Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

台地を越えて走り続けると?

2012-01-17 | 雑感
車中のラジオがクオリティ・オブ・ライフについて議論していた。何時もの夕方の討論番組である。健康を意識するばかりに病気になるとかの話しでもある。「放射線を気にすると余計体調が悪くなる」と言うのと似ている。そもそもなにもせずにどこも痛くも痒くもなければ肉体は死んでいるのである ― 同じように不具合があるならば動かしておいた方が使えるのである。

なるほど平均寿命が長くなって特に60歳過ぎの男性の更年期障害によるホルモンの変調から高血圧などの問題が一般的な話題になった面もあるようだが、そもそも加齢は避けれない訳で、如何に体を動かせるようにしておくかだけしかないのである。

同じような意味合いで、アンティエージングを考えると、大げさに言うと肉体と精神の乖離を如何にコントロールして行くかにあるだろう。最も若くして顕著に現れるのは、腹具合で、既に少年期から青年期においても成長を終えた人間が盛んに腹いっぱい食べ続けると肥満になるのは当然なのである。

そうした食生活や低下した運動消費の生活が続けられると、ある時点で様々な生活習慣病となり、それを放置していくと身体の障害へと直ぐに結びついていくことは明らかなのである。問題は、直接間接的に制御できる肉体を如何に乖離させずに制御していくかに掛かっているといえるのかもしれない。

この冬初めての本格的な寒気である。外気温摂氏零下五度で霜だけでなくて至るところが凍りついた。昨日運動できなかったので、漸く冬休み開けのパン屋に今年最初の訪問である。その足で二十分コースを走った。冷始動だったので危ぶまれたが、丁度万歩計を忘れていたので、ゆっくりとあせらずに走り出すと、先日の急坂に慣れたのか登りが殆ど平坦と変わらなく感じた。これならばいつでもスパートできる走り振りである。そのまま降りてきても十分時間があったので、もしかすると記録的な速さになっていたかもしれない。少なくともそのまま峠まで駆け上がっても良さそうであり、足に来ないことを急坂で確認していたので登りを走る自信がついてきた。

そのことはクライミングにおける壁の威圧感への心理とよく似ていて、威圧感が消えるだけでも可也登れることを保証する。要するに庇を含む急勾配を厭わないようになると、大きな一歩を踏み出すことになる。殆ど同時に走りに進展が見られるようになったのは、足の先までに酸素が回るようになったからに違いない。これは楽しみになってきた。急坂も含めてこのままもう一押し負荷を増やして行きたいところである。プラトーを乗り越えて走り続けるとその先には一体何が見えるのだろう?
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日隅一雄のジャーナリズム

2012-01-16 | SNS・BLOG研究
どれほど多くの人がBLOG「情報流通促進計画」を訪問したか知らない。ここ暫く所謂ペインコントロールの闘病生活が語られている。個人的に知己のない我々でも東電・統合記者会見での日隅氏の活躍を知らずには居られまい。そして、麻薬投与を始めてからのBLOGでの報告は、そうした既存の情報が少ないとしてプロフェッショナルなジャーナリズム的な決断で急遽行われている。

その飽く迄も理性と冷静さを失わない客観的な視点は、ややもするとそれまでの氏のBLOG訪問者にとっては鼻持ちならないような一種の唯物論的な視点と映ったに違いないのである。少なくとは個人的にはそのように感じていた。

しかしここに至ってのその現状報告は、痛みをこらえ、麻薬で薄らいだ意識などを全く感じさせないとても強い表現意志となっている。最新の報告には、「マスメディアを批判してきた私の渾身の一枚」として称して、癌によってやつれて肋骨が浮き、癌によって膨れた腹部の自画像が掲載されている。なんと意志に満ち溢れた強い表現だろう。

末期癌の本人のBLOGなどは少なくないが、正しく日隅氏が確信したように十分なこうした冷静な視点での情報は皆無に違いない。要するにそこにあるのはジャーナリストを超えての表現者の意志なのである ― そうした意志が個人の肉体が消滅した後も受け継がれることを我々は文化と呼ぶ。

一昨年に肺癌で死去した舞台映像表現家シュリンゲンジーフなども同年輩であり、最後まで自らの闘病を含めての生を表現の対象ともしたが、これほどまでにザッハリッヒであり何処までも冷静で客観的な表現は知らない。恐らく、そのこと自体が法学を学んだ日隅氏にとってのジャーナリズムの本質なのであろう。

なるほど受け手によっては、その内容の感じ取り方は異なるかもしれない。その写真を観て、皮肉にも殆ど逆説的に世紀の芸術家が渾身の力を振り絞って表現したまるでイエスキリストの受難のそれを思い浮かべるかもしれない。勿論、受ける人其々であるが、そうした表現の強い意志をそこに感じさせることだけで十分なのである。

