Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

政権交代の究極の目的は

2009-08-16 | マスメディア批評
警察や裁判所のある交差点で車窓から大きな看板を見た。ドイツ社会民主党のスローガンである。「私の教育費用は両親に依存しません」とかの内容で無料化の政策を訴えるものだ。ついにドイツも大衆高学歴化への道を歩んでいるのかと思わせる反面、高等教育受領者の知的程度が盛んに問題となっている。つまり大衆高歴化の弊害が既に多く社会に表れている証拠であろう。

先日ヤクザ映画の検索から、オウム真理教事件の報道映像などをYOUTUBEで見たが、当時TVで観たものとはさして変わらなかった。それでも予想以上に高学歴で話題となったあの手下連中の知能程度が自ずと知れて、なる程と合点が行った。要するに誤まった教育は、小役人的な手下を養成する事にしかならないという事である。

それは、なにも日本の専売特許ではなくて、ドイツ連邦共和国においても広義の職業教育というものが如何に元来の教育の意味から離れているかが日常茶飯に経験する問題なのである。

日本もドイツも選挙が迫っている訳だが、前者においての二大政党制による政権交代劇などは参政権への民意が向上するための初期段階でしかなく、後者においては国民政党として振り分けられていたある種の社会闘争からの完全な脱皮が目させる。

ドイツにおいて国民の高齢化と年金生活者への社会の対応が主な政治課題であるのに比べ、日本においては同様な社会事情と共に占領政策から冷静構造へと引き渡された保守政権支配の弊害による未だに完了できない戦後の歴史化などが大きな問題であるようだ。

「女子供向けの終戦記念日の式典」本質的意味合いや所謂靖国の問題などが政権交代によって総て解決する訳でもなく、当面重要な政治課題である訳でもなく、国防政策と共にイデオロギーを伴って右から左へと揺れる問題でもない。特に前者に関しては一神教の手下のような麻生首相の宗教に関する見識の方が、まるで無用で無意味な唯物論者の宗教ごっこよりは優れて本質に迫っているいるように見受けられ、また民主党の国連尊重主義による軍事組織案はむしろ新たな傭兵や国策による武力行使を是認するどころか強制する社会主義的傾向が強く危険ですらある。

なるほど赤紙一枚で散って行った家族を持つ遺族には真に気の毒ではあるが、少なくとも既にジャーナリズムを含めて翼賛体制に飲みこまれて仕舞っていたとは言え男子普通選挙が行なわれていたなかで軍属が「英霊」どころか只の「惨めな被害者」あるというのがおかしいのである。江戸以来の階級制度によって日本人の大半は朝鮮人のように被害者意識がその卑屈な精神に植えつけられているのだろう。

ドイツにおいても、今やEU内で少数派となった徴兵制度が来年までに再びその是非が問われると言うが、専門家による軍事組織に軍事力を握らすか、徴兵という形式において少なくとも形だけでも文民統制とは別に国民が自らの手にその力を有しておくべきかは議論を有する。軍事力は必要悪であるが、警察力は同じようなものであっても誰もそれを必要としないとは言わない。軍事クーデターの実際を見ても分かるように、同じような思想傾向を持った者が集まりやすく、結託し易いような組織が軍事力を保持するのは危険である。

日本社会党の空想非武装中立思想や左派唯物主義には馴染みがあるが、民主党の国連主義による軍事政策や「政体ありきの信教の唯物化」には馴染みがない。民主党の政策は、両者を結びつけた時に「国連の中での日本の将来のために死んでくれ」と殉職を奨励しているだけに過ぎないのではないか?まさに靖国問題ならぬ将来の千鳥ケ淵戦没者墓参拝問題なのである。

それでは、僅かながらに前進するためにはどうしたらよいか?それは、麻生首相が発言するようにこうした難しい問題は政治向きではなくて、最初に文化的に議論されて有権者の認識に訴えかけるしかないのである。そうした知的な作業があってこそ本来のジャーナリズムが僅かながらでも国民の民意を少しづつでも向上させて行くことが出来るのである。そして、政治官僚や文化学識経験者が決めたものを赤紙のように受け取るのではなくて、国民は市民の同意としてはじめて軍事力を含めた政治力を有することが出来るのである。さもなければ、小役人的な高級官僚から政治権力を奪取するなどと宣っても結局政治官僚に実権が移るだけなのである。

政権交代の最終目的はこれでハッキリしている。しかし、現状の日本のジャーナリズムの程度を見ている限り、鶏が先か、卵が先か、残念ながら容易に白鳥が生まれる気配などは全く無いのである。



参照:
終戦記念日 (作雨作晴)
「点の記憶」 (☆・。.・☆写真エッセイ&工房「木馬」)
ますます増してくる苦味 2009-08-05 | 雑感
同じ側の人と錯覚する民 2009-06-14 | マスメディア批評
歴史を導くプロパガンダ 2009-04-05 | 歴史・時事
宵越しの金は持たないと嘯く 2009-04-03 | 歴史・時事
社会不安を煽りたい麻生 2009-02-12 | マスメディア批評
幼児化の文化教育政策 2009-01-20 | マスメディア批評
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ネット通したサーヴィス向上

