Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

自由主義経済の米騒動

2008-09-15 | マスメディア批評
日本の事故米騒動は幾つかの体験を思い起こさせる。先ずはBSE騒動である。あれは日本では米国肉の輸入問題として政治化しただけで、食品の安全性から社会と行政への信頼感を揺るがした連邦共和国ほどに問題にならなかったのだろう。

それは日常的な食生活においての牛肉の利用範囲の相違によるのだろう。たとえ、発病などは殆ど確率的には低いながらも、牛肉が原料としてあらゆる場所に使われていた事を知って愕然としたのであった。牛肉を殆ど食する事のないドイツ人家庭においても、例えば黄色色をした腸詰や白い腸詰などにはまさに牛の脳が使われているとなって、肉屋で売られるそれだけでなくスーパーで売られる加工物のそれらも材料の追跡が必要となった。

更に、ジェリーとして主要材料として混入する可能性の高いゴム菓子やジャム類そして多くの加工商品などが注意深く審査される事となった。ハリボ社は今でも健在であるが消費量は落ちているに違いない。

牛など一生食べなくても生きれると思っている家庭は少なくはないであろうが、実際はそれを原料とした食生活から逃げる事はなかなか出来ない。

それと同じように日本の米の安全性に疑問が投げ掛けられるとき、今回話題となっている蒸留酒の焼酎の酵母としてのみならず醸造酒であるビールや日本酒、菓子類その他あらゆるところに使われているのが廉価な米に違いない。先行する十分な情報の開示がなされなければ拡大必至な風評被害は避け難い。

オーストリアワインを筆頭にした不凍液混入事件で未だに風評被害の影響をドイツのワインは被っている。要するにこうした世界市場で不名誉なイメージを取り返すには四半世紀以上も努力と時間が掛かる。

自由経済機構が日本では働いていない証拠として、既にここでも挙げた理不尽な価格設定に関して、日本の民族系石油会社の出光興産が月二回の卸売り価格の設定を週単位にすると発表したらしいが、何故毎日にしないのだろうか?読売新聞などは「消費者の戸惑い」を心配しているが、こうした所に口だけの似非(新)自由主義振興のジャーナリズム振りが表れている。何故に週平均などをとらないといけないのか?、独自の経済構造の恩恵は?、消費者が即物的に経済を見れないのか?、の視点が故意にか欠落している。それは米国の支援を受けながらも同じ狢で自らが利権構造の真っ只中にいるからなのであろう。

市場原理が正しく巧く機能しないところには自由経済も自由主義も育たない。



参照:
芋焼酎はあんまり好きじゃないけど,
農水省のやり口は、一大スキャンダルだ ("Today's Crack")
行列なくなる?ガソリン価格毎週改定へ…元売り各社 (読売新聞)
腹具合で猛毒を制する [ 生活 ] / 2008-01-17
破局へと葬られるもの [ 歴史・時事 ] / 2006-03-03
政治的棲み分けの土壌 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-09-22
理想主義の市場選抜 [ ワイン ] / 2006-11-23
グランクリュ解禁の反響 [ ワイン ] / 2007-09-14
VDPプファルツへの期待 [ ワイン ] / 2008-01-07
新自由主義社会の道程 [ 雑感 ] / 2008-08-30
浮かぶ、あり得るべき姿 [ 歴史・時事 ] / 2008-06-08
脱資本主義へのモラール [ マスメディア批評 ] / 2006-05-16
覚醒の後の戦慄 [ 歴史・時事 ] / 2005-10-15
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2004年の夏のお天気

2008-09-14 | 
雨が振ったり止んだりしている。三日周期ぐらいだろうか。典型的な秋雨のシーズンとなってしまった。ワイン街道では来週早々早生の葡萄の摘み取りが予定されているようだ。

朝霧が予報されていてもそうはならなかったしばしば雨模様の木曜日の時点では、月末までは順調に生育してほしいリースリングはまだ十分に健康であった。

名うての地所、ペッヒシュタイン・ウンゲホイヤー・キルヘンシュトック・イエーズイテンガルテンなど念入りに調べた。素人目には、少なくとも過去二年とも異なり、その出来上がりから六月からがとても暑く七月には泳ぎに行った2005年とも違うような気がする。その頃試飲した2004年産はグレープフルーツの味や苦味が頻繁に記述される。記録を見ると下のような記述が見つかった。


2004年07月20日 「もっと光を」

気温が30度に満たなくとも、入道雲が発達している。これも十分に温まっていない大気のせいである。雲の量が多いので、冬の氷河スキー場のような光量の印象である。「もっと光を」と芸術家ならば叫ぶであろう。ドイツワインファンの向きは、少々大味であろうとも猛暑の2003年産のものを安く買い込んでおくべきだろう。2004年産の葡萄の今後の成長は誰も予測出来ないが、この二つのヴィンテージの対照は甚だしく大きいだろう。自然の恩恵を受けるワインだからこそ、この差が確りと出るのである。


2004年08月13日 「晩夏の雷鳴」

昨夜の雨で冷えた。窓を開け半袖では就寝出来なくなった。長袖に着替え、窓を閉める。本日も通り雨の過ぎた空は青く、夏の終わりを告げるかのような雷が鳴り渡る。氷で冷やしたカクテルやシャンペンよりも、ウイスキーやワインが美味くなる。今晩はまだ陽の落ちきらないワイン畑を眺めながら、久しぶりのスコッチを片手に過ぎ行く夏を惜しみたい。