自由報道協会は社団法人となり公共性を増すと共に、ジャーナリストへの賞を授けることになるようである。その賞は既に日隅氏の名を冠すると内定されているようである。こうした何処までも理性的で客観的でありながら意志に満ち溢れた表現の出来るジャーナリズムにその賞が授けられるとなれば、それはとても素晴らしい。

生物であるから万人に訪れる死であり、経験談すら聞けないために未だに最大の人類の未知でもあるが、哲学や宗教を含む芸術とか表現とかは ― どのような文化的な背景があろうとも ― その前提を無視しては一切表現できないのである。特に文学の一形態でもあるジャーナリズムが、そうした根源的な表現意志もないままにマスメディアを形成していては本当のジャーナリズムにはならないのである。

もう一度繰り返すが、この自画像を観て、受け手が何を読み取るか、何を感じるか、何を考えるかが大切なのである。



参照:
反社会的犯罪組織を解体せよ 2011-08-01 | マスメディア批評
セシウムも降り注ぐマイホーム 2012-01-07 | アウトドーア・環境
文学としてのジャーナリズム 2012-01-04 | マスメディア批評
最も同時代的な芸術家の死 2010-08-24 | 文化一般
甘酸っぱい野いちごの風味 2010-09-01 | 文化一般
希望という自己選択の自由 2009-06-19 | 文化一般
若き芸術家の癌病闘日記 2009-06-07 | 文化一般
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エリート教育への社会環境

2012-01-15 | 文化一般
昨晩はアルパイン協会の年間計画発表会であった。今年の特徴はクライミングが主体になっていることであろう。しかしそのコアメンバーが増えている訳ではないので、計画が増えていても参加人数が限られている。

いつも通っているクライミングホールを所持している隣の協会セクションでは狭義参加者も多く、ジュニア部門の分厚さが異なる。スポーツクライミングの指導層も二倍ぐらいいそうである。

我々のセクションでは、スポーツクライミング指導者が二人しかおらず、アルペンクライミング指導者も二人のみである。後は通常の登山などの分野で主にクレッターシュイタイクなどが専門である。ジュニアグループからも一人は大物であるが今年からテュービンゲンの大学で学業なので動けない。

隣の芝生は青く見えるではないが、隣からオリンピックの表彰台に登るようなボルダー選手が現れる可能性は可也高い。学校と共同で敷地内で泊りがけのサマーキャンプを張るというから恐れ入る。

なにも競技で活躍することだけが問題でないのは当然なのであるが、何事も裾野の広さを含めた環境がものをいうのである。サッカーやその他スポーツだけでなく、金儲けにならない要するにスポンサーがつかないようなものこそに本当の文化が存在するので、こうした社会の姿勢が大切なのである。エリート教育とはそうした社会環境のことを指すのである。
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陸で待っているだけでは駄目

2012-01-14 | 雑感
トスカーナ沖の島で地中海クルーズ豪華客船が座礁したニュースが入った。定年家庭に人気のあるクルーズであり、自動車クラブの機関紙などをその宣伝がいつも賑わしている。

事故を起こして傾いた豪華客船コスタ・コンコルディアもそこでも有名な船で、三月に旅程が組まれていた。それ以上に目に付いたのは、違う船を使ったものだがヴィーナーフィルハーモニカーと一緒に旅する豪華クルージング企画である。詳細を見るとやはり船内でも室内楽などが催されて、コンツェルトマイスターのホーネックやピアニストのブッフビンダーやソプラノのキリュッシュラーガーなどが古典派やロマン派の音楽を演奏するというのである。またアテネやイスタンブールで陸に上がったところではブロムシュテット指揮の演奏会が組み込まれている。

こうした企画や状況を見ると如何にクルージングの市場とそうした音楽の市場が結びついていて、尚且つ陸上でお客を待っているだけではもはや需要が不足しているということでもあるのだろう。

昨晩は水曜日に続いてクライミング練習であった。水曜日はライヴァルともザイルを組んで少し登ったが、シーズン三回目で室内の壁に大分慣れてきていた。流石である。彼が水曜日に登っていた新しいルートのところを昨晩金曜日に登ってみたが、初見で完璧にはこなしていないだろうが、トップロープでぶら下りながら登ったがなかなか手ごたえがあった。手掛かりがとても小さいので、気合が必要となる。紛れも無い六級である。

さて、我々は六級プラスのオーヴァーハングの練習と庇帯を四つこなした。七級プラスが意外にこなせて驚いたが、どうも小さな手掛かりへの適応性が格段に上がったようで、こうなると石灰質の岩壁での可能性が格段に広がりそうである。上腕の力も徐々について来ているようなので予想以上に早く目標に達するかもしれない。金曜日の困難度の平均は六級を越えただろうか。