2009-08-15 | 雑感
午前中に運送屋から電話が掛かってきた。配送はどうだったかというアンケートである。そういえばその女性の声に聞き覚えがある。

なるほど、このDHLの下請け運送屋は電話番号からしてシュヴェービッシュのようだが、こうした配慮はドイツでは大変珍しい。ドイツの運送業界は、その優れた道路網を外国の運送屋に走られて、税関線の解放と通行量徴収をうけて大きく変動した。廃業した出来の悪い運送屋も多い半面こうして生き残っている運送屋もあるのだと実感する。

なるほどある種の買物で、それも大きな白物家庭電化などであると、その配送とサーヴィスが大きく印象を左右するに違いない。それゆえに商品を売る業者も確実なロギスティックグループに依頼して、特別価格で安く、さらに古い商品の引取りや設置まで含めたこうした細やかなサーヴィスが提供出来ない限り、売り上げは伸ばせない。

ドイツの百貨店などを知っている者は、また日本から講師を招いてサーヴィスの向上を目指しているその業界を知っている者は、よくもこの程度で営業がなり立つと誰もが不思議に思ったに違いない。そして今、人件費ばかりかけながらサーヴィスに全く繋がっていなかったグループなどが淘汰されて殆ど生き残り合戦の様相を示す大型店舗グループの現状に驚く者もいないに違いない。

ネット販売の影響は、そのオファーの多様性の自由市場競争から、商業環境一般に大きな拡がりを見せて来ているのをここに感じることが出来る。
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アジアからとアフリカから

2009-08-14 | 生活
こうした郊外に住んでいると所謂広範な外国人と出会うことは少ない。ポーランド人、トルコ人や、イタリア人やギリシャ人などEU内外国人を除いてである。

今日は違うタイプの黒髭の男がやってきた。「あんたは日本人か」と聞くので、「あんたはどこからだ」と聞くと、「パキスタンからだ」と言った。カイザースラウテルン方面からやってきて、バートデュルクハイムは初めてだと、ダルムシュタットを拠点にしてトラックの運転手をやっているのである。

このあたりはワインかと聞くので、「あんたのとこもベルクシュトラーセを南下すればベンスハイムなどからワイン栽培地域だね。でもこちらの方が美味いよ」というと、「宗教の関係で酒は飲まないんでね」と答えるから、「まあ、それは残念だ」と哀れんだ。

十年ほどいるらしいが、眼鏡を掛けて気さくな感じの男であった。受け応えを見ていれば、イスラム過激派とは程遠い人物とは思えるが、当局からはどうしても狙われるのだろう。第二次世界大戦中の収容された合衆国の日系人のようにである。私もイスラムの人間とは付き合いがないので、そうした外見の人柄ではなんとも「この人は危険思想の人ではないですよ」と言い切れないのが辛い。

先日は例のアフリカ人が荷物を取りにやってきたが、前回と同じように「(地図に載っている)ドイツワイン街道は分かるがワイン街道が分からない」と言う電話を受け取って、「またここにも同じようなアフリカ人がいるものだ」と、これは教育やその地域の文化的背景があるのかと訝しく思った。そうしてやって来たのが三回も同じ過ちを犯す人間だと分かると流石に呆れて、「あんた同じ事を繰り返しているね」と冷笑すると、「途中でこれはなにか覚えがあるなと気がついたんだよ」と照れずに白い歯を見せながら額に汗を吹き出させる。

それからがまたいつもの三文劇場の始まりである。先ずは、「車を持って来なさい」と命じると、「軽いから持って行くほうが楽なんだ」言うので勝手にしろと思い。これとこれと見せると、手伝えと抜かすばかりか、依頼を受けた一つしか知らないから本部に電話をかけるから待てとのたまうのである。前回は箱の傷みを態々直させたのだった。

電話がなかなか繋がらないので、「表まで行ってかけ直せ」と言っても、ぐずぐすとやっているのである。此方も奴の受け取りのサインを先にとっているものだから、勝手にしろとその場を離れて荷物を任せた。様子を上から見ているとやっとのこさ電話が繋がり納得したようで、二つの荷物を軽々と一人で持って帰った。

この間略十五分ほど仕事時間をごたごたしていて過ごした事になる。それにしても、これだからアフリカの夜明けは遥かに遠い。



参照:
アフリカ人気質を感じる 2009-07-24 | 雑感
「おれを信じなさい!」 2008-12-16 | 生活
大馬鹿者たち-試飲百景 2005-06-18 | 試飲百景
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晩夏のピノなノワール

