、中欧自由民主主義のメッカであるハムバッハ城での演説を伝える。

175年後の今、ハムバッハー祭りは、私達とどうした繋がりがあるのでしょう?多くのドイツ人にとって、フランクフルト国民議会は栄光ある歴史の一瞬となっているにも係わらず、当時はバイエルンであったラインプファルツのハムバッハでのドイツ史上唯一無二の市民的行動は、未だに殆ど知られずにいるのです、と演説を始める。そしてそれを迎える歴史的な背景が語られる。

世はナポレオン戦争終結を受けて、1815年のヴィーン会議で革命以前の状態に戻されることとなったが、既にプロイセンは革命の影響を受けたシュタイン・ハルデンベルク改革を終えていて、ナポレオンへの戦いの敗北を通して封建制から近代へと進んでいた。その反ナポレオン支配への戦いにおける憲章がそのまま生きていたと言う。しかし、新秩序体制におけるメッターニッヒの指導に、市民と王権が大きく別け隔てられる。

そしてその復古体制への反感からパリで1830年7月革命が勃発してオルレアン候が権力を握り、ポ-ランドの蜂起へと移り、特にドイツ人を刺激した。それは、ベルギーの独立へ、スイスのカントーンの憲法改正、英国の選挙法改正へなどと飛び火して行く。

そのような状況下にノイシュタットに集った出版人、役人、自由学生連合、学生、職人、農民など三万人が、ノイシュタットの町広場からハムバッハ城へと、自由、人民主権、選挙の自由、出版の自由、集会・発言の自由、男女同権を求めて行進した。

ヘーゲルの言葉、「フランス人は物事を行って、我々ドイツ人は哲学する」が覆される。

しかしその後、ハムバッハの雰囲気と維新への逆風が吹き、フランクフルトの国民議会がプロイセン軍に制圧されていく。

その過程をフォン・ヴァイツゼッカーは、今日の問題として発言する。つまり、この維新の火付け役であった出版者は、革命的な民主主義者であり、出版とジャーナリズムへの使命を持って、「検閲こそは出版の自由の死であり、憲法はこれを以って朽ちる」と反発する。印刷機が政府によって封印されたとき、パン焼き窯を封印されるのと同じで、これらは、民主主義にとって、出版の自由と日々の生活には欠かせない物だと訴える。

私達は、今日に至るまでこの契機と蜂起をメディアの自由としてなぞらなければいけないと語る。私達が、この機にメディアの自由を呼び起こすとき、今でもこの自由こそが必要な諸外国があり、自由な発言や情報、特に出版に圧力がかかる時、私達は真剣にそれに立ち向かうのです。そのような今日の例を誰もがご存知です。

私達自身のことを振り返れば、ハムバッハー当時の政府の干渉や拘束のその事情とは異なりますが、それでも今また、商業における資本主義が出版に重く圧し掛かって来ているのです。

私達が必要とする情報や真面目なコメントは、どぎついエンターテーメントが正面に押し出される時、いったいどこに残っているのでしょうか?視聴率や出版部数が追い求められ、利潤がジャーナリスムを席巻する時、その出版の自由の質はどうしたものでしょうか?「悪いニュースは良いニュース」はいったい誰のため?

メディアへの需要は、私達にとって消費に違いありません、しかしです、その核は民主主義の力ではありませんか。新聞社が投資家の手に落ちた時、たちまちその目標は利潤となり、容易に売れるポピュリズムの影響下に公益が曝されるのです。

私達は皆、生涯を通して学習と情報を、信用おける情報と注意深い論評に頼っているのです。出版の質は、民主主義に欠かせない公益なのです。しかし、その道は細く容易ではありません。

市民の正当な要求として、市民の私生活にメディアのスポットライトが当てられるとき、そこではプライヴァシーが暴かれ報道され、商業的な成功が残るだけなのでしょうか?他方、ジャーナリズムの調査や追跡は、先頃の憲法裁判所のチチェロ判決で新たに強化されて、取材元の守秘義務としてジャーナリストは法的に護られることになっています。ジャーナリストの好奇心溢れる正当な調査活動は、それがセンセイショナルな一方的な成功が目されない限りにおいて、受容出来ると言うよりもむしろ理解されるものなのです。

ですからこの地で当時演説されたその主要テーマは、私達の今日の自らの民主主義においても重要な意味を引き継いでいるのです。(続く



参照:
SWRラジオ
演説から中継抜粋
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