Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

故コール元首相のご愛好

2023-09-14 | 生活
旅行の荷造りである。日数からすれば先の中一泊自宅を入れたルツェルン―ルクセムブルクと変わらないが、一旦戻らないので、若干用意が増える。

ヘルムート・コール首相の愛したアイスバイン缶詰は購入した。5,70ユーロで400gとあるので、二回以上は食せる。ザウワーボーネンというザウワークラウトの材料違いにも合わせれると聞いたので、丁度購入したインゲン豆の生を持って行くことにする。先方に食用油がなくてもさっと塩で湯がいても食せる。こちらからは辛子胡麻和えにして持って行くと道中の握り飯にも合わせれる。朝もブロットェン二つをサンドにして持って行くので、上手く行けば夜食は握り飯残りでも良い。

ジャガイモサラダも芋五個分以上あり、キュウリをタップリ乗せるので、これも二回以上は食せる。ベルリンでの三回の夜食はこれだけでなんとかなるだろう。ゆで卵も三個、残りのバターも持参する。ヨーグルトも二つ持って行けば整腸作用も十分だろう。缶ビール一本は初日用に持って行く。

キュウリ一本に、インゲンマメ、トマト類に、ミニ蕪。紅茶は三種類入れた。ワイン二本も生憎安物がないのだが、家では若干味の濃い過ぎのものが旅先では飲みやすいか?選択の余地はそれほどなかった。葡萄なども洗っておかないといけない。ミルクも残りを持って行ってもよい。

衣装は車に運んだ。エンジンオイルも200㏄注油した。洗浄液の水も足しておいた。ノイズキャンセラーフォーンの充電も出来た。スーツケースも粗積めたので夕食前に車に入れておこう。

するとピクニックの準備以外には、書類入れに入れていく、切符や書類、カメラ、財布、イヤフォーン、タブレット、ミニマウス、携帯DAC、充電した電池。

ピクニックは、籠に持って行くのは、ティーバック類、アルミ等フォイル、キッチンペーパー、熱いセイロンテーの魔法瓶、空の水筒に底に溜まってるルツェルンからのリッコラやホテルのベット菓子など。

さてアイスバックには、アイスボックスに入れたバターとミルクとヨーグルト、その上にはジャガイモサラダ一つ、缶詰一つ、インゲンマメ、プチトマトとラディシュにレモンや葡萄など、キュウリ一本、出来上がった握り飯や辛子胡麻和えなどにリースリングを二本にビール一缶。

車中朝食のブロッツェン二個はその時の都合でどのようにでも持って行けばよい。今回は洗った緑の野菜がない分少しは場所を節約できるか。肉類にしても缶詰になっていると凝縮していて、更に温度管理もそれ程厳しくない。ソーセージ類も乾燥したものを籠に入れていくだけだ。

今朝は気持ちよく6時には起きれたので、そして今晩は完全に窓を閉めて就寝できそうで出発当日も8時には眠気無く走れそうな気がする。



参照:
いざ芸術島に渉るか 2023-09-13 | 文化一般
コールマンならずクールマン 2016-06-14 | アウトドーア・環境
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いざ芸術島に渉るか

2023-09-13 | 文化一般
木曜日のベルリン行きは大丈夫か?体調が夏の戻りで勝れない。週明けから8時出発のシュミレーションをしたが、出発時刻はまだ眠い。火曜日夜半から窓を閉めて就寝できる筈なので好転を期待している。もう一っ走りしておけば、来週までの運動量は何とかなるか。

ベルリンのテムペル飛行場の駐車場は分かった。アパートメントからフィルハーモニーへは、従前通りに凱旋道路を通ってティーアガルテンの方から侵入するのが一番早そうだ。それでも一時間以上は見ておかないと危ない。

出発当日は起きてシャワーして、お茶を魔法瓶に入れて出かけるだけである。荷物も前夜に殆ど車に積んでおく。木曜日の行動食の久しぶりの握り飯二号分は前日に拵える。さしあたりの夕食はいつものジャガイモサラダを持って行く。付け合わせの肉類と野菜類もいつものように。普段は食さないコール首相がボンからの帰りに立ち寄って購入したアイスバインの缶詰を試してみようかとも思っている。するとワインもプファルツのものを一本ともう一本をザール産か。

果物と野菜類も大抵は決まってくる。サラダならキュウリ、レタス、その他は一口で摘まめるチェリートマトなど、精々リンゴを持って行くかどうかだ。あとはゆで卵ぐらいか。

衣装はルツェルン・ルクセムブルクのシャツを替える。其の儘復路のミュンヘンでも使える。ラディオ中継は木曜日にあるのだが、美術館巡りとかするならば、時間が空き過ぎるので留守録音は成功しないだろう。土曜日は混み、ミッテまで行く必要がないので、金曜日しか観光の可能性はない。精々長くて三時間ぐらいか。

行先はゆっくり回ったことがないミュージウムインゼルになるかと思う。ペルガモンがボーデかアルテナチョナルギャラリーか。最初の書道、二つ目がピカソ、最後がゼッセンションの特別展示などで、どちらでもと思うのだが、常設展示ものも知らないので手早く廻れないかという感じだ。

ヘンツェの「メデューサの筏」、コーミッシェオパーとしては最大級のイヴェントとなりうそうで、参加人数だけでなくて舞台も飛行場の旧格納庫を使うだけの二方面のスタンドと池が作られている。どれ程の水が溜められるのかどうかは分からないが、可也スペクタクルになる筈だ。