2009-08-13 | 料理
昨晩は準備してあったチリコンカルネを食した。久しぶりに牛肉だけのミンチ肉で、スパゲティ用に作ってあったトマトソースとビーンズを混ぜた。

味付けもアメリカ大陸のそれを知らないのだが、少なくともそこのシーズニングパウダーのものよりは格段に良かった。今回はごまかしをせずに、手元にあった大蒜と一味を十分に入れて塩気を押さえて成功した。

全く朝鮮料理傾向のスパイシーさであるが、缶詰のキドニービーンズの甘さとの相性は大変良かった。しかし、その飽きの来ない味付けから前日に作ってあった豆一缶分を一回で平らげてしまった。これは予想外であり、豆とトマトと肉など総材料費を合わせても2.5ユーロは越えない筈だが、食べ過ぎである。

そのために食事前に一時間程歩いて来たのも事実である。葡萄は大きさは若干疎らとは言え柔らかくなっているのもあって、ゲリュンペルなどでは既に葉が落とされていて風通し良く健康な成熟が図られている。その実り方が良い感じである。

帰りに地下で赤ワインを選択した。色々考えていたのだが、残りの本数が二本しかないにも係わらず若い感じの2007年産のクリストマン醸造所のシュペートブルグンダーSCを手にとった。先日購入した2005年のオェールベルクやSCはこうしたスパイシーでトマト仕立てなものにはやはり惜しい気がした。もちろん2006年産のものはその熟成度から論外である。

開けてその薄くはかない色を見て正解と思った。2007年産は、その青臭いもしくは獣臭い味が示すように果実の熟成が足りなかったのだろう。青い果実の獣臭さとでも表現するべきか。健康な果実であった事は疑いがないがピノノワールにとっては今一つの年だったろう。2004年とも似ているかもしれない。2008年は悪いようなので、ここ数年間では2003年、2005年がやはり良いヴィンテージである。2009年はまだ分からないが、2006年よりは間違いなく良いに違いない。

さて、その食事に、軽めのワインは気持ち良く進んだ。腹も膨れ夜の九時には起きていられなくなった。十時に目を醒まし再び朦朧と床へ向う。夜中の二時には目が醒め直に再び床に着き、朝四時には再び起き上がり、また寝た。一日にこれだけ繰り返し寝たり起きたりも珍しい。特にトイレに行く訳でも悪酔いした訳でもないのだが、ここに来て夏の疲れが一挙に出て来ているようだ。
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ボルシェヴィストの鼻を折る

2009-08-12 | 文化一般
大指揮者フルトヴェングラーのベルリン復興時の録音がまたもや全集で発売されたようである。FAZ新聞文化欄に紹介が載っていた。戦後ナチの疑いで活動が禁止されていて、初めてベルリン西側連合軍占領地域で公に復帰した1940年代後半の録音をはじめとする米国の進駐放送局RIASによる音源集である。この世紀の指揮者のファンならば何度も聞いているような録音であるが、新たにオリジナルソースからデジタル化しているようである。一部には珍しい曲の録音もあるようだが、主な名録音はティタニアパラストでのベートーヴェンやブラームスの名曲集である。

なぜに四級ナチ犯罪者扱いとなり、こうして西ベルリンで公にドイツ音楽を体現するような盛大な活動が許可されたかについて触れられている。当時の名言がそこで取り上げられている。

要するにボルシェヴィズムスの考え方によると管弦楽なども合議制で執り行えばファシスト的な指揮者を必要としないで「音楽を出来る」となるのだが、それに対して二十倍の練習時間を与えても名指揮者が一時間で執り行う成果どころかそれにも至らないと言うのである。

文化政策としてその美学的なもしくは政治社会的な意味合いからして面白い発言なのであるが、先日挙げたアルピニズムやその社会層の心理と共に、近代社会を体現する文化としての管弦楽活動の本質がそこに見える。

ベートーヴェンの交響曲をヴァーグナー化し、シューマンやブラームスのそれをブルックナー化したこの指揮者が、近代の発展の中で交響管弦楽団の指揮者として歴史上の頂点にあったことはその観点からも間違いないであろう。
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Fシティーの垢抜け方

2009-08-11 | ワイン
近所を車で走っているときのラジオは、SWR2か、HR2の両文化放送のプログラムを流している。大抵は前者なのだが、後者のジャズ放送などの時に良く切り替えている。

今朝、パンを取って、銀行に行く車の中で、グレーフェンベルクの話題が出てきていて、五分ぐらいその歴史やラインガウヴァインにおけるその意味合いが取材されて報告されていた。後者の分化波であった。

もちろん、ロバート・ヴァイル醸造所のプレスアルバイトの一貫で取材されたには間違いないが、我々顧客にとってはいつも読んでいるような内容がこうしてフランクフルト周辺の高級リースリングなどを楽しむ社会層を目指して説明されていれば、放送を聞いて潜在的な顧客層を掘り起こすに違いない。ヴィルヘルム・ヴァイル現当主のこの分野における手腕は見逃せない。