相棒の医者の様子を見ていると、その点で練習量に比例する進歩は十分にあるのかもしれないが、伸び悩みの原因はやはり上体優先の腕力で登っているので、六級から七級への壁が完全にはだかっている。実際には五級プラスでも問題があるのだが、室内の壁では力ずくで六級のオーヴァーハングまでぐらいは登れてしまうので勘違いを起こしやすい。どのような教育的なプログラムを、自らの合理的な練習とともに考えていくか。しかし、それにしても白髪の婆さんに対抗意識を燃やしているのには驚かされる。天井まで続く最も長い庇の一本は試せるかもしれないというと、喜び勇んでいる様子が伺えた。大分いかれてきているのである。

アルパイン協会の新しいスローガンに、室内と室外はまた違うというクライミングへの注意勧告がなされているが、岩の形状や堅牢性だけでなく、短期間に合理的な練習である程度登ってしまえるようになる室内と、様々な技術を組み合わせながら神経をすり減らす室外での経験の積み重ねの差は甚大である。



参照:
毒が体中に回った元旦 2012-01-02 | 暦
とても景気の良い環境 2012-01-01 | アウトドーア・環境
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新年に際してこれまでの数字

2012-01-13 | 
新年に入って昨年度中に纏められた統計などが新聞を賑わしている。あまりに多すぎて全てを把握していないが、景気の良い話と構造変革を必要とする社会科学的資料が多い。

昨年度の経済成長率が3%に至り好景気な半面、最後の四半期で2009年後初めて一般消費に陰りが出てきたことから次の周期に入りかけているという観測である。問題は如何にすり抜けるかであろう。

一方において、経済成長率に比べてエネルギー消費量が低下していて、省エネや天候などの様々な要因が指摘されている。とてもよいことなのである。最終的には如何に効率良い合理的な社会秩序が必要かということでもあり、究極の労働効率がものを言う。

そうしたものの最大の反省点が、ここ二三年振興された、都市部へのディーゼル車の乗り入れ規制であるが、全く効果が表れるどころか逆に有毒な塵が増加しているというのである。一部にはバスなどの規制外の車両の影響やこれまた天候などが指摘されているが、環境行政にはありがちな間違った判断がそこに存在しているのかもしれない。いずれにしても早急に再議論しなければいけない問題である。

ピアニストのアレクシス・ヴァイセベルク死去については、BLOG「妄想的音楽鑑賞とお天気写真」とBLOG「TARO'S CAFE」で知った。このピアニストご多分に漏れずカラヤン指揮の協奏曲でしか聞いていない。確かベートヴェンの四番ト長調だと思うが、綺麗に弾いている以上の感想は無かったように思う。録音でも、ミュンヘンかロンドンで購入したショパンの夜想曲集のLPボックスしか持っていない。そのような訳で何一つコメントは出来なかったのだが、秘蔵のLPを改めて何度も鳴らしてみるとなかなか聞かせるのである。ショパンなどは弾けるわけでもなく、十分に知っている音楽ではないのであるが、アシュケナージやPザーキン、ポゴレリッチなどのそれと比べてこれはこれでよいのではないかと感じた。なるほど、スラヴの情感を尊重しながら本当はホロヴィッツがお手本だったのだ。

そして新聞の訃報記事「マダムサンドの蜘蛛の巣」を読むととても面白かった。先ずプロフィール自体がソフィアで1929年にユダヤ人の母親の元に生まれ、トルコからと子供のときにハイファ・エルサレムへと逃げていて、既に神童であったピアニストはベートーヴェンの名人シュナーベルに弟子入りしていて、1946年から1949年にはジュリアードでランドフスカやサマロフに教えを受けている。ホロヴィッツなどの勧めを受けてコンクール登場後はセルやオーマンディーのような大物ユダヤ人指揮者と競演して、ピアノのベルカントしてホロヴィッツのパラフレーズなどをレパートリーとしている。数少ない作曲するピアニストとしてジャズの曲をアルゲリッチが弾いているので以外に知られているのかもしれない。永くパーキンソン病に患っていたが講座を持っていたルツェルンで死亡したという。



参照:
とても景気の良い環境 2012-01-01 | アウトドーア・環境
風向きを見極め、早い見切り 2012-01-05 | アウトドーア・環境
Die Spinnweben der Madame Sand, Jürgen Kesting, FAZ vom 11.1.2012
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反産業主義ではない防衛思想

2012-01-12 | アウトドーア・環境
アンチインダストリァム傾向もある環境運動に郷土防衛思想も含まれる。そのような訳で、反遺伝子操作、反核などはドイツの広範な社会層の心理でもある。

