■ 「窒素」「燐酸」「カリ」 ■
「窒素・燐酸・カリ」と聞いてピンと来る方は、園芸好きな方でしょう。植物が生長するにあたり、「窒素は葉を茂らせ、燐酸は花を咲かせ、カリは根を育てる」と言われててきました。
化学肥料は、「窒素・燐酸・カリ」を成分とし、現代農業は化学肥料と農薬の使用によって、収量を劇的に増大させてきました。
これが現代農業の常識でした。
■ 非常識な科学 ■
今日紹介する「リンゴのが教えてくれたこと」の著者、木村秋則氏は青森のリンゴ農家です。
彼は化学肥料と農薬の恩恵という現代農業の常識に疑いを抱き、「自然農業」の実現にその半生を捧げた人物です。
近代合理主義の洗脳を受けた私達は、「科学は常識的」であると信じています。
たとえ科学の発展の結果、戦争や公害など人間に危害が加わっても、それは人間の倫理観や知識の不足が原因であって、科学そのものを否定はしません。
科学至上主義の反動としての、「自然主義」は存在しますが、それらは科学のアンチテーゼとして存在し、精神論的で夢見がちです。
ところが農業において科学の常識が「非常識」である事を、筆者は科学的に追及していきます。
■ 科学の目とは、常識に疑問を持つ事 ■
古来、有名な科学者は総じて奇人変人です。
浮力の発見に狂喜して、裸で飛び出したアルキメデス然り、教会と戦ったガリレオ然り、エジソン然りです。
彼らに共通するのは「常識」を徹底して疑う科学の目です。彼らの視線に「夢」などありません。あるのは「事物の原理を知ろう」とする冷徹な観察です。この本の著者も同様に「科学の目」で近代農業を見つめます。そして彼は近所から奇人として見られてきました。
■ 農薬を使用しないという事 ■
木村氏は非常に論理的な人物です。農家の次男として生まれ、中学の頃から数学や科学が得意で、暗算に夢中で電柱にぶつかったり、真空管アンプを自作して高校の体育館のスピーカーを壊したり、車のエンジンの改造に熱中するような青年でした。
彼は高校を卒業すると、東京の自動車部品メーカーで原価計算の仕事に就きますが、兄が体調を崩した事から、故郷の青森に戻ります。そして、リンゴ農家に婿養子に入ります。
当時のリンゴ農家は年13回農薬を散布していました。当時の農薬は現在は使用中止になったものも多く、農薬に触れた皮膚は水ぶくれになり、1日で皮がむける有様でした。
農家の人達は、農薬による健康被害に陥り、彼の妻も畑に出れない状況に陥ります。
木村氏は、減農薬を試す為、年13回の散布回数を年6回に減らします。ところが害虫被害は少なくリンゴは同じ様に実りました。そこで彼は年1回の農薬散布を試みます。それでもリンゴは実りました。
そこで彼は無農薬に挑戦します。・・・・しかし畑は病害虫の天国と化してしまします。食害と病害で夏には葉が枯れ落ち、リンゴの木は根元からグラグラとしてきます。
周囲の農家は、害虫を恐れ、彼の畑に勝手に農薬を撒いたり、農薬の袋を畑に置いていったりしました。当然、村の寄り合いや親戚の冠婚葬祭にも呼ばれなくなります。
■ 観察する事 ■
ところが木村氏は諦める事無く、リンゴを食い荒らす害虫を観察し始めます。
害虫の卵は2回に分けて発生し、最初のグループは成長するが、後から孵るグループは益虫の餌になる事。
益虫は害虫が発生しなければ現れない事。
蛾の幼虫の気門が足の付け根にあり、農薬散布の際、彼らは気門を閉じてそれをやり過ごす事・・・。
木村氏はどの本にも載っていない昆虫の生態を次々に見つけて行きます。
一方、リンゴは毎年花も咲かせずに、実もなりません。
彼の長女は学校の作文に「私の父はリンゴ農家です。でも、私は父のリンゴを食べた事がありません」とつづりました。子供達は1個の消しゴムを3つに分けて使い、生活は困窮を極めます。
■ 豆を植える ■