2004年09月30日 「菊日和の浮世床」

床屋の親父の息子は、オクトーバーフェストに出かけ天気が悪いのを嘆いていたという。ヴルストマルクトの花火師は、第一週がイタリア人で第二週が世界花火チャンピオンの日本人だったと聞き知る。前者は、色彩が素晴らしかったと伝えられているが残念ながら見ていない。第二週は、先週報告した通り工夫と創意に富んだ花火であった。すると意匠となった菊も文化的、植物学的に調べてみると面白いのだろうがそれはそうとして、薔薇の方は俄然西洋的である。表裏一体の薔薇と菊。薔薇は、ロザリオの祈りと言わずとも教会の薔薇窓にもみられるように、その文化的記号は中世へとさかのぼる。其れは、処女マリアを、ヴィーナスを、アフロディーテを越えて女神イシュタールを表して、バビロン・シュメール・エジプト・メソポタミア文明を源とするという。このイシュタールまたはイシスは、金星のそして豊穣の女神として、母胎をも象徴する。更に八弁の薔薇の図柄から八葉蓮華の胎蔵曼荼羅の仏教美術へと思いを馳せる。数の魔術も手伝ってアラブのモザイクの影響である薔薇窓といい、古代中近東の広範な文化的影響を認めないわけにはいかない。花火を見て、先日のパルシファル新演出でバイロイト祝祭劇場に映し出された、アジア大陸の大河のようにれんれんと輪廻転生して広がる薔薇の花弁を思い起こしたのも強ち的外れでもないな。などと考えながら、いつのまにか鋏の音も遠のいて、菊日和にうとうとしてしまうのだった。

その年、六月から温度は高かったようだが結局はあまり暑い夏とならなかった。

2008年度産はこのまま推移すれば、2004年度産よりも熟成していて尚且つ酸味も利いているように予想する。健康に摘み取りできれば結構期待出来る。
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郵便貯金の分け前と負担

2008-09-13 | 雑感
小口口座数ではドイツ一のポストバンクの三割の株式をドイツェバンクが取得した。この事から残りの株式取得の優先権を持って、遠からず民営化された郵便貯金は買収することになった。株式の暴落が、長く継続していた買収交渉に拍車をつけたとある。

これにて先日のコメルツバンクによるドレスナーバンクの吸収に続いて、ドイツの銀行が世界的競争力を得る構造改革の布石が出来た。民間両銀行の吸収作業については、吸収された方から本日郵便にて個人客に宛てた重役署名の手紙を受け取った。そこでは今後合わせて1200の国内最大の支店数のネットと、アリアンツ商品の扱いの継続を挙げているが、それよりもなによりも本格的な業務移行に伴って人員の整理と効率化による業務向上を期待したい。

それに対して、ドイツェバンクのポストバンク吸収はもともとも主力市場が異なるので容易ではない。個人客の顧客層の違いや、現在も人員として配属されている郵政役人やその業務の相違は甚だしく、既に興業銀行と裕福層の個人客銀行としての両立に試行錯誤を繰り返しているドイツェバンクがポストバンクの業務領域を十分に今まで欠けたいた領域として生かし且つ収益率に結び付けて行くのはなかなか難しそうだ。

コメルツバンクは、調印に至るまでの二月間を六十人の調査専門家にドレスナー銀行の帳簿を調べさせたと言うが、ドイツェバンクは何もしていないと言う。経営上それほど悪い要素が隠されているとは思わないが、元々が公共機関であっただけに、民間では思い掛けない面倒な事も存在するような予感もあり、全てが出尽くすには時間が掛かるであろう。

そして移行が順調に進んだ時に、今度はその個人客市場における地方自治体の貯蓄銀行や農協銀行との競争が、一方では世界戦略が最も重要なドイツェバンクにおいてどのように位置付けられていくかが興味深い。



参照:
買えるときに買う投資 [ 雑感 ] / 2008-09-04
新自由主義社会の道程 [ 雑感 ] / 2008-08-30
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自嘲自虐的アリバイ映画

2008-09-12 | マスメディア批評
「たそがれ清兵衛」と言う映画をシネマに見に行った。映画は数年に一度ほどしか観ないので、珍しい事だが、予想以上につまらなかった。

山田洋次監督は何ゆえ「男はつらいよ」以外の映画を撮る必要があるのか分からない。松竹映画を儲けさせるためであろうか、それとも永年貢献のご褒美か。独第二放送で観た「愛に言葉は要らない」などはなかなか良い作品であったが、こうしたものをTV映画でなく金をかけて劇場映画で撮る必要があるのかどうか大変疑問である。

何よりもあまりに故意に平面的な月山かどこかの山脈の映し方が気になり、挙句の果ては「富士山の意匠」の松竹映画のそれまで安物にしか見えなくなったのには我ながら驚く。どうしても大画面で見る限りは期待してしまうのであるが、映像的に非常に安物臭くて仕方ないのである。

実は「男はつらいよ」の風景などに今は既にない日本の風景を楽しんでいたのだが、あれも精々小さなモニターで見ておけば十分だと言う気さえして来た。「寅さん」は映画館に見に行ったことがあるのだが、そのときの印象よりも今回は遠く遥かに酷かった。

それにしてもアカデミー賞外国語映画賞など一体どうした運動を繰り広げたのだろう。それともそれは戦後一貫して続いたアメリカ人の日本文化戦略の一部なのだろうか?

藤沢周平の原作に問題があるのか、それとも山田洋次の脚本に問題があるのか判らない。宣伝文句にあるように「現代の日本人に失われてしまった心」とはなんぞやと伺いたくなるのである。メーキングフィルムをYOUTUBEで見て知っているのだが、「婦女子への教育」や「自分で考える」、「生と死をかけて」など男女平等の思想と啓蒙主義や平和主義の表現に、こうした生の安物の形に思わず出来の悪い新劇の世界を思い出してしまった。

監督は、「登場人物と同じ視線で感じたり考えたりしてほしい」と言うが、それはどのような観衆に向けた言葉なのだろう?その日暮らしの虫けらのような農民やお小姓に、虐げられ規範の中に生きる女に、事勿れの下級武士の悲哀に、己を重ね合わせなければいけないのは一体何処の誰だ?各々の先祖に思い当たって、共感を得る事が出来るその想像力を賛美しようというのか。それとも、そこになんらかの現状認識があるのか。

