Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

実感のスキー靴の歴史

2014-12-26 | アウトドーア・環境
ツアースキー靴は使ってみないと分からない。少なくとも一シーズンを履いてから再調整することになっている。それまでに、ネットに書かれているような靴の問題点、つまり滑降と歩きの切り替えやバックルの脱落などが2015年モデルでは起こらないことを祈る。恐らくこうした成形などの経験の薄いスカルパ社が学ばなければいけない事なのだろう。

歴史的に見れば同じ工房から登山靴もスキー靴も生産されていたのだ。それが変わっていく流れを身を以て体験している先代のアウワー親方に聞くことが出来た。短い時間だったけれどもとても素晴らしい歴史を感じることが出来たのだ。大阪のメーカー「レクザム」の関係で日本のスキー雑誌などでも取り上げられた親方であるが、ご自身がスキーを始めたのは1947年だったようだ。現在75歳とすれば、八歳の時だ。その頃の靴の感じが最初の写真である。

勿論手縫いで作られていて、親方に言わせると、40時間の労働は欠かせないので、今なら4000ユーロ以上はするだろうという。100ユーロの労賃を取るわけではないだろうが、材料などを入れれば可成りのものであることは間違いない。

紐締めのその靴の感じは、兄が使っていたスキー靴に似ていて、日本では1960年代も木の板にごついバネの締め具がついていたようなシステムがまだ初心者向けには使われていたのだろう。少なくとも1960年代初頭までは紐締めがワールドカップでも使われている。

ここで比較のために紹介しておきたいのがアールベルクのレッヒ出身のオトマール・シュナイダーの靴である。これも親方が手を加えたらしい。滑降の名人として、カール・シュランツの先輩格の薬剤師は、1952年にはオスロオリムピックでスラロームで金メダルを獲得して、滑降で銀、更に射撃で銅を獲得している。2012年に亡くなった英雄は、射撃では1970年代まで現役だったようだが、スキーでは1960年初めまでだったので、写真の靴はその頃の靴だろうか?これも次回に尋ねてみなければいけない。金具の締め具が光輝く。

時代が行き来するのは歴史家の特権と考えて、再び少し時代を遡って、1950年代をみる。先ごろ亡くなったトニー・ザイラーの時代である。実際にシュナイダーの次の金メダルを取ったのがザイラーでコルティナ・ダムベツィオであった。その頃のフィルムを見ると確認できるだろうが、基本は紐締めの靴だろう。その頃の靴が一枚目の写真だ。形の美しい機能性を感じさせる靴であるが、なぜこの靴が興味深いかというと、最初のプラスティック成形の靴、1967年のラングの靴に似ているからだ。

この間のスキーの歴史を考察すると面白いのだろうが、少なくとも私にはわからない。ここで、ヒントになるのがアウワー親方が謂うように、滑降におけるクラウチングスタイルの発達などで、フランスの名人キリーらの新しいテクニック上の発展がそこにあるようだ。(続く



参照:
初めてのツアースキー靴 2014-12-23 | アウトドーア・環境
直ぐに氷柱を登りたい気分 2012-11-28 | テクニック
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