Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

年末までのクレジット

2011-12-02 | 試飲百景
この冬シーズン初めての週二回目のクライミングであった。体調は寝不足で優れず、なぜかパートナーの医者も同じように朝四時まで眠れなかったようだ。何時もの彼の診断に従って、ホルモン異常ということになった。通りで待ち合わせ時刻を相談するときの電話で珍しく風邪気味だとか語っていた筈である。

そのような体調であるから、体力をあまり使わないように垂壁も交えて二時間程度に短めに軽く練習したが、それでもなんとなく疲れは残った。

月曜日に注文した新しい靴は、前回と同じものをネットで手軽にクレジットカードで注文したので、足がまだ合っていない分若干フィット感は無かった。どうせ春のシーズン前にもう一足買わなければいけないので、適当に「緩い」靴を所持しておくのも悪くは無かろう。室内壁は立ち上がりさえ良ければあとはどうでも良い。

月が替わったところで六月に注文して八月に追加注文していたワインを引き取りに行った。2010年産のプュリミエクリュとグランクリュである。前者のヴァッヘンハイマー・アルテンブルクは限定発売品なので今まで試飲はしていない。それにゴルトベッヒャエル、後者ではウンゲホイヤー、ペッヒシュタイン、ホーヘンモルゲン、カルクオーフェンの六種類である。ゴルトベッヒャエル以外はどれもこれも既に売り切れ商品であり入手出来ただけでも良しとしなければいけない。

更にクリスマスプレゼントに購入しようと思っていたボェーリックも売り切れていて、2010年産で残っているのはゲリュンペルとレヒベッヒャェルのみで、2011年産のグーツリースリングとヴァッヘンハイマーオルツヴァインが売りに出ていた。

それらを試飲したあと一箇所歯の敏感なところが痛み出した。全く除酸をしていないという醸造所などを含めて、2010年産で最も歯に堪えたアグレッシーヴな酸のリースリングはこのビュルクリン・ヴォルフ醸造所のピュリミエクリュであって、十分に酸を分解している筈なのにこの過激性は特筆に値する。恐らく除酸の方法がその過激性に影響しているとしか思われない。兎に角、2010年産の上級のリースリングは愛好家向けの寝かせる商品なのである。

同じように醸造量が少なかった2006年産でもこのような売り切れ状態は無かったが、2010年産に関してはその酸の過激性を上回る将来性が買われたのだろう。さて、アルテンブルクを早速開けると、これまでに味わったことの無いシャープな輪郭が秀逸で、ミラベル系の味筋が特有のペトロ系ミネラル味に乗る。糖も酸に対応するだけ寄り添っている感じだが、到底残糖感となる心配は要らない。つまり、現時点でも楽しめるが、二年後に新鮮さが薄れ重くなる心配は無く、安心して寝かしておける。

ゴルトベッヒャエルの方はそれに比較するとこの二ヶ月でも進展していて、更に果実風味が落ちたミネラル味となっていて、もっともレープホルツ醸造所のそれに近い味筋である。これも寝かしてみたいが、酸が円やかに感じ、糖が少ない分だけ直ぐに飲み干してしまいそうである。

さて2011年産はその葡萄の熟成に見合ってか、酸を際出すためか糖が抑えられてアルコールを上げる方向にある。グーツリースリングでも12.5%、オルツヴァインで13%と、アルコール度の高い生産年となりそうである。安く飲み代が整うのは悪くは無いことである。



参照:
トロピカルかパッションか 2011-09-23 | 試飲百景
ヴィルヘルム・ヴァイルのワイン 2010-09-05 | 試飲百景
進化という自然環境の神秘 2010-07-03 | アウトドーア・環境
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旨味を増すBGM環境

2011-12-01 | 
11月の降雨量が記録的に少なかったらしい。ラジオが伝えるところによると、例年は平米80Lのところが数リッターしか降っていないという。先日来霧が立ち込めて湿気が高いと思ったが、気温が上昇して地下から地上に浮き出した最後の湿気が冷やされたものだったのかもしれない。作物に影響を与えそうだ。