スぺクタルな音楽劇場公演に関しては、六月の「アシジの聖フランシスコ」でもすると往々にして音楽的芸術的に薄いものになるという危惧が書き込まれていたのだが、聴衆の大絶賛を思い返すまでもなく、音楽的にも大成功した。今回も人気演出家の構想を音楽的に纏め上げるのは第一人者のティテュス・エンゲルのみであって、失敗するような上演にはならない。

それでもオペラとしては完成していなかったオラトリオ作品を上手に音楽劇場作品として上演するにはそれなりの技量が必要とされている。今回態々ベルリン迄体験に行かなけばいけなかった理由である。
Das Floß der Medusa | How it started




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特産の弦の表現力 2023-09-12 | 文化一般
迫る20年ぶりの長距離運転 2023-09-08 | 生活
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特産の弦の表現力

2023-09-12 | 文化一般
来年一月のチェコフィルの券を購入した。29,70ユーロは悪くないと思う。何十年ぶりか記憶にないが、コシュラー指揮で聴いて伝統の弦がそれほどの表現力を持っていないことは確認した。そして現シェフのビュシュコフ指揮でのマーラー三番はそれなりに楽しみである。しかし誰かが紹介していた一番の触り二秒を聴けば特産の弦の表現力は其の儘だった。確かにドヴォルジャーク風のそれはいいのだが、様々な曲で高度な表現をしようと思えば限度がある。それを修正しようとした亡くなった指揮者アルブレヒトの試みは外交問題にまで至った。なるほどアルブレヒトとビュシュコフでは能力は違うかもしれないがよそ者であり、そこ迄のヤル気などは到底無いに違いない。世界一流の水準にと目標を掲げていた鬘を被っていたベロラーヴェックの早世が惜しまれる。

一月はシカゴ交響楽団のムーティ指揮お別れ欧州ツアーがあって、更に翌週にはベルリンへ出かける予定なので、その間のバーデンバーデン行は結構大変なのだが、その交通費や価格には逆らえない。シカゴにはそれなりの費用を支払わなければいけないが、またベルリンでも三日間連続で可也の価格となるのだが、それはやはり超一流と地方楽団との価値差は歴として存在する。

さて木曜日から旅行準備である。木曜日にはベルリン芸術祭で演奏する初日となって、そのうち一曲は初演される。クルタークの弟子筋のイレスという作曲家の作品である。その前にはクセナキスの「ジョンシェ」が演奏される。この曲は保守的なフィル―モニカーが演奏するのは初めてのようで、1977年作曲で半世紀近くなってクラシックなモダーンとして漸くという感じだである。後半のハルトマン「歌の風景」はヴェルナーエックの指揮で初演者のディースカウに1966年に歌われていて、最後には2011年にスクロヴァチェフスキ指揮でゲルネが歌っていた。今回はペトレンコが前回ミュンヘンで振った2014年に続いてゲルハーハーが歌う。最後の曲としてクルタークの「シュテレ」が演奏されるが、これはアバド時代に委嘱した作曲のようで1994年の初演、そして最後には2010年にハイティンク指揮でまたラトル指揮で演奏されている様だ。

もう一つ興味深いのは、ハルトマンとミュンヘンの繋がりで、劇場の為には新しい音楽を担当していて、またBR放送局の為には今回ミュンヘンに廻って演奏するムジカヴィ―ヴァの新しい音楽の催し物の支配人であったということになる。そして最終公演日曜日はミュンヘンの新しい会場でベルリナーフィルハーモニカーがムジカヴィ―ヴァに客演する。これだけで色々なことが語れると思うのだが、三曲をざっと見てもまだこのプログラムの全容が見えていない。

先ずは土曜日のヘンツェをざっと見てから詳しく見ていくしかないと思う。しかしハルトマンの作品に関しては以前のヴァイオリン協奏曲などに比較すると興味深く思った。オペラ作品への習作でもあったとかあり、ヘンツェの「メデューサの筏」とも同時代の作品ともなり、こちらもオペラ化はされていない。二十世紀中盤の作品群が今こうしてクラシックな演奏会のプログラムの主役になりつつある。

その為にも大管弦楽団も必要な柔軟性と表現力を獲得しなければ始まらないということであり、ベルリナーフィルハーモニカーが当時のそれらを専門としていたようなそれほど発展もしていないBR放送交響楽団とは桁違いな表現力を獲得しているということでもある。



参照:
金券をすっかり使い込む 2021-05-10 | 生活
これからの大きな期待 2018-06-20 | マスメディア批評
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ロマティック交響曲トリオ

2023-09-11 | アウトドーア・環境
金曜日にルツェルン音楽祭で環境活動家が演奏会に乱入した。その反響はとても大きく、恐らく本年の演奏会の中でもトップクラスのイヴェントだったと思われる。各地で名画などにペイントをかけたりした環境テロ行動は有名で、道路閉鎖などはバイエルン州では厳しく取り締まられるようになっている。しかし今回の行動に対して、抑々環境保護に熱心な指揮者ユロウスキーが楽団創立500周年記念のミュンヘンの座付き管弦楽団を率いて大賞賛となる対応をした背景にはその芸術的な認識が横たわっていた。

先ずは後半のブルックナー作曲ロマンティック交響曲の三楽章スケルツォのトリオに入る前に男女二人の瞬間接着を持った若者が平土間前部から舞台に駆け上がって、指揮台の後ろの手を着けようとした。実際には接着しなかったようで、それには指揮者の基本態度が影響したとされる。そこからのヴィデオは断片的ながら残されていて、今もその環境団体のサイト等で観覧可能となっている。