知識も同志も無い労働者諸君に、職場でもお茶汲みを強いられる女子職員に、教養も素養もない安サラリーマンや小役人に、一寸したお節介な警句が浴びせかけられているのだろうか。

それでも、時代背景を移し換えた換骨奪胎を、家老直々の「上意討ち」の依頼とアフガニスタン派兵への志願などに重ね合わせるとき、初めてこの映画監督が商業大衆映画の中に暈かした思想的な心情が汲み取れる。結局、下級武士はその自らの「分」を弁え、平和惚けした本来の野生を取り戻すのだが、それはランボーとはならない。成功していた剣のタテのシーンに続き、任務を終えて血を流しながら帰宅する情景に、戦後五十年体制を文化的に支えて来た彼ら文化人のいよいよ自嘲的な表情が、それを迎えるあまりにもみすぼらしい女優の顔つきにありありと写されているかのようだ。

まさに、そこで書籍「憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言」の批評にあるような「こいつらはみんな敵国が攻めてきたら他国へ逃げ出せばいいと思っている。 例外なく全員一生涯遊んでいけるだけの外貨を持っている。ではそれ以外の普通の人たちはどうすればいいのか。」とする感想に近い印象を得るのではないだろうか。

こうした映画作品を世界に問う感覚自体が、戦前・戦中体制の責任を蔑ろにして、戦後体制の自己批判を未だに出来ない、もしくは己にしか分からない隠された形でしか ア リ バ イ の 如 き 自己批判しか繰り返さない似非文化人や似非ジャーナリズムを「粛正」しない日本社会の節操の無さを曝け出している。

そしてそこで見落とされがちなのは、家老の恫喝の情景と家庭内暴力という胡散臭い一種のパワーポリテックと不満の鬱積であって、監督自らの心情的境遇を吐露しているかのようですらある。

因みに「侍シリーズ」の一貫として、マンハイムの名画オリジナル劇場で上映されたこの映画は、その二回目上映の夜、当地独日協会の会長を含む約八人の観衆の無共感のもと、相も変らぬ長すぎる時間空間を再創造していた。



参照:
中村哲さんは (たるブログ)
咽喉元を突く鋭い短刀 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-24
市民を犠牲にやってみた [ BLOG研究 ] / 2008-09-01
新自由主義社会の道程 [ 雑感 ] / 2008-08-30
現況証拠をつき付ける [ マスメディア批評 ] / 2006-12-17
擦れ違う視線の笑い [ 文化一般 ] / 2008-08-05
禅の弓の道とは如何に? [ 歴史・時事 ] / 2008-04-26
カウチポテトの侍 [ 文化一般 ] / 2006-10-10
矮小化された神話の英霊 [ 文学・思想 ] / 2006-08-21
侍列車-十三日付紙面 [ ワールドカップ06 ] / 2006-06-16
映画監督アーノルド・ファンク [ 文化一般 ] / 2004-11-23
自己確立無き利己主義 [ 歴史・時事 ] / 2008-04-28
78歳の夏、グラスの一石 [ 歴史・時事 ] / 2006-08-15
高みから深淵を覗き込む [ 文学・思想 ] / 2006-03-13
国際法における共謀罪 [ 歴史・時事 ] / 2006-05-23
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土地の利を生かす者

2008-09-11 | 試飲百景
本日は本格的な夏日であった。朝は霜が降りるかと思うほど寒かったが、晴天の日差しは摂氏三十度にまで温度を上げた。だから葡萄の日陰に入ると涼しい。

五月の雹でやられたルッパーツブルクのホーヘブルクそれ以上に被害の酷かったのはガイスブールであったろうか?

フォンブール醸造所に試飲に行く前に、その辺りを確認に行った。思った以上にも素人にもその被害状況は知れた。

南西に向く葉が破れていて、至る所痛んで枯れた葡萄の房がみられた。フォンバッサーマンは、赤ワインなどを作っているが、A・クリストマン醸造所のリンツェンブッシュの2008年はもう期待出来ない。明日にでも聞いてこよう。

斜面の上のライタープファードも被害を受けたらしい。


さて、フォンブール醸造所のグランクリュワインを試そうと訪ねると、先日のブリュックリン・ヴォルフでグランクリュを出してくれた者がオーストリアからの団体さんを連れて試飲に来ていて、「一体、ここであんた何をしているんだ」と言う挨拶となる。団体さんが引けるのを待って飲み始める。

一本目のライタープファードは、独特の硫黄臭いような土壌の味を美味く出していて、流石にフォンバッサーマンの通常のリースリングとは比べられないほど高貴である。大変興味ある。

二本目のペッヒシュタインを試すが、まだまだ開いてはいないが、味の繊細なミネラル質は秀逸で、ビュルックリン・ヴォルフよりは弱いが、フォン・バッサーマンのそれよりは特徴がよく出ている。この辺りはお互いに隣り合う地所であり、非常に微妙な話であり、三種類を買いおいて五年後ほどに比べて新すると楽しいであろう。魚つくしの試飲会料理なども良いかも知れない。

三本目のウンゲホイヤーは、十分にスパイシーであり、ビュルックリン・ヴォルフのそれに匹敵するだけの味が出ている。一般に言われるように「力強く、フローラル」ではなくて結構難しい地所であると発言しておいたが、フォンバッサーマンがグランクリュを醸造せずに下のクラスとして真に綺麗に上手に醸造しているのにもそうした傾向の裏内があるように思われる。

四本目のキルヘンシュテュックは、兎に角クリアーさが素晴らしく、その背後の様々な要素が感じられても尚且つ酸が美味く引き締めていて、残糖感が皆無なのには驚く。「数年前から段々良くなってきた」と説明するのを軽く受け止めて、「そりゃ、この地所に限らなくて全部良くなったからね。完全に偉大な名籍復活ですよ」と、過去の不幸な80年代のどん底から日本の資本を借りて90年代に復興を試みて、再び今世紀に入って丁重となった名門の復活を祝した。

