Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

永遠に未完成な芸術

2023-05-02 | 
バロセロナのガウディの教会からの中継を流した。ベルリナーフィルハーモニカーのヨーロッパコンサートだった。音響は流石に難しい会場だったが、長い残響無しに聴いて弾いて演奏していった。合唱曲に合わせてか第一ヴァイオリンの後のヴィオラを置く形で、確か前回のメンデルスゾーンのオラトリオの時に同様に配置をしていたと思う。

長い残響の経験は教会で特にアルプス以北の最大の教会スパイヤーのカイザードームなども顕著で、特に長いコリドーの後ろにいると直接音よりも時間遅れの間接音しか聞こえなくなる。小さな教会でも傾向は同じで、比較的近くても残響成分が多い教会もある。

その点この永遠に未完成のサクラーダファミリア教会の舞台は悪くなさそうで、マイクロフォーンを通したように、遠くで後を引く残響となっている。なるほどスパイヤーにおけるショルティ指揮のブルックナー二番などは残響が目立たないような録音になっている。

重要なのは舞台でどれ程自らの音が無理なく跳ね返ってくるかであって、同様の性質は通常のコンサートホールでも求められるので、特に背後左右が壁にならないワインヤード型のホールなどでは舞台上の反射板などが大きな意味を成す。

楽団の中でも嘗て演奏された記録や録音などが参考にされたらしいが、少なくとも演奏という意味では上手くいっただろう。但し文字通りサウンドチェックで合唱団も30分間招待されたようで、それなりの調整が必要だったことは分かる。聴衆にとっても録音にとってもそれなりの成果が要求された。

合唱団は百年ほどの歴史があるアマチュア合唱団でリヒャルトシュトラウス指揮でフィルハーモニカーとも共演したことがあるようだ。そのフィルハーモニカーの創立年度1882年がガウディ―の教会の定礎式でもあるらしい。

忘れずに今回のコンサートでウクライナの犠牲者への追悼の意味も示されていて、コロナ期間中に同じように無観客で演奏されていた武満の「レクイエム」の演奏直前に教会の外で緊急車両のサイレンが聞こえていたのも意味深く響いた。
Concert per a Europa Filharmònica de Berlín i l'Orfeó Català. Sagrada Família. Catalunya 01 05 2023


カメラは如何にもウクライナ人風の大使らしき顔が抜いていたが、何をやっても文句をいう無礼な連中を招待するなと言いたい。

ウクライナと言えば、口説いているウクライナ女性のお母さんが娘を頼って待降節頃まで避難していたのだが、既に帰宅していたと聞いた。南部の激戦になるか寝ない所の人なので、爆撃を恐れていた。そこは結局一度も占領されることはなかった。そこが占領されていたら、河沿いにクリミア半島までが一挙にロシアの手に落ちていた。恐らく今後も陥落することはないと思うが、爆撃の危険性は無くならないであろう。

先ずはベルリンで合唱団を含めて練習演奏会をして出かけたようで、モーツァルトとシューマンの交響曲も放送された。批評にはまだまだよくなるとあったが、何故問題の多いシューマン四番第二版を演奏したのとかとあったが、バーデンバーデンでユース楽団で二曲を振ったところだった。



参照:
彫塑の必要な若者様式 2023-04-17 | 音
ミラノの紅白歌合戦 2020-12-09 | 女
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期待される女流な表現方法

2023-05-01 | 
ヨアンナ・マルヴィッツ指揮のニュルンベルクお別れ演奏会が絶賛されている。ネットで聞こえていたので、そうなのだろうと思っていたが、やはり大成功したイヴェントだったようだ。その指揮はまるで阿波踊りのようで、ベルリンで交響楽団を指揮することになっているので余計に厳しい目で見られている。しかし、そもそも期待するところが違っているのではないか。それはバイロイト音楽祭で最初に指揮した女性オクサーナ・リニヴにおいても同様である。そも注も男性指揮者のそれと同じような結果を求めていても埒が明かない。一旦そうした先入観念を封鎖して、音楽的な面白さを追及していく時に、全く異なるフォーマット物差しが必要になる。今後期待できる女性指揮者にはそうした表現力が必携である。

彼女の話しは巧い。開演前のロビーに百人ほどが半円に広がってピアノに座った彼女の最終講義を聞いたようであるが、それだけで演奏会の方向性が決まってしまう。「パルジファル」の聖金曜日の音楽からマーラーの交響曲四番への流れは明白だったようで、そしてその後の舞台上での座付き楽団委に向いて語る中で、「リスクを最大限にして表現できたと、一言素晴らしかった。」と。

彼女の人間性がよく出ていて、それはあの大成功したザルツブルク音楽祭の奇跡的な開幕においても同じように大イヴェントとして音楽的な成果までが得られることとなっていた。まさしく我々が女性の演奏家や芸術家に求める所に技術的な完成度やそうしたものを超える表現がある。それどころかその音楽への完璧主義はキリル・ペトレンコと似ていなくはないとまでここで言わせている。

セックスサイトに自分自身が何かを表現して自分が出すコインを自らの身体で稼ぐことを考えた。一時はポルノ男優としてのデビューを申し入れたぐらいだが、今回は仕事上のレポートを兼ねてその内容を冷静に調べてみた。やはり最大の問題は市場の存在で、やはり男性が何かをやってもお客の多くはホモセクシャルな男性客であると分かった。

決してその方の人たちに人気がない訳ではないのだが、こちらにその気がないのでこれは役に立たない。私自身が今回の一連の活動で最も性的にも励起させられたのはチャットであって決して視覚的なものが優先されていないなどの意外な発見もあったりで、認証審査無しであげれるようなダーティートークの幾つかや写真などをネットに出しても投げ銭が得られるのではないかなどと考えている。



参照:
Nürnberger Abschiedskonzert von Joana Mallwitz: „Sie sind maximal toll“, Markus Thiel, Merkur vom 30.4.2023
表情のヴィヴラート 2020-08-16 | 女
飽くなき追及への表現方法 2023-04-28 | 女
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