Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

無責任なリセットの構造

2011-12-17 | 歴史・時事
昨日は「冷温停止宣言」が世界を巡った。一様に驚きと共に、「理解不可能な日本人」が改めて確認された。冷温停止の言葉の使い方についての議論をぶり返す必要もないが、最も興味深い東京からの独第一放送協会SWR放送の特派員のそれは、「日本人を知っている者」にはなるほどと思わせる「否が応でも年末で宣言しなければいけない心情」であって、新年を迎えるにあってリセットしなければいけないという日本人の世界観を如実に示していた。

しかしそのようなことよりも、細野大臣の発言を聞いているだけで、途轍もない悪がそこに存在しているのが分るのである。要するに「オンサイトからオフサイト」への問題の切り替えは、表向きの被災者などの救護と今後発生するであろう被曝症への対応や除染などを含む「復興」ではなくて、東電や政府の責任への関心を他所へと向ける宣言でしかなかったのである。これはフランクフルターアルゲマイネ新聞 - 昨日新聞社から電話があった。お試しの日曜版についてである。もちろんはっきりと「レベルが違う」と答えておいた。 - などの記事も指摘しているが、要するに「これで東電は救済された」という宣言である。

更にはオンサイトつまり福島原発の国有化で、東電を負担から解除してやってというような論調が繰り広げられるようになってくると、もはや日本の市民各層が総力を挙げてそうした悪の構造を粉砕しなければいけない市民革命的な状況が近づいているとしか思われない。

東電は、あくまでも「除染については協力」としての態度を昨日の最後の統合会見でも繰り返していて、政府がその汚染処理の当事者から東電を既に解除していることを端的に示している。少なくとも東電前での抗議活動や要求を大々的に繰り広げるべきである - それが出来ないならせめて新聞の購読を停止してTVをつけないことである。そうして責任を追及しないことには日本は第二次世界大戦後の復興と同じように再び同じ過ちを繰り返すことは間違いないのである。もはや東電解体にしか日本の民主化はありえない。

細野大臣は、統合記者会見の終了に関して記者クラブの「仲間内」から要請があったという意味を不用意にも漏らした。マスメディアや政府・行政組織だけでなく立法府においても悪の構造が蔓延っている限り、まっとうな議会制民主主義など戯言なのである。政権交代などは茶番劇でしかない。



参照:
市民を無視する政治社会背景 2011-06-05 | マスメディア批評
経営不安の独占企業 2011-06-13 | 歴史・時事
誰の生活が第一なのか? 2011-08-04 | マスメディア批評
初盆に配慮で統合会見休止 2011-08-12 | マスメディア批評
毒は勝俣に呉れてやれ 2011-08-25 | マスメディア批評
弾劾すべき官僚らのサボり 2011-08-30 | 歴史・時事
引き継がれるとても重い遺産 2011-09-14 | マスメディア批評
不平等には不払いの薦め 2011-10-10 | 歴史・時事
地盤に立ち上げれ、農民! 2011-11-15 | アウトドーア・環境
小日本鬼子の無法地帯 2011-11-29 | 雑感
ありえない出入り管理 2011-11-30 | 雑感
覚せい剤の民主的な合法化 2011-12-04 | 歴史・時事
キャリア志向の俗物記事 2011-11-16 | マスメディア批評
襲い掛かる教養の欠落 2007-07-27 | 雑感
旧大陸での人権の保障 2007-02-13 | マスメディア批評
暁に燃えて、荒れ狂う 2005-08-30 | 歴史・時事
「冷温停止」 最後の合同会見で世紀の大ウソ (田中龍作ジャーナル)
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様々な集客法の研究

2011-12-16 | 文化一般
ミュンヘンの有名なドイツ博物館にホールを建築する話が持ち上がっている。バイエルン放送協会の交響楽団がホームとする目的がある。現在そこにあるナチス時代のホールを取り壊して新設して、文化博物館としての機能を持たせるようだ。

西ドイツの放送交響楽団は、戦後の復興期の産物であって、ホールという面ではどの交響楽団も恵まれなかったのであるが、多くはホームグランドとするモダーンなホールを持つようになっている。反対に、場所となかなか結びつかないような交響楽団は、解体・統合などになっているザールブリュッケンなどの交響楽団を見ても、またフランクフルトの交響楽団などを見ても将来性に疑問符がつけられるのである。

今更フィルハーモニーでもないとは思うが、その母体である放送局が管弦楽団を維持できる限りは、フィルハーモニーとしてその音響体を伝統化していかなければいけないのだろう。

ミュンヘンは、最も貧しい州バイエルンの帝都から世界の輸出覇者西ドイツの工業の都ミュンヘンへと発展した。元々はドレスデンやヴィーン、ミラノなどと並ぶ音楽の都であることには変わりないのだが、オペラ劇場は有名でも歴史もあるミュンヘンの交響楽団フィルハーモニカーは世界からの観光客が殺到するまでには至らない。しかし、素晴らしい音楽ホールが出来れば、放送交響楽団はそれにも勝るとも劣らない集客力があるだろうというのである。その意味から、同じ工業大都市シュツッツガルトのリーダーハレなども態々遠くから訪れるだけの魅力ある場所でもなく全く音響体を育む入れ物でもない。

全く話題は異なるが古新聞を捨てるために、ワインに関する記事を要約しておこう。日本で四十年以上の活動実績のある有名な自称世界最大のワイン直販業者WIV株式会社のピーロート氏が経済欄に紹介されていたのである。十万人の顧客に対して、五十万本を売り、総売上は460億円のファミリーオーナー企業である。42歳の社長は一時東京にも在住して市場を研究して開拓したようである。現在は羽田空港内のワインバーが好評で、世界中の顧客開拓に十五円相当の投資をしている。