まだまだそれが分かっていない者は多いが、エルステス・ゲヴェックス・リースリングにおいても2005年まではまだまだ甘みの残る物を作っていたのだが、2007年の素晴らしい林檎酸とともに偉大なリースリングを醸造するようになっている。試飲会でも「ビュルックリン・ヴォルフの樽は大きいので、現時点の試飲では不利」だけどと語られたようだが、なんと言ってもブール醸造所の保持している地所の秀逸さは比較出来ない。本来は、現行のVDPの方針から最も利を得る筈だったビュルックリン・ヴォルフよりもフォン・ブール復活の後押しとなったのはなんともあとから考えれば当然の思える何時もの結果分析である。

こうした「土地の利」を生かした商品作りに対して、バッサーマンヨルダン醸造所や些か不利なビュルックリン・ヴォルフ醸造所が尚一層のノウハウの積み重ねで本格的に品質で競争するとき、ドイツのリースリングは嘗てのようにシャトー・マルゴーのそれと同じ価格で世界に受け入れられる状況は訪れるに違いないと確信する。

それにしても2007年産は十分に素晴らしく財布の紐が緩みっぱなしで困る。しかし、量も十分にあるので試飲後に予約価格で別けて貰える恩恵に与り、キルヘンシュトックとペッヒシュタインを酔いに任せて購入してしまうのである。

グーツヴァイン・フォンブールの新しい樽も酸が新鮮で素晴らしいが少し足せば、素晴らしいリースリングがまだまだ買える。「2007年産ヘアゴットザッカー?、みなまで言うな」、「春は勧めるのに躊躇していたけど、知っている人は」と店の者が呟く。
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屑茸の愉しみ、追剥対策

2008-09-10 | 料理
シュタインピルツ・ヌードルを食した。思い出すのは、ミラノの最高級のレストランでこれを注文した時のことだ。偶々、滞在先で兄が同席していた。通常の料理をとは別に、季節柄この茸をどうしても食したかったので尋ねたのだった。フンギは分かっていてもこの茸の特殊性は説明出来なかったので、ドイツでガストアルバイターをしていたイタリア人の店員を遣してくれた。結局その味や料理はよく覚えていないが、散々ワインを三人で注文したのだった。典型的な接待の夕餉であった。

その後、滞在中に足を伸ばしたピエモンテのワイン処は言うに及ばず、ミラノでもトスカーナ料理や化粧品屋のおばさんに教えて貰ったデリカテッセンのレストランで昼食などをして楽しんだのであった。

北イタリアはイタリアにあらずと言われるが、それでも食生活も雰囲気もアルプス以北とは大きく異なる。どことなく田舎臭い趣のあるミラノの町は、中途半端な都会よりも悪くはないと思ったのだった。

今回、半分に切られたような屑の茸の方がソースなどに惜しみなく使えてより以上愉しめることが分かった。ミラノで食事をした二人の服装は未だに笑い話だ。スクールセーターのようなものを着た男とウインドブレーカーを着た二人の男が最高級レストランで豪遊する風景は、マフィア映画ではなかなか出て来ない。その二人に尋ねると、「貧しい格好をしていないと直ぐ追剥に狙われるから、わざとおかしな格好をしている」と自慢していた。そんなことが旅行ガイドブックに書いてあるのだろうか?
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誇り高き試飲の口実

2008-09-09 | 試飲百景
プレゼントに赤ワインを調達した。「また、一本か二本だけ買って、試飲で飲み倒したな」と言われた通り、ついでに月初めに発売されたグランクリュワインをすべて試飲する。

売り切れていなくて飲めるものを五種類並べて貰う。先ずは、ウンゲポイヤーと呼ばれるビスマルク推薦の地所のものである。なによりも感じるのはスパイシーさで、少しペパー風味が良い。同時に一種のタンニンのような、春に飲んだ2001年産が何時の間にか口を麻痺させたような感じにするフェノールの成分の趣を感じさせる。

二番目はその地所に隣り合う玄武岩土壌のペッヒシュタインで、少し苦味がこの土壌としては珍しく気になる。ここでライヴァル醸造所で試飲したホーヘンモルゲンの苦味と一致しているのに気が付く。

三番目には、ここビュルックリン・ヴォルフ醸造所のホーヘンモルゲンを試すと非常にフローラルな感じで気持ち良い。バッサーマン醸造所と隣り合う地所であるが、この違いは何処から来るのか興味尽きない。

四番目には、カルクオッフェンのマッチを吸ったような独特の個性と既にそれを愉しめるのを確認する。

五番目には、ガイスブールの味の豊かさを感じて、これも2003年のそれなどに比べるとエレガントさも欠けずに飲める纏まりを感じる。

そうこうしている間に、リュックサックを担いだハイカーのおばさん二人がやってきて、幾つかを試飲しだして、グランクリュにも関心を示し出す。

それのホーヘンモルゲンを試してみてあまり良い反応を見せないのを素早く察しとった店の者は、「こうしたものは、土壌の個性とかが分かってないと今の段階ではあまり判断出来ませんからね」と言い、当方に「何年のグランクリュから飲んでます」と話を振る。

「僕なら、もうあとに残らないから今この中から選べと言われれば、ホーヘンモルゲンとペッヒシュタインとガイスブールを買うね」と宣言すると、ご婦人は「それなら古い2005年のはどうなのかしら」と更に関心を示して、おばさん同士でなにやらひそひそ話をした後で、それを購入する。

その間こちらは、グランクリュ試飲よりも先に飲んでいたビューリックとゲリュンペルの後者に軍配を上げながらも、最終的には成長したオルツヴァインのヴァッヘンハイマーを購入する気持ちを固める。

「そう言えばお宅の2006年のLMは通常より早く蜂蜜香が出てきてまた面白くなってきたよ」と自慢すると、店の者は「あれ買えなかったんで」と残念がるので、「まあ、先に目をつけとか無きゃ駄目よ、なんなら、オークション価格で売ってあげようか」と冷やかす。