ターゲットを絞って効果的に語りかけるという事は、如何に敏感にその市場に反応出来ているかという事で、アウトプットだけのインプットがあるのだ。その証拠に、2008年度産から繰り出す商品カテゴリーやカテゴリー別けにVDPの枠組みを上手に利用しながら今日的な商品開発へのセンスが見て取れる。

詳しくは試飲会に参加してからの報告となるが、偶々オーメドックで訪れた醸造所と言い、このロバート・ヴァイルと言い、資本参加しているサントリーの悪い影響が殆ど感じられないどころか、寧ろ肯定的に感じられるのが立派である。

そのワインの質を五つ房とか、その高過ぎる価格が妥当だとかは、評価本ではないから一切言わないが、そうしたメディア対策や商品の質やイメージつくりはこの数年でとても垢抜けて来ていて、ドイツの醸造所では五つ星である事には間違いない。総合的に私に言わせると、ドイツワイン特にラインガウワーヴァインの今日のスタンダードとして誰に奨めても「恥ずかしくないリースリング」としておこう。



参照:
醸造所訪問 ロバートヴァイル (ヨーロッパ、ドイツワインについてのいろんなベスト3)
ロバート・ヴァイルのワインはやっぱり・・・・!の巻 (Weiβwein Blog)
シュワッと爽やかなヴァイル (新・緑家のリースリング日記)
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鉄の時代の金属職人親方

2009-08-10 | アウトドーア・環境
イタリアの登山家リッカルド・カシンの死をBLOG「月山で2時間もたない男とはつきあうな! 」にて逸早く知った。この六日にコモの自宅にて百歳のアルピニストの生涯を閉じた。個人的には、一昨年この大物のホームグランド周辺に二三日滞在して、現地では重要な人物として毎年誕生日が祝われている事を知った。

主な活躍は1930年代の所謂鉄の時代の最盛期であり、グランドジョラス北壁のウインカー稜の初登頂や地元ピッツ・バディレ北東壁、ドロミテラヴァレド峰等の初登攀が有名である。インタヴュー記事などを読むと、現在の住居レッコに引っ越してきた金属工は12時間週六日働き、毎週日曜日に周りの労働者仲間と岩登りクラブを形成して練磨していたようである。

狙った目標は一度も外さず、一度登り始めれば初登攀をやり遂げて帰宅すると、とても強い意志が感じられる反面、典型的な町工場の社長タイプで絶対に人の尻には浮かず我を押し通したというから恐れいる。その証拠に嘗てのパートナーと喧嘩して、未だに「奴が百五歳で死んだから、俺は一日でも長生きしてやる」と息巻いていたようだが、それは叶わなかった。

大阪を訪問した時付き添った者から聞いた話通り、小男の割に手が長く、異様にごつい手をしていて猿のような親仁だったようだ。そのヴァイタリティーが目に浮ぶようで、78歳にも自らが開いた地元の北東壁ルートを再登している。

我々世代では、岩登りの道具のブランドとして氏の名前は有名であった。片付けてあるそのブランド商品を集めてみると、数点が見つかった。なぜその商品を選んだかというと安かったからである。共通しているのは、綿密に計算されて完成された道具というよりも町工場で作られた素朴な商品という印象である。だから他の高級商品に比べると洗練から程遠く、どれも重くバランスも鈍いのである。その町工場を十年前に吸収されるまで本人が率いていたという。

先月のアルペン協会の機関誌においても昨年暮れに死去した同じグランドジョラス北壁のクロ峰初登攀者ルドルフ・ペータースが特集されていた。その二つのルートを比べると、前者の方より後者の方が岩に張り付いた薄氷を登らばければいけない要素が多く、現在ではそうした場所を得意とする登山者が減っている事でもあり困難とされている。しかし、リッカルド・カシンが活躍していた時代は現在のような靴も無く、ルドルフ・ペータースが12本爪のシュタイクアイゼンを自作して後者のルートを踏破している。カシンがハーケンだけで泣くアイスハンマー商品をブランドの中心に据えて、ペータースが考案したゴム底の特許で生計を立てていたのも面白い。

更に視野を広げると、金属工などが熱心に自らで道具を作り、そうした近代社会の労働者層が熱狂的に自然に挑み、そうした社会層を巻き込んだファシズムにカッシンなどがレジスタンス活動を行なっていたというのが、「アルピニズムの鉄の時代」と呼ばれる矛盾を内包した社会や運動であったのだろう。



参照:
Addio Riccardo Cassin maestro di alpinismo (Gazzetta.it)
CASSIN
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ロールキャベツを食せば?

