Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

甘みをぐっと落としてアルコール

2012-09-15 | 試飲百景
忘れぬうちに更なるグローセスゲヴェックスの試飲についてメモして於こう。ダイデスハイムのフォン・ブール醸造所である。今年はなにも買っていなかったので、どうしたというような顔をされた。ザールまで足を伸ばすようになるとなかなかあまり酸が効いていない2011年のそれを選ぶ範囲が狭まる。

それでもグーツリースリングから試してみた。予想通り、酸が緩々で幾ら糖を落としても素晴らしいリースリングとはならない。8,90ユーロをどうみるか?勿論シェーンレーバーのそれなどに品質が到底及ばない。価格以前の問題であろうが、酸が少ないというだけでよく売れるのが2011年産の傾向らしい。

さて表看板のヘアゴットザッカーもアルコールが高めで糖を3グラム台にまで落としているのだが、如何せん酸が冴えないと風味が無くて退屈である。アルコール臭さは12.5%だから仕方が無い。やはりこれならばビュルクリン・ヴォルフのヴァッヘンハイマーの方が遥かに風味が良くミネラルが効いている。

キーゼルベルクはその点ミネラルが良く出ていて、2011年酸の特徴を余すことなく発揮しているが、価格は上でも超一流の醸造所が比較できないほど複雑なリースリングを排出していることからすれば、もはやバッサーマン・ヨルダン醸造所もフォン・ブール醸造所も完全に二部に落ち込んでしまっている。

ムーゼンハングはその点、斜面の高い場所の地所であり、酸が柑橘類の風味を良く伝えているが如何せん薄べったいのは土壌の限界である。それからすると価格も14ユーロと超一流のワイン並みの価格であるが、モイズヘーレは素晴らしい。糖も7.5Gと十分に残してある分、最初の酸が丸くなった時点で残糖感として出てくるはずだ。そしてこの土壌感はあくまでも石灰であることを考えると即消費商品なので、決して超一流醸造所のいつまでも新鮮なPCなどと比べて割高なのである。

GCに行く前に中間のFPブールを飲ませて貰うが、これはこれで塩気のあるミネラルがペッヒシュタインやウンゲホイヤーの土壌感を愉しませてくれる。16ユーロは決して高くは無いのだが、GCと比較するとどうしてもテロワーの出方がぼやけていていて物足りない。

昨年は特別な酸のお陰で購入に踏み切ったライタープファードであるが、今年は例年並になっているかというと、2.2Gまで落としている糖が土壌の重量感を消してくれて繊細さが出ていて決して悪くは無い。アルコール13.5%を感じさせないのもよい。

ペッヒシュタインはいつもの通り上手に纏めて来ていて、モンヴィのブラインドテストで最高の白ワインに輝いたのは納得できる。しかし今年のこれが特別良いのではない。

さて我が家のクリスマスワインのイエズイーテンガルテンであるが、糖も落としてある分到底栗入りのザウマーゲンに合いそうも無い。ここ数年で最も出来が悪い。

それに比較するとウンゲホイヤーは独特の酢酸系の酸が残っているが、とてもスパイシーでバランスが取れていて快適なリースリングとなっている。これならば栗入りのザウマーゲンの胡椒やクンメルに合うと直感した。

昨年は提供数が少なくて割引とならずに購入できなかったキルヘンシュトュック。流石に美味い。独特の土壌の配合はとても素晴らしい。これならば、その質は別としても、グレーフェンベルクよりもこちらを買う人がいてもおかしくは無いであろう。

序に、2008年産のペッヒシュタインのシャンパーニュを飲ませて貰ったが、独特の糞尿のような臭いに閉口した。やはり2007年の方が格段素晴らしかった。

自宅の蔵に眠っている2010年産のウンゲホイヤーを試させて貰ったが、もう一年末べきと確認できた。ペッヒシュタインも酸の具合が重くなってきていて熟成を待たなければ開けてもどうしようもない。

そして驚いたことにここもビオデュナミに転換したとは、まるで皆がゾンビになるようで少し怖い気がする。一体誰の最終判断なのか?



参照:
グローセスゲヴェックス解禁日 2012-09-03 | 試飲百景
グランクリュ試飲会週末  2012-09-13 | 試飲百景
素晴らしい投資相応の価格 2012-09-11 | 試飲百景
青赤つける山の明確さ 2012-09-08 | 試飲百景
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平静を装う日本の支配層

2012-09-14 | マスメディア批評
日本の支配層はまるで何も無かったかのように平静を装っていると日本維新の会の結党についてFAZは報じている。特に政治エリートの中でもその頂点にいる安倍元首相がこの新しい動きの抱きこみを試みていることを上手に示している。

橋下徹なる人物についても、チンピラやくざの子息として子沢山の家族の長として、TVで弁護士で名を挙げたとあり、ある程度はネットで漏れ聞いていてもとっても興味深い話だ。

そして、そうした人物が国政にてあらかじめ予想されていた以上の350人規模の立候補者を用意していて、250人の過半数を目指すことを目標としていることからも分るように、従来の支配層にとっては最大の挑発となっている。