指揮者ユロウスキーの意識は何度か言及しているのリンクを張るに止めるが、今回は不慮の事態にも動じず、観客の方に落ち着いて聴くように指揮して、三楽章トリオで声明をさせて、更に繰り返しを終えて棒を置いた。そして活動家とディールをした。先ずは聴衆が若者の言葉に耳を傾けたら、彼らは会場を後にして、終楽章を続けると宣言した。しかし活動家の声明にヤジが飛んだことから、それに対して、約束が守れないようなら自分が舞台を後にすると聴衆を制した。それに対してその他の観客からは拍手が沸いた。そして僅か四分の中断で再び平安な演奏会へと戻った。会場を後にした聴衆はただの一人だとされる。

これを受けて、ミュンヘンの劇場支配人ドルニーは、とても興味深くと、演奏者が集中して演奏した事を賞賛している。主要な高級紙や地方紙などもその活動家の主張への理解を示して、ユロウスキーの民主的な統制だけでなくて素晴らしい演奏会だったとなどと大賞賛している。

なぜこのような演奏会が取り分け素晴らしかったのか、それは先ずは活動家自身も語ったように音楽愛好家としての乱入だったことが伺えて、指揮者のユロウスキーも直ぐにその意味を解釈したのだろう。トリオの牧歌風の響き自体が既に創作時においてもある意味パラダイス的なものであって必ずしもヴィーンなど都会からすれば遠く失われたものだった。そして語り始める「気候変動で、今何かをしなければ、時間はない」と。スケルツォに戻っての狩りのホルンに乗って「私達にはほかに選択がないのだ」と声明される。そのヤジを含めて、ユロウスキーはミュジックコンクレートとして若しくはブルックナーをモンタージュ素材として指揮したに違いない。それによって浮かび上がるのは、まさしく失われた未来への視座である。

音楽技法としては前世紀の中盤当たりの作風なのであるが、そうすることによって改めてブルックナーの創作動機へと近づける。このイヴェントに居合わせてより深くブルックナーの創作動機に触れられた人は少なくないと思われるから大成功したのである。高度な芸術は様々な出来事に対して洞察力や自らの磨いた感覚に従えるようでないと到底理解や共感は不可能なのである。



参照:
飛行機旅行ボイコット 2022-12-24 | マスメディア批評
スタリニズムに反しない創作 2023-03-22 | 文学・思想
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モンツィンゲンの垂直試飲

2023-09-10 | 試飲百景
今月になって入手のワインを蔵に運んだ。三ダースほどだったので、骨折り仕事だが、出来るだけ早く落ち着かせてやりたい。水曜日から涼しくなるので、愈々再びズボンを履いてワインを飲んでの生活に戻る。

地下に持ち込んだらフランススーパワインの一本が同じのが重なっていて、これも早く開けれる。但し期待に沿わなかった時が厳しい。スイスのメルローもあるので、次にそこを通る11月初め迄に先ずは愉しんで今冬の在庫を考えよう。

ナーヘにワインを回収するときにナヴィに二件目のモンツィンゲンを入れてあったので遠回りして仕舞った。感覚的にも分かり難いところで降り口を通り越してしまった。それでも予定より10分遅れぐらいだった。急ぎは二件目で試飲して世界最大のワインフェストで賑わうワイン街道に帰宅するのを遅くしたくないからであった。

一件目のデーノッフ醸造所では葡萄の収穫量にも満足しているようで、既に熟成して、今後の寒暖の差でのいいワイン酸の発展と拠る要素が多い。早めに収穫可能なので、天候もそれほど酷くならないだろう。2022年産よりも多くを期待できそうだ。

そこからナーヘ川を奥へと遡るのだが、PCで調べると名地所ヘルマンスヘーレを通って走るルートが近道と知って、それならば往路で間違った場所を二度通る必要がない。且つて一度車を走らせたのだが奥に迄は通り抜けていなかったので、ワイン地所を越えていく感じで走った。

2022年度産は一本65ユーロと最も高価なその地所のグローセスゲヴェックをを購入した為に、丁度いい写真撮影が出来た。オーバーハウゼンの村に入る石橋が写り込んでいる。その橋を渡ってこちら側がまたアイスヴァインなどで有名なブリュッケの地所である。奏法とも違う意味で世界のリースリングの頂点にあるワインや地所である。

そして奥に入ったゲーテが愛したモンツィンゲンの地所から有名なフリューリングスプレツヘンも古い2009年、2013年、2015年、2018年、2022年と垂直試飲した。細身のいかにもリースリングの2009年は見事でどんな上品な食事にも合わせられ、2013年は若干雑味があり、2015年は脂っぽい若干ぺトロール香のリースリングなのだが、強い食事には文句なく、更に十年寝かしても酸が効いていると思う。2018年は傷がない酸の弱いリースリング乍意外に高品質ではないかとの感想となった。こちらは2023年の葡萄をまだまだ10月中旬まで下げておこうとしていて、天候との勝負になるのであろう。

週末にベルリン行きの準備を纏めておかないと間に合わなくなった。土曜の朝に走って肉屋によって帰って来てワインを片付けて、週明けに帰って来てからの準備もしておかないといけない。試飲会でベルリン・ミュンヘンから帰宅後にボッフム行で泊る街から来ているポーランド人夫婦がいた。ワインを知るようになったのはプファルツの友人のところに来た時からだと知ってなるほどと思った。



