Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

中庸な炊き具合の加減

2014-12-07 | 料理
2010年アルテンブルクを開けた。調べてみると、予約販売のように購入している。そこに書いてあるように重くはなってはいなかった。そしてパイナップル系の酸が感じられて気持ちよかった。また糖が浮くようなことも無く。今まで試した2010年ものとしてはもっとも綺麗に瓶熟成していた。反面、どうしても飲み過ぎてしまい、若干酔い心地が悪かった。理由は酸処理にあるのかもしれない。2010年は今世紀最高の酸の年と思われたのだが、こうしてみると現時点では2013年を超えそうにはない。残りはPCランゲンモルゲン、GCマンデルガルテン、ウンゲホイヤー、ペッヒシュタインなどとなってきたが、こうなればウンゲホイヤーとペッヒシュタインは封印するつもりだ。

木曜日にはロ短調ミサの会であった。最も気に入っているのはヘルヴェッヘの古い録音である。生ではヴェルサーメストの通常の管弦楽での演奏が記憶に強い。2005年のことで丁度子ブッシュがオペル社を訪問している時だった。その後には2012年にスズキの演奏を聴いているようだが、全く記憶から落ちていた。今回のバルターザーアンサンブルをヘンゲルブロックが指揮した演奏は丁度その中間ぐらいの感じだったろうか。ミサ曲として違和感がなかったのはオーストリアの指揮者の演奏で、サウンドはそこではあまり重要ではなかった。逆にバッハがカトリックのミサを作曲する複層構造的なものは今回よく見えたのだが、ミサの歌詞の扱い方などが、この指揮者のドイツらしい歌わせ方とはしっくりと来ないのである。

なるほど、モノトーンになるスズキの構造に比べるとバッハの語法がよく見通せるのであるが、それが芸術的な感動に結びつくかといえばなかなかそうはいかない。そこでは、ドイツ語ミサの歌詞がドイツ風というだけで、スズキの日本語風ミサ典礼と意味は全く変わらない。それが明らかにバッハの音楽的な語法に適っているからの理由だけで、ヘンゲルブロックの演奏がスズキよりも優れている筈がないのは当然なのである。寧ろ、構造を忠実に音ととして再現するためにはスズキ並みのアンサムブルの精緻さが必要であり、それがないとヘンゲルブロックの演奏実践のように棒にも箸にもかからなくなる。実際に北ドイツの放送交響楽団の指揮者を務めたり、バイロイトで振ったりしているので、とても中途半端なことになっているのである。記録を読むと2011年12月にクリスマスオラトリオを演奏して殆ど失望させていたようだが、そんなことは忘れていたので、改めて失望した。なるほど会場も最上階を閉鎖していた。ここまで有名になってから悪い演奏を繰り返すようになった指揮者も珍しい。ご愛嬌はアンコールでのドイツ語の歌であったが、その分野においても頂点に立つ指揮者ではないのだ。

寿司米を炊いた。IH炊飯器で炊いた。とても上手くいった。米は、牛乳煮米と細長い米を半々にしたものだ。前者だけではべたつき、後者だけでは粘りが出ない。価格は、キロ90セントぐらいのものだ。それを二合炊いた。つまり価格は30セント以下である。これを47分ほど炊くプログラムを初めて使ったのだ。一般的にこの米で寿司米を作ると、バラバラになって上手に形を作れないか、柔らかくなり過ぎたりする。それが丁度扱いやすい炊き具合になって、更に時間が経っても感想などで余り変わらない寿司米が出来上がった。これは殆ど奇跡に近い、魔法のような炊飯器である。肝心の米の感じも、酢を混ぜたときに綺麗にひかり、口に入れてもいても丁度良いサクサク感があるのだ。場合によってはもう少し粘り気があってもよいと思うので、次回は牛乳煮米を増やすか、若干水を増やすかを考えてみたい。箱寿司を作ってみよう。



参照:
聖なるかな、待降節の調べ 2009-12-14 | 音
偉大な統治者と大衆 2005-10-14 | 文化一般
歌心のないドグマの響き 2012-05-29 | 音
サフランライス、主夫の喜び 2014-09-04 | 料理
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