更に様々な分野で投機的な動きもあるナノテクニックも環境に悪い影響を与えかねない技術として規正法案等が準備されている。その切っ掛けになっているのがEUでのナノ技術の定義にあると言われて、10のマイナス十乗から十二乗と規定されたからである。ナノメートルはマイナス九乗だからそれで正しいのかもしれないが、多くのピグメントなど、百年以上も前の技術がここに含まれてしまうと言うのである。

もちろん、危険な材料として除菌のナノシルバーやナノ酸化チタンなどWHOでも発癌物質としてリストアップされているものもあるのだが、実際にその毒性がナノ技術の微小性によるのかどうかは証明されていない。

しかし、携帯電話の電磁波などの危険性も含めて多くの新技術や製品開発で新たな危険性を環境に撒き散らすことを当然と考えると、安全が証明されない限り規制するのは当然なのである。

そうした社会的な不安がある限りは、産業的に如何に期待が出来ようとも、節度のあるコントロールされた技術革新を進めるのが立法の仕事であり、社会的な使命がそこにある。

シヴォレーのヴォルトに火災が発生することが明らかになって、あらゆるハイブリッとや電気自動車も同じ車両火災の危険性を有することが知れ渡った。今後、自動車事故後に放電させる装置を道路網に完備して、事故現場で処理する方法の必要などがクラッシュテストの世界的権威である自動車クラブADACの機関紙に書かれている。ガソリンの可燃性に比較して決して電気自動車が危険ということではないようだが、それが普及するにつれてそれなりの対処の必要性があるということは周知されるべきものなのである。

昨日のラジオは伝えていた。スーパーに並ぶかしわ肉の多くが抗生物質で汚されていて、耐性物質の病原菌の温床になる危険性の懸念が生じている。それを受けて更に厳しく動物への薬剤投与の規制すべきとキリスト教社会同盟のアイグナー連邦農業相は声明を発した。


写真:ADAC機関紙に載った協力会社トヨタのハイブリッドカーが社から表れる図。



参照:
あまりふれたくない真実 2009-11-03 | マスメディア批評
寿限無 食う寝る処に住む処 2010-12-13 | 文化一般
欧州的環境を政策とするとは 2009-09-20 | マスメディア批評
飼料は遺伝子操作済み 2007-07-25 | アウトドーア・環境
化け物葡萄の工業発酵 2005-12-23 | ワイン
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スイス合理主義の判断

2012-01-11 | アウトドーア・環境
スイスの脱原発は福島後も急激に進行していないようだ。五基ある原発の発電比率は38%と堂々たる原発大国で、1990年からの一割の消費量上昇にともなって発電量も24%増加している。化学や機械などとしてもそれほど大きな工業が無い割りにこのように消費量とも増えているのは、日本などと同じで市民が繁栄に関してなにか考え違いをしているのではないだろうか。

日本は地震大国であるから即全廃するのが最も合理的な考え方であるが、スイスは危険性が少ないとして国際標準の原発60年寿命説を採用する。そのことから2050年まで時間を掛けて全廃していくというのである。

その背景には現在の「繁栄」を保持しながら持久性のあるエネルギー源を確保して、尚且つ炭素排出量をふやさない再生可能エネルギーへと切り替える期間の必要性ががあるからなのだ。そのひとつである三カ国の境にあるフランス国内の老朽化したフェッセンハイム発電所もスイスが関与しているのである。こうして2019年から徐々に2050年まで時間を掛けてスイス内の原発は廃炉に向かう。しかし、半世紀を越えようとする危険な老朽化した核反応炉を使い続けようとするのは果たしてスイスの合理的な思考なのだろうか?



参照:
Die Schweiz hat es mit dem Atomausstieg nicht eilig, FAZ vom 9.1.2012
仏ストレステスト後の指針 2011-11-19 | マスメディア批評
地盤に立ち上げれ、農民! 2011-11-15 | アウトドーア・環境
ベルリン、原子力の創世と終焉 2011-07-07 | 歴史・時事
アルザスの原子力発電所 2011-07-06 | アウトドーア・環境
裏町のパブリックな対応 2008-02-18 | 試飲百景
二十五年前の市民の連帯 2011-08-13 | 歴史・時事
漸く歩みだした廃炉への道 2011-09-03 | アウトドーア・環境
古典的17時50分問題 2011-10-15 | 文化一般
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片腹痛くなるハッタリ効果

2012-01-10 | 雑感
予想に反して小雨に夜が明けた。しかし昨晩高級なグランクリュワインを開けて前夜祭を祝っただけあって引き下がれなかった。いつもの装いで走りに出かけた。パン屋が冬休み中で開いていないので、山登り道の前半を試した。

前回15分で到着した緑色のベンチのある合流路まで16分走り続けた。走るといっても駆け足でしかないのだが、高度差220Mほどを駆け上れたのは良かった。特に最後まで足には酸素が行き渡り殆ど問題を抱えなかったのは大成果である。