2009-08-09 | 料理
蒸し暑い日が続いた。窓を開けて寝た。外食が多かった割には歩く機会がなかった。パンを取りに行くついでに雨が降り出した中を森の木陰に隠れながら少し歩いて帰ってきた。

帰りの車中のラジオが、フランス革命の遠因の新説を紹介していた。FAZの経済面かららしいがまだ読んでいない。それによるとミュンヘンの学者がフランス軍人の正確な体格の資料から革命前は一世紀前に比べて完全に体格が劣っているという資料を根拠に飢餓説を主張したようである。まさに、マリーアントワネットがなぜそれじゃケーキを食べないのと発言すれば一発触発の状態であった事になる。

現在の先進工業国においては、年金や高齢者医療またその全体の生活への不安が募る中おかしな発言をすれば同じような発火装置になる。将来への不安が多い中高年層に向っておかしな経済秩序を支えるために無駄な消費を推し進めろといっても誰も耳を傾けない。

先日食したロールキャベツだが、買った時は小振りなもの一個が一ユーロを越えていたので高いと感じた。しかし、これ一個に生野菜をつけ合わせるとソースもなくとも十分なディナーとなった。これまでも食した事はあるのだが、ヴィルジンクと呼ばれるそれではなくて分厚いキャベツが使われていたようでこりこりとして歯ごたえがあってとても食べ応えがあった。中身はお得意の腸詰の中に詰めるブレートであり肉屋のお手のものである。柔らないキャベツのものよりも断然うまい。

日本で一般的な肉屋のコロッケはあまり食べたことがないのだが、肉屋のロールキャベツは蠅さえたかっていなければこれからも買いかなと思った。もちろん合わせるワインには全く困らない。



参照:
体に戻る汗 (☆・。.・☆写真エッセイ&工房「木馬」)
広島原爆ドームと資料館を見学し、亡父の体験を思う (電網郊外散歩道)
ますます増してくる苦味 2009-08-05 | 雑感
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不愉快なアルコール酔い

2009-08-08 | その他アルコール
スーパーでライムを安売りしていた。特になくても困らないがレモン代わりに使おうと思って購入した。しかしそれだけでは終らない。ついロンドンジンに手が伸びてしまう。後で考えるとソーダもなくまともなロングカクテルは作れないが、水で薄めて飲んだ。試しに塩を混ぜたのは失敗であった。

最近は強いアルコールを飲まなくなったので、効き方の違いが良く分かる。今更であるが、アルコールのパーセントの違いは量だけだとなんとなく考えていたのが誤まりだと分かった。要するに分解や体内への吸収の相違が大きいのである。

アペリティフとしてそれを引っ掛けてからスーパーの肉屋で買ってきたロールキャベツをヴァッヘンハイマーオルツヴァインとやるが、ワインの味が今一つハッキリしない。やはり口の中が、カクテルの砂糖とアルコールで変調をきたしているようである。

最近は運動の後にも麻酔効果を求めてアルコールを摂取する事はなくなってきた。それが必要ないと思うのみならず、肉体をある程度制御する意識が強くなると酔いの感覚が不愉快になってくる心理的な影響もあるようだ。

もちろん肥満気味の時分は、食生活も異なり、酔い方も異なった。食べて飲んでいる内に酔っ払っていて知らぬうちに二日酔いになっている感じが強かったが、最近は良質のワインやビールを飲んでいれば量を越えて後に残る事はない。

そうなるとワインのアルコールの二三パーセントの濃度の差異に味覚からだけでなく関心が湧くのは当然であろう。
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砂場も室内も少し暑くなる

2009-08-07 | 
今日は室内にいても暑かった。昨晩、いつものように飲もうと言う事で、お目当ての連中は先に帰ってしまっていたので「町に出よう」とお声が掛かった。一体大げさに町のマーケット広場とはどこかと訝っていると、車はノイシュタットの町中へと先導して行った。なるほどこれなら市に違いないと思ったが、「てっきりギメルディンゲンの村の広場の事かと思った」と笑った。

サンドのある広場というので何の事かと思っていると、町中に砂を敷き占めてまるでビーチバレーのコートのようになっている一角の事だったようで、これも初めてみた。海の家風のものが出てそれなりに雰囲気を出しているのである。

ビキニのお姉さんは流石に居なかったが、ミニスカートに少し胸の開けたようなお嬢さんが寝椅子に寝転がっていた。海水浴場はないが大きな池の水泳場はそこいらにあるのだが、今年のようにあまり暑くならないとこうした所で憩うのも手軽なのだろう。

暗くなるまで外に居たのだが、前夜と違ってあまり冷えない。それでも帰ってきてから寝室の窓を閉めた。夜が明けて午後に漸く室内も暑くなってきたが、それでも例年と比べると乾燥していて涼しくて良い。
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多様な視点の違いを楽しむ

2009-08-06 | 雑感
空にしておいた郵便桶をついでに覘いた。またもやCDRらしきものが入っていた。名前を見ると先日山でザイルを組んだパートナーのものであった。午前中に立ち寄ったみたいである。同じワイン街道に住んでいるが25KM ほどの距離がある。何の用事があったのかなの考えたが、なるほど彼の職業や日常を知らないので皆目想像がつかない。