そしていよいよお目当ての赤ワインである。2006年度は周知のような腐りが激しかったため、A・クリストマン醸造所のイーディクで栽培したピノノワールSの発売を見合わせて通常のピノノワールにこれが入っていると言うのだ。そして万人の口に合うと言うが如く美味いだけでなく、その土壌を知っているものには殆どメロン風味と酸味が程よくバランスを採っているのに気が付くのである。

これは良いと考えていると、おばさん方はダイデスハイムまで歩いていきたいと道を教えて貰っているので、「通常の道路より、ワイン地所の中を通って行きなさい。一時間ほどで行けますよ」と勧める。

注文を終えて、徐に「いやー、2007年のグランクリュをもう一種類加えて六本ほど買いたいねー。残念だな一本足りないのはー、予約して取りに来てないのはある?」

「大丈夫ですよ。*キルヘンシュテュックでも特別にお分けしますよ」

「うーん、高いからな、じっくり考えなきゃ、まあ、安売りのヴァッヘンハイマーと赤ワインはまだ買うけどね」

当方は、一本をプレゼント箱に入れて三本を大事そうに抱えて、ふらふらと車に乗りこむ。「さて何処へ帰るのだったっけ?」


*売り切れのキルヘンシュテュック一本65ユーロ、イェーズイテンガルテン一本44ユーロ
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液の滴る贅沢な晩餐

2008-09-08 | 料理
牛フィレを初めて自宅で焼いた。元々肉料理は外で食べるようにしていたのと、高価な食材を扱う自信がなかったから、BSE騒動前のキロ当たり安価なローストビーフなどを除いてはあまり牛肉料理をしないようになっていた。

先日食した牛ロースに満足して、そして何よりも美味いピノノワールを購入した事から、また八百屋で生シイタケと同じ価格と比較的安い高級茸シュタインピルツを見つけたので、美味そうな肉片を買ってしまった。

キロ49ユーロであるから、神戸ビーフの半額ぐらいだろうか?それでも十分に高価なので、百グラム少々の小さな肉片を購入する。肉が食べたいと言うよりも上の状況から量よりも質とした。

色々と考えたのだが、茸の半分をまたその半分をみじん切りにして玉葱とバターで茸クリームソースに仕立て、残りはスライスして野菜と炒める。

野菜のつけ合わせに凝る余裕はなかったのだが、肉だけは大変気持ちよく焼き上げることが出来、久しぶりに ― フランスと異なりドイツのレストランでは余所ではなかなかお目にかかれないほど ― 十分に血の滴るブローと相成った。

流石に安物の肉とは違い、見た目とは打って変わって全く血生臭くないのである。フィレだから柔らかいことはわかっていても、これほど生焼きに適しているとは思わなかった。

さて、ピノノワールも試飲で感じたような甘さはあるのだが、イーディックの土壌の味が十分に感じられる琥珀羊羹のような旨さがなんとも、これまた14ユーロと高価な赤ワインならではの満足感を与えてくれるのである。



参照:
固いものと柔らかいもの [ 文学・思想 ] / 2005-07-27
様々な銘柄への批評 [ ワイン ] / 2008-03-19
肉食をするなと主張 [ 料理 ] / 2005-09-28
ハーブティーのミックス [ 料理 ] / 2004-12-04
漲るリビドー感覚 [ 数学・自然科学 ] / 2007-01-02
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淘汰されるグロバル社会

2008-09-07 | 歴史・時事
EU議会で男女平等の立場から性別表現反対が採択されたようだ。主にTVなどのCM媒体をさしているようだ。強制力はないと言うものの、「私作る人、あなた食べる人」や「おじいさんは芝刈に、おばあさんは洗濯に」が否定される。

EUの一部の国では伝統的性差が慣習化していて、上のようなTV広告などは児童の教育によくない影響を与えると言うものである。TVの影響は、益々その視聴者層が特化して来ているので、市民の教養や知的批判力を信じるとはいかないようだ。

こうしたジェンダーに係わるような意見は、二昔も前ならば左翼の専売特許となっていたが、今回の採決を主導したのは北欧における左派としても、キリスト教社会同盟を含む圧倒的な支持を得ている事は無視出来ない。

これとは直接は関係ないが、ヘッセン州の予想される社会民主党と緑の党の少数与党に閣外協力をする左派党による新州政府の余波は、連邦政府政治にも影響を与えている。

特に左派党の西ドイツ連邦州における伸張は目覚しいく、先ごろの調査によるとラフォンテーヌ元州知事の地元ザールランドでは社会民主党の支持率を上回ったと言うから、幾ら社会民主党の凋落傾向が顕著と言っても甚だしい。

数年前に停止された一律通勤減税が再び政策として ― 既に始まった燃料費下落のなかで ― 州選挙を前にしたバイエルンのキリスト教社会同盟フーバー党首から再提議されて、これに対する批判が、左遷されるヘッセン知事ローラント・コッホのベルリンへの引越しの下準備と、左派連合政治で居場所を失う右派社会民主党のシュタイブリュック財務大臣の双方から出された。しかし、間接税として徴収されている環境税などとの相殺が批判される以前に、それならば燃料税の徴収による潤っている事実を隠すなとキリスト教社会同盟は主張する。

もう一つ目についた記事は、イタリアを手本とする生活困窮者や失業者への省エネ冷蔵庫へ援助であり、こうした一挙両得の政策は、徴税や政策の核心をごまかすことになり、たとえそこに特定の利権構造が無くとも導入に十分過ぎるほど慎重でなければ分かり易い政策とは言えまい。

社会民主党と緑の党のシュレーダー時代に採用された厳しいと評されたハルツIV失業政策は、数字上失業者を減らし、雇用の機会を増やしたと言われるが、実際には運用費用などを含めた支出は膨れ上がっている。更に悪いことには、中産階級への労働収入への負担が増えて、高給取りと資産家が経済力をつけて、六割を越える中産所得層が貧困へと落ちる危険に曝されていると言う。