そのためか、明白なコンセプトの無い橋下の政治ながら、経済性の重視で日本では一般的ではない競争論理と自由化、さらに東京のイモリ野郎達や中央政府に対して地方の強化を押し出すその政治は、東京の政治エリートからはポピュリズムでファシズムと呼ばれる所以なのである。

実際に、政治学者らは、近づいている橋本の権力奪取は、長年既得権益を護って来た政治支配層を一網打尽にすると予想されているようだ。なるほど、こうした人物がなぜ人気を集め勃興してきたかを考えるのは、その不可解な支離滅裂の個別の政策を吟味するよりも、なるほど価値がある。

なるほど橋下の首班指名を避けて、旧守層の支配の構造を護り抜くためには、大連合は当然のことであり、新聞が称するようにミニ自民党の野田政権がそれを準備して、石原の息子もそれに向かうのは当然であろう。しかし冒頭に触れたように本当の旧守派である安部元首相が抱き込もうとしているのは面白い。手を変え品を変え、橋下の権力掌握を阻止しようとする。

橋下の方も、総理大臣となる首班指名を受けるよりも党首として市長に留まるとしているが、それでも新聞は大阪市長ポストは、日本を変えるには彼には余りに小さ過ぎると締めくくる。当然の観照であろう。



参照:
Als wäre nichts gewesen, Carsten Germis, FAZ vom 12.9.2012
大阪のポピュリストを回避 2012-08-17 | マスメディア批評
非核を推し進めるのか、否か? 2012-06-04 | マスメディア批評
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グランクリュ試飲会週末

2012-09-13 | 試飲百景
グランクリュ試飲会週末でまだ書いていなかったレープホルツ醸造所についても触れておく。春の試飲会にも行っているので改めて付け加えることは少ないのだが、目的としていたのは、その時点では若過ぎたSシリーズとはお目当てのグローセスゲヴェックスの試飲である。

前者は、二年ほど待たなければ本領を発揮しないことは経験から分っていて、今までも買いそびれていたことが多かった。その分、今回は2008年産の出来も素晴らしかったことを確かめていて、どれほどの伸び代があるかが問われていた。

試飲の結果は、明らかにワインらしくなってきていて、二年後ほどのその質は間違いなかった。しかし、残念なのは直ぐに飲むのは惜しいので、日常消費用の「オェコニミラート」の飲み干してしまったので困るのである。

それでも今更「オェコノミラート」を購入する気はあまり起こらない。なによりもアルコールが11%少々しかないのだからどうしようもないのである。そしてモーゼルザールなどのものよりも遥かに高価である。

さて、それと比較となるグローセスゲヴェックスは流石に上手に出来ていて、明らかに2009年より良かった。いつもながらガンツホルンは当たりがガツンと来るが、その透明さではシェーレーバー醸造所のハレンベルクと良い比較となる。

そして毎度の事ながら、ロートリーゲンデスのカスターニアンブッシュは通俗な美味さを備えていて中々飲み応えがあるのだが、経年変化とかその楽しみ方とかを分っている者は手を出さないであろう。なるほどナーヘのフリューリングスプレッツヘンと比較すると透明度は高いが、些かリースリングの愛好とは方向がずれる。それでも石灰のゾンネンシャインよりは価値はあるだろう。

同じように、各々のSにおける特徴はグローセスゲヴェックスとかわらないが、ロートリーゲンデスや貝殻石灰で試してみたいと思うものはなかった。結局、グランクリュとブントザンドシュタインからには、予定通り満足したことになる。

あまりに真剣に利き酒をしているので、アールからやってきたという老夫婦から声が掛かった。おじいさんが1930年に神戸で製鉄の技術指導をしていたというのである。同じような人は知っているが、これで二人目なので、如何に多くのドイツ人技術者が当時神戸で技術指導していたかである。先日あったアールのアデナウアー醸造所の話をした。



参照:
素晴らしい投資相応の価格 2012-09-11 | 試飲百景
青赤つける山の明確さ 2012-09-08 | 試飲百景
グローセスゲヴェックス解禁日 2012-09-03 | 試飲百景
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素晴らしいクライミング日和

2012-09-12 | アウトドーア・環境
初めは左のチムニーの右の凹角のその右あたりのルートを登ろうと思っていた。しかしその上の方に見えるボルトへ行こうと思うと、下から続いている四本のリングボルトを繋げていかない事には登れないことに気がついた。

そこで下まで降りて登り直した。最初に予定したものよりは困難であることは分っいたのだが、やはり難しい個所もあった。しかし五級上で、真剣度1とは知らなかった。この比較的小さな垂直ではない壁でボルトが四本も打ってあれば、真剣度はそれほど高いとは思っていなかったのだが,なるほど手掛かりがあまり効かないので、ずりずりと落ちそうになるところがあるのだ。

南プファルツの摩擦登攀の練習にはとてもよいだろう。ボルトの右側を登ると6級マイナスとなるから、真剣度が評価されているのは理解出来る。

ここの岩場へ通うのは今年三回目で、二回目三回目からは一つづつ新しいルートを登っているのだが、今回は本峰への登りも他のルートを登ってみた。そうした変化で全く飽きさせないどころか、パートナーが代わるとそれだけで新鮮である。頂上での記帳で、先の二回の記帳を捲りながら、パートナーが誕生日であることを知って。それを書き込んで、とても嬉しかった。