2500歩を超えていたが、降りは同じ道をクールダウンがてら歩いて降りてきて、やはり16分ほど掛かっていた。なんていうことは無い、1800歩ほどで歩いて下る場所を同じ時間を掛けてジョギングしていたのである。時間短縮の目標は全く立たないが、これでコースをある程度見通せるようになった。

帰りには、肉屋で豚のほっぺたと鼻と腎臓などを、朝食用の豚はんぺんとパンと一緒に購入した。漸くこれで年が明けた感じである。

クライミングの水曜日のグループが動き出したようである。我々が今通っていホールとは別なところに一月中は通うというのである。理由は、その方が「冬シーズン出だし」には楽だからというのだ。なにゆえ、こちらに来て七級の登り方を示してくれと困窮したものだから、冬の間に「一キロ太った」と非常線を張ってきた。

それでも二月からは二人の仲間を連れてこちらに道場破りに来て登る心算だと宣戦布告してきた。兎に角、「金曜日に八級マイナスを試した」という一行に震え上がったのかもしれない。これは大笑いである。事実しか書かないのであるが、大変なハッタリ効果があったようだ。片腹が痛い。

そ奴は、私が定期的にザイルを組む最も強力な熊男のような人物なのである。そして、昨年は相棒の医者をして「なんて攻撃的な奴だ」と言わしめた人物なのである - スポーツ医者の見立てはホルモン不順のオステリーと決まっているのだが。



参照:
とても景気の良い環境 2012-01-01 | アウトドーア・環境
ヴァイオレンスは爆発だ 2011-12-30 | 生活
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良い天気になってきた

2012-01-09 | 
朝から走りに出かけようと思ったが、小雨も降り足場が悪く、一日延期である。月曜日の朝は久しぶりに天気が回復しそうである。暮れの水曜日に走ったのが最後であるから、十日も走っていないのである。体が鈍る筈である。

最も大きな旅客機A380の主翼に亀裂が入る事象が頻発して、EADSもケルンの世界航空安全局もこれを確認したらしい。最も顕著だったのはロールスロイス社製のエンジンが爆発したカンタス航空のもので既に修理済みという。他の運用されている機種にも同じ問題点が確認されたが化粧の場所の亀裂で、予定通りに次回の検査時に修理すればよいということである。一部のニュージーランドの乗員組合などは荷重の掛かる場所であるから早急の修理検査を求めているが、一般的には新型機種に良くある今後微修正の必要な問題点ということで、航空機の運用等には全く影響が出ないということである。

本日は、年末年始の買い物の残り物であるミニザウマーゲンを平らげる予定である。昨晩の禁酒したので、年末年始の最後を飾ってグランクリュワインを開けようかと考えている。飲み頃のワインは2008年産に求めるのだが、地元産のものではクリストマン醸造所のマンデルガルテンなども考えた。しかし、もう一寸寝かしておきたい気持ちも強く、本数に余裕のあるレープホルツ醸造所の2010年ガンツホルンを開けてもよいかなどと考えている。明日の朝気持ちよく早起きできるようなものが飲みたいのである。

所直なところこのところ走っていないので肩こりや偏頭痛、腰や下腹部のそこかこに違和感があって気持ち悪い。もともと走り出した理由が下腹部の違和感を解消するためであったが、腰痛の頻度は随分と減ったものの、より酷使するようになって方々の筋肉の張りは走らないとなかなか解消しない。

いつも購入している何種類かのコーヒーのうちダルマイヤーに続いてカルタのコーヒーもアラビカ100%の表示がつくようになっている。好みのコーヒーはアラビカ100%なのは分っているが、EUの表示基準などが変わったのであろうか?

バッハのクリスマスオラトリオの公現の音楽などが景気良く鳴る。良い天気になってきた。連邦大統領のアジトに市民が集まって、靴を向けているようだ。アラブの真似をして恥曝しを追い詰めている。フェースブックの呼びかけに集まった今日は400人、明日はどれほどに膨らむだろう。



参照:
Schuh-Protest gegen Wulff: Demonstration vor Schloss Bellevue (SpiegelTV)
酸の量感と質が決め手 2011-11-07 | 料理
セシウムも降り注ぐマイホーム 2012-01-07 | アウトドーア・環境
解明されたロールスロイスの不都合 2010-11-12 | 雑感
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倒れないように前へ進む

2012-01-08 | 
一週間ぶりのクライミングである。一度抜けたのは相棒の医者が患者に腸カタルか何かをうつされたからである。抗生物質を飲むとか言っていたがこちらは飲んでいないので大丈夫だろうか?もう一人の医師がいないので一人で九時間ほどぶっ続けで開業していたというから恐れ入る。