もちろん不凍液騒動で最も中心となった存在であり、悪いドイツワインを世界に広めた張本人である。しかし、その会社は今も健在で、世界各国で直販活動を広げている。その商法は、下着か何かのように訪問販売でホームパーティーを行ってもらい、そこで試飲してもらって購入してもらうという方法のようである。そのような営業形態ゆえ、全従業員5400人中三分の二に当たる担当者は営業で、主な客層はディスカウントのワインを購入している層で、ワイン通には声を掛けないということである。それでも販売するワインの一本あたりの価格が9ユーロというから、その儲けのよさは計り知れない。それでもヨハナス・ピーロート社長は、5%-10%の利潤率で、まだ満足していないという。

当然のことながら、ドイツやフランス、ハンガリー、オーストラリア、南アフリカなどからの自家品は、もはや2%に満たなく、各国からワインを集める形になっている。

さらに売り上げの安定化から卸売りにも90億円規模の商売をしており、その一方三年前からインターネットプラットホーム「ネックドワインズ」のBLOGのフォ-ルムの形式で「エンジェルス」と名乗って4800人の新規顧客と12億円の売り上げを上げたというからまれに見る商法である。20ポンドの会費を払うと三分の一の価格でカタログから購入できるというのである。

こうして世界十八国から売り上げを稼いでいるが、極東の商売は難しいと漏らす。なぜならばそこではエリートのワインが好まれて、ピーロートのワインでは売れないからと語る - 現在日本で購入できるドイツのワインをエリートとするとそれにも掛からないワインとは精々買い付け価格で2ユーロぐらいだろうか。ワインに不凍液を混ぜたぐらいでは潰れない会社、そのふてぶてしさはなんとなく東京電力に似ているのである。



参照:
Wir bauen einen Leuchtturm an der Isar, Hannes Hintermeier, FAZ vom 15.12.2011
Die Geschichte zum Wein gehört dazu, Brend Freytag, FAZ vom 27.6.2011
自宅よりも快適な車内 2005-02-14 | 歴史・時事
買ってしまうグランクリュ 2008-10-02 | ワイン
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力の抜けない未知の領域

2011-12-15 | 生活
ここぞのときに「力が入らない症候群」についての反響が大きかったようだ。繰り返しになるが、神経の問題であるとすると反復していつでも「つぼ」を刺激しておかないといけないということになるのだろう。

運動だけではなく、ある種の思考も頭を巡らしていないと退化すると考えてもおかしくは無い。以前ここでもラジオで聞いた「認知年齢」に関するハイデルベルク大学の研究にも準拠している。そこでは、反対に運動をしておくことが、脳の認知能力を退化させないことに繋がるというものである。

そこで以外にも挙がっていた子供のときの栄養状態を運動能力も適用すれば、なるほど体格やその他の運動能力の基礎は成長過程で作られるのは当然であって皆周知の事実である。一般的には遺伝子的な特徴とされることではあるが必要十分な栄養というものはあるだろう。

兎に角、加齢とともにその残された時間を考えるのか、無駄を無くしての合理かまでは良いとしても、視野を狭めて関心の対象を狭める傾向があるのをしばしば観察する。良く言われるような「好奇心の欠乏」とかも、その経験値からの帰納的な結果なのか、それとも恣意的な言い逃れなのかが疑問である。

その明快な回答が環境への認知能力の欠乏とすれば、やはりそこには社会的な環境の差異が存在して、個人の認知年齢ならず社会の認知年齢というものが存在するのは明らかである。

福島原発の作業工程の区切りの発表があるようだ。そもそも自己欺瞞の現状認識と認知能力はかけ離れたものであり、日本社会は長く明らかに痴呆症化しているのだろう。

水曜日のクライミングは、平均難度で半グレード上げ六級マイナスとしただけで、体に強い負荷が掛かった。力を抜けるどころか、なかなか力が抜けなかった。前日の晩のランニングの疲れもそこに乗り、ますます食道にストレスを感じた。金曜日までに回復させて、水曜日以上の負荷により良く対応出来るようになるだろうか。徐々に個人的に未知の領域へと入ってくる。反復練習あるのみである。



参照:
認知年齢の大差は何処に 2009-09-04 | 生活
弾けた太鼓腹の皮の行方 2009-06-05 | 生活
横腹の脂肪の切り落とし 2011-09-01 | 生活
ここぞのときの葉隠れ術 2011-12-14 | 生活
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ここぞのときの葉隠れ術

2011-12-14 | 生活
ネットでしばしば生薬の強壮剤の宣伝を見かける。ああしたものがどのような人に必要で需要があるのか分らないが、年齢などが書いてあるところを見ると所謂中高年のためのものなのだろう。それも男性向けと決まっているのである。

ここでもシリーズで男性医療の記事を書き連ねた。三十年ぶりほどで行った歯医者の歯科衛生士さんに教えて貰った本に従って書いたものだった。

健康を考えた食糧制限から筋力が落ちて、一種の「更年期障害」になっていたときのものである。ダイエット期間は二年ほどであったが、油物を避け、脂の少ない肉などで蛋白補強をしたのだが、運動量も激減して結局は体の老化が進んだのであった。ダイエット効果はあったのだが、それ以上に体力が落ちた。