折からの季節間の激しい天候の変化で、雨がちの予報ながら、集中豪雨的な豪雨がやってくるまでは日差しを浴びて登ることが出来て、丁度車に戻ってて来たときに集中豪雨となった。なんて素晴らしいクライミング日和だったことだろう。



参照:
乾燥して爽快な水曜の晩 2012-07-21 | 暦
学歴のある奴か失業者 2012-06-29 | 生活
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素晴らしい投資相応の価格

2012-09-11 | 試飲百景
ロベルト・ヴァイルの新装した醸造所は素晴らしかった。ヘッセン州立のシュタインベルグのそれはまだ見学していないが、その規模が異なる分可也細かな設計に目が届いているような印象を受けた。恐らく専門家が見るとまた一言があるに違いない。

ただし新築の場所が多いのでどうしてもコンクリート造りの場所が多く、ゆっくりと樽熟成するにはコンクリートの薬品の悪影響が少し心配である。それでもフォンフォルクセン醸造所やモリトール醸造所にも供給しているオーストリアの樽師フランツ・シュットキンガーの新しい樽蔵が見事であった。殆ど博物館のような美しさで、クーラーだけでなくウォーターカーテンが音を立てていて、乾燥を防いでいる。まるでホテルのロビーか、ヤクザの客間のようである。

この醸造所の雰囲気は、今回初めて日曜日に開かれた試飲会での落ち着いたムードとは裏腹に、士気に溢れているようでそれは前からいた醸造長の表情や説明にも自信となって表れていた。

モストの抽出時間は18時間、それからの醸造醗酵温度もその期間も正確に公表していて、これも明らかな自信の表れであった。兎に角、除梗破砕から新設計らしく重力対応となっていて、コンヴェアーなど無しに下へ下へと落ちていく全体構造となっている。更に以前からの出荷倉庫が下にあったものだから、瓶詰め時にポムピングするだけとなる。ある意味最初で最後の吸い上げなので、瓶詰め後は時間をおく方が良いだろう。

そしてラーゲンヴァインからは天然酵母醗酵となっていて、木樽熟成となる。オルツヴァインの場合はほんの一部を木樽にして味付けをしているようだ。要するに価格が22ユーロ超えから初めて超一級商品となっているのである。

実際に試飲吟味をすれば、それは一目瞭然で、グーツリースリングまでは魅力は薄い。リッターヴァインなどは培養酵母どころかケミカル味だと散々であるが、高級レストランなどでグラスワインで出されると、高級ワインとなることには間違いない。オルツリースリングは香りもあり流石に漸く飲めたのだが、ラーゲンヴァインのような個性とは明らかに異なる。シャルタヴァインが良いか、オルツヴァインが良いかといえば、味の特徴としてはミネラルの前者、果実風味の後者と、土壌が大分異なるような記憶がある。食事には前者である。

しかし、重い土壌のクロスターベルクから、テュルムベルク、グレーフェンベルクへと比較していくと、最後の二つの特徴は圧巻で、柔らかな果実風味の女性的なテュルムベルクと硬質で男性的でありながらニュアンスの細かなグレーフェンベルクの双方とも最高級リースリングには違いない。

特に後者は、グローセスゲヴェックスのグレーフェンベルクとの比較になるのだが、それほど時間が掛からなくとも最低二年は待ちたいリースリングで、特に2011年のミネラルの豊富さは期待させてくれる中間部のクラウドの開き方が楽しみである。そよ風のような堅く閉ざされたその蕾が開くときである。

いづれにしても、高価なワインの数々であるが、その中でその価値があるものは結局限られていて、グレーフェンベルクなどは飲み頃を待つべきで、テュルムベルクは贅沢過ぎるなどと、明らかに通向きの醸造所である。

奥さんが挨拶に来て、試飲会の賑わいなどを話していたのだが、700人規模で集まった日とそうでない日などの差が多かったようだ。空いていたのでゆっくりと楽しめたのがなによりもよかった。

今年発売のピノノワールが最後の赤となる。温暖化に備えたが、リースリングに替えて作る価値は無かった。リースリングの地所をピノにする価値は無いのだろう。ドイツの最高級ピノノワールも必ずしも一等地のものとは限らない。



参照:
ザールリースリングの旨み 2012-08-20 | 試飲百景
ここでも効率から質への転換 2011-05-29 | 試飲百景
ヴィルヘルム・ヴァイルのワイン 2010-09-05 | 試飲百景
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原子力非常事態宣言発令中

2012-09-10 | アウトドーア・環境
原子力ムラの逆襲は凄まじい。官僚組織を通じて、時の総理大臣まで操り人形にしてしまうような直接的な権力を持っているとまでは思わなかった。

原子力規制委員会人事案に対する国会決議は環境団体のロビー活動によって一旦阻止できたようであるが、内閣は週明けに総理大臣の強引な任命でこれをごり押ししようとしているようだ。

その背後には、先数年間は独立性を持って、原子力推進をフクシマ以前に戻って推し進ようとする原子力ムラの強大な意向が牙をむき出しに政府を動かしているのである。

法的には、原子力非常事態宣言発令中ということで国会の承認を受けなくてもよいという順法性もあるようで、まさしくオンサイトは未だに非常事態宣言が発令中なのは間違いない。