早速中身を見ると当然ながら先日の写真である。彼の奥さんはグラフィックの仕事をしているようなので、山の上でも近接の写真を撮っているのは気がついていたが、なかなか被写体の表情が良い。奥さんも満足していることだろう。

それにしても同じ行動をしていながら写す視点が皆千差万別なのがとても面白いと思った。まだ少なくとも一人のCDRは貰えるのでそれも楽しみである。

その視点の違いから言うと、私の場合は解像度は低いながらも岩壁の全景の資料的な写真を写すのが好きなようだ。意外にネットなどで入手し難いので価値はあるのだ。それ以外は出来る限り山岳写真としての視線を心掛けているので、どうしても映りが良いものは少ない。更にカメラの調子もあまり良くなく、焦点が合わないケースも最近しばしばある。小型化したデジタルカメラも何時か買い替えないといけないと感じている。
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ますます増してくる苦味

2009-08-05 | 雑感
一度紹介した日曜日の朝のラジオの宗教の時間の話が頭に残っている。時間は買えるか、買えないかという命題に繋がると思う。流石にマルキズムやその発展には無関心でもこれはやはり年金問題やライフスタイルがとやかく言われる「生活の核」に属する重要な問題である事ぐらいは解かる。

先日石切場の帰りに町医者と一杯引っ掛けているときに、そこでの仲間の事に触れて、「彼は働なくても良いからな」と発言したので、「それは結構だ」と直ぐさま答えたが、そこにはなにか揶揄するような些か苦味が隠されていたのは間違いない。

なぜそのようになるのか考えてみるのだが、明確な答えは対話でもありなかなか生まれて来ないのだが、そこで話した麻生総理の「老人は働くしか能がない」の「迷言」に通じているように感じる。

上の仲間の男性を五年以上も知っているが、菜食主義者でその凡その見かけからの年齢と性格しか知らない。職業もその教育についても一切分からない。なんとなく経済力は様々な事実から漫然と想像するだけである。

今や69歳の声が聞こえる連邦共和国で年金者になると言う事から恐らく早く希望退職をして企業年金などを一時金として多めに受け取ったと想像する。それはそれで本当に結構な事なのだが、「一体何をして遊ぶんだ?」というような本来は人様にとってどうでも良い想いが誰にも浮ぶのだろう。

その彼であるが最も熱心に石切り場に通っている人物であり、なるほどそれなりの腕を上げているのだが、正直我々経験者の目からみるとどうしても「五十の手習い」の域を出ないのである。それは、なにも彼が遅れてやって来ただけではない何かがあるのだ。そのなにかを説明するのは難しい。

しかし、上の「持つ者と持たない者の差は自由に出来る時間の差」であると言う命題は、掘り下げていくと一概に数量化出来ないのが解かる。まさに、持つ者の代表の様である工業先進国の総理がその時間で漫画を寝そべって読んでいるのか物を知らないようだからこそ「働くしか能がない」の言葉が真実味を強く帯びるのだろう。

その苦味がいよいよ増してくるようだ。



参照:
希望という自己選択の自由 2009-06-19 | 文化一般
人はなんのために働くのか (時空を超えて)
Never Ending Story (雨をかわす踊り)
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ヴァイタリティに溢れる時

2009-08-04 | アウトドーア・環境
陽射しの強いところも、雨の中も歩きたくない。パン屋の夏休みが終ったので、それを取りに行くついでにまた森を歩く。これまた久しぶりに煮豚を取りに行って夕飯に備えた。

5.6KMの経路、高度差140Mを一時間弱で歩いた。まあまあの速度だろう。その道すがら、こうして歩くだけでヴァイタリティーが満ち溢れてくるのを感じる。朝早くは愚図つきがちであったが気持ち良い夏の午前となってきた。

必ずしも子供の時から運動に興味を持っていた訳ではなく、寧ろ身体を動かすのを苦手にしている人間であるが、こうして身体を思うように動かすことから嘗てない程のスポーツ的な成果を挙げつつ、尚の事更なる目標を正確に定めていると、一時俗社会で流行っていたようなフィットネス賞賛ではないが、体を動かすことは社会生活にも大きなヴァイタリティーを与えることが実感出来る。

先日の山行においても、体重オーヴァーの親仁さんのザイルを受け取ってその後を息を上げながら登っていたのを、隊長の警察官から見極められて、「コンディショントレーニングはしているのか」と声が掛かった。「いやそちらの方はまだまだ」といい訳をしたのだが、二年ほど前に「葡萄園を散歩している」、「それでは足りん」と言われた時とはやや違う。その証拠に最終日には、選抜メンバーの中で「着いて来ている」と言わせたのである。