そこからの復活は予想以上に時間が掛かり、数年ではなかなか元へ戻らなかったのである。漸く、筋力も戻り、箇所によっては十代の時よりも強くなった。

良く言われるように、ペン以上の重さを持たない生活をしている者は握力が落ちやすく、それを復活するに長い時間が掛かった。腹筋などの箇所によって、また使い方によって戻り方は異なるだろうが、握力ほどに顕著な例は知らない。

数年前に握手をするのが厳しいぐらいに弱くなっていたのだ。手の大きさなどの全ての要素を入れて、初対面の相手でもやはり握手で多くのことが語られるのがこれで分るようになった。言うなれば、力を抜こうが制御しようが握手の握力の使い方で多くのことが分るようだ。

男性には女性のようなはっきりとした更年期は無いとされるのだが、運動不足や肥満などから生活習慣病や精力衰退と呼ばれるような現象が老眼や白髪・脱毛などと同時に表れることは良く知られている。その中で最も具合が悪いのが、糖尿病・循環器系障害などと並んで長い時間を掛けて癌疾患などが突然のように表れる現象であろう。

そうした致命的な疾患を避けるためにも食糧制限などが叫ばれているようであるが、結局は加齢という意味では同じであり、寧ろダイエットとして運動量を減らさない努力をすることがもっとも理に叶っているようである。所謂アンチエイジングの本質である。

実際に筋力を落とさないでいることが最も有利であり、その意味から体重は減量よりも増量気味に推移する方が良い。運動能力を高めるためには如何に肉襦袢のようなもしくは内臓の霜降りのようなものが邪魔になることか。要するに運動能力を高めながら体重を増やすという目標自体がどれほどの努力が必要かということでもある。生薬やサプリメントで強壮できるぐらいならば苦労は要らない。

早朝雨だったので夕方走りに行った。登り7分降り9分で凡庸なタイムであったが、足場が悪いところを走り通せたのが良かった。三日間の禁酒は粘りぐらいにはなっただろうか。時間を見つけて運動神経を刺激しておくことで、いざという時に最高出力を発揮できるように備えておくのである。肉体版葉隠れである。

格闘技の名人が、合気道でなくとも力を抜いて、いざという時に瞬時の技を掛けるように、スポーツにおいても何も努力をしなくても加齢すると十代のときのように力が入らないでぶらぶらになるのである。力を抜くことは十代にとっては至難の業であるが、ある年齢に達すると誰もが力が抜けて、力が入らないだけのことである ― これは殆ど悪夢のようなスカスカの痺れた感覚で本当の意味でのイムポテンツなのである。要は、ここぞというときに集中して力が入るように日頃から準備しておくことでしかない。今日は、今年一番飲み続けたレープホルツ醸造所の雑食砂岩リースリングを開け、レバーソーセージでジャガイモを食するのだ。



参照:
Mens sana in corpore sano 2004-12-31 | 数学・自然科学
渋い切れ味の刀への愛着 2009-07-08 | 雑感
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理性的な振舞いの滑稽さ

2011-12-13 | 雑感
相変わらず絶好調とはいかない。夜中に目が覚めて疲れた。もう一つ胸がムカつくので、今夜も禁酒である。

ハイドンのオペラ「月の世界」は、カルロ・ゴルドーニによるリブレットらしいが、我々が知っているゴルドーニなどとは違って遥かにブルジョア文化の粋を集めたようなオペラブッファである。

恐らくゴルドーニのリブレット自体はもう少し灰汁が強かったのだろうが、ハイドンの手に掛かると綺麗に灰汁が抜かれて、高度なエンターティナーとなっている。啓蒙思想からの理性の劇であるので、作曲家の個性は良く出ているが、オペラとしては物足りない。

二人の女兄弟やその狂言回しからモーツァルト作曲のコシファンテュッテとも比較されるようでもあるが、同じ荒唐無稽の劇としても何よりも音楽の迫真性が違う。

面白いと思ったのは、姉妹の一人が「結婚は奴隷になるのと同じ」とするのに対して、一人が恋する天文学者は、普通の男と違って「月や天体を見るように、妻にも接するだろう」という期待を羽ばたかせる点で、まさにこうした主題がこのオペラと作曲家の持ち味なのだろう。それでも理知的な面で、もしくは記号論的な意味でももう一つ物足りない音楽劇であることも確かである。

同じような狂言劇となってもモーツァルトの姉妹とは大分異なるのである。実はそのモーツァルトのオペラについて三月に取り上げようと思っていたら、地震が起きて、とてもそのような機会が訪れなかったのであった。

バイロイトのヴァークナー祝祭有限会社から、チケット当選の連絡は来ていない。これで、無事2012年は再び落選のようで助かった。2013年の記念年に指輪四部作でバイロイトを再訪することがこれでほぼ決まった。



参照:
力関係を体現した名スザンナ 2011-02-17 | 女
ライン平野上に昇る月蝕 2011-12-11 | 暦
アポカリプス・ナウ 2011-11-01 | 暦
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セシウムか、カリウムか?

2011-12-12 | アウトドーア・環境
農学部の院生らしきが原子炉実験所に小山昭夫・小出裕章・今中哲二らを訪ねている。十月十四日時点での興味ある報告は「四月のセシウム交じりの雨」である。

二号炉からの水蒸気ではないかということで、格納容器の蓋が開きっぱなしで行け行けになっているという推測も飛び出す。

総じて、根から移行したセシウムよりも雨からの汚染の方が影響が大きかった可能性も指摘されて、きのこ類のような例とは異なるということでもあろう。多くの農協で実施されたように稲における移行を避ける方法もカリウムにするかセシウムにするかの違いだけで被曝量には影響はあまり無いようだ。 ― つまりセシウムの測定だけでカリウムを添加しているだけなのが基準値以下の米の正体か?