参照:
石橋を叩いての樽試飲 2015-06-08 | 試飲百景
飲み頃を探る試飲談話 2015-09-15 | 試飲百景
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フィナーレの在り方について

2023-09-09 | 
承前)「管弦楽の為の変奏曲」、ルツェルンの演奏でもすっきりしなかったところがあった。十分に聴きとれていなかったところもあるが、それだけではなかったと認識している。特にフィナーレでの四分の三拍子のアダージョそしてプレストの終わり方がよく分からなかった。その前にラッシュするフォルテシシモに続くコーダとして収まりが悪い感じがしたからだ。つまりそのように作曲されている合理性も効果も少なくとも聴く限りでは分からなかった。

幾つか修正があったのだと思うが、ペトレンコの指揮が変わっていたように感じた。先ずはルツェルンでは感じなかったのは対位法的な底であった。しかしルクセムブルクの音響のお陰もあってか、そして全ての声部がより明白に前に音が出ることで、BACHの主題の意味合いがよりはっきりした。

同じ個所を一月の中継録画を振り返ると、やはり全くぎこちなかった。それでも数多くの制作録音等と比較しても立派な出来だったのだが、ここでは第五変奏の半音階下降動機以上に対位法の主題としてBACHの大きな意味合いに気が付いた。

その前にはペーザンテでありながらアッチェラントが掛っているところがあって、恐らくそこの見事な動きがあったからこそ、今度は最後のラッシュの不動さが際立ったかのようだった。ここは指揮者ペトレンコにとっても腕の見せどころだった筈なのだが、「ハイドンの変奏曲」でのメリハリの利いたフィナーレにも対応していて、ルクセムブルクで決まった。

そしてシェーンベルクがフィナーレの在り方について先の講演でまさしくそのことを語っていた。つまり、ホビー画家として有名なこの作曲家はそれに喩て、そのキャムヴァスの中に完結するものを自ら質す必要があるというのである。自らの眼が見ているその儘の世界は無限に広がるということだ。そこで交響曲ならば、その切り取りのみならず、そこにパノラマ映像が開けるとなる。しかし変奏曲となると、例えばゴールドベルク変奏曲を考えると、初めに有りきで終わると考える。

その終わり方ということで、「フィガロの結婚」におけるお小姓の「無くした針の歌」を挙げて最後には落ちがあるとして、その終わり方の例としている。するとどうしてもレーガ―の最後の「モーツァルトの主題による」第八変奏のトリスタン変容を思い起こし、その最後のフーガへと通常の終わり方へと意識がめぐる。

またしてもここで膝を打つのであるが、プログラムの後半におかれたベートーヴェンの交響曲こそは終止形で始まりと、それを扱っている。そしてシェーンベルクはここでは二つの変奏曲をお手本として挙げている。一つはベートーヴェンの「英雄の主題による変奏曲」そしてブラームスの変奏曲となっている。

しかしである、シェ―ンベルクが先に意味深に語っている曲の本質とはそうした曲の構成やその語り方のスタイルにあるのではない。シーェンベルクは12音を公平に使ってバロックからの長い伝統の長短調システムを超越した作曲法を確立したとされるが、それがドイツ音楽の歴史を継承するのみならず優位性を担保すると語ったのか、それはその表現にあるからだ。(続く)



参照:
12音作曲の楽曲分析 2023-08-29 | 音
そして歴史の証人になる 2023-08-11 | 音
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迫る20年ぶりの長距離運転

2023-09-08 | 生活
ベルリン旅行が一週間後に迫った。途上で宿にチェックインするが、ワイン街道からフィルハーモニー迄646kmある。どんなに頑張っても5時間半は車を動かさなければいけない。問題なく車が動いたとしても、渋滞や工事現場を通るので二度は休むだろう。ミュンヘンが340km程なので、早朝に出発で時間をかけるしかない。8時間の往路にチェックインと荷物の搬送、そして着替えで2時間半は欲しい。フィルハーモニーに18時半に入るとして、8時に出発しないと厳しいだろう。宿からフィルハーモニー迄一時間見ておくと、15時チェックインで17時過ぎに再出発。

眼の調子は悪くはなっておらず眼鏡の好影響もあるのだが眠くなるのはあまり変わらない。宿までの5時間614kmをどのように走るか?早朝の目覚め具合が大きく、定速運転しながらの飲食がより重要になるだろう。トイレは間違いなく行かなければいけない。濡れティッシュやおしぼり類がいいかもしれない。それ以外に走行時や休憩時にオンラインも試しで入ってみるのもよいかもしれない。少なくともお勉強の為に音楽を聴く時間は十分だ。

前回車で出かけたのは20年程前なので、又帰路はザクセンの方を経由したのでよく覚えていない。しかし、今の車で走ったことは間違いなさそうである。エンジンオイルは足しておかなければいけない。

床屋には行った。これは助かる。現金も少し下ろしておきたい。旅行中に生中継録音もあるだろうから、ヘッドフォーン用のDACも必要になる。寝巻は未だ半袖の儘でよいだろう。

往路の経路は、フランクフルトからギーセンまで北上して、嘗ての東西国境地域に向かいヘッセン州からテューリンゲンのエアフルトへと東に向かい、イェーナのところから再び北上してライプチッヒへと向かってデッサウ経由でポツダム近郊までが最短ルートとなる。しかし僅か12km長いだけでゲッティンゲン、ヴォルフスブルク経由でも走れる。特別な事情がない限りは、ヴォルフスブルクがVWの工場に対してライプチッヒでBMWが生産しているように後者の方が遥かに高速で飛ばせる道路事情となっているので、西廻りには意味がない。