そしてなによりも、「働けど働けど. 我が暮らし楽にならざり」の貧困層を増やし、「値しないな労働」を生み出した責任は大きい。

要するに経済格差が助長されたばかりでなく、社会格差がシュレーダー政権のグローバリズム政策によって拡大したと考えられる。税制徴収の簡素化を掲げてメルケル首相候補の財務大臣候補であったキルヒホッフォ教授の政策は、そのあまりにもの極端に簡素化した主張から社会政策を誤るとして、新自由主義と批判されたが、首相候補さえもう少しまともな政策アイデアを維持していれば教授はアドヴァイザーとして簡素化した社会を一部現実化させていたかもしれない。

現在の先進工業国の共通した問題は、ここに述べられており、アジア社会では自由民主主義と自由経済が全く同一の価値観となっていないどころか矛盾する惨憺たる状況を、― 毎年のように変わる日本の首相の社会状況などを含めて ― 論説する新聞記事に、影絵のように映している近代の終焉である。

しかし、紆余曲折ながら、社会は螺旋状に先へと進んでいる事は確かで、今米国で訪れようとしている変革にこうした流れが集約されて行くのだろう。
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出版記念の贈り物

2008-09-06 | 料理
腎臓の駒切れ料理である。自宅での調理例も一度紹介したが、やはり料理屋でのものを紹介しておこう。価格は決して安くはなくて、8ユーロ以上するが適当に食べ応えがある。カマンベールチーズ丸ママの天ぷらかサラダも候補であったが、久しぶりにこれを食す。もう少し味が沁みこんでいたならば良かったが、小水臭さが十分に吹っ飛んでいたので薄味とは言え食べ易かった。

本日は、友人の出版したガイドブックに一言書かせたので、ピノノワールをプレゼントすべく、散々試飲した。彼には何時も赤ワインなどを山で試飲させて貰うので、これを選んだのである。本当は、クリストマン醸造所のそれを考えていたが、まだ買えなかったことから、ビュルックリン・ヴォルフ醸造所の2006年ものとなった。普通は、Sと呼ばれる特級地所イーディックのものが品質の悪さから全てこれに入っているようだ。つまり、本当ならば26ユーロほど出さなければ口に入らないものが、適当な価格で手に入った。万人が愉しめる赤ワインである。



参照:
ダイナミックな協調作業 [ 試飲百景 ] / 2007-09-15
熟成する力関係の面白味 [ ワイン ] / 2008-05-30
茶室跡に立って物思う [ ワイン ] / 2008-07-06
待てば甘露の日和あり [ ワイン ] / 2008-08-19
ワイン三昧 第二話 '05II [ ワイン ] / 2005-11-04
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チーズの付け合わせ葡萄

2008-09-05 | ワイン
今年の夏は茹だるような暑さは続かなかった。春から四五回ぐらい何日か暑い日が繰り返しただけであった。だから、暑くて仕方ない時にと思って清涼感を求めて購入していたソーヴィニオン・ブランに手が伸びなかった。旬を過ぎてしまうので暑い日を目指して先日初めて自宅で試した。

西洋スグリのような香りも未だに健在で、昨年のものから比べるとしっかりした酒躯に十分な量感の酸が昨年以上に高級にしている。それどころか緑家さんは、有名なニュージーランドなどのものより良いと太鼓判を押す。しかし、同じ2007年産のリースリングを飲みつけていると、やはり別世界というか、とても対抗できるものではない。今年の夏に関してはリースリングが喉について、美味しくない夜は一日たりとも無く、毎日それを愉しめる気候であったのだ。そして、そのリースリング自体が十分に清涼感に満ち満ちていた証拠でもあるだろう。

所詮、白ワインでリースリング種の深みや繊細さに及ぶものは世界中何処にもない。つまり、ドイツのリースリングは、世界で最も高貴な白ワインである事は当然なのだが、残念ながら衆目の一致する所とはなっていない。何故なのだろう?

そのような夏であったが、mosel2002さんの報告によると、決して葡萄にとって悪い夏でなかった事は数字上も表れているようだ。そして、去年は既にトロッケンベーレンアウスレーゼと呼ばれる貴腐ワインが収穫されていた今の時期、葡萄園では一寸した作業が方々で進められている。

昨日今日と雨がぱらついて心配だが、案の定場所によっては、風が通り易いように夏に延びた蔓や葉がもしくは葡萄が落とされている。こうして風を通すことで、今後の雨にも腐らないような配慮がされている。あまり手がつけられていない地所もあるが、毎年腐りがおき易い場所は流石に早く手がつけられて、まだまだ十分ではない成熟の時へと質の向上が計られ、被害を避けている。

素人見には、十分な収穫量が期待できそうであり、このまま十分に健康な状態が続きながら、今後も十分な陽があたれば、決して昨年とも劣らないような、質と量を期待出来そうな気がする。

何時も歩き回っているお蔭で、チーズのつけ合わせになる切り落とされた葡萄を二房ほど見つけた。本当は、丁度作業しているビュルックリン・ヴォルフ醸造所やバッサーマンヨルダン醸造所のウンゲホイヤーのそれが欲しかったのだが、流石に無理には拾えなかった。



参照:
塩味の効いたソーヴィニョン・ブラン
モスバッハのソーヴィニョン・ブラン (新・緑家のリースリング日記)
西洋酸塊の棘にやられる [ 試飲百景 ] / 2008-02-27
時を隔てた趣向の方向 [ 試飲百景 ] / 2007-08-21
棘ある酸塊味の葡萄酒 [ 試飲百景 ] / 2007-04-09
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買えるときに買う投資

2008-09-04 | 雑感
ドレスナー銀行を吸収しようとした中共興銀は、ドイツ国鉄の一部民営化にも興味を示していると、北京を訪問中のシュタイブリュック財務相は伝えている。中共にとって安定した国外資産や投資は、ある種の経済的破綻を前に重要さを増しているのだろう。そこにおいて、ドイツ連邦共和国が重要なその投資対象先となっているのは興味深い。