特に雨による汚染を考慮するならば、既にバイエルン州の調査でも分るように、一年目の収穫さえ廃棄すれば大きな問題とはならなかったのだが、なぜ放棄をせずに収穫に拘ったのか今でも不明である。さらに未だに森のものも淡水魚も関東、東北地方太平洋側で摂取禁止になっていないのは理解に苦しむ。

もちろん、森のものや淡水魚などはこの先三十年ほどは汚染濃度が高まるものも少なくないので、問題が起きるまで業務を続けさせて、否応無く禁止にしていく役人根性なのであろう。

放射性降雨や市場にばら撒かれた食料品などは、幾らか気をつける者はその害を出来るだけ小さくすることが出来て、無意識に無頓着な者は不必要に被曝するということになるのだろう。実際、内部被曝の危険性は動物実験でしか分らないのだろう。

少なくとも核実験盛んな1960年代はそのときに応じて日本でも雨に濡れることを極力避ける指導がされていたのだが、今年の夏前の日本では殆どそのような指導もされたような気配はネットを通しては全く伺われなかった。一体、これはどうしたことなのだろうか?

広島長崎の汚染とは比較できない大気中の放射線物質の濃度とそれが降下することで、地面や植物に定着したり、水によって更に運ばれたりしているのである。三月から四月に掛けてのヨウ素を含む大気や食物の汚染の甚だしさを思うと今でも恐ろしい。

胸焼けが続いている。原因としてはストレスがもっとも有力である。しかし、それ以外にも運動の質や食事の内容、そして何よりもワインが効いているかもしれない。

ここ暫く、2010年産のピュルミエクリュを2011年産のグーツリースリングを挟んで開けた。2010年産リースリングの酸の激しさを改めて思い知らされた。少なくともこの二十年ほどというか、これだけ激しい酸のワインは経験したことが無い。

そしてそれにバランスを取るようにして残糖値を上げてあるので、その分アルコールは落ち着いているが、それでも12.5%、13%と最高域にあるのだ。恐らく酸を分解するために葡萄をぶら下げておいて果実の糖比重も上がってしまったのだろう。

その意味からとても長持ちするワインとなりそうであるが、それまでどうしようかと思う。少なくとも二年は寝かしておかないと厳しい。ミネラルの移行率も高く凝縮しているのは間違いない。

バランスは悪くは無く、酸が効いていて清涼感もあるのだが、あまりに飲むのが体に辛くなってきたので2008年産を開けようかと思っている。2008年産は華やかで量感のある酸であるが、あまりにぶよぶよとしていて癖があるので美味いうちに飲んでしまいたい。しかし、2010年産と比較するとなんとその酸の円やかなことか。

二日ほどワインを飲まずに禁酒としたが、なにも体調は変わらない。ストレスさえなければそもそも快調なのである。



参照:
林剛平報告+小山昭夫・小出裕章・今中哲二各氏の議論 (YOUTUBE)
先ず体感することが一番 2011-02-05 | ワイン
土壌の地質学的考察 2006-05-09 | アウトドーア・環境
自主避難の自主判断基準 2011-08-14 | マスメディア批評
初盆に配慮で統合会見休止 2011-08-12 | マスメディア批評
点在する首都圏の熱いスポット 2011-10-13 | アウトドーア・環境
水稲の汚染状態を予想する 2011-08-05 | 雑感
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ライン平野上に昇る月蝕

2011-12-11 | 
中欧では今回の月蝕は日中に起きた。それでも昨晩のラジオが伝えていたように暗くなりかけた夕方の四時頃から最後の三十分ほどが十分に観察できた。

先日からのヨハニス・ケプラー著「月旅行」を読みながら、ハイドン作曲「月の世界」を聞きながらの忙しい月見となった。



参照:
古典的17時50分問題 2011-10-15 | 文化一般
ハレルヤ!晴れるや? 2011-12-07 | BLOG研究
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ケシの実を育むように

2011-12-10 | アウトドーア・環境
ケシの実のケーキやシュトレーンに憑かれている。それにはモルヒネ成分が入っているのだろう。美味いというのに、後を引く成分も含まれているのだろう。クライミングの前にそのケーキを食べて行く。覚せい剤効果があるとすればこれは凄い。

その効果あってか、金曜日はまた行け行けで登った。平均の難度は五級ぐらいだったかもしれないが、四ルートは初めて登る場所でなかなか手強かった。三時間以上掛けて貪欲に登った。流石に疲れたので起きてからパンを取る序に体を解しに11分上り10分下りを走った。やはりオヴァーハングも足腰が重要である。

麻薬の規制解除を訴えたのは、ノーベル賞経済学者ミルトン・フリードマンらしいが、兎に角規制が無ければブラックマーケットなどは成立しない。新自由主義の弊害が指摘されて久しいが、自由に勝る価値は無いのである。



参照:
覚せい剤の民主的な合法化 2011-12-04 | 歴史・時事
ビール一杯のお駄賃 2011-12-08 | 生活
そこかしこで出会った親爺 2011-12-09 | 生活
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そこかしこで出会った親爺

2011-12-09 | 生活
作曲家の三木稔さんが亡くなったようだ。闘病中に係わらずハイデルベルクを訪れて、インタヴューに答えていたのは昨年の六月のことだった。

クライミングホールで、先日山の上で出会った蛸親爺に再び出会った。他の水曜日メンバーと約束していたようだ。それが親不知が痛んで歯医者に行ってすっぽかされたということだった。もちろん一緒に登ったのである。