第三のルートがベルリンからその儘なんかしてゲラ経由でバイエルン州のホーフ、バイロイトへと一挙に南下する経路であると42km程距離が延びる。それでも20分ほど長くかかる計算になる。今回はベルリンから日曜日にミュンヘンへと移動するので復路にその経路を使ってニュルンベルクに西進することなく更に南下する。勿論余分に走る計算にはなるのだが、余分に353km長く走るとしても一泊してワイン街道に戻って来れる。ベルリンからミュンヘンまでは4時間程しか掛からないので、翌日に幾ら疲れていても再び4時間走るだけなのでそれは大分楽でもある。バイエルンはアウディーのインゴルシュタットも通るので高速で走れるアウトバーンとなっている。

いづれにしても旅行全体で2000km近くを走行することになると思う。燃料は途上で二回は満タンにしなければいけないので、先ずは復路のどの地域が安いか調べておかないといけない。



参照:
高度な音楽劇場の背景 2023-08-15 | 文化一般
28年ぶりフィルハーモニ 2023-06-19 | 文化一般
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言及不必要な禁則など

2023-09-07 | 
承前)シェーンベルクの講演は面白い。具体的にはそこでブラームスらしい四分の三拍子からシンコペーションからの四分の四へと移っていることに言及しているのだ。余談ながらベーム博士が東京で指揮したブラームスは彼の地でのブラームス夜明けの様に評価されたのだがそこではまさしくこのシンコパーションと所謂ヘミオラとされる律動の変化のそれを体現させたことにあったとなる。

そして五度の反行も生じている。二音の動機が四音にされと変奏である。まさしくこれは分拍のルネッサンス期からあった音楽の技であるのだ。そこで既に先日言及した訓練された耳とそうでない者認知の違いが話されて、車のメカニックについて全く知識がなければ先ずそこから始めないといけないことと同じように記譜によってしか手易く説明できない部分があるとしている。

この件に関しては子供の反応についても注記した様に、シェ―ンベルクが考えるように音楽的な基礎教育が必要でもなく、数学的なパズル感覚が理解の基礎となる訳でもない。そこでシェーンベルクが語っているのは、基本となる音列は分かりやすく覚えやすくなければいけないとする変奏主題の基本的なキャラクターであり、勿論ここで12音を公平に使ったその作曲システムにおける禁則に言及する必要などはない。

そしてシェーンベルクはそれがナポリ六度の変ト長調にアシムメトリックなヘ長調となるとする下りになる様に響く。キリル・ペトレンコはこれに目を通している訳でが、そこ後半のベートーヴェンではヘ長調の終止で始まり、誤った調で第二主題が始まるとなる。既にツアーの表プログラムのレーガー作品に関しては既に言及済みであるが、これは11月にまた改めてとなる。

さて、シェーンベルクの「管弦楽の為の変奏曲」の核心に迫る。ルツェルンから戻って来て、第五変奏以降の音響に注目したいと書いた。改めて講演内容を読んでみると、そこから通常の変奏ではなく取り分け難しくなることはなされていて、他の資料によるとそこで未完の「モーゼとアロン」の創作に入っていたとされる。

まさしく個人的にもシェーンベルクの創作に求めている、創作者自身の言葉では「理解されなくとも信じるべき力を、それは語れるものでも思い付きでもなくて、そうしたものを知らない限りは作曲しなかったものだ。」となる。言い換えるとシェーンベルクの創作のそしてその存在の本質である。

具体的には半音下降の動機がヴァイオリンで奏されて、それは第八変奏の「黄金の牛の踊り」と同様に「モーゼとアローン」の砂漠の場などを思い浮かべさせる。溜息の動機を思い起こすかどうかは別にして、それが音楽表現されるというのが指揮者ペトレンコの強い意志だったことは分かる。それは次に1月に演奏する「ヤコブスの梯子」への下準備となっていた。

今回こうした創作の裏事情を知ると同時にペトレンコが特に最終日で楽員にやらせていたことこそが所謂Aha効果となっていて、奏者自らが次へと進める教育効果となっていて、同時に聴衆も多くを気付く。(続く)



参照:
音作曲の楽曲分析 2023-08-29 | 音
旅絵日記週末編 2023-09-04 | 文化一般
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ブラームスの先進性から

2023-09-06 | 
シーズン初日から音楽祭ツアー最終日へと聴いた。その二つのプログラムの裏の二つ目は、ルクセムブルクで最後の演奏となったが、それに相応しかった。一つ目の表のプログラムは、秋の極東ツアーへと引き継がれるので、直前の11月に壮行演奏会で再び聴く。だから、先ずは裏について記録しておく。

ルツェルンとルクセムブルクのホールは、現在欧州での現代的なシューボックス型としては最高峰のホールである。この二つを音響として比較する場合は、舞台と客席の差異がない前者とより小さい後者とされるのだが、今回直接比較してみての感想は明らかだった。前者の方がどの席にいても圧倒的に間接音が多い。そしてその間接音は自然減衰するので幾らでも音を鳴らせる。恐らく彼のショルティ指揮シカゴ交響楽団をここで聴いていたら、喧しくなかったのではないかと思う。それほど音が自然に広がる世界一のホールでもある。そして後者ではより反響する天井に近いところで、即ち舞台上で上から跳ね返ってくる前にその音を聴いた。そして距離感も短いので直接音との差異は殆どないぐらいで、マイクで録れるぐらいの音を耳にした。