過食過飲による体重増加と雨と強風で運動不足なのはこちらも同じで、その成果が危ぶまれたが、十分に休養を取っていたためか、結構よい練習ができた。なんといっても八級マイナスへと触手を伸ばしたのは良い経験であった。5.11bもしくは6c+であるから全く不可能な領域ではないのだが、まだまだ準備すべき課題は多い。

七級領域の庇は場合によっては克服できそうである。5bから6bへのグレードアップが今シーズンの目標であったので、春に靴を新調するまでにはその準備が出来そうである。そのレヴェルにおいては懸案となっていた握力は十分ついてきており、脚力も準備できている。もともとそこまで行くと体の動きに関してはある程度の技術的引き出しを持っているので、ブロックする筋力と柔軟性を養っていくことでグレードアップを果たせる見通しがついてきた。

年明け一週間してようやくシーズンの挨拶の返信をした。クリスマス前に全く出せなかったつけがここに回ってきていて、何一つ連絡をしていない方面も多い。無礼はそれはそれでよい。一週目は地元ではまだ冬休みなので本格的に世の中は動き出していないが ― クライミングホールがあれだけ空いていたのは初めてだった、来週が過ぎるとカーニヴァル・復活祭へとまっしぐらである。兎に角、倒れないように前へと進むしかないのである。
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セシウムも降り注ぐマイホーム

2012-01-07 | アウトドーア・環境
セシウムの降下量が急上昇しているとネットは炎上している。東電の会見でも質問が出たようだ。三月よりは少ないが五月よりも遥かに多いレヴェルで、十倍に跳ね上がっている。千葉県などでもそれが確認されているという。地上に降り積もったものが舞い上がったのかどうかは気象条件を見れば直ぐに分るだろう。巷に降り積もったセシウムの量は膨大だろうが、固定されずにこれほどまでに舞い上がるのは土壌などの関係が強いのだろうか、それとも全く他の理由があるのか?

闘病中の日隅氏が、福島事故中間報告に対して感想を月末までに出せると告知している。そこで自宅待機の時間を利用して早速二章ほどを軽く目を通した。自分自身の立場からすると事故の広報とその後の避難誘導へのサヴォタージュを暴くことが最も肝心と考えているので、その点に関して、事故調査委員会に具体的且つ明確な指摘をしてみたいと思っている。その内容はここにて公にする心算である。各々が感じる疑問点をぶつけてみることが重要ではないか。

若い妊娠中のヴルフ婦人は一体何を思ったのか知らないが、そもそも大統領になどなるべきものでない者がドイツ連邦共和国最高の地位に衝くのが間違っている。そしてそれを圧した者に責任がある。あわよくば、女性最初の最高地位に自ら就こうとした愚かな女性の嫉妬が判断を誤らしたのかもしれない。

事件の発端であるマイホーム願望に対して文化欄では、ライフスタイルなどからして日本の新しい建築が活かせるかもしれないと日本の例を紹介している。要するに連邦共和国においても子供が歩けるようになると庭で遊ばせたいとか、学童への個室が必要になるとかで、庭付きの一軒家が小市民の憧れの対象となる。大統領のように自分の庭に水を撒いて満悦したいとかの気持ちは、まさに何かを引き継いでいるようで気の毒のようなのだが、大統領は在任中は小市民ではないのである。もしそうならば何時辞任しても全く何も失うものは無いに違いない。

さて、東京の街中にリュウ・ニシサワ建築のモリヤマハウスである。秋田にもある。写真にあるようにさいころ状のブロックが重ねてあるような小さな建造物であるが、トイレや台所などの各部屋の個人的な生活習慣上の拘りがある部分を除いて、全てオープンスペースとして共同で使えるようになっているようだ。

その典型として縁側があり、そこで各戸の者が立ち寄り座って、また去っていくことが出来るのである。つまり、一軒のオーナーに対して、部屋貸ししている者も親子などの親族も同じように交流が出来る住環境となっている。

新聞に書いてあるように、学生アパートなどのWGヴォーンゲマインシャフトにも似ているが、個人の領域で衣食住出来る部分が異なる。つまり公共の領域を、個人の住環境に取り込むという風にも言えるのだろう。

新聞は公共の場所が見直された2011年であり、アラブの民主化やオキュパイ運動においても場所が重要になっていたことを語る。こうした住空間においてもプライヴェートからパブリックの環境へと開かれていることが、ライフスタイル即ち社会環境の構築に繋がるということであろう。



参照:
中間報告 (東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会)
事故調査・検証委員会(畑村委員長)の中間報告書の問題点 (情報流通促進計画)
Der Fluch des Eigenheims, Niklas Maak, FAZ vom 4.1.2012
「絆」に結ばれる日本の心情 2011-12-23 | 文化一般
恥さらしのヴルフ何某大統領 2012-01-06 | アウトドーア・環境
文学としてのジャーナリズム 2012-01-04 | マスメディア批評
コメント (3)
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恥さらしのヴルフ何某大統領