予定ではボルダリングを組み合わせて、技術と体力両面で実力の底上げに梃子を入れようと思っていたのだが、蛸親爺のトレーニング領域である五級以下を中心に登った。

蛸親爺とはドロミテなどでも登っており、先冬シーズンも腕力をぐいぐいといわせながら敏捷に早く登り切ってしまうのが得意である。逆に少し難しくなったり、力が尽きると諦めてしまうのは、室内での練習をそのようにしか考えていないこともあるが、技術的にもあまり洗練しない原因でもあるのだ。セクションでも、クレッターシュタイグを比較的専門にしている所以である。ワイヤーを使って登るにはなにも難しい技術もスポーツクライミングの技能も必要ない。

それでも親爺さんのお陰で、何時もはあまり登らない4級の場所も練習出来て、数も登れて殆ど休むことなく三時間のよい運動となった。更にオヴァーハングの場所では、ザイルにぶら下がったりすることも無く所謂レッドポイントで登り続けられた気持ちは快適で、最後に試した7級プラス挑戦以外は殆ど完璧に登り切れた。そして、毎週高度差400Mほどのジョギングをしている蛸親爺に、上半身は鍛えてないと言わせて、更に通わせる動機付けをさせたことの価値は大きい。

比較的調子が良かったのは、練習した平均グレードが低かったことだけでなく、週二回通いに練習量を増やしたこと、また自宅で時間があれば階段の裏に片手でぶら下がってみるという小まめで手軽な練習を取り入れたことで力を入れやすくなったようだ。しかし実際には足の疲れが強く、脚力と胴体の捻りで登れるようになってきていることを実感する。正しい方向である。



参照:
小恥ずかしい音楽劇仕分け法 2010-06-06 | 音
年末が見えると春ももう直ぐ 2011-12-03 | 生活
そう言うことなのである 2011-11-21 | 暦
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ビール一杯のお駄賃

2011-12-08 | 生活
海賊党の最低収入制度について先日触れた。ノーベル賞経済学者のフリードマン教授はそれをして、最も効率の良い社会保障だと語っている。なるほど、月600ユーロから800ユーロが自動的に保証されることで何とかなる。そもそもこの考え方は、カールツルーヘの教授だった独最大手ドラッグストアーDMチェーンの創始者のアイデアであったのだ。

それを称して嘗て修道僧にお駄賃として供給されていた「只のビール」という風に新聞は伝えている。個人的にはビールではなしにワインがお駄賃である。

その他の失業保険や年金などの基礎的な社会保障を切り捨ててしまって、更に税の簡素化を付け加えれば、過激な自由化が達成できるだろう。

国の財政は、簡素で極力小さくすることが財政の健全さへの第一歩である。ギリシャやアイスランドのような財政が破綻している国からこうした新しい社会システムを構築できないものだろうか。

月曜日の午後に天気が良くなっていたので、パン屋のついでに走ってきた。午後から走るのは久しぶりで、息が続かず歩き出したが、結局トータルの経過時間は7分、20分、33分で、殆ど代わり映えがしない。夕方は週二回室内で運動をするようにしているのだが、体が重くなっているためか、久しぶりのランニングの登りが続かなかったのだろうか。朝の腰の痛みは秋になったのみ以降全く感じないのだが、他の場所が張ってきたりする。腹筋や横腹にも力をつけようとするとどうしてもそこに緊張が走るのである。

月曜日の統合記者会見を観ていて驚いた。園田政務官の顔色が悪かった。前回は気がつかなかったので、激務による疲れかもしれない。しかし、年齢からして急に頬がこけ、顔色が悪くなるのは健康状態が急変しているとしか思われない。除染した水に問題があったのではないだろうか。もしそれによる発病とすれば、やはり当然のことながら放射線とは無関係で個人情報として病状は明かされないのだろうか。

自主避難者への賠償額が発表になっている。子供妊婦に対して40万円、その他8万円はお見舞い料としても妥当であろう。しかし、引越しの実費として計算されたこの額ならば、ホットスポット地域で同じだけ被曝していると予想される柏市や流山市そして三郷市などの一部の市民に対しても支払われるべきだろう。

ホットスポット地域で通り魔などの不思議な事件が頻発しているようだ。放射線障害とは思われないが、ホットスポットに住んでいるという実感がありながら、知らない振りをして暮らすことで、心理的ストレスが増えているに違いない。除染作業をするか、自主避難するかをプロジェクトとして大々的に議論しない限り、こうしたストレスは解消されないであろう。

自主避難者にとっては一度限りの引越し費用にしかあたらないので、現時点で避難していない者はその程度の銭を一度貰っても先が長いのでとても合わない。逆に、最初の一週間以内ぐらいに避難した者は、激しい被曝を逃れるとともに急に必要とした金子だけは回収できて、尚且つ更なる被曝の危険性から逃れることが出来た。判断力とともにその行動力へのお駄賃である。



参照:
覚せい剤の民主的な合法化 2011-12-04 | 歴史・時事
キルヒホッフ税制の法則 2006-12-24 | マスメディア批評
自らの権利を自ら掴み取れ 2011-10-24 | BLOG研究
人の振り見て我が振り直せ 2011-11-04 | マスメディア批評
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ハレルヤ!晴れるや?