しかしそこで誰もが思うように、例えばここワイン街道から詳細が見渡せるフィリップスブルクの原子塔が福一のような状況にあったとして、そのような三十キロ圏内で平和に暮せという方が甚だ理不尽なのである。

そのような地区で生産される農作物や収穫されるワインや魚や肉類などを口に入れる方が尋常ではない。非常事態宣言はこの先半世紀も出し続けられるのかもしれないが、そのような場所に人の暮らしなどはありえない。



参照:
【58時間署名】原子力規制委員会人事案、白紙撤回!国民と国会同意なしの総理任命、止めてください (締め切り:9月10日(月)午前10時(開始から58時間後)
連邦環境省長官の思惑 2012-07-30 | マスメディア批評
中共が野田政権を後押し 2012-08-27 | 歴史・時事
エリート層育成への茨の道 2012-08-28 | マスメディア批評
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おおきにハラショー

2012-09-09 | 生活
今年はロシア語を母国語とするとの付き合いが広がっている。語学学校においても寧ろ苦手なタイプが多く、イタリア人よりも相性が合わないと思っていたのだが、それがなぜか悪くはないのである。

今までポーランド人との付き合いは公私共に多かったのだが、やはりロシア語の響きもポーランド語ほど鋭くは無く、その響きだけでなく肌触りが大分異なるなという印象が強い。

特にクライミングのパートナーとして付き合うと、男女の関係並に、かなり本質的なものを感じるようになったのも、スラヴ系の血なのだろうか?フランス人やその他の中欧人とではあまり感じない本能的なものを感じるのである。兎に角、状況への対応の仕方がドイツ的なくそ真面目感とは大分異なり、ある種の肉感的な感覚は、フランス人などの感覚とも全然違う。

それを友人に話すと、「躾け」ではないかと一言で言った。流石に青少年を相手の仕事をしている山の友人である。「躾け」と書いたが、両親からの教育でもあり、社会的な環境でもあるのだ。

その明快な回答を得る前には、もしかすると人種的ななにかかと思っていたのだが、それでは全く説得力が無かった。どのような「躾け」を東スラヴ人がしているかは分らないが、例えばドイツ人のそれや、イタリア人それや、英国人のそれを考えると良く分るような気がする。

例えば時間通りに現れる現れないとか、先に来て待っているとかいうのは明らかに、そうした環境が影響するので、その先には様々な相違があるのは当然なのである。

例えばクライミングで典型的に表れるのは、やはり真剣さというか状況の捉え方などによるのだ。友人に言った、やはりアエロフロートよりもルフトハンザに乗りたいねと。それは必ずしも経済的な背景を言うのではなく、その社会の構造をつくる個人個人の「躾け」なのである。

そのようなことはヒットラーを出すまでも無く、ヘーゲルの書物などにも頻出する国民性や文化性の問題なのだろう。要するに、どのように物事を捉えるかも「躾け」に多く依存するということを否定することは出来ないのだ。そして、それを形作っていくものが、歴史社会であることは確かなので、民族・文化特有のものである。

巷の議論においては、遺伝と環境の二項対立で捉えられるような全てを、「躾け」をもって、民族固有の歴史や文化そして社会と個人という中で捉えるようことを可能にするキーワードであったのだ。



参照:
メッカでのオペラプリマ 2012-06-11 | アウトドーア・環境
脱リビア、脱毛、脱貧困 2011-03-01 | 歴史・時事
「つくる」に近い「うむ」の具象 2010-01-18 | 歴史・時事
鹿の角に宿るいらいらさせるDNA 2010-01-11 | 女
ドイツ語で喋るということは 2009-11-05 | 女
私の一週間の仕事表 2008-11-04 | 生活
安全に保護される人質 2007-07-30 | 歴史・時事
190CM、足47、右頬に傷 2007-07-14 | マスメディア批評
カローンが水脈引き行く 2007-04-28 | マスメディア批評
熊のブルーノの死 2006-06-27 | アウトドーア・環境
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青赤つける山の明確さ

2012-09-08 | 試飲百景
ゲーテが絶賛したモンツィンゲンで始めて試飲会に参加した。このシーェンレーバー醸造所を前回訪れてから四年ほど経つが、試飲会でグローセスゲヴェックスの垂直試飲をするのは始めてである。

青シーファーのハレンベルクの2011年の試飲が今回の目的であったが、遡って2009年、2008年、2006年、2004年、2003年と比較することが出来た。前回の訪問で試した2008年が思いのほか良くなったのは現当主の感想でもあるが、先代もそのミネラルを強調していた。なるほど2008年の試飲の際もその研ぎ澄まされた薬草のスパイシーさは抜群であったのだが、若干濁りのようなものを感じたので購入しなかったのである。濁りは2004年も2006年も若干共通しており、また2003年だけはやはり酸が弱くふにゃふにゃになっていた。2003年のリースリングで今飲める物は限られていて本当に貴重品であろう。