それによって得られたものは計りなく大きかった。先ずはブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」では明らかにルツェルンと異なったのは第六変奏における木管の休止前の音の出し方であり、即ち四分二拍子でただ最後の八分音が休止になっているというだけなのだが、こういうのがしっかりと音出しできていないと、ブラームスの交響曲四番などは演奏できないのだ。2017年のペトレンコの初訪日から帰って来ての凱旋公演のミュンヘンで苦労していたのがその木管陣だった。

ベルリンでの定期公演の一月からどんどんと修正してきていて、そして明らかに11月の交響曲四番再演への準備への奨励となっているようにしか聴こえなかった。管と弦のバランスなどを考えるにつけ、実は表プログラムでも明らかになっていたのはその運弓とヴィヴラートのかけかたそしてその音の響かせ方が新しいコンツェルトマイスタリン加入を機に特に課題とされていたものだが、ここではレーガーとブラームスとの関連において、その変奏曲に知的なものに留まらず音楽実践として光が当てられた。

その様にすることでどういう効果が現れるかというと、やはりリズム的な精査と共に長短調システムの中でも点描的な陰影が作られるということであって、20世紀の後半には所謂カラヤンサウンドとかオーマンディサウンドとかで時代を制した大管弦楽の響きから脱するということでもある。その時代に今回の表プログラムのレーガーや同夜シェ―ベルクなどがあまり演奏される余地がなかったという事実を裏打している。

実はこのことを指揮者フルトヴェングラーの芸術として振り返る時に、その調性と押し込められたりするリズムそしてそのテムピ変化を思い描くとそこに聴こえてくるのはシェ―ンベルクの12音技法の作品とその表現方法ではなかろうか。

そしてブラームスの先進性としてシェーンベルクが言及しているのは、ブラームスのチェロソナタヘ長調における主題の素早い変遷。その意味からはベートーヴェンの交響曲八番における誤った調性への連結も、必ずしも村のバンドの演奏の模倣の遊び心だけではないとなるのだ。(続く



参照:
旅絵日記週末編 2023-09-04 | 文化一般
見事な素材とその出し方 2023-09-01 | 雑感
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ターキーサタデーナイト

2023-09-05 | 料理
土曜日は14時30分前にチェックインをした。車を停める時にオーナーの奥さんがご近所さんと世間話をしていた。12時前に出るつもりが少し遅れたからだ。それでもワイン街道からの峠越えでは一部工事中であったが、工事の箇所も殆どなく予定通りの走行時間で着いた。

急いで荷物を部屋に持ち込んで冷蔵庫を効かせた。ワイン街道から出だしに幹線道路との交差点から出たところで、後輪を内径差で引っかけた。踏み込むと直ぐに右の方に赤いのが見えたが、あれは変なところにある赤信号なのだろう。若干落ち着かない出発だったのだ。

そして、試飲会に行くとオーナーに話すと一寸距離があってザールブルク経由かなと、そしてそこでワイン祭りがあるということで、これはヤバいと思った。予定の近道であるアイルクッペの街へは工事中で道が閉鎖してあった。残りは面倒なザールブルクを通過しかなくなった。それで俄然意気消沈した。つまり試飲会で楽しんでいい気持ちで帰ってこれないということでしかない。もし知っていたらその宿には泊まらなかったかもしれない。そしてルクセムブルックへも工事で不自由なことになっている。

一泊64ユーロなのは安いのだが厨房は二件共有なのも減点要素である。それでも高得点は部屋の広さだったのかもしれない。道路工事さえなければ都合の良い場所なので、次に泊りでルクセムブルクに出かける時にはやはり候補には上がると思う。

それでもついつい飲んで仕舞った。最初に予約した時の様に食事はしなかった。愉しんでいる場合ではないと思ったからだ。そして要らぬ出費を節約できる。その分ワインを買いたい。

ここのオーナーは独有数のビール会社のオーナーの倅なのだが、結構嫌なことも言わせてもらった。結局週明けにも挨拶することになるのだが、仕事熱心なことだけは間違いない。こちらも酔いが回っていて、そういう絡み方のなるのも仕方がない。

宿への帰路はやはり苦労した。何度ザールブルクの廻りを廻ったことか。帰宅してもよく覚えていない。アルコール検査のありそうなとところはなかったのだが、記念撮影されていないかびくびくである。兎に角閉鎖やら渋滞で何処をどう走っていたのやら。そして週明けに再訪するときにも迷った。そして漸くザール河岸の道への入り口が分かった。

兎に角そこから一山超えて次の谷に戻るのだ。山の中を通る時は交通がないので全く問題がないのだが、街から出たり入ったりがすんなりと行かず、記念撮影の危険にはらんでいたのだった。

一番驚いたのは、翌日夕方になって車を出そうとしたら、朝食パンを買いに行った時には気が付かなかったのだが、サンルーフが開きっぱなしになっていたことだった。そんなことも気が付いていなかったことになる。そして、食事なしで戻って来て近所で何かを探したが、トルコ人の店での限られたお持ち帰りしかなかった。ヴィーガンの揚げ物コュフテというのを食した。ソースがトマト色をしているのでなんだと聞いたら着色料だというので笑った。ポメスだけで店仕舞い前に4ユーロは可哀そうだったので、それだけで7ユーロはお互いさまにいい注文だったようだ。普段は食する事のないものをテークアウトして持ってきたビールで夜食とした。



