最近雨続きで運動不足。
さらに、日本酒ばかり飲んでいたら・・・
人生で最高の体重になってしまった・・・。
少し、体を動かそうと思ったが、あいにくの雨。
オーバーウエイトでも膝に優しい自転車を諦め、
ザックにレインウエアーを突っ込む。
出発が遅い時間になってしまったので、
丹沢表尾根を軽くトレランしようと思ったが、
車窓から雨雲が低く掛かった大山を見て予定変更。
独立峰の大山は雨が降り易く「雨降山」の別名で雨乞いの山としても知られている。
江戸時代には山岳信仰の山として。江戸市民には富士山と並ぶ人気。
江戸が百万人の人口の時代に、年間20万人の大山詣での旅行者を集めた。
庶民が江戸から出る事が難しかった時代に、
富士登山や大山詣ではツーリズムとして大人気だった。
現在の国道246号線は当時は大山街道として夜中も人通りがあったという。
通常江戸から往復5日程度、早い人は2~3日で往復したとか。
信仰の山の大山は、私が大学生の頃は「大山講」の信者達が
白装束で登る信仰の山だった。
大山講の人々を案内する神官の「先導師」は江戸時代には150人も居た。
今も、参道に並ぶ宿は先導師が居る。
緊急事態宣言下で、さらに雨降りが重なり、観光客も登山者も殆ど居ない。
学生時代は、暇があれば散歩気分で登った大山だが、
山頂へは10年以上登っていない。
仕事に海老名に来た折に、気まぐれにビジネス用のウォーキングシューズで登って以来だ。
大山はアクセスが良いので、気軽に登れる山として人気だ。
標高は1252mで、登り始めの標高が低いので、それなりに登りがいのある山。
中腹にある下社まではケーブルカーが通ううが、
そこまでを男坂で登ると、石段が続き、かなりハードモード。
学生時代は、大山登山マラソンで、伊勢原駅から1時間以内で到達した下社・・・
55歳の足腰には結構堪える。
下社から山頂までは整備され過ぎない、歴史を感じる登山道が続く。
一部、ドロドロになる所には木道も整備されているが、
基本的に江戸時代の雰囲気を良く残している。
山頂まではバス停から1時間28分掛った・・・
学生時代はジーンズにスニーカーで1時間15分程度で登っていた。
山頂にある奥の院は老朽化が激しいのか、社は無粋な建物の中にスッポリと収められている。
山頂一帯の環境保全工事が進行中らしく、社もいずれ修復されるのだろう。
山頂で一休みして、ヤビツ峠に下る。
このコースは木道も整備されていて、尾根筋は走れる所も。
いい気になって下りを走っていたら、人生最高の体重が膝に襲い掛かった。
弱い左ひざに違和感があったので、庇いながら走っていたら
ヤビツ峠に着く頃には、右膝にも違和感が。
丁度天気も怪しくなったので、膝と天気の様子見も兼ねて、
新しく出来た休憩所に立ち寄ることに。
ロッジみんたいな作りで、内装も洒落ている。
秦野市が丹沢の観光振興の為に建設して、民間の運営。
ネットで「クロモジ茶」が美味しいと書かれていたので、一度立ち寄ってみたかった。
クロモジはツマヨウジの材料となるクスノキ科の木だが、
新芽や樹皮にシナモンの様な芳香がある。
ホットのお茶を注文したら、きれいな緑の生の葉がポットのお湯に漂っていた。
爽やかな苦みと香り。
アイスティーにするときには、樹皮を煎じる。
しばらくオーナー夫妻と話すうちに、特製カレーの話に及んだ。
令和天皇がお若い時に、丹沢さんに登られ、その時に出されたカレーを忠実に再現している。
当時、秦野市内で料理教室を開いていた、オーナーの祖母に依頼があり、
ホテルや大使館ののシェフなどに教えを請い出来上がった特製カレー。
秦野の野菜とポークをじっくり煮込み、隠し味には自家製のチャツネが使われている。
このかれーを作った後に、丹沢山に荷揚げしたのだとか。
この話を聞いてカレーを食べずに帰る事は出来ない。
おぎりぎを食べた後だったが、迷わず注文。
柔らかな辛みで、登山で疲れた胃袋にスーっと収まるカレー。
美味しかった。
その後もオーナー夫妻と様々な話をして、気づけば1時間以上経っていた。
表尾根に行く気もすっかり失せて、蓑毛に下る事に。
ヤマビル危険地帯ですが、駆け抜ければ大丈夫。
トレーニングのはずが、すっかり観光トレランとなってしまったが・・・
蓑毛でアスファルト舗装になった辺りから膝の痛みが強くなる。
膝の内側、鵞足と呼ばれる腱の痛みはマラソン時代から苦しんだ、
久しぶりの再発。これ、なかなか治らない。
やはり71kgオーバーでトレランが無謀だった。
平日の飲酒はしばらく止めよう・・・。