ある日、間違って買った本が豆の本でした。豆の根には根粒バクテリアが共生し、空気中の窒素を固定します。だから豆は痩せた土地にも育ちます。
そこで木村氏は、飼料用の大豆を畑に撒きます。すると大豆はどんどん育ち、近所に配り歩く程、豆が収穫できました。豆が畑に窒素分を供給したのです。
■ 死を覚悟して・・・ ■
しかしリンゴは一向に実りまません。ある日木村氏は死を覚悟して、荒縄を持って山奥に分け入ります。縄を枝に掛けようとした手が滑り、縄が飛んでいってしまいます。
縄を探す木村氏の目前に、月光に照らされたリンゴの木が浮かび上がります。誰も肥料も農薬も与えずに、こんな山奥でもリンゴは育っている・・・彼は我に返り、そして足元の土を観察します。
雑草が茂るその下の土は、ふかふかで甘い香りがします。彼は直感します。この土が出来ればリンゴはきっと実ると・・・。
■ 畑を自然に還す ■
彼は習慣として続けたきた草刈を止めます。
畑は背丈程の雑草に覆われ、そこに昆虫達が帰ってきます。野うさぎが、野ねずみが帰ってきます。
そこで又彼は観察します。
ミミズは一日にコップ一杯の糞をする事。
畑の表土が暫くのうちに、ミミズの糞に代わります。
豆はこぼれた種から雑草の間でも元気に育ち、実をつけます。
硬い豆の枝は、冬の間、雪の下で野鼠の食料になって春には消えています。
■ 花が咲き実が成る ■
完全無農薬から6年目の春、木村氏のリンゴ畑に花が咲きます。
実ったリンゴと糖度が20度を越え、地元のホテルのレストランが彼のリンゴに惚れ込みます。
それでも木村氏の観察は続きます。
豆の根粒バクテリアは、窒素が不足した土壌では一つの根に30粒程度ありますが、窒素が豊富になるとその数を10粒程度に減らします。この時点で豆を抜かないと、リンゴに甘みが乗りません。
リンゴが色付く前に下草を刈り取らないと、リンゴが寒さの到来を感知出来ず、リンゴに色が乗りません。
木村氏は、飽くこと無く観察を続け、試行錯誤を繰り返します。
■ 観察農業と自然農業の違い ■
木村氏は北海道で同じく無農薬栽培に取り組む農家の裁判に呼ばれます。
そこで彼は「観察農業」と「自然農業」の違いを指摘します。
「観察農業」とは、全てを自然に委ね、家の窓から畑を観察する行為。
「自然農業」とは、人間が最低限の手を下し、自然の力を最大限に発揮させる農業。近所とのコミニュケーションも「自然農業」には欠かせないと指摘します。
■ 畑作・稲作への応用 ■
木村氏はリンゴの「自然農法」を確立すると、今度は稲作の「自然農法」に挑戦します。
その方法は至って科学的です。
ワンカップの空き瓶に条件を変えた土壌と稲を植え、観察します。
そして彼は、田を荒く耕す事、田の土を一旦カラカラに乾かす事が稲の生育を促進する事を突き止めます。
「自然農法」による稲作は、化学肥料や農薬は元より、有機肥料も使用しません。草刈も分ケツ期前に数度行うだけです。それでも稲は育ちます。
■ 腐らないリンゴ・腐らない米 ■
「自然農法」は基本的に肥料も農薬も一切使用しません。
有機肥料も使用せず、雑草と豆や、前年のワラのみを使用します。
そうして作られたリンゴは放置しても腐りません。2年経っても、萎びて乾燥するだけで、良い臭いを保っています。
水に混ぜた米も、発酵して最後は酢になります。
ところが、有機栽培されたリンゴや野菜や米は直ぐに腐って、腐臭を放ちます。未成熟堆肥(5年未満)によって栽培された作物は、硝酸態窒素が多く残留しています。
硝酸態窒素は未成熟堆肥に多く含まれ、作物に残留し、その濃度が高い飼料を食べ続けた牛は死に至ります。農水省の指針に従って栽培された有機野菜は硝酸態窒素濃度が高い為に、人体に害を及ぼす可能性があり、また早く腐ります。