2011-12-07 | SNS・BLOG研究
終日雨だった。この際積んであるまだ真新しい「ケプラーの月旅行」を読もうかと思ったが、なにやら音楽のことなどが気になって、LPなどを立て続けに流した。

思いがけずヘンデルのオラトリオ「メサイア」の推薦CDを、自ら合唱で歌われたBLOG「風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句」の風信子さんより尋ねられた。

最近の演奏実践のトレンドについてコメントを書き込んだからである。実は、自身これといった推薦盤を手元においている訳ではなく、これまた安売りで購入したライヴ録音のトン・コープマン指揮のCDなど以外には、やや昔風の演奏でマッケラス指揮のLPを隠し持っているのである。晩年大変評価が上がり、ブレンデルとのモーツァルトなど、まさしく先日扱ったネヴィル・マリナーとは違って、ドイツ語圏でもそのヤナーチェックのオペラ作品の演奏実践を超えて芸術的に受け入れられた音楽家の60年代の録音である。

要するに、一時は持て囃された軽薄軽佻なテムポやリズムをもったBGM的な音楽に比較すれば、重厚鈍重な印象さえ与える演奏形式が実はなかなか丁寧な表現で聞かせることに気がつくと、一概にそうした芸術が必ずしも保守的で古色蒼然としたものとは限らないことも分かるのである。しかし、古典派のモーツァルトとバロックのヘンデルの差は大きく、ヘンデルにおいての現代楽器奏法での表現の可能性は限られている。

また、同じところをライヴCD盤で聞くと、なるほど合唱の十六人の歌は言葉もニュアンスも優れているのだが、コープマン指揮のしらけ振りは徹底していて、第六曲合唱のアイロニー振りも悪くは無いが、やはり先ず聞き比べをしたい十二曲の"For unto us a Child is born"においても徹底してしらけ通すのである。全然ワンダフルじゃないのだ。

そこで、この第12曲から比較してみよう。先ずはガーディナー盤である。この楽団がパーセルなどで初期に成功したテムポ感を思い起こすが、少々雑な感じも免れない。

次にアーノンクールの旧盤を聞くと可也テムポも遅く、ソロイスツにオペラ歌手などの名前も見え、合唱もなにか歌い難そうである。さて新盤の方はシェーンベルク合唱団が歌っていて、基本的な解釈は変わらないようだが、言葉のアーティクレーションなど鮮やかで惚れ惚れとさせ、テンポの真価がここで始めて表現として聞こえる。しかし、その音響と技とらしい合間はライヴ録音の悪さで反復し難いあざとさとなる。

鈴木のテンポはガーディナーよりも速そうだが、印象はコープマンにも近く、まるで東京の地下鉄の会話の生意気な響きを聴いているようで、敢えてこのような表現を取っているのだろう。まるでテプコの慇懃無礼を聞いているような非常に険がある表現なのである。ユダヤ人の謀議風景のようだ。

ジョン・バット盤のテムポ感覚も似ているが合唱というか声楽パートの地声風というか安物の突っ張り調の発声と叩き付けたような弦楽が、どうしても粗雑な印象を受けていけない。受け狙いも良いが、これで全曲を演奏されては堪らないのである。

ホッグウッドも中庸な解決方法で、さらにボーイソプラノなどを入れると全くケムブリッジのチャーチなどのまさにローカルな雰囲気で、これも全曲となるとなかなか聞くに堪えないかもしれない。もちろんこうしたローカルな音楽文化があるのはたいしたものであるのだが、なにもそれにお付き合いする必要もないのである。

以下にそのリストの一覧を貼り付けたが、所謂有名演奏家のハーノンクールやガーディナー指揮などのCDを中心に日本でも入手できるだろうとする目的から挙げたが、それ以外にも面白そうな英語の上手そうな演奏団体のつまり英語で歌われるメサイアの録音を挙げたのである。

リストアップしてみて気がついたのは有り余るアマチュアなどの録音が溢れているのだが、所謂名学伯がプロフェッショナルな合唱団を指導しての最新制作録音は殆ど無い。世界で最も多く歌われるであろうバロックの曲であり、その録音の市場は大きくても、それ以上に一流の演奏家を使っての制作録音などは商売にならないことを物語っている。まさしく作曲家が経済を考えて作曲公演した作品であるからそれで正しいのかもしれない。

また古楽器を使った合唱を場合によってはソロパートにまで切り詰めたプロフェッショナルな演奏実践が、実際にダブリンで初演された何百人の合唱とは異なることも事実であり、そもそもオリジナルの響きなどは実は作曲家の脳みそを覗いてみても分らないものであるということで、初演の響きなどが「オリジナル」とはいえないのは芸術的に正しいのである。理想とした響きを初演で得られる作曲家や曲などは一体どれぐらいあるだろうか?その多くは失敗の積み重ねであるのだ。



参照:
Baroque Soloists, Gardiner,
Taverner Players & Choir, Parrott,
Nikolaus Harnoncourt,
Harnoncourt,
Bach Collegium Japan, Suzuki,
Dunedin Consort & Players, John Butt,
Christopher Hogwood (JPC)
オランダ・バッハ協会のロ短調ミサ (♯Credo)
「シトー派修道院の円蓋に響く聖歌」と題する11世紀から12世紀の聖歌を収録したCDを聴く (私的CD評)
小澤のマーラー9番(後)~思い出の名盤・44 (TARO'S CAFE)
デイヴィス指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団でハイドン作曲、交響曲第99番 (yurikamomeの妄想的音楽鑑賞とお天気写真)
微睡の楽園の響き 2005-02-22 | 文学・思想
ヘンデルの収支決算 2005-03-20 | 歴史・時事
コン・リピエーノの世界観 2005-12-15 | 音
旨味を増すBGM環境 2011-12-01 | 音
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Fuck you, everybody!