月曜日のグランクリュワインの解禁日に、会合前に僅かばかりの時間を使って、売り切れていない三種類のリースリングを試飲した。バッサーマンヨルダン醸造所のホーヘンモルゲン、ペッヒシュタイン、イエーズイテンガルテンの三種類である。

ホーヘンモルゲンは、昨年2006年産を試飲後に購入したが、今回は2007年産を試飲した。今年の特徴は苦味であったが、アルコールの強さでもあるのだろう。昨年のものと比べると、酸の鋭さとより一層の清潔感が質の高さを感じさせた。

ペッヒシュタインは、昨年の摘み取り前に自主研究の味見をさせて貰っているが、その印象に違わずおとなしく繊細に「玄武岩の味」を出している。名門ビュルックリン・ヴォルフがもっとも強く香りを出せば、フォン・ブールは味を、そしてこれはもっとも旨味を出している。香りは、現時点では開いていないが、対抗馬より纏まっておとなしく出てくるだろう。自主研究材料費として勿論購入する。

イエーズイテンガルテンは、昨年末幸運にも試飲後に購入出来たが、今年のものはそれよりも透明度が高く若干の糖を感じるだけで、既に立派なリースリングのバランスがある。こうして購入出来ることが、如何に2007年度は質と共に生産量も確保出来たかを示している。昨年九月三週の実っている写真を探し出してじっくりと観察する。

三本とも態々改めて倉庫に取りに行ってくれて、冷えていないながらも、新しいのを空けて貰うと、手ぶらでは帰れない。まだ売れ残りそうな最初の一本を除いて、二本を置いといて貰う。いずれにしても四年程先に初めて十分に愉しむ事が出来るワインで全くの先行投資だが、本当に良いワインは買えるときに買っておかなければ直ぐ手に入らなくなるのである。

バイロイトの新たな人事について、本日付けの新聞にて、ヴィーン歌劇場監督ホレンダーが人事決定した財団理事会を、その統一見解がまるで北朝鮮共産党の中央委員会のようだと評している。そしてその推挙審議過程を、音楽祭をも候補者をも馬鹿にしたもので、全く話にならないと非難する。今後は公の機関として、民主的な方法で先行投資並びに回収されるような運営が監視される。



参照:
新自由主義社会の道程 [ 雑感 ] / 2008-08-30
桜は咲いたか未だかいな [ 試飲百景 ] / 2007-11-30
道に迷って思わぬ出会い [ 試飲百景 ] / 2007-10-08
三夜「神々の黄昏」二幕 [ 文化一般 ] / 2008-09-02
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中庸に滴る高貴な雫

2008-09-03 | ワイン
フランスで買ってきたシャドネーをコールドミールに合わせる。鱒の燻製と野菜であるが、パンに塗った新鮮なバターと共に食が進む。ホースラディッシュがなくても旨い。

バリックの新鮮な木樽が旨く味付けとなっていて、その酸ともども価格相当で決して悪くはない。しかし、白ワインはやはりドイツのそれの方が断然旨く、自然の香味に溢れていて高級である。

つまり、これと前後してミュラートュルガウのリッター瓶を飲むと、決して味の面ではそれほど悪くはないのである。

さて、二年前に購入したラインガウの名うての地所バイケンからの辛口シュペートレーゼを満を持して初めて家で開ける。試飲した時は大変酸が鋭く、同行者などはこれ買うの?と言ったものだ。価格は、15ユーロなのでこのクラスとしてはそれほど高価ではない。

このフォン・ジンメルンの2005年産リースリングには、まさに当方がラインガウワインに求めているニュートラルな味わいがある。香りも悪くはないが、なんといってもマルメロ風の味わいは、洋ナシのような嫌味も無く高貴である。

瓶詰めから二年経っているだけに、試飲した時の酸は幾分丸くなっていて、そのニュートラルの味が余計に引き立つ。これから、やっと飲みごろの感じで、数年後が愉しみなワインである。ある意味、その癖の無さが酸の一面的な支配を感じさせて、うすべったい印象を与えていた可能性があるものなのだが、味わえば味わうほどにその多彩なニュアンスに気付くであろう。

ナッツの味とか果実風とかでは表せない千枚岩質のミネラル風味の奥行きと言えるだろうか。ヴィンテージは異なるが、これを他のシュペートレーゼと比較するとき、その価格と言いニュートラルの個性と言いこれ以上に高貴なリースリングはそれほどないのである。

食事に合わせるにはまだ熟成の時が必要であるが、繊細であればあるほど何回も口に含んで楽しむので直ぐに瓶が空いてしまう。そして幾ら飲んでも飽きないのだ。だから良いワインは幾らでも量を飲めるのである。反対に、量を飲めないワインは悪いワインと考えて間違いない。



参照:
価値のある品定め [ 試飲百景 ] / 2008-05-07
とても幸せな葡萄の光景 [ ワイン ] / 2008-05-05
ラインの穏やかな中庭 [ 試飲百景 ] / 2006-09-11
仲秋の暖かい黄色い焼芋 [ 料理 ] / 2007-09-25
香りの文化・味の文化 [ ワイン ] / 2008-06-07
昼から幾らでも飲める味 [ ワイン ] / 2008-08-11
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三夜「神々の黄昏」二幕

2008-09-02 | 文化一般
楽劇「神々の黄昏」は、漸く四部作目の第二幕も四場へと差し掛かった。予定通り、本日13時から開かれた協会理事会は、前監督のヴォルフガンク・ヴァーグナーの意思を尊重して、作曲家の孫の二人の腹違いの娘を後継ぎに推挙した。