さて、2011年も酸は弱いのだが、2009年と比較すると格段良い。ミネラルの強さが違うのだ。その傾向にあることは、五月にバッサーマンヨルダンで試した「ミネラル」の塩味で分ったのであり、2008年産のRなどとの比較で十分に予想していた。あの青い清涼感はとても素晴らしく、恐らく青シーファ土壌のワインの最高峰に違いない。そかし、競り用にい一番上部の区画のアウフデアライのこれまたラインガウ的な、とても繊細極まりないヤマモモの香りや味筋には打たれた。

既に売り切れていたのはフリューリングスプレッツェルのグローセスゲヴェックスは売り切れていたのだが、試飲は出来た。決して悪くは無かったのだが、やはり輪郭が暈けるのはこの土壌の宿命であろう。そして甘く感じてしまうのは仕方が無い。「レンツ」が極端であるが、購入を迷ったフリューロングスプレッツェルの辛口も甘過ぎるのだ。やはり食事のワインとしては難しい。そして酸が少し荒い。

その意味からヘレンベルクの樽寝かしのRも2009年産よりもクリーミーな2008年産の方が遥かに良かった。

おまけに、友好の醸造所アデナウワーのシュペートブルグンダーを親爺さんの酌で四種類試したが、正直ベーシックな物は安物臭く、高価なものはバリックが浮いている。なるほどシーファー土壌のぬるっとした感覚が特徴なのだろうが、その質に関してはゼーガー醸造所などの足元に及ばないばかりか、バニラ味の付け方の上手なクニプサー醸造所にも劣る。勿論ベッカーなどとは比べられないであろう。クリストマン醸造所の方が質は高い。あれならば、明らかにアスマンハウゼンの日本でも有名なアウグスト・ケセラー醸造所の方がこくがあってよい。

最高のみものは、積水?などのある工業地帯から望むシーェンレーバー醸造所の地所で、青シーファーの土壌のハレンベルクは青く見えて、赤シーファーのフリューリングスプレッツヘンのほうは赤く見えることであろう。土壌の変化に富んだナーへの谷であるが、これほど明確さはこの醸造所の味筋にも似ている。

そう言えば、若旦那に今年の実り具合を尋ねると、今までは順調でここ十年ほどのアヴェレージにあるということだ、そして健康であることを付け加えた。もしかすると最初に伺ったときの私の批判を覚えているのかもしれない。批判された側は、それが的外れでない限りとても強く頭に残るのが常だからだ。勿論非難した方も真剣なものであれば実感として覚えているのだが。



参照:
立ちはだかる一途な味覚 2009-09-27 | 試飲百景
ゲーテには難しい青粘板岩 2012-05-13 | 試飲百景
批判的に処する冷静な感覚 2012-05-16 | 雑感
熟成の秋を待つ初夏の日 2009-05-18 | ワイン
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放射線の照射の威力

2012-09-07 | アウトドーア・環境
日本ではレバさし関連で、放射線照射拡大への運動があるようだ。所謂原子力ムラの逆襲の一つだろう。なるほど香辛料などには使われていることは多いようだが、そこには大きな問題があって、大資本の収益を優先する悪しきグロバリゼーションの商業主義に侵されている食品市場でしかない。

要するに長持ちして流通に都合がよいような食料品への試みの拡大であって、スローフードなどの運動と丁度敵対していて、不味いものを大量に食わせて多くの人間を飼育しようとする試みでしかない。

健康に関する科学的な考察などは本来は如何でもよいものであって、金をかけて不味いものを嬉しそうに買うかどうかの話なのである。高級ワインなどを嗜む者にとっては、結論は明白なのである。それ以前に生鮮食料品がなぜ美味いかに思いを馳せればその結論を否定する者はいないであろう。

生鮮食料品は、時間が経つと見る見る新鮮さが落ちていって、その新鮮さがあるからこそ瑞々しく美味しく感じるのである。それは何かといえば、自然食品である高級ワインを考察すれば一目瞭然である。放射線照射によってまるで時間が止まったかのように腐敗が進まないとしたら?勿論、高級ワインなどは買うに値しない。なぜならば瓶の中で熟成しないからである。まさしく、時期を狙って開けて、グラスの中でゆっくりと空気に触れていくときの開き方が高級ワインの醍醐味であって、そうした時の流れを消した物は、ステファン・キングの小説ではないがまるでゴムを噛んでいるようなものである。

食料品然りである。熟していって腐る手前が美味かったり、青いぐらいが美味いこともあるのだ。しかし、照射の処置をしたときで固定されてしまったとしたなら、もはや金を払う意味もなく、そのようなものを食していては生きている価値も無いであろう。



参照:
本当に価値のある商品とは 2012-08-25 | アウトドーア・環境
福島禍に見舞われたら 2012-03-28 | アウトドーア・環境
直ちに健康に影響が出る 2012-03-14 | 生活
エコと呼ばれる遺伝子工学食品 2010-01-16 | アウトドーア・環境
未熟な食品危機管理 2008-10-20 | マスメディア批評
希望も未来も無いTV放送 2006-12-03 | マスメディア批評
化け物葡萄の工業発酵 2005-12-23 | ワイン
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アルプスの森の凶悪殺人事件

2012-09-06 | アウトドーア・環境
ガーディアン紙のネット配信に興味を引くネタがあった。殺人事件で英国からの旅行者らしきがオートサヴォワのアネシー湖近くで四人殺害されて発見されたという記事である。そして一人の女性は重態で同じ車の中で見つかった。