むしろスーパーの野菜の方が、有機野菜よりも硝酸態窒素濃度が低く腐り難いという実験結果を木村氏は確認しています。
■ 自然農法は農家の利益を向上させる ■
木村氏は経営者としての視点も忘れてはいません。
自然農法による稲作は、化学肥料や農薬を使用する農業の70%程度の収量です。しかし、農薬や肥料を購入するコストを計算すると、利益はむしろ「自然農法」のほうが高くなります。
草刈の回数も少ないので、高齢者でも負担は少なくて済みます。
さらに、稲が丈夫に育つので、冷害にも強く、台風でも稲が倒れない為、収量が安定しています。
■ 農家の後継者が興味を持ち出した ■
木村氏は数冊の本を出版され、TVにも出演され、年の半分程度を講演に出かけています。
今では農家の後継者達が彼の「自然農法」に興味を持ち、彼の元に教えを請いに訪れます。
彼らは、農薬や草刈など労多く利潤の少ない親達の農業に疑問を持ち、それを継ぐ事にためらいを感じていた若者達です。彼らの疑問に、木村氏の自然農法が答えたのでしょう。
■ 農業の未来・日本の未来 ■
日本は世界で一番化学肥料を投入する農業を営んでいます。化学肥料も、農薬も、そして機械を動かす灯油も石油から出来ています。
日本の農業は1の収穫を得るために5の石油を消費します。(カロリーベースだと思われます)アメリカではこの比率が1対1です。
日本の従来の農業は、エネルギー消費型の農業で、石油価格の高騰に対して脆弱です。
一般的には日本の農業の問題点は、兼業農家が多く規模が零細である事から、生産効率が低い事にあると考えられています。民主党も自民党も、やる気のある農家が大規模経営で収益性を高める事が日本の農業にとって重要だと考えています。
効率化した農業は、人を必要としません。後継者問題を抱える農家だけ見れば、たしかに集約化は避けて通れない道に思えます。
しかし、時代は前代未聞の高齢化と、高失業率の定常化へとシフトしています。年金制度が崩壊した後、国民はどのように生きていけば良いのでしょうか?就職のないまま歳を取り続ける若者達はどうしたら良いのでしょうか?
効率性を重視した農業は、10の面積で3の雇用しか生まないかもしれません。しかし、自然農法では10の面積で10の雇用を生み出すかもしれません。
化学肥料や農薬の購入費が無いという事は、現金収入に依存しない農業で、限りなく自給自足に近い農業です。
たとえ65歳以上の老人でも、生産性を確保する事が出来ます。
■ 「自然農法」という次世代の可能性 ■
これまで何度か、このブログでも自給自足型農業への回帰をテーマとして取り上げてきました。しかし、書いている私自信、農薬や肥料の購入という問題点に引っかかっていました。
「自然農法」はこの点をクリアーしつつ、労力を節約出来る一石二鳥の農法です。
■ 「実物経済」への回帰 ■
グローバリゼーションは世界が現在の日本やアメリカになる事と同義でありません。
中国やインドが発展するのと同様に、日本の中に中国の農村やインドのスラムが現れるのがグローバリゼーションです。
昨日のマイクロファイナンスの記事でも分かる通り、貨幣経済の浸透は、本来「実物経済」が機能していた地方や地域コミニュティーの破壊を意味します。
日本の高齢化による破綻は、未来予測ではありません。これは出生統計的に
約束された未来です。さらに、世界的パラダイムシフトにより、日本国民の生産性は低下しています。年金維持の最低ラインである潜在成長率3%など、夢の又夢となっています。
今のままでは「インフレ」によって政府はその帳尻を合わせるしか方法を持ちえませんが、それはこれから老人となっていく私たちの世代も含めて、国民皆が不幸になる道でしかありません。
地方の農業とコミニュティーの再生による「実物経済」の復活は、将来的に過剰な福祉コストから財政を救う事になります。