まだまだ時間を掛けて強化できる。先三十年ほどの間で思う通りの放物線を描きたいのだ。昨晩は、仲間の医者が漏らしていた四千メートル峰のルートなどをみて、もしかすれば北壁への準備として登って措くべきかなどとも考えた。なにもこれという具体的な目標がある訳ではないが、あまり一極へと集中せずに様々な事を試しながら実力向上を目指すのが、上の医者にも語ったように事故も起こさず安全に登山活動を続けるこつであると感じている。

だからと言って、別の仲間がするような軽飛行機を操縦したり、ヘリコプターを操縦したり、スカイダイヴィングをしたりの余裕はない。軽飛行機だけは後一年ほど日本に済んで居たら免許を取っていたかも知れないなと思いながらも、同時に興味のあったジェット機の購入操縦ももはやどうでもよくなった。それでも決して実生活での可能性が狭まったと感じないのは考え方の変化に違いない。

友人から電話が掛かってきて九月の都合が変わったと、試飲の日程の変更が検討された。しかし実は彼女のお兄さんの膵臓癌が骨折の検診で発覚したというのだ。彼女の旦那さんと奇しくも同じ病気である。一度しか会ったことはないが、まだ若い家族の顔が浮んで気の毒としか言いようがない。まだ教師として現役で働いていたと言うからまだまだ若い。

葬儀屋の宣伝ではないが、「お別れは急にやってくる」もある意味真実であり、それは何人も避けようがない。しかし、最後の日までのヴァイタリティーに溢れた時は少なくとも目指すことが出来るような気がするのである。
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甘い汁を吸い続けた報い

2009-08-03 | ワイン
手土産で貰った残りの一本を試す。ラインガウのヨハニスホーフ醸造所のレットランド辛口シュペートレーゼ2007年産である。最初の香りの印象は、その土壌の多様性に反して強いスレート香で「お前もか」と感じたが、逆にその香りを裏切る複雑さをも期待させた。アルコールは13.5%と決して低くはないが、2007年産のリースリングであるからまだまだ新鮮さで飲めると期待した。

結論からいうと先日のシュロース・ヨハニスベルクの腐りの2006年産の葡萄とは異なるが傾向は良く似ていて、過熟成がなによりもの欠点となっている。事情は知らないが、なにかグランクリュに拵えるところがそれに満たなかったという事で、要するに酸が足りないのである。価値は販売価格の半分ぐらいでこれもこうしたものに手を出す顧客層が居ると言う事でその醸造所の顧客を含めたレヴェルがそこに明確に反映しているようだ。

その辺りにラインガウの醸造所が、プファルツのミッテルハールトの指導的な醸造所に比べて十年ほど遅れをとっている事を証明している。要するに、ドイツワイン法の果実の熟成度によって「銭を取れたクラス別け」にしがみついてなにも分からない米国人や日本人に誰も飲まないような甘ったるいリースリングを高く売りつけていた既得権のような市場から脱皮できずに高級ワイン協会VDPに属しながらも文字通り「甘い汁」を吸い続けて来た報いが顕著に現われている。

ここまで書くと感の良い事情通の聡明な日本人ならば、今や日本の工業製品が欧州のガイドラインに則る為に欧州商品を研究する事で初めて自国のみならず中国や米国市場などへ向けて商品開発が可能になっている事実を思い出すだろう。要するに欧州は世界の基準を作る事で絶えず文化的に世界をリードして行くことをその是としている事をである。

話題をワインに戻せば、そうした主導権争いはEUと各々の加盟国だけでなくてドイツワイン界内部においても政治と産業界もしくは団体や醸造所とジャーナリズムの中にも激しく存在するのである。その火種が熱く燃え上った好例としてFAZ紙も先頃の「評価本と醸造所の間の軋轢」について文化欄で触れている。文化と評論家の問題を多少なりとも知っている者には、今更ワイン如きのそのような話題にはうんざりである。

上の日本などで有名な甘口を得意として来たモーゼルやラインガウなどの名門醸造所が完全に流れに乗り遅れて尚且つ溺死しかかっている状態を称して、紛争の責任を取って評価本の編集長を辞任したデール氏自体が、「ナーへワインの自らの甘口趣味をその評価本の基準としていた」ことがそこで明白に暴露されている。要するに、ナーへなどのスレート地盤を強く反映させて更にドイツワイン法に従って過熟成させて味を強くしてワインの繊細どころかイロハの分からない人種に高く売りつける方法 ― それどころかそれもない周辺部の場末のワインに不凍液まで混ぜさせたのである ― への反省として生まれた現在の高級ワイン協会のグランクリュを上手く造れない乗り遅れた生産者に対しての救済処置もしくは自己擁護から覇権を取り戻すための行いがこうした評価本の基礎にあったという見解である。