地下といえば、外国人を二桁暗殺し続けたアンダーグラウンドネオナチグループNPUの一部はハンガリーに拠点があったというがスイスにも活動拠点があったという。スイスはヒットラー政権と微妙な関係をとり続けて、その活動は続いている。逆にユダヤ系組織も強力であり、当然のことであろう。

ロンドンのトラファルガー広場を訪れてナショナルギャラリーを臨んだ人は、もしくはクラシックのLPなどを集めた人で知らない者がいないのは、隣にあるセント・マーティンフィールドの教会維持のために始められた演奏会であり、そのアカデミーと称する室内楽団だろう。

その指揮者として有名なネヴィル・マリナーがEUのプロジェクトとして旧ソ連の敵対通しの国々やスラヴ系の諸国の若者を集めて音楽をする楽団の指揮をベルリンのフィルハーモニーで行ったようである。音楽会前にカフェーでインタヴューが行われて新聞に紹介されている。

そもそもあのアカデミーの音楽は教会のチェンバリストのチァーチル氏と、その音響や奏法などで意気投合して成立して、ロワゾー・リールの録音が始まり、カラヤンに続く録音の数を誇るのは周知の事実である。

さて、手元のディコグラフィーを見ると、メインレパートリーのモーツァルトからブレンデルとの協奏曲数曲と交響曲がある。その他は一二枚小曲集のようなものがあるだけだろうか。改めて聴くと、イージーリスニング的なサウンドで20世紀に商品化されたモーツァルトの体現を確認できる。

つまり、イムジチ楽団がヴィヴァルディーでバロック音楽をBGMとして量産したようにモーツァルトの音楽をそのように消費物にした軽快感あるサウンドが功を奏した。まさにチェンバリストとの協力で、既に古学奏法や復興楽器などの活動が始まっていたにも拘らず、実際の楽師の労働条件や奏法などの問題から現代楽器においてイムジチにおけるバロック風の響きを創造したということになる。

上の協奏曲などでは、ピアニストが後年見せたようなモーツァルト演奏実践を十分に覗かせはするのだが、管弦楽は後年入れ直したマッケラス指揮のそれとは全く異なり、あらゆる表現をそり落としてイージリスニングにしてしまっているのには驚くばかりである。

昨晩ドイツ銀行の自動記入機を使うと、ヘッドフォン端子がついていることに初めて気がついた。ジーメンス・マックスドルフの機械だと思われるが、どうも視覚障害者のための装置のようだ。その機械で振り込みなどが出来るのだが、音声によって導かれるようになっているのだろう。

それではなぜボタンを押して環境に音声が流れるようにしていないのか?なるほどプライヴァシー保護の観点から外に音が漏れないようにしているのだろう。そしてなによりも無用な音を環境に発信させないようにすることが肝要である。警告音などの重要な音を除いて、所謂無駄な音の洪水はまさしくBGM効果と同じで人心に与える影響は計り知れない。少なくともBGMは人類をゾンビ化を加速しているのは間違いないだろう ― 丁度神戸牛をモーツァルトをバックグラウンドに飼育して旨い肉を獲得するように。もはや、TVなどに代表される受身の映像情報の氾濫は限界を示したが、音声情報に関してもその商業性に関連して市民は徐々にそのBGM効果に覚醒してきている。



参照:
アダージョ・イム・アウト 2011-11-03 | 雑感
最後の四半期の落穂拾い 2011-10-09 | 暦
細野補佐官のついた嘘 2011-06-08 | テクニック
手触りのよい本 2006-04-09 | 文学・思想
六十六歳、人生の始まり 2006-03-02 | 生活
マイン河を徒然と溯る 2006-02-24 | 生活
生誕おめでとうかい? 2006-01-29 | 生活
文化的回顧と展望 2006-01-01 | 生活
麻薬の陶酔と暴徒の扇動 2005-11-02 | 生活
著作権の換金と集金 2005-08-07 | 文化一般
御奉仕が座右の銘の女 2005-07-26 | 女
骨董化した空間のデザイン 2005-04-03 | 文化一般
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