旅行に行けば文化を語らなければいけない。終演後のカーテンコールに答えて呼び戻らされたあとに司会者が出てきてマイクを握った。「皆さんにサプライズがあります」と話し出すから、何事かと思うと、当夜染物屋バラックを歌っていたヴォルフガンク・コッホが宮廷歌手に選ばれたのだという。なるほど当夜の出来以上に一際拍手が大きかった筈だ。そして司会者が「連邦共和国になっても幸いなことに宮廷音楽家の称号は残った」と語ると、こちらはなるほどと思わざるを得なかった。
Kammersängerverleihung Wolfgang Koch
今回の小旅行でどうしても感じてしまうのが、そうした文化である。近代の文化よりもそれよりも古い文化の分厚さのようなものを感じるのはどうしても関西出身の人間の素直な気持ちである。ミュンヘンそしてハプスブルクのインスブルックへと思いを馳せると、どうしてもそこに円熟した文化を感じるのだ。
食事ばかりを語るようだが、ブレンナー峠の北斜面で出会ったこのリンゴのパイも、まさしく文化としか言いようがないのだ。食文化である。そのに詰まるケシの実の味わいは、アップルシュテュードルなどの甘い美味さとは異質の香りなのだ。だからトラミナーなどの白ワインに合うのだ。パン屋で日曜日のパンを購入するときに「どちらから?」と尋ねる売り子が勧めてくれた名物である。
ダールマイール本店のクリスマス前のデリカテッセンの数々も結局はこうしたところに繋がるのだ。更に言えば、ミュンヘンの歌劇場などのオペラ上演が、メトロポリタンのそれとどこが違うかといえば、こうした文化的な底流がその町や地域に香りとして漂うかどうかのその差であろう。
やはり、バイエルンからハプスブルクの南へと延びるあの文化圏はとても楽しく謳歌されるものに違いないのである。天候ひとつをとっても。我々の住むところでは雨が降り続いたりしていても、南へと抜けるあの谷には北側ではありながら強い陽射しがさんさんと輝いていた。これだけでも素晴らしいではないか!
車のラディオはヴィーンからの放送が流れている。ブレンナーからミュンヘンへは峠を越えて、北進することになるが、必ずしも悲観的な雰囲気はない。横風も厳しく、それほど飛ばせないのだが、町の中心部へと凱旋門を潜って真っ直ぐに伸びるかのようなブロードウェー感は、ヴィーンやベルリンには求められない秩序感と安心感である。アウトバーンがここでも素晴らしい。
実際には、ナヴィに駐車場の住所を入れていなかったので旧市街環状を殆ど一回りした。土曜日の買い物客が溢れていても、パリやヴィーンのようなカオスはなかった。マンハイムよりも走りやすいぐらいだ。ベルリンは大き過ぎて、このような走り方は出来ない。そしてレジデンスの庭先を過ぎれば、何度も歩いたレジデンス界隈だ。勘を働かして、劇場の裏側から出たところで右折すると広い広場に出た。満車の赤ランプが点きぱっなしであったが、様子を見ていると列が伸びている訳でもなく、そこに入っていく車もあった。劇場などに必要がある人を優先にしている雰囲気で、実際は待ち時間なしで入ると、十分に空車スペースがあった。
参照:
熱すぎないシュニツェルのうまさ 2014-12-22 | 料理
香り豊かな記念撮影など 2014-12-21 | 文化一般
Kammersängerverleihung Wolfgang Koch
今回の小旅行でどうしても感じてしまうのが、そうした文化である。近代の文化よりもそれよりも古い文化の分厚さのようなものを感じるのはどうしても関西出身の人間の素直な気持ちである。ミュンヘンそしてハプスブルクのインスブルックへと思いを馳せると、どうしてもそこに円熟した文化を感じるのだ。
食事ばかりを語るようだが、ブレンナー峠の北斜面で出会ったこのリンゴのパイも、まさしく文化としか言いようがないのだ。食文化である。そのに詰まるケシの実の味わいは、アップルシュテュードルなどの甘い美味さとは異質の香りなのだ。だからトラミナーなどの白ワインに合うのだ。パン屋で日曜日のパンを購入するときに「どちらから?」と尋ねる売り子が勧めてくれた名物である。
ダールマイール本店のクリスマス前のデリカテッセンの数々も結局はこうしたところに繋がるのだ。更に言えば、ミュンヘンの歌劇場などのオペラ上演が、メトロポリタンのそれとどこが違うかといえば、こうした文化的な底流がその町や地域に香りとして漂うかどうかのその差であろう。
やはり、バイエルンからハプスブルクの南へと延びるあの文化圏はとても楽しく謳歌されるものに違いないのである。天候ひとつをとっても。我々の住むところでは雨が降り続いたりしていても、南へと抜けるあの谷には北側ではありながら強い陽射しがさんさんと輝いていた。これだけでも素晴らしいではないか!
車のラディオはヴィーンからの放送が流れている。ブレンナーからミュンヘンへは峠を越えて、北進することになるが、必ずしも悲観的な雰囲気はない。横風も厳しく、それほど飛ばせないのだが、町の中心部へと凱旋門を潜って真っ直ぐに伸びるかのようなブロードウェー感は、ヴィーンやベルリンには求められない秩序感と安心感である。アウトバーンがここでも素晴らしい。
実際には、ナヴィに駐車場の住所を入れていなかったので旧市街環状を殆ど一回りした。土曜日の買い物客が溢れていても、パリやヴィーンのようなカオスはなかった。マンハイムよりも走りやすいぐらいだ。ベルリンは大き過ぎて、このような走り方は出来ない。そしてレジデンスの庭先を過ぎれば、何度も歩いたレジデンス界隈だ。勘を働かして、劇場の裏側から出たところで右折すると広い広場に出た。満車の赤ランプが点きぱっなしであったが、様子を見ていると列が伸びている訳でもなく、そこに入っていく車もあった。劇場などに必要がある人を優先にしている雰囲気で、実際は待ち時間なしで入ると、十分に空車スペースがあった。
参照:
熱すぎないシュニツェルのうまさ 2014-12-22 | 料理
香り豊かな記念撮影など 2014-12-21 | 文化一般