■ クリスマスだから「ムナチラ」サービス ■
本日はクリスマス。聖なる夜に、「人力でGO」では「ムナチラ」画像のサービスです。・・・女性の方はスミマセン。
赤いバイクに颯爽と跨る美少女の胸元に視線を視線を奪われますが、良く見るとバイクに「腕」が生えています。そう、これが近未来の乗り物、「ライドバック」です。
「腕」はバランスを取る為の道具で、2輪で走行するライドバックは車輪の間隔を狭める事で直立に近い姿勢を取ったり、不整地を歩行したり出来るます。「手」も器用に物を掴む事が出来、軍用に転用して火器を扱う事も可能です。
■ 女子大生が世界を変える ■
緒方淋は武蔵野文芸大学に通うワンピースの似合う女子大生。母親は天才ダンサーの緒方ユキ。父親も舞台演出家です。淋も幼い頃よりダンスの才能を現しますが、デビュー舞台のリハーサルで足を骨折し、しばらく表舞台から遠のいています。
ある日大学内で雨宿りした油臭い小屋が「ライドバック部」の部室でした。先輩に強引に誘われライドバックに生まれて初めて乗った淋は、そのまま学生運動の立て看板の設置に狩りだされます。
ところが、学生達と警官が乱闘となり、巻き込まれた淋は、ライドバックを華麗に操り先輩を救出してしまいます。これを眼にした幾人かの人物が、淋の運命を変えていく事になります。
時代は近未来。大国の一国主義に抵抗するGGFという勢力が国連軍を破って、平等な世界統一政府を樹立しようとする時代。日本もGGFの統治下に置かれますが、学生達は60年代安保の時代と同様に抗議運動を繰り広げています。
武蔵野文芸大学のサークルもデモ要員の勧誘組織です。冒険部に入部した淋の親友の上村しょう子もGGFの基地のデモに狩りだされます。ところが、GGFのスパイが警官に発砲した事から、警官隊の容赦のない武力鎮圧が学生達を襲います。高圧放水車に骨を砕かれ、女子学生も殴られ・・・親友しょう子の危機をTVで知った淋は、ライドバックを駆って親友を救出するべくデモに飛び込んで行きます。
警察の車列バリケードを飛び越えた淋の赤いライドバックは、華麗な舞を踊るように群集をすり抜け、しょう子を抱えて基地のフェンスの向こうに姿を消します。基地内で銃弾が飛び交う中、淋は恍惚感に包まれます。舞台の上でしか得られなかった、「光」に包まれて、淋は爆炎を潜り抜け、しょう子の救出に成功します。
学生運動鎮圧を目論むGGFの謀略は、「ライドバック少女」の出現で一転します。世間は「ライドバック少女」に熱狂し、GGFを非難し始めます。
■ 「象徴(イコン)」と挫折 ■
淋は学生運動の「イコン」に祭り上げられ、本人に意思とは無関係に反GGF運動の象徴にされてしまいますが、GGFの狙いは学生運動の過激化とそれに乗じた学生運動の鎮圧でした。
軍が市民に発砲する事など考えた事も無い学生達は、本気になったGGF軍に前に一瞬で鎮圧され、淋も逃亡の末、囚われの身となります。
GGFは徴兵制施行の予備段階として、囚人の徴兵を始めており、淋はアメリカのGGFの部隊で矯正される事となります。厳しい訓練と精神修練、人格矯正の中で、淋は世界と自分の関係について初めて悩み、そして目覚め始めます。
悪と思っていたGGFが悪では無い事。しかし、旧勢力に対するGGFの武力行使は非人道的な側面を持っている事・・・。
そんな中、淋を見つめる視線があります・・・淋をシゴキ上げる鬼教官のカチャノフの視線です。
■ メカを描きたかっただけ ■
「ライドバック」は大学生の日常と世界の接点を絶妙に描いてゆきます。内容的には学生運動や世界の武力闘争を描いて熱いのですが、淋はどこか「浮世離れ」していて物語の中心に居ながらも、彼女は能動的に世界に関わる事はありません。
いえ、むしろ「ライドバック」の魅力は、主人公が常に物語の外側にいる事にあるのかもしれません。激しい戦闘の最中でも、淋は恍惚と「光」を追い続けています。この「物語の中心の不在」こそが、「ライドバック」をそれ以前の戦闘物のマンガと差別化する最大の要因かもしれません。
「どこか醒めたヒーロー」ではなく「熱くなれないヒロイン」が現代的なのです。
これは作者の「カサハラ・テツロー」が、ただライドバックというマシンを描きたいという純粋な願望からこの物語を作り出した事に起因するかもしれません。