その実態に関しては知らないので私見は控えたいと思うが、上のように収穫量を落としたグランクリュを醸造できない地所 ― 多様性に富んだ土壌だけでなく過熟成のため酸の不足や甘口なら誤魔化せる健康な貴腐の欠如に悩む ― は少なからずドイツの多くのワイン産地にはあり、その結果として上のような試飲したリースリングがドイツのワインとしてまるで「盲人が像の鼻を触るよう」に扱われた矢先には、私も声を大きくして叫ばなければいけないだろう。

「ドイツリースリングなんて、とてもじゃないがフランスの繊細なワインそれどころかアルザスのそれとは比較にはならないよ!瓶の底が引っ込んでいないワインなんて安物ワインだよ!」

正直お話にならないのである。そこで如何にラインガウのロバート・ヴァイル醸造所がミッテルハールトの指導的な醸造所に比べてつまらないワインを醸造していて非常識な高値をつけると愚痴っても、並み居る名門のラインガウの醸造所がこれぐらいのワインしか醸造出来ていないのを見ると、なるほど「ヴァイルがドイツ最高の醸造所」だという声も納得出来るのである。

モーゼルやラインガウの名門がハールトのそれのようなグランクリュ栽培醸造に遅れを取り戻して十年後にそれが造れているのかどうかはなんとも言えない。なにもそうしたワインでなければいけない訳ではないが、そうでなければ国境が取り払われてフランスワインと互角に対抗出来るものができないという協会の方針は決して間違ってはいなかった。なんでもない、そうしたリースリングを醸造できる地所や醸造所がどこにどれほど存在するかという問題だけなのである。

上のワインの詳細について纏めておくと、醸造所が天然酵母醸造を主張しないながらも還元醸造を銘打っている事からハールトのVDP会長のクリストマン醸造所にも通じるリースリングである。もちろんそこでは酸の欠けるようなリースリングは知る限りここ二十年ほど出荷していない。もちろんそれだけの差ではないが、期待に反してモノトーンのようなロットランドの土壌はあの山城やローレライのような岩盤の味覚でもあるのだろう。その取っ掛かりのなさは黄土の乗ったラインヘッセンのフーバッカーののっぺり感にも通じる。しかしそれほどの綺麗さもない。価格については、同価格のクリストマンのSCと比べると半分の価値も無い。そもそも数少ない辛口に手を出す者が珍しいのだろう。

因みに1994年から新興醸造所と持ちず持たれずで台頭して来た評価本の連中は、広告費と称して所場代を請求するのみならず、顧客でもないのに只飲みをさせろと嘯くワインジャーナリスト ― この類ではミシュランを語る頻発する無銭飲食の詐欺行為が有名である ― の盟主である。FAZの記事に漫画が掲載されていて、ジャーナリスト先生は醸造家にワインを注がせながらくだをまく。

「どんどん注げよ!僕はねゴーミヨ・フラットレート・ガイドのために仕事してんだよ。読者はね、ただただ後遺症に興味があるだけなんだよ」



参照:
Einer wie der andere - ist das Qualität?, Alard von Kittlitz, FAZ vom 1.8.09
EUワイン市場改革とドイツワイン (モーゼル便り)
迫力満点の暑苦しいヤツ (新・緑家のリースリング日記)
ゲオルグ ブロイヤー ラウエンタール 2007 (ワイン大好き~ラブワインな日々~)
熟成する力関係の面白味 2008-05-30 | ワイン
プァルツの真の文化遺産 2008-01-13 | ワイン
腐れ葡萄にその苦心を窺う 2009-07-30 | ワイン
コメント (6)
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容易に崩壊を招く悪い印象

2009-08-02 | 
健康保険大臣ウラ・シュミット女史が公用車でスペインまでのドライヴを楽しんだとかあったが、あまり興味のない話である。嘗て喜んで欧州中を車を走らせていた時でも、イタリアでもローマまでは走らせようと思った事はない。車が無くなるか壊れて仕舞いそうな雰囲気があったからである。実際にドイツのレンタカーでその地方へと旅行するのは禁じられていたが今はどうだろうか?

さらにマヨルカ島でテロがあり、ただでさえ豚インフルエンザで誰もスペインには旅行しなくなったところに打撃を与えた。こうした事件はイメージの問題なのでその本当の危険性とは別に大きな経済的影響を与えるのは間違いない。

だから堅強な運転手兼ボディーガードの車に乗ってといってもテロリストもいるバスク地方を通ってスペインまで走ろうと思う元気には恐れ入る。私が計画したポーランドを通ってモスクワまでの寝台車の旅とあまり変わらない。

そのBSE騒動の時などに腕を振るった人気女性政治家が一先ず次ぎの社会主義者政権の閣僚名簿から落とされたとかいっても興味を持つ人は少ないだろう。それを裏づけするかのように、労働組合は社会民主党の支持を取り止める事を発表した。年金制度やその他の政策の問題以上に今や働く有権者層の縮小で働く人の政党は国民政党ではあり得なくなっている。



参照:
人はなんのために働くのか (時空を超えて Beyond Time and Space)
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