2012-01-06 | アウトドーア・環境
昨晩は今年最初のクライミングをお休みした。仕事始めのパートナーの医者が溢れる患者に腸インフルエンザか何かをうつされて体調不良ということだったからである。違うお誘いもあったのだが、運動不足解消を諦めて先ずはお休みとした。

ここ数日強風が荒れ狂い、冬雷が轟き、狂ったような春のような天候となっている。時速120KMほどの強風はあまり経験したことが無く不安を感じた。方々で死傷者など甚大な被害が出ることだろう。

ラジオがまたもドイツ経済の景気の良い数字を出していた。時節柄昨年度の集計が出てくるからである。それによると、統一後嘗て無かったほどの成長を小売業界が果たしたということで、前年度比で2%を軽く超えているということだった。

消費の過熱感は一切感じないのだが、もしかするとイーコマースの成熟がこうした市場拡大を獲得しているのかもしれない。

一方、ドイツェバンクがロンドンシティーの自社ビルを売却したりして所謂不動産フォンドの清算は進んでいるが、連邦共和国内の不動産への投資機運は再び上昇している。

そうしたところにスキャンダルとなったのが連邦大統領ヴルフ氏の若い嫁さんのための自宅購入のためのクレジット問題で、昨晩もTVで事情説明などをしたようだ。特にビルト新聞の編集者への電話での恫喝は、まるで日本の小沢何某などの強面の政治手法を想起させて、名誉職である大統領の権威を潰したとしかいえないであろう。

もはやこの大統領を支持する市民はいないだろうが、そもそもメルケル首相の女の嫉妬心と政治方針が生み出した汚物であって、メルケルの首と組み合わされているので政治的な攻防となってきているのだろう。完全に時期を逸した。

それにしても、名誉職は愚か政治家としてもこうした疑惑の目が注がれるときには潔く政界を引退するのが当然であるのだが、まるで泥まみれのような日本の政治家のようなトップ政治家が連邦共和国に存在したとして怒りを通り越して驚愕の眼差しが注がれている。

その家庭事情や住宅事情に関しては、日本のそれをお手本としての文化記事がFAZを賑わしていたのでそれは改めて紹介したい。


PS.ビルト新聞が大統領の恫喝の録音を公表すると声明した。言い訳の説明が事実と異なるということからである。もはや連邦政府も只ではすまないだろう。



参照:
信用が第一のクレジット 2011-12-20 | 歴史・時事
日本政府に「最大限の透明化」 2011-10-27 | マスメディア批評
独社会を写す大統領の嫌気 2010-06-01 | 歴史・時事
風向きを見極め、早い見切り 2012-01-05 | アウトドーア・環境
文学としてのジャーナリズム 2012-01-04 | マスメディア批評
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風向きを見極め、早い見切り

2012-01-05 | アウトドーア・環境
昨年の労働市場は二十年来最も良かったという。当然労働組合はよりよい賃金を言うが、それよりも最低賃金が確保されることの方が遥かに重要なのである。失業率も安定して、労働市場が活発となれば、もはや労働権益重視する市民は少なかろう。

特に12月に入ってからも暖かったということで、外での仕事を中心に需要が高まり、百万人ほど不足しているといわれる。一方この数年間においても就業者数が四百万人も増えていることから、如何に連邦国内の産業基盤が拡大してきているかが知れる。

年齢層を見ると、五十五歳から六十五歳までが従事者の四割近くとなっていて、五十歳以上がもう少しで半数近くになる勢いである。その点からすると、新たな外国人労働者の従事者が増えているというよりも、高年齢化で労働市場が拡大してきていると見るほうが正しいのだろうか。

人口比率に関しては高年齢化はもはやあまり感じなくなっており、自らが何時までも若者でいるだけで、実際の生活ではそうした労働市場の拡大もあまり感じない。なるほど地域的に見ると、ラインラントファルツ州の失業率は平均の7.1%よりも遥かに高く、低い場所には大企業が工場などを有している。同じような事情でか、バイエルン州のアイヒシュタットが失業率1.2%と信じられない働き者の町となっている。

先日、再生可能エネルギーへの公共投資で、最も利が良いのが風力エネルギーとなっていて、ソーラーシステムは最低であった。もはやソーラーシステムは中共製品以外には考えられない。光の弱いドイツでは開発の価値はない。

日本が海上の風力発電に投資しようというが、様々な技術的な困難を解決するノウハウが必要な技術のようで、これなどもドイツの技術が大分先行している。風向きを見極め、早い見切りで更なる新技術を牽引するためへの実行力とそうした社会のシステムこそが世界の輸出大国であるドイツの最大の能力なのである。
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文学としてのジャーナリズム