撃たれていたようだが、運転手を除いては身元不明であるが後部座席の二人の女性や重態の少女からすると家族旅行なのだろうか。そして四人目のサイクリストの死体は道に近い森で見つかったようだ。

この様子だけを見ているとフランス映画でも良く扱われるような通り魔的な凶悪犯で、ドイツなどではあまり無いタイプで連邦共和国ならば、銀行強盗などを交えてもう少し派手な連続殺人となるであろう。

旅行に来ている英国人家庭からそれほどの現金が強奪できるわけではないだろうが、金額などは関係なしに犯行に及ぶとして、やはりフランスは田舎であるから如何に観光地であっても人知れずにと言う印象が強い。

イタリアからの荷物を待っている。九月四日にナポリの近くのUPSのステーションにピックアップされて、翌日の夜中にボローニャに着いて、未明には送り出されている。そこから峠を越えて、バイエルンのニュールンベルクに、同日の夕方に着いている。

イタリアの靴の先からアルプスの北側に回って、ニュールンベルクまで二箇所のハブステーションを通っているだけなので、翌日早朝にはマンハイム近郊に到達して、午前か午後には配達となることであろう。無傷で無事到着するのか楽しみである。

三カ国国境近くのフランス最古の原発の一つフェセンハイム原発で火事があったようだ。放射能漏れは無かったようだが、古いプランをは原子炉を指すだけでなく全てが老朽してきている。事故多発するようになれば直ちに廃炉にするに限るのだ。



参照:
Bodies found in UK-registered car after shooting in French Alps (The Guardian World News)
向上に相応しい動機付け 2006-02-14 | 雑感
力を籠めて足掻く 2006-02-13 | 雑感
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Aha、ジョン・ケージ生誕百年

2012-09-05 | 
生誕百年の番組などがラディオに流れ、週末には特集記事が出ていた、恐らく二十世紀最大の音響芸術家ジョン・ケージの誕生日である。百周年であるのも今年になってから知ったので、殆ど気がつかなかった。

二回続きのラディオプログラムの第一回目は、シェーンベルクとの作曲家カウルを通じた出会いや無料での授業などについて紹介されると共に、その革新性を聴者に分らせる番組構成となっていた。しかし流れる曲はケージに纏わるもろもろの曲が半分ほどで、まともな音響はあまり紹介されなかった。

こうした先端百年番組が示すような革新性がこの芸術家の持ち味であろうが、それでも伝統的な演奏家に演奏されるのは伝統的に記譜された曲が多くなるようで、「エテュード・アウストラレ」が挙がる。

ベルリン在住のトーマス・ベッヒリが曲を解説して演奏しているが、その過程がケージの音楽の本質のひとつであることを語っている。特にこの曲は音楽学者ハインツ・クラウス・メッツカーが解き明かすようにバッハのゴルトベルク変奏曲の左右の手のシンクロナイズされていない扱いがこの曲の「解釈」となってしまう、そもそもの作曲家の意図とは矛盾するというのである。

そして反対にゆっくりと演奏されてしまうとオーヴァートーンが交わることなく消えてしまうので、作曲の主旨に違反するとなるようだ。勿論それは調性音楽で呼ばれる協和では無いと言うのだが、音の干渉や交わりがどのような場合でも存在することは当然なのである。

つまり、曲自体の構造をどうしても考査して、演奏可能なテムポを選び正しいリズムを刻んでいくとすると、作曲家が「開いておいた筈の美学的な自由度」は実は制限されていて、その考察自体が既に曲の主旨とは反するというのである。

当然の事ながら作曲家は、そうした演奏家の考察をあらかじめ仕組んでいただけでなく、演奏家の動きから偶然性の音楽ですら聴衆が気がついてしまう演奏の誤りを明らかにしてしまうというような矛盾をも内包しているというのである。

上の例においても瞑想を要求されるとしているが、そもそも芸術表現において何処までも自由が追求されるときに、激しく厳しい厳格なフォームが形作られる必然性が生じる訳で、Aha効果などは知らぬ道に迷い込んではたと自分の置かれている環境に気がつくだけの効果であり、そこからはじめて芸術が営まれるとしてもあながち間違いではなかろう。

しかし最大の狙い目は、ルネッサンスから近代へと築かれていった西洋音楽の美学が、如何に矮小な視点に突きぬかれていて、そこから開放されないことには音楽性など存在しないことを、独自な方法で示したことには間違いない。



参照:
逸脱してその実体に迫る 2006-05-03 | 音
引き出しに閉じる構造 2007-01-11 | 文学・思想
木を見て森を見ず 2006-01-28 | アウトドーア・環境
デューラーの兎とボイスの兎 2004-12-03 | 文化一般
伝統という古着と素材の肌触り 2004-12-03 | 文化一般
ケージ作曲、「ピアノと管弦楽のための協奏曲」 (yurikamomeの妄想的音楽鑑賞とお天気写真)
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初秋のメランコリーに酔う

2012-09-04 | 
朝少し走った。十六分ほどの短い距離だったが山登りでテムポを上げたのでぜいぜいした。夕方までそれが中々取れないが、先週の後半はサボっていたので良い刺激になった。走ると身体の代謝が激しくなるのでホルモンの放出同様にやはり都合がよい。