二十四票中二十二票を集めた圧倒的な採決であり、その直前に各々の陣営に20分の時間が与えられ、対抗馬のモルティエ博士の大演説が聞かれたようである。

表向きの前監督の退陣条件は否定されているが、ヴァーグナー家からの後継ぎに関して今回はその技量に問題がないとされて、同業者であるベルリン、ミュンヘンとヴィーンの監督らの専門的な助言を必要しなかった。カタリーナの選出を指揮者ティーレマンは歓迎した。

要するに先妻の娘であるエファー・パスキエー女史を加えることで何一つその能力に関しては疑いないものとしたのは大きな政治的な妥協策であったのは知られる通りである。

つまり、判断の基準は、既に2015年までの計画が定まっていることであり、その後の本格的な始動を考えるならば、対抗馬の二人では年齢的に無理だと言う至極当然で無難なものであったようだ。

そして最も興味あり見逃せない視点は、そもそもヴァーグナー祝祭自体が地方自治にとっては文化観光資源であって、ニケ・ヴァーグナーのようなあまりにも「知的で文化的な芸術活動よりも大衆が押しかけるもの」であるべきだとするものである。

それはカタリーナが誓約するように、芸術の灰汁も抜いて骨抜きにしてしまうことなのである。そもそもそうした芸術など必要なのだろうか?商業的娯楽に文化予算を支出するのは誤りではないか?

今更オペラ劇場に文化的なものを見出せるのかどうかの大きな懐疑が根底にあり、それは本日話題となったベルリンのウンターデンリンデン劇場にも共通している。今回の決定を受けて、バイロイトのヴァーグナー劇場は「ただの田舎の歌芝居小屋」に留まり、その文化保存物的な劇場建造物に連邦政府は今後とも適当に助成して行くことになる。

ドイツ連邦政府の文化助成のあり方や今後を、この機会に根本から見直していく必要が生じて、広範な議論がなされることが望ましい。

本日手元に届いた2009年度の申込書からは、政治力に満ちた顔つきのリヒャルト・ヴァーグナーの顔が消えて、監督の名前が抜けている。その代わりに、大きく印字されたURLと少しポップ調の写真が嵌め込まれて、ゴールドマンサックスとベネッケインテリアデザインという大きなロゴが印刷されている。



参照:
Schatten über Bayreuth, Patrick Bahners, FAZ vom 1.9.2008
迫る清金曜日の音楽 [ 文化一般 ] / 2008-08-27
咽喉元を突く鋭い短刀 [ マスメディア批評 ] / 2008-08-24
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市民を犠牲にやってみた

2008-09-01 | SNS・BLOG研究
「創造力など存在しない」とする一節をBLOGで見かけた。定期観覧している場所であったが、何処であったか分からなくなった。その前後からみると、既にそうして創造される知的創造物は宇宙のどこかに存在していて、ただそれが認知されるという考え方と理解した。そうとなれば、やはり世界観の問題であり、予定調和的に表れるのではなくて、歴史の中で偶々あらわれるというものなのであろう。

自然科学や実証的にまたは理論的に議論される分野においては、歴史の中での継続した判断基準となる土台の上で、 個 人 的 な創造力の集積として新たな歴史が築かれる。さもなくば永遠の停滞があるか、そこにはゾンビ社会が存在するのみとなる。

政治学では、これをして*「プティングの味は食べて見なければ分からない」という革命的状況における「賭け」の要素が一つ一つの判断につきまとい、「やってみた」瞬間にもはや行為は状況の中に編入されて、「やってみる」前の状況、つまり「理論的」分析の対象となった状況とは変わっていることを指す。

ここ数週間に起こった事件をみれば、グルジアにおけるロシア軍の侵攻やアフガニスタンの治安悪化に、こうした**「自己の責任における賭け」の帰結がある。要するに***「人格的決断は常に一般的=普遍的なものに還元されるから、それだけ政治的責任の意識は退行するし、状況を自己の責任において捜査する可能性も見失われてしまう」となる。

軍事行動もしくは解決法は、常に軍事行為自体の目的化の中に本来の機能を失うものであるから、政治的に「やってみる」決断したあとの状況判断がより重要となるのは周知である。

ドイツ国防軍における職業軍人への志望者数が半減している状況があるようだ。昨年度は、増えていたので余計に、アフガニスタンなどでの殉職の影響がとやかく取り沙汰される。

安定した生活基盤が職業軍人のもっとも重要な側面であるから、海外派兵での危険な任務は国防軍の本来の使命からすると甚だ異なるのは当然である。因みにアフガニスタン派遣の日当は、82ユーロであるから、現在の派遣先の状況からすると合わない。

たとえオバマ候補が、ドイツ連邦政府に国際貢献を求めても、こうした危険な任務への志願は金銭的な興味以外に、なんら普遍的なイデオロギーに囚われてはいけない。今や良識をもった世界市民は、如何なる善意から生じた行動であろうが、その行動によって生じた反応を注視して新たな決断を迫られる必要を認知している。

我々は、イスラム教徒の性差別や中共の中華思想などを改めさせるだけの意志をもってはいるが、それを普遍的なイデオロギーとして振りかざすつもりはない。だから、市民を犠牲にするような、派遣された人員を犠牲にするような行動は中止すべきで、さもなければそれはタリバン同様にイデオロギー化した蛮行に他ならなく、政治的責任への意識も自己の責任も希薄となっているに違いない。


*, **, *** 丸山真男「日本の思想」― 近代日本の思想と文学



参照:
安全保障に反する支援 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-10
神をも恐れぬ決断の数々 [ マスメディア批評 ] / 2006-11-22
失敗がつきものの判断 [ 歴史・時事 ] / 2005-12-13
死んだ方が良い法秩序 [ 歴史・時事 ] / 2007-11-21
麻薬である信仰-2008? [ マスメディア批評 ] / 2008-03-18
檻に吹きこむ隙間風 [ 歴史・時事 ] / 2006-10-23
髑髏が疎ましい白昼 [ 暦 ] / 2006-10-30
ブルコギ鍋のおじや [ 料理 ] / 2005-12-16
精神錯乱狂想の神の座 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-10-25
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