参照:
旅絵日記週末編 2023-09-04 | 文化一般
グラス向こうの先見性 2023-08-30 | ワイン
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旅絵日記週末編

2023-09-04 | 文化一般
宿では国境周辺が工事封鎖されていると聞いていた。しかしアウトバーンで行くならばと話していたのだが、その乗り口が閉鎖されていたのだ。結局ルクセムブルクの市郊外のアウトバーンまで地道を走った。いつも降りたら面倒そうだなと思っていたところで、適当に公国の領土が広い。

宿の周りも多くがルクセムブルクの車が走っているような国境の町なのだが ー それどころか公共バスまで乗り入れ運航していた、それも市街まで行くとなると迷いながら30分のところを一時間走った。流石に焦った。ドイツ語のレクチャーが18時45分からあったのでそれに間に合うようにとの予定だった。

三十年ぶりぐらいで市街地を走ったが日曜日で助かった。平日ならば渋滞で本番にも間に合わなかったであろう。耳元で何度も鳴っているシェーンベルクもあまり耳に入らなかった。睡眠学習にも劣る。それでも20分前ほどに入庫できた。

早速レクチャーに行くと結構な人数が集まっていたが、ライプチッヒからの女性のお話し内容はその喋り口とも合わせて、安物大学の安物美学講師程度のものでしかなかった。本当に酷かった。先ずは変奏の美学をチョコレートの種類あれこれに喩えて話しを聞かせようと媚びを売ったところで、もうこれは駄目だとため息が出た。それでもまだ変奏の美学のそれも哲学的な認知に絞っていれば賢そうに見えたのだが作曲の演奏の美学にまで哲学的な意味付けをしようとするので、これならば僕が同じように書いてきてお話した方がマシだと思った。こんな頭の悪い女に喋らすなである。書いている論文もあんな程度では誰も読まないに違いない。誰だこんなのを呼んだのは。東独の学術程度が低すぎる。

いつも熱心にレクチャーに行くのは、それによってその会場の聴衆の質が定まっているからである。程度の高いところはやはりそれだけの反応がある。それを知っているからだ。その意味からすると全く期待できないなと改めて感じたのだが、勿論第一の公用語はフランス語なので、その多くの聴衆はそれほど悪くはないというのが今までの経験であった。そして今回のベルリナーフィルハーモニカ公演はドイツ銀行のご招待のレセプションもあって、カナペーまでを摘むことにもなった。全く無関係ではないまあいいお客さんなのでそれはそれでいいだろう。

公演内容に関しては改めてとなるのだが、予想通り、そして楽団のツアーブログにあったようにバッチリと会場に合わせてきた。指揮者のペトレンコも座付き楽団とそしてユース楽団と演奏会を開いている様にそこの音響を知っている。ベルリナーフィルハーモニカーは十年前に客演したぶりのようで、コロナ期間中にキャンセルになっていたので、漸く叶ったという気持ちである。想定通りルツェルンの会場よりもその晩のプログラムにおいては圧倒的に素晴らしい音響を奏でて、更に深い音楽となした。

隣は八歳ぐらいの次男も連れた家族四人連れで、演奏中もズボンの裾を何度も蹴られたが、隣の母親が叱ることなく直ぐに抑えるので事無きを得た。こちらもできるだけ相手にしないようにした。お陰で横にも後ろにも誰もいないような想定以上の状況で乗り出して響きを楽しんだ。

予想通りブラームスよりもシェーンベルクの方が子供が飽きないことを確認できてちょっと嬉しかった。最初から寝そべっているぐらいだけどその子も同じ音を聞いている。いつも聴衆を観察しに行く私にとっては願ってもない隣人だったかもしれない。長男の方はとても静かで、お父さんもマンドリンの音量がどうのこうのと話していたので楽器でもやる人なのかもしれない。態々四人の席を購入する家庭なので、もしかするとこの次男が将来有名が奏者になっているということもあり得るか。

帰りは工事のお陰で若干迷って遅れたが、宿のおばさんが話したとおり、誰も通らない道を「帰りはヨイヨイ」の一方通行の国境の橋渡りとなった。記念撮影さえなかったならお陰で土地勘が出来たのでよかった。



参照:
ドイツ的に耳をそばたてる 2016-09-18 | 音
見事な素材とその出し方 2023-09-01 | 雑感
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旅絵日記一時帰宅編

2023-09-02 | 雑感
旅絵日記帰宅編である。先ずは順調に戻って来た。30kmの短縮は、帰路にも大きく影響して、11時20分ほどに宿舎前の牛を撮影してから往路の逆ルートを取った。計算上は14時15分に到着だった。但し燃料が半分も残っていないので給油を絶えず考えた。しかしバーゼルからライン河に沿ってアウトバーンが通っているように下りである。だから可也の節約走行が可能となる。同時に飛ばせる。

お昼時は空いていて、国境もストップ無しに通過、スイス国内でも写真撮影された可能性も薄く、ただ一か所工事現場で徐行となった以外は無事バーデンバーデンまで飛ばせた。ライン河渡りのダムの上でストップアンドゴーとなったのだが、残り量もアルザスでのスーパーまでは全く問題がなく、そこから最もプファルツ迄帰還も可能と分かった。

先ずはフランスでのお買い物である。同時に週末の予定を考えて何が買えるかを見当。それとは無関係にブルゴーニュを二本、そして自動的に魚貝類を。結局いつもの様のエビが安いので購入して、違う貝もそこに付けて、パエリアとすることにした。上手く作れたので、週末に持ち歩いで夜食か昼食に使うことにした。