2011-12-06 | マスメディア批評
11月後半に纏めて福島関係のニュースがあったようだ。独第一放送では其々、ブランデンブルク放送が、日本のスター山本太郎を含む福島からの訪独団を迎えてエネルギー自給自足の風車の村を案内した取材、またラジオブレーメンが福島県の職員たちをフラウエンホーファー研究所などに迎えて再生可能エネルギーの可能性に関してレクチャーして案内した風景と感想。特に後者は12月にも企業家を加えて具体的な案に関して意見交換をするようだ。

まさしく、山本太郎が語るように、幾らでもこうした先端技術を導入して日本の再生可能エネルギー分野技術での世界的競争力を養って雇用と持続性のある経済成長を推し進められたに係わらず、それを極力阻止した原子力むらの責任は今後とも厳しく弾劾されるべきであろう。

さて、反対に日本での取材はバイエルン放送局のお昼時の全国番組で何時もの日本特派員アブレッシュ氏の丁寧な取材で、抜き取り検査後の米の汚染が見つかり市場の信頼性を失った福島の有機農業者の苦闘が紹介されている。

「毒を売りたくない」と言う山田さんは、自ら測定器を購入して、さらに放射線管理師の資格を取得したそうだ。多くのサムプルを請け負って検査しても、たとえ農作物に検査限界以上の汚染が見つからなかったとしても、農民はその汚されてしまった自らの土地を嘆いて苦悩するのである。政府も行政も信頼できなくなった農民たちの素顔を見て表する言葉も浮かばない。

それ以上に落ち着かなくさせられたのは既に伝えたベルリンの放送交響楽団の慈善公演の模様である。若いホルン吹きの女性団員が発ガン率の上昇などを圧しても参加している様子や、何人かの女性と若い奏者がそこに参加していることである。

女性楽員が津波の痕を見て思うように、なんて人間などはこうも生きてしまえるのか腹立たしい気がするのである。こうした旅行に参加するにはどうした気持ちがそこに働いたかは人其々であるが、正直なところ特殊な信条がそこにあるとしか思われない。とても腹立たしい限りであり、心からの賛辞を叫ばずにはいられない。

同じような情景を築地から何時もの報道姿勢で独第二放送は伝えている。決して低くはありえない汚染物質を口に一杯頬張る人達、まさしくそこに生きる厚かましく逞しい日常が描かれる。



参照:
Japan: Angst vor verseuchten Lebensmitteln (ARD/BR)
Internationales Interesse an "energieautarker" Gemeinde (ARD/RBB)
Besuch aus Fukushima (ARD/Bremen)
Musiker des DSO in Japan,
Benefizkonzert für Fukushima (ZDF/Kultur)
Japan: Fisch stark radioaktiv belastet (ZDF)
放射性塵で胸一杯! 2011-11-13 | マスメディア批評
日本政府に「最大限の透明化」 2011-10-27 | マスメディア批評
金じゃない営みの表現をする 2011-09-11 | マスメディア批評
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客観を装うあくのある「中立」

2011-12-05 | 料理
テプコが高濃度の核汚染水を漏出させた。これだけで幹部の首が飛ぶような強制捜査ものの業務上過失重大事故である。日曜夕刻の会見をちらほら見ていたが、案の上ネットで見る読売新聞の報道姿勢には驚かされる。

釜からの処理水45Tが海に流れているかもしれないとして、「東電は海への流出があるとしても少量と見られ、影響は小さいと見ている」と伝言をするだけでジャーナリズムの「中立」な使命が果たせると思っているらしい。

企業の歴史的理念として、「安全な原子力の将来」を求めることと、こうした事故報道の姿勢は全く異なっていてしかるべきなのだが、世界的に嘘つきとして信用の全く無いテプコの見解をそのまま伝えることはイデオロギー偏重報道以外の何ものでもない。

さらに会見でのアリバイの質問にもあったベーター線放出核子とガンマ線の被曝の相違を、まるで三月の事故直後にNHKの山崎記者の安全デマ解説のようなやらせ質問をしてテプコにデマ回答をさせているのである。

いったい何処の誰が、放出している廃液のガンマー線量を気に掛けているだろう?報道によって知らされる国民の多くはベーター線放出核子であるストロンチウムなどによる海洋汚染と海洋生物の汚染による自らの内部被曝にしか関心が無いのである。作業員の被曝に関しては社会的な問題であっても社会的な関心などではないのである。

立方センチあたり10の五乗の濃度ということは一般的な表示リットルあたりでは10の八乗というとんでもない汚染濃度になる。同じようにテプコは、いつもその検体計量の関係か、海水などの液体だけでなく気体でも高汚染領域では必ず立方センチメートルを使用する。しかしこれも、社会通念からすれば基本単位は立方メートルなので、必ず10の六乗を加算しなければいけない。

先日などは建屋上部のプルトニウム汚染量をして、立方センチメートル表示の10の何乗をさらにミリベクレル表示するなどして明らかにイメージの混乱を意図しているとしか思えない発表を繰り返している。既に日本の国民は放射線の汚染の数値に関しても殆ど馬鹿になっているのだが、こうした政治的な意図のある発表や報道は決して認めてはいけないのである。

温かい雨が降り続いているようなとても温暖な冬であるが、なぜか今年は早めに貝をスパゲティー・ヴォンゴレにした。価格2.99ユーロは、例年と変わりなくそれでもオランダ製とはなっておらず、同じ北海産でもドイツ産なのだろうか?安売りになる前の新しいものだったので比較的美味しく食せた。2011年産のグーツリースリングを惜しみなくたっぷりと掛けて、なかなか豊かな気持ちになれた。降雨のために運動が出来なかった分丁度良い昼飯となった。新鮮度には限界があるが、少なくとも茨城や福島周辺の貝などよりは遥かに安全な食品だろう。


