インスブルックに行く準備をしている。泊まる部屋を予約していたのだが、もはや旅行を断念する理由も無いので、もう一つ安くて良さそうな部屋にブッキングし直した。最初にブックイングしていた部屋は前日までキャンセルが効いたからあまり価値はなくとも念のために抑えていたのだ。そこは訪問地の村の小さなスキー場の下にあって、スポーツホテルだったが、今は殆ど滑れる状態でないことから比較的安価な部屋になっていた。室内に登攀壁などが設えてあるようで、若者向きに考えてあるようだ。雪があるときならブッキングできるようなことはないだろう。
しかし、その分、部屋なども簡素なもので味気なさそうで、更に欧州の南北を繋ぐ幹線道路の橋げたの下の近くにあるので静けさは求めようもない。態々ブレンナー峠の近くまで行って騒がし想いをすることなど無いのである。そこで、支流の谷を遡った辺りに40ユーロ以下の良さそうな部屋を見つけたが、そこは今度は靴のマイスターのところから数キロ以上離れている。雪がないときであれば全く問題がないのであろうが、親方の工房との間を行ったり来たりするには不便である。それに一晩泊まるだけでくつろげる筈もない。谷を上下するだけで時間が経ってしまう。
そこでその中間の町に適当な部屋を見つけた。更にそのホテルのレストランがよさそうなので、食事処を暗くなってから探して、車で移動することも無いので、そこの部屋にした。初めからその部屋は開いていたのだが、予約するとキャンセルできないので、躊躇していたのである。そして駐車場を予約すると料金とられるのも控えられたのだ。しかし調べてみると、そこのスキー場の上から眺めたことのある谷で、なにも駐車スペースを確保しておく必要もないことも知れた。レストランのための駐車場に停めとけばよいのである。
実はもう一つ比較的良さそうな部屋があったのだ。その部屋は間違いなく室内でWLANが使えるのだが、比較的安い。しかし場所が旧幹線道路沿いで、明らかに流しのお客さんが立ち寄るような場所なのである。つまり、モーテル感覚に近くなる。これもあまり泊まりたくないと思った理由だ。肝心の靴が思い通りに出来上がるかどうかは分からないが、これで先ずは旅行の計画は定まった。靴が出来た後で、ミュンヘンに立ち寄ってオペラを立見できれば言うことはない。
実は、靴の親方はこの間に引退していて、その工房は親方のおいが2011年以降継いでいた。そこで長く修行していたので私のインナーシューズのスポンジ入れをやったということだった。ネットの写真を見るとなんとなく思い出した。もともと曾おじいさんが開いた靴屋だったので、家族の中で引き継がれていることになる。スキー靴のプラスティックの成形をするようになったのは、先代の親方からで、峠の向こうからも金メダリストたちがやってきたのだった。流石にこの三年間では訪れている一流選手はオーストリアのベテランのスラローム選手だけのようだが、若い人トップ選手がこれから出てくるのかもしれない。先代に比べて、そのような経歴から少しは安くして呉れればよいと思うが助かるがどうなることか?腕はそれほど心配していないが、どうだろう。
参照:
ブレンナーへと馳せる想い 2014-12-10 | 生活
フランケンのオーバーハング 2014-08-05 | アウトドーア・環境
しかし、その分、部屋なども簡素なもので味気なさそうで、更に欧州の南北を繋ぐ幹線道路の橋げたの下の近くにあるので静けさは求めようもない。態々ブレンナー峠の近くまで行って騒がし想いをすることなど無いのである。そこで、支流の谷を遡った辺りに40ユーロ以下の良さそうな部屋を見つけたが、そこは今度は靴のマイスターのところから数キロ以上離れている。雪がないときであれば全く問題がないのであろうが、親方の工房との間を行ったり来たりするには不便である。それに一晩泊まるだけでくつろげる筈もない。谷を上下するだけで時間が経ってしまう。
そこでその中間の町に適当な部屋を見つけた。更にそのホテルのレストランがよさそうなので、食事処を暗くなってから探して、車で移動することも無いので、そこの部屋にした。初めからその部屋は開いていたのだが、予約するとキャンセルできないので、躊躇していたのである。そして駐車場を予約すると料金とられるのも控えられたのだ。しかし調べてみると、そこのスキー場の上から眺めたことのある谷で、なにも駐車スペースを確保しておく必要もないことも知れた。レストランのための駐車場に停めとけばよいのである。
実はもう一つ比較的良さそうな部屋があったのだ。その部屋は間違いなく室内でWLANが使えるのだが、比較的安い。しかし場所が旧幹線道路沿いで、明らかに流しのお客さんが立ち寄るような場所なのである。つまり、モーテル感覚に近くなる。これもあまり泊まりたくないと思った理由だ。肝心の靴が思い通りに出来上がるかどうかは分からないが、これで先ずは旅行の計画は定まった。靴が出来た後で、ミュンヘンに立ち寄ってオペラを立見できれば言うことはない。
実は、靴の親方はこの間に引退していて、その工房は親方のおいが2011年以降継いでいた。そこで長く修行していたので私のインナーシューズのスポンジ入れをやったということだった。ネットの写真を見るとなんとなく思い出した。もともと曾おじいさんが開いた靴屋だったので、家族の中で引き継がれていることになる。スキー靴のプラスティックの成形をするようになったのは、先代の親方からで、峠の向こうからも金メダリストたちがやってきたのだった。流石にこの三年間では訪れている一流選手はオーストリアのベテランのスラローム選手だけのようだが、若い人トップ選手がこれから出てくるのかもしれない。先代に比べて、そのような経歴から少しは安くして呉れればよいと思うが助かるがどうなることか?腕はそれほど心配していないが、どうだろう。
参照:
ブレンナーへと馳せる想い 2014-12-10 | 生活
フランケンのオーバーハング 2014-08-05 | アウトドーア・環境