野菜類はフランスも高騰していてとても買えるものが無かったので適当に持ち帰ったものも含めて宿にごみを捨てに行くようなつもりでもう一度冷蔵庫から出して持って行く。棚卸である。

無事来週以降のチーズも購入して、プファルツに戻ると未だ走れそうなのだ。ワイン街道の一番安いスタンドまで行けたら週末の分を満タンに出来る。そして一度は工事現場渋滞があったのだが、無事スタンドに到着。価格はリットル177で往路に入れた183よりも6セント安い。つまり70リットルならば4.2ユーロ安くなる。これは価値があった。

その他、荷物は時間も無いので出来る限り其の儘を持って行くことにした。最低靴下を取り換えるとかぐらいで、勝負下着も三日目に突入である。なによりもみすぼらしいのはシャツなのだが、まあ、再来週のこともあるので、それ以上に散髪も行っていないので誤魔化しておこう。誰も気にする人などはいまい。

帰宅して16時過ぎには落ち着いた。整理などをして18時過ぎに一っ走りする。週間の一回が空いたが、これで週明けの月曜日まではなんとなく身体が動くであろう。

なによりも週末の試飲会に体調を備えなければいけなかった。夕食のパエリヤにはスイスの宿で開けたテッシンのメルローの残りをヴァイツェンビアーの後に嗜む。快眠である。



参照:
想定内外の旅絵日記 2023-08-31 | 雑感
見事な素材とその出し方 2023-09-01 | 雑感


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見事な素材とその出し方

2023-09-01 | 雑感
二日目はパンの買い出しから始まった。前夜にはほとんどワインを一本開けてしまっていたことからアルコールが若干残っている感じでしゃっきりしなかった。隣町のパン屋であるのだが、途中の道が工事中なことも把握していて、それでも迷った。指定された迂回路が車両通行禁止になっていて、更に片道通行があったりで帰りには役立たなかった。パン屋自体は駅通りで、駐車には困ったのだが、いい買い物が出来た。特製のパンは白黒二種類あって、白い方を購入。スイス菓子も夏菓子ながらドイツならばミュンヘンにしかないようなものばかりである。こんな田舎の町にと思う。

近くには有名な湖もあってそれなりに高級な地域なのかもしれないが大したものである。ドイツではコンディトライもどんどん潰れた。その中途半端に賑やかな街なので街から宿に戻るのに苦労した。反対方向に車を走らせると完全な牧草地で、全くシュヴァルツヴァルトの友人の家のようである。なるほど別れ言葉もアデーを使い、セントラルスイスと言っても結構西のアレマン地域の影響も少なくない。

朝から牛の寝そべっているヴィデオは撮れなかったが、宿に戻ってくると一時間経過していた。通常ならば片道五分の場所である。旅行中はなんだかんだと時間が早く流れる。無駄に思える時間ほど価値があるのかもしれない。

そしてその甲斐あってパンは素晴らしかった、焼き立て感が全くなく、つまり酵母臭など皆無で、あるのは厳選した原料の麦の香ばしさ。そしてサクサク感はパンとしては最上級である。塩加減なども過不足なく、バターだけでいくらでも食せる。ついでに購入したブロッツェンはその分より硬めでそれはそれで素晴らしい。

夜食が重かったので、結局お三時に夏菓子を食するだけで済んだ。胡桃入りのチーズもカロリー十分で足しになったのだろう。前日は前座コンサートがあったが、翌日はレクチャーがあったので同じような時刻に到着するようにした。本来ならば二曲の変奏の細かな部分を楽譜で確認して置きたかったのだが、眠気もあって、結局寝て過ごしていたら、夕方になって仕舞ったのだ。

それでも今回と週末の日曜日には聴けるシェーンベルクの変奏曲だけは出来る限り頭に入れておきたかった。少なくとも曲の全体構造とその流れは把握しておかないと、日曜日の為に先に進めない。そして、前日に市内で再び間違入った分かれ道を今回はベストの方向で駐車場へと入れて、また再びベストのD区域に駐車した。

それでもデジタルコンサートホールでも解説をするようになったシュティーア女史講演の会場に入るときには、「今まだ来ました」と言われるように昨年ほどではないが遅刻寸前だった。そしてその内容は三曲を手短に歌までを入れて結構見事だった。この人の話しは、文献上の定説をしっかりと自身で噛み砕いて、それをプログラムに合わせてサーヴィスするという方法なのだが、今回はその素材の厳選も調理も見事で無駄がなかった。

同時にこのプログラムの一月のベルリンでのそれを現場で経験していたことから聴衆が知っておくべきと思われることが上手に出されていた。若干詰め込み過ぎの感もあるがこれだけのレクチァーを受けていれば聴衆の質はとても上がる。

それを当夜の演奏も聴衆もそれに相応するものだった。ブラームスはカラヤンに比較して聴き劣りがする音響だと思っていたのだが、曲が進むに連れて、ブラームスの肉声が透けて聴こえて来て、前日のレーガーとはまた異なった意味で、素晴らしかった。円熟した指揮でフィルハーモニカーが奏で、シェーンベルクでは更にヴァルツァーのあとの幾つかの変奏で更なる音響がルクセムブルクで期待される。そこの響きと広さが理想ではなかろうか。そしてベートヴェンでのペトレンコが世紀の天才指揮者だと皆が気づいた。



参照:
夜の歌のレムブラント 2022-10-22 | 音
パン屋への道のり 2021-09-10 | 生活
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