追記:側溝に流れたものがそのまま海に流れる形になっているらしい。驚いたのは、危険な化学工場プラントなどでも雨水も含めてお椀型になっていて直接は排水が流出しない構造になっているのだが、原発ではそのような危険性がそもそも考慮されていないようだ。どうも連中に言わせると高濃度の核廃棄物は毒性が無いらしい。



参照:
安全デマ被害補償の一時金 2011-08-19 | マスメディア批評
新雪雪崩を起こすのは貝毒だ 2011-01-02 | 生活
寝正月で会得したことなど 2011-01-02 | 料理
貝毒なんかに負けてたまるものか 2010-02-10 | 料理
コメント (2)
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覚せい剤の民主的な合法化

2011-12-04 | 歴史・時事
昨日土曜日のラジオで海賊党の党大会について報道されていた。フランクフルトから上流のオッフェンバッハで開かれている。ベルリンでの議会進出の躍進を受けて、党員が一万八千人に膨らんだという。大会では誰もが同等に飛び入りに演説できるらしい。会場へのアクセスの電車等では党カラーのオレンジ色の若者たちが見かけられたようで、まるでサッカーのサポーターののりを想起させる。

詳しくは続報を見なければ分らないが、生憎日曜日の無料新聞配送も終わっていて月曜日を待たなければいけない。麻薬の自由化やその他リベラルのようであって、一方では最低労賃の保証などを求めているのはあまりに虫が良すぎると感じるのは当然だろう。

自らの健康のことであるから、覚せい剤であろうが好きなようにやって貰えばよいのだが、それでもって飲酒運転同様に運転して事故を起こしたり、他者を傷つけたり、過大な健康保険で治療代が掛かるとなると、違法ダウンロード以上に社会的な損失は増加する。

自由主義的な考え方から市場経済の工学だけで物事を考えることは、― 海賊党も基本政策として改めて打ち出すようだが ― 最終的にはユーロ危機の原因であり解決法としても誤りであり、アイスランドや中共の経済顧問をしているミッチェル・ハドソン教授も紀元前ギリシャからの歴史的なコンテクストで書いているように、また近場の二つの大戦のドイツの債務を考えても、「返済できない負債などは無い」となる。

要は、銀行と呼ばれる金融機関などの債務者と社会が必要とする社会投資の関係が、極端な例として、国土や社会資本の外国資本化と戦争などに必要な資金の調達として説明される。当然のことながら、それは国王の借金が国の借金では無いとした民主的な社会形態がその基本として据えられている。

メディアや電気やガスなどの公共的使命をも有する産業などのあり方を根本から見直す視点が必要とされているということなのだろう。その点では、もはや国民政党となってしまった環境政党である緑の党では、その産業構造の解体再構築までは議論されることは無いのは確かである。

そうした既成の社会構造の労働者を代表する社会民主党と、そもそもグローバル化に対してはもはや手の打ちようの無い保守勢力が、二大国民政党から没落していくのは間違いない。



参照:
情報の集約を阻止する運動 2011-10-30 | 文学・思想
六十禁が必要な場合とは? 2011-11-05 | 文化一般
待降節を迎えるにあたって 2011-11-27 | 暦
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年末が見えると春ももう直ぐ

2011-12-03 | 生活
お湿りである。そもそもこの時期に雨が降るのはあまり無いことなのだが、降雨量は記録的に少ないようで、印象としては異常高温という感じである。年間を通して今年の中欧の気温は記録的に高くなるのではないだろうか?科学的な証明はあやふやであるが、二酸化炭素排出量を抑えることが出来なければ温暖化は避けれないとなると、何が何でも押す進めなければいけない。昨晩のラジオでも京都環境会議の進展状況が報じられていた。

週二日目の金曜日のクライミングは、三時間弱の時間を費やした。成果はあまり無いが、長いルートと小オーヴァーハングを適当に交えて体力を使った。月が替わって年内に達成できるものの見えてくると、年が明けると急に今度はシーズン終了点がどうしても視界に入ってくる。

七級プラス・八級を試してみたが、幾つかの課題が理解できた。大きな足ががりに立ち上がるとか、細い手がかりを被った場所で使うとか、なかなか一昼一夜では身につかない。より易しい場所でもはじめて登ると事情が分らずに体力が続かない場所があるのは、南プファルツの長い垂壁を容易に克服出来ない理由と同じである。

反復練習によって、事情通になることと、体力がついてくることが平行して身についてくることで、実力が上がっていくというのがこうした室内の壁での練習方法であろう。同時に、ボルダリングなども来週から取り入れることで、その技術以上に腹筋などの庇の下にぶら下がり登るための体力つくりをしていかないと、シーズン末までに十分な成果は得られないだろう。

自宅においても階段の裏側を使ってより実践的に、片手でぶら下がり両足でバランスを取る訓練を毎日積み重ねないと駄目ではないかと気がついた。逆にそれが出来ればある程度は目標が手に届く。少なくとも、ザイルをカラビナに掛けるもしくはフレンズを挟み込む三十秒ぐらいはその体勢で固まりたいのである。

そうは言っても、今日も足が疲れている。それほど蹴り上がり伸び上がりの運動をした覚えは無いのであるが、十分に足が使えているということで、決して悪いことではない。ここ二週間ほどはランニングが出来ていないが、室内でのぶら下り訓練とともに、持久力鍛錬が必要である。



参照:
年末までのクレジット 2011-12-02 | 試飲百景
疲れたままの待降節初日 2011-11-28 | 生活
制御出来ないからこその環境 2011-08-28 | アウトドーア・環境
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