美大生だった作者は、出版社でアルバイトをします。「美大生だったらマンガが描けるだろう」と言われ、子供向けの教育雑誌にマンガを描き始めた事からその経歴をスタートさせます。彼の漫画家としてのキャリアのスタートからして、どこか淋と同様に主体性がありません。マンガを生み出したいという欲求よりも、好きな絵を描きたいという欲求が勝っているのでしょう。
しかし、その結果生み出された「ライドバック」にマンガとしての魅力が欠けているかと言えば、そんな事は決してありません。GGFによる世界統一と抵抗勢力の抗争という世界の設定は現代的ですし説得力もあります。登場人物達のキャラ立ちも良く、魅力もあります。
しかし、結局は「ライドバック」というメカの魅力や、その躍動感が読者を引き付けて離しません。
細いフリーハンドの線で描かれた絵は、大友克洋や士郎正宗を思わせ、少々古いイメージを与えますが、見開きや半ページを用いて描かれるライドバックの「決め」の絵は、躍動の中の一瞬の静止を見事に捕らえ、読者をライドバックの世界に一気に引き込みます。
■ 未来を幻視する漫画家の目 ■
メカが魅力のマンガですが、ライドバックの世界感の基本を成すGGFという統一世界政府は非常に意味深な組織です。
アメリカを始めとする大国のエゴに蹂躙された国々が結束して立ち上げたGGFという組織は、大国を中心とする国連軍に対して苦戦を余儀なくされます。戦闘はゲリラ戦を主体に行われ、情報統制された日本では、戦争の実体は正確には伝わってきません。
国連軍の要衝とされていたアリゾナ基地をGGFが急襲し、ここを陥落させた事でGGFは一気に優勢に立ちます。この「アリゾナ戦役」でGGFが投入したのがライドバック部隊です。機動性に富んだライドバックは難航不落と呼ばれた「アリゾナ基地」を少数の部隊で制圧してしまいます。
さて、世界統一政府と言われると先ず思い出すのが、イルミナティーの掲げる「世界政府=ニュー・ワールド・オーダー」です。平等だけれど飼いならされた世界・・・。
カサハラ・テツローの描くGGFの支配する世界は、「世界政府」が実現したらまさにこんな社会になるのだろうというイメージに溢れています。
人々はGGFの統治前と同様に普通に暮らしています。むしろ、治安は改善し暴走族なども消えて、人々は何故GGFに反抗していたのか不思議に思いながら暮らしています。
しかし、ひとたびGGFに反抗すればGGFは徹底してその存在を抹殺します。その結果一般市民に被害が及んでも、情報統制によって市民はその実態を知る事はありません。
疑問さえ持たなければ何も不自由の無い世界ですが、一旦、規定外の自由を求めるとその社会には居場所が無いのです。
SF作家や漫画家の目は、稀に未来を幻視します。カサハラ・テツローの描く社会が実現したとして、私達はそれを「幸福」と感じるのでしょうか?・・・一般的な幸福や平穏に抵抗する人々の姿が心に残る作品です。
■ 個人の物語として完結するアニメ版ライドバック ■
ライドバックはアニメ化もされています。マッドハウスの製作だけあって丁寧な作品に仕上がっています。
原作では学生運動に主眼が置かれていますが、アニメ版では抵抗組織のBMAとGGFの対立が背景として描かれています。この対立は主に会話やニュースで語られ、人々はどこか人事として日常を送っています。
緒方淋個人と周囲人の話に世界を縮める事で、原作にあった大きな世界は後退していますが、その分、人物の魅力は高まっています。
アニメ版でも緒方淋は自分の舞にひたすら固執します。GGFの無人ライドバックと戦いながら舞続ける「ライドバック少女」の姿が、人々を世界をほんの少し変えてゆきます。
アニメ版ライドバックの最大の魅力は、そのメカのデザインのカッコよさです。原作ではレッドバロン(古いですね)みたいで、お世辞にもクールとは言いがたいライドバックですが、CGで設計し直す事で、実在するバイクの様な現実的なフォルムを手に入れています。
そして、アニメでも原作の「決め」絵の素晴らしさは踏襲しています。
空を舞うライドバック。たなびく黒髪。ちらっと見える胸元・・・・。
かつてバイクに熱を上げた方ならば、虜になる事は確実です。
マンガから読むか、アニメから見るか、いずれにしても原作世界を大切にしながらも、異なる二つのストーリーとして楽しめる事は保障します。お正月の予定が無い方にはお勧め!!