2012-01-04 | マスメディア批評
昨年亡くなった元チェコ大統領ハーヴェル氏の記事を読んだ。文学者とかその手の文化人については、その発言力や影響ゆえに、その発言内容の理解し難さなど個人的には苦手な人種である。

しかし、最近は読解力や洞察力がこの歳になって漸く向上したのか、こうした文学者の創作の意味が初めて理解できるようになってきている。如何に人々への心の深くへと言葉が届くか、啓発できるかということで、やはりその言語に纏わる固有文化の中心にあるものだと初めて理解するようになってきたのである。これを以って初めて文化を語れる資格を習得しただろうか?

特に旧共産圏下でのこうした文化的な影響力を鑑みて、未だに開化されていないどころか昨年の福島以降に文化人以外も初めて気がつくようになってきた環境をどのように啓発していくことが出来るのか。日本の文学者の責務である。

大江健三郎は、反原発運動でものを語っていたが、自らの責任については明白にしていたとは思われない。

ルフトハンザが、アメリカの会社と協力して、滑走路での「タクシー走行」の電気化を実験研究している。空港が大型化するにしたがって、待機場から発着レーンまでの距離が伸びているので、短距離の国内飛行ではその間のケロチンの消費は全体の三パーセントにもあたるというのである。更にタービンエンジンを動かさなかったり、早めに止めることで、騒音を抑えることが出来る。

こうした行いは、経済的に大きな効果が目されているのだが、同じ現象でもその捉え方伝え方によってそこから広がる景色が変わるのである。ジャーナリズムとは文学であるのだ。
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文化的な企業家の歴史

2012-01-03 | 文化一般
化学最大手BASFの催し物会場が九十年を機にリニューアルしたようだ。まだ出かけてはいないが、デットな音響は良くなっただろうか?会社の関係やルートヴィヒスハーフェンやマンハイム周辺に住んでいた者は馴染みがあるだろう。

最初に大物として名前が挙がるのはサートーマス・ビーチャム指揮のロンドンフィルハーモニー交響楽団のようで、1936年11月にデーリアスなどの曲を演奏して、会社の磁気性体開発の有志グループがライヴ実況録音の許可を取って指揮者を驚かしたが、最終的にはフランスのレーベルの専属となりEMIで録音が発売されるようになる。

更に遡ると1921年9月以降若手のホープであったフルトヴァングラーがベルリンのフィルハーモニーカーを引き連れて凱旋を繰り返していて、後にはIGファーベンのナチ政権下での国威発揚のプロパンだとしてゲッペレスに利用されたのは繰り返すまでも無い。フルトヴェングラーが政権と都合悪くなると、ハンス・クナッパーツブッシュがツアーを引き継いでいたのだ。

同じように作曲家のリヒャルト・シュトラウスは、1929年にプァルツの座付き管弦楽団を指揮して登場している。

戦前からのメニューインやその他の錚々たる名前に加えて、ジャズにおいてもチェット・ベーカーやアルバート・マンゲルスドルフなどが挙がる。クラウディオ・アラウやロストロポーヴィッチ、エマーソンや東京カルテットもそこで聴いたが、室内楽にも音響は不十分であった。

個人的に比較的強く印象に残っているのは、スェーデンの古楽楽団・合唱団の綺麗な倍音の鮮烈な響きであり、見逃して残念だったのはカルロ・マリア・ジュリーニ指揮のスカラ座のベートーヴェンだった。

プログラムは付き合いのあるプロダクションの戦略に包まれる傾向が多く、所謂ビズ業界のプログラムとなり易く、その筋のもので文化的な香りは少ない。それでも、ブーレーズ指揮の夕べなどもコマーシャリズムだけではありえないプログラムも数は少ないが存在する。

今後も文化活動として続けていくようだが、文化マネージメントもそれほどたやすくは無い、しかしクリストフ・エッシェンバッハが一筆書いているように、政府よりも企業家の方が遥かに文化的であるというのもコマーシャリズムを除いた所で初めて真実となるだろう。

なるほどボッシュ氏などの文化的功績は多大ものであり、正しく文化の経済があり、経済があってこそ初めての文化でもある。そう言えば暮れのラジオニュースから書き漏らしていたが、ライツチッヒの歌劇場の監督コンヴィチニーが辞めるそうだ。理由は行政の文化マネージャとの確執となるのだろう。なるほどこの演出家が考えるようなオペラ上演に文化的な将来があるかどうかは別にしてポピュラーなオペラ上演などには公的資金の援助などは一切必要ないことは明らかであろう。



参照:
90-Jahre Kultur bei BASF - Die Chronik
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