夜になると寒くなるので、そろそろ長袖のパジャマに替えようかどうか模索中である。少なくともここ数日は半袖では寒かった。そのせいか他の原因かは分らないが、久しぶりに睡眠が短く浅く途切れ途切れ勝ちになる傾向があった。今晩も同じような具合であるとすると、やはり原因を追究しなければいけない。

毎年秋の始まりには胃癌症状が出るのだが、今年は寧ろ腸の調子となって表れ、胃や食道はリースリングの酸が若干沁みる。しかしここに来てジャガイモなどの暖かいものを食するようになって、急に良くなった。

特に心配事があるわけでもなく、精神的なプレッシャーが大きい訳ではないが、来るべき冬に備えて、クリスマスシーズンなどを考えると久しぶりに冬篭りの準備へと心が動いていくのも事実である。

一種のメランコリーも久しぶりに良いものだと感じる今日この頃である。一体、あの有名な版画を、デューラーは幾つのときに制作したのだろう?なにかとても楽しい物思いなのである。そう言えば先日パリの今年のマロニエの落葉についてお話をしたところだった。


今日の音楽:バッハ ゴールトベルク変奏曲 グレン・グールト デジタル録音



参照:
氷点下の雪模様 2006-08-12 | 暦
スタート地点に戻ってみる 2012-09-02 | 雑感
大脳辺縁系に伝わる記憶 2009-01-06 | 文化一般
観られざるドイツ文学 2007-11-07 | 文学・思想
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グローセスゲヴェックス解禁日

2012-09-03 | 試飲百景
なんだかんだと忙しくて、九月一日のグランクリュ解禁日には一軒しか立ち寄らなかった。試飲会に招待されていながら参加出来そうにないビュルクリン・ヴォルフ醸造所である。前日に駆け込みで三本ほど前注文をしておいた。そのお陰で入手は出来たのだが、どたばたさせられたと少し責められた。

売り切れてしまったのがウンゲホイヤーと聞いてびっくりした。一万五千本しか収穫だったそうだ。大分腐りを落としたということである。昨年の夏は雨が多かったから収穫時期に黴が繁殖したのだろう。しかしウンゲホイヤーは広大な土地に広がっており、何処の大手も十分な耕地面積を持っている。だから未だに信じられない思いである。

最高級品のキルヘンシュテュックが数が少なくて試飲不可なのは通常であるが、今年はウンゲホイヤーの試飲が出来ない。その他で試飲出来たのは、カルクオーフェンとホーヘンモルゲンとガイスボェールにペッヒシュタインであった。

PCクラスにおいても今年の出来は酸と糖の関係がギクシャクした感があって、なかなか飲み頃に出会えない2011年産であるが、やはりGCクラスも傾向はよく似ていて、比較的飲み易いのは単純なカルクオーフェンで、それにパワーを加えて複雑にしたのがホーヘンモルゲンである。

若干2005年産をも思い起こさせる傾向もあって、綺麗に熟成しそうなのは限られるような気がする。その意味からするとガイスボェールは無難であり、やはりペッヒシュタインはとても優れている。

減酸をとても丁寧に行った2010年産のような感動が無いのは、比較的凡庸な年度であったことから仕方ないのかもしれない。その意味からすると水不足で焼けが入っている葡萄の2012年の方が今後の進展によっては期待出来そうである。

2011年産に関しては、雑食砂岩のプファルツよりも、ザールやナーヘのリースリングの方が好ましく感じられるのは、やはり気象の影響があったとしか考えられない。その詳細はまだ掴みきれていないが、プファルツがもう一つうまく行っていない印象は正しいのだろう。酸は、寧ろザールやナーヘなどよりも鋭いのだが、分厚さが繊細さを壊しているという印象がある。来週はラインガウを試すので、その点もはっきりするだろう。



参照:
九月一日はグランクリュ解禁日 2011-09-04 | 暦
グランクリュ解禁の反響 2007-09-14 | ワイン
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スタート地点に戻ってみる

2012-09-02 | 雑感
日曜日の朝はとても気持ちよかった。初秋らしい空と清々しさは格別である。わけあって、初めて日曜日に石切り場へと向かった。それも朝九時の待ち合わせで、羽織るものが漸く必要なくなったというような感じだった。

集中して二時間の練習であったが、初心者を相手に継続した練成週間の最後から二度目の日程である。予定していた項目を全てクリアーしてくれたのでとても嬉しく、来週末の余裕が生じて、天候次第であるがやれることはこれでやり切れると思われる。

室内でも四度ぐらいしか登ったことがない初心者であり、戸外では初のシーズンでここまでこぎつけるには苦労した。八月の第二週には、奇岩地帯の岩頭で途中で降りると言い出したものだから、こちらは焦ったのだった。私にとっても初めての経験で引っ張り上げることは出来たのだが、懸垂下降が出来ないような感じだったので、仲間がダブルで懸垂下降をしたぐらいである。

兎に角薄笑いのような怯えた表情がそのときは上からは理解できなかったのだが、石切り場で練習したときにも同じような状況になった。これはどうしたものかと思って、その次の機会に、あらかじめヒントを与えた。

