Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

取違た偽物に身を任かす

2007-06-25 | 
「いいえ、手を禊ぐ、冷たくて清らかな水が、疎ましいのです」 ― 多和田葉子は答える。

樺太の丘陵にあるスターリン時代のコンクリートで出来た無骨なサウナ小屋の裏へと廻りこんで、案内のロシア人が湧き水のせせらぎへと誘った時である。そして、米国を訪ねる女流作家は、ニューヨークの14番街で会うロシア人の友人の前で、彼女の婚礼に参加できなかった米国の政治社会事情を言い訳として取り繕うのを疎ましく思う。

1979年ナホトカでの初めての入国のパスコントロールの記憶と、稚内の風景に、ニューヨークでのロシアンサウナでの状況までが入り乱れる。そこの古いサウナでのピューリタン的な秩序で執り行われる、濡れた樫の葉を振るう光景が、そして神道のお祓いに重なる。

十三のエッセイからなる新著「SPRACHPOLIZEI UND SPIELPOLYGLOTTE」の最も長い章「U.S.+R.S. 極東欧州のあるサウナ」で取り違えられるのは、それだけでなく次のような地名である。

稚内は、ワッカ(輪)がナイ(無い)となり、札幌がアイヌ文化の余勢を借りて、「さっぱり」や「うっかり」と響くように、これが「おっかない」と変容させられる。

同様な例は、パウル・ツェラン研究から、「Bettstatt」の文字から二つずつ並ぶTの文字が十字架へと引き継がれて、漢字の草冠を二つ以って同時に四つの十字架に見える「薔薇」へと引き継がれていく。「アーモンドを数えろ」では、またもや数える「bitter」なものに「苦」い二つの十字架を見つけてしまうのである。

そのような見違いは、アルファベットのOとアラビア数字の0との間にもあり、西欧から見て東にあり、極東からみて西に挟まれるインドのこの発明品は「無」となり、それは測ることの出来ない時間の「間」となる。近東を挟んだ西洋と東洋の対決は、軸をずらす事で尽く避けられる。

神田を散策する有名な文章に於ける「レモンの酸味に溶解する東京の日常」に、「風水」にあるような、見えない四面の壁を想起する。それを、「日本の住居」の章で語られる、選別された物が並べられる典型的なドイツの住居をショールームのようだと揶揄して、プライヴェートな空間と考える。そして、それを、過密な東京において、皮膚の延長にある仮想の個人的空間だと定義する。

ある学会で出会った宣教師が、「荒野」の意味を質問に自嘲ぎみに答えたとき、この作家は、「荒野無き救済は無い」、「他所者は救済されなければいけない」のだと、そして、「この姿勢の肯定的な面を一般にヒューマニズムと呼ぶのだ」と悟る。

その姿勢を、東西の二項対立の暴力として断罪して、それから逃れるために、だから目線の軸をロシア・シベリア、ニューヨークと移していくのだとする、一方では明治維新の「一神教の信仰の自由」への庶民の戸惑いを思い出させる。

そして、パラダイスはと聞かれると、些か疎ましい気がすると述懐する。なぜならば、「ユートピアが始まるところと、パラダイスの終わるところの間の生を狭く感じるからだ」として、そこに「無」と「間」を挿入する。

こうした様々な文脈を以って文化が語られるエッセイである。当初から、甚だ野暮で単刀直入な疑問として、「一体誰が、この綺麗に植物の意匠に装丁された、ドイツ語の書籍を手に取るのだろうか」、「日本語からの訳もしくはその発想からの記述であろうか」との声が聞かれた。同時に、朗読会を終えて、文章からは理解できなかったが、遥かに楽しめたとする反響も見た。

この内容を、文化のずれた視座から放つ光明とするかどうかは、また別な事象である。全編を貫く観念連合の輪や読ませる言葉遊びの面白さや取り違いの面白さが、この 未 知 の女流作家の作品に、如何ほどの威力を放たせるのかは皆目判らない。

その不明さは、自身が語る「自分の置かれている状況を判断したり、その条件を批判することが出来なかった。一体、何と比べよと言うのだ? パラダイスもユートピアも知らない。...私の無批判ぶりは、しばしば礼儀と思われたのである」に顕著に表れているだろうか。

ゲーテの「野ばら」の訳詩を挙げて、著者本人が記すように、日本の音楽教育の日本の伝統的でも、欧州の本物でもないものへの批判に賛意を示して尚且つ、「子供時分にこうした誤りの音楽教育を享けれて感謝している。なぜならば、それはポストモダーンにおいて重要なテーマである 偽 物 で、それに身を任せれたからだ」と告白している。



参照:
青い鳥が、飛び交うところ [ 女 ] / 2007-06-22
法に於ける信教の自由 [ 歴史・時事 ] / 2007-06-23
辺境のとても小さな人々 [ マスメディア批評 ] / 2007-04-11
絵に画いた牡丹餅 [ BLOG研究 ] / 2007-03-18
そのもののために輝く [ 生活 ] / 2006-11-13
An der Spree (PDF), "SPRACHPOLIZEI U. SPIELPOLYGLOTTE" Y.Tawada
SWR2 Buchkritik (DOC) von Lerke von Saalfeld
Die Pflanzenwelt der Buchstaben von Georg Patzer
Yoko Tawada (Konkursbuch)
観念連合 ―
でも、それ折らないでよ [ 文学・思想 ] / 2007-01-26
引き出しに閉じる構造 [ 文学・思想 ] / 2007-01-11
帰郷のエピローグ [ 暦 ] / 2006-12-10
蜘蛛の巣と云う創造物 [ BLOG研究 ] / 2006-04-21
手触りのよい本 [ 文学・思想 ] / 2006-04-09
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