それはここからという前段階でザイルにぶら下がってしまうことで、そこで息を整えながらそれからの身体の動きをシュミレーションしてみるということだけであった。それが功を奏して、その後は途中で諦めることは無く完登するようになった。

基本的には信頼関係なのだが、その基礎となる確保システムや考え方をレクチュアーされることで、自分自身で「息を整える」ことが出来るようになったようだ。その説明でもしたように、実際に難しい未知の場所では先行する我々でも中間支点の取れる場所で予めザイルにぶら下がって、手がかりなどを探ることが必要となり、必ずしも所謂レッドポイントで登っているとは限らないので、後続する者も同じように意識することは必ずしも悪くはないのである。

こうした練習に付き合って石切り場の最も簡単なところから虱潰しに登り直してみると、いろいろなことに気がついて自身とてもよい勉強になる。完璧に最も安全に登るためには必ずしもレッドポイントが良いわけではないことは当然なのだが、初心者のザイル確保は殆ど信用できないのでまるでノーザイルで登るようなもしくはシュタイクアイゼンとリュックサックを担いで登る感覚ですると、とても勉強になるのである ― やはりソロクライミングは体力勝負になるのかもしれない。

困難度六級となるとやはりどうしても所謂スポーツクライミングの域になってシュタイクアイゼンでは登れないような領域へと近づくのであるが、やはりそこまでの領域に岩登りの極意が隠されていることを教えてくれて、スポーツクライミングを最も安全に登る全てが隔されていたように認識し直した。要するにビックウォール登攀への基礎技術である。

これで最後の一日は、スポーツクライミング領域での最大限の安定した登り方を伝授できそうである。そしてそのまま自己の限界域まで登り直していくことで、可也天井が広がってきそうである。スキーなどでも同じであるが、シーズン度にスタート地点に一度戻ってみることが上達の秘訣だろうか?



参照:
中庸な道の歴史 2006-08-05 | アウトドーア・環境
ゲマインシャフトの人種 2008-09-25 | 生活
ゴミで咳き込んで酷く咽る 2009-04-02 | アウトドーア・環境
コメント (2)
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ポピュリズムにもならない遺物

2012-09-01 | 歴史・時事
マルク・デュトローの共犯者で、妻の元教師ミシェルが放免になるとラジオが伝えていた。少なくとも地下に監禁していた二人の少女を餓死に導いたのは彼女であるから、三十年の実刑でその半分を残して出所してくるのには驚かされた。伝えるところによるナントの修道所に入って暮すというが、流石に遺族をはじめ市民の抗議運動が始まっているようだ。主犯の親爺の方は当然ながら終身刑であるが、六人の少女たちを誘拐監禁して、性的奴隷として虐待を繰り返して、四人を死亡させた凶悪事件の共犯者の扱いとしてはあまりにも容易すぎる印象がある。当然のことながらこうした性犯罪の犯人は自らが性犯罪の被害者であるのはいつものことであろうが、それにしても餓死させるまでの「未必の故意」の犯行は恐ろしい。

官邸抗議行動で政党が配った白い風船が目に付く。上の事件の節に抗議行動に使われたものと言う。ベルギーのエスタブリッシュ層に上の犯罪組織の会員が広がっていたために、その追求を求めた市民の抗議活動「白い行進」だったのだろう。当時のオーストリアの権力者No.2であった故ハイダー博士が、こうした破廉恥のさまをしてベルギーを愚弄することからEU内の外交問題となった。

大阪での瓦礫処理の市民説明会の様子を一部見た。とても説明するというようなものではないのは、まさしくポピュリズム政治家として名高い大阪市長がそこに臨席しているというだけで、想定内のアリバイ作りであった。人気市長の発言を見聞きしてそれをポピュリズムとして貶すことは容易であるが、一つだけ脱原発へ揚げた風船のそのシングルイシューのみを鑑みても、一部に期待されているようなボナパリズムや高踏な目的のために手段は選ばずというようなマキャブリズムの強権政治とも全く異なるものであることが明らかになっている。多くの反原発運動家や専門家は、一時はそこを勘違いしていたようであるが、完全に化けの皮が剥がれてもはや強い批判を受ける対象となっているようである。

警察権力によって市民から守られなければいけない共同体の長など聞いたことも無い。彼のハイダー博士でさえ地元の首長としての人気は絶大で、どのような集まりにも颯爽と表れていた。要するに大阪市長のような政治家はポピュリストとも呼べないほどの、その選任の過程を別にすると、殆ど前近代の悪代官のような過去の遺物ような恐竜政治家なのである。

そのようなことを考えながら中継画像などを眺めていると、白い風船に民主主義の力や正義を感じるよりも、そこに少女たちの涙のようなものを感じさせて、殆どその白い風船を見て胸が悪くなり、殆どハシ下ならず吐き気さえするのである。



参照:
上げよ、怒りの雄叫びを! 2009-03-29 | 歴史・時事
知性に劣る民を卑下する美徳 2009-04-06 | マスメディア批評
武器を所持すると言うことは 2010-08-07 | 暦
男なら運転前に一寸一杯 2008-10-17 | 生活
伝えられた十一日の急死 2008-10-12 | 生活
黴の生えた高い民意 2005-04-05 | 歴史・時事
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