人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

小湊鉄道の軌道バイク・・・とってもシュールで可愛い

2015-05-29 09:42:00 | 分類なし
 




iPhoneで撮った動画をブログにアップ出来ないかと色々考えてみましたが、youtubeにアップしてリンクを貼れば良い事に気付きました。

記念すべき最初の動画は、先週の土曜日に養老渓谷駅で撮影した「軌道バイク」の出発シーン。2台のバイクが荷台を牽引してレールの上を走る、とても不思議な乗り物です。

この日はちょうど保線作業に出発するところに出くわしました。


でもこの軌道バイク、戻る時にはどうするのでしょうか?まさかバック?


気になるニュースをあれこれ・・・バラバラな動きをし始めた世界経済

2015-05-28 06:34:00 | 時事/金融危機
 

■ 何だか方向性が読めない世界経済 ■

投資をされている方は今年に入ってから世界経済の方向性が読み難くなっていると感じられているのではないでしょうか。

アメリカの利上げを前にして、様々な市場がナーバスになっている表れだとも言えますが、本日は最近目に付く変調をメモ程度に。

■ 国債金利が上昇(価格は下落)に転じた ■

国債金利は世界的に歴史的な低さを更新していましたが、ドイツ国債の金利反転をきっかけにアメリカや日本でも金利が上昇に転じています。

投資家達は安全資産として国債に投資して来ましたが、気付ば金利は極限まで下がっていました。ドイツ国債などはマイナス金利に突入していましたから、これ以上の金利低下にも限界があります。

そこで、はたと皆さん我に返って国債のリスクを少し軽くし始めたという感じでしょうか。これが本格的に金利上昇になるとは思われませんが、資金のグランドローテーションが変化した事で、行き場を失った過剰流動性が別の市場に流れ込んでいます。

その一例が株式市場でしょう。米株市場は不安定ながらもダウは高値で推移しています。日本株市場にも資金流入が起きている様です。

■ 上海株式市場はバブル? ■

中国政府は不動産市場の後退と、製造業の不振を打開すべく、株式市場への資金誘導を行っている様です。上海株市場が急激に上昇をしています。

これをバブルと呼べるかどうかは崩壊するまでは分からないのですが、中国経済もいろいろとツジツマが合わなくなってきているのでしょう。

中国のバブル崩壊は、即、アジアの新興国に波及し、さらには中国人の「爆買い」が支える日本の小売り市場にも、部品などの輸出部門にも大きな影響を与えます。

危ない、危ないと言われ続けても、なかなか崩壊しない中国経済ですが、ここが崩れる時は世界を道連れにするので、多分、中国バブル崩壊は次なる金融危機と時期を同じくして起きると私は妄想しています。

それまでは、何だかんだ言ってバブルを維持するのでは無いか・・・。


■ 日経平均は強すぎる ■

日本株に関しては夏頃まで19000円を割った辺りで調整を続けるかと思いましたが、これが意外と強い。公的資金、準公的資金で下値を支えているので、現状、「世界で一番オイシイ市場」或いは「世界で一番安全な市場」となっているとも言えるので、ギリシャ危機の避難先としてヨーロッパの資金が流入しているとの噂も。

ここに来てドル/円、ユーロ/円とも円安方向にシフトしており、海外勢の日本株投資には良い環境が出来上がっています。

「sell in May」の法則は、今年は4月後半から5月上旬で発動しましたが、下げ幅は小さなもので、その後の日経平均は結構強気です。

ただ、国内投資家や個人投資家が強気に買い上げているというよりは、海外勢が円安分だけポジションを積み増した感が強いかと。

■ 円安が加速と米利上げ予測 ■

FRBのイエレン議長とフィッシャー副議長が年内利上げを示唆した事で、一気にドル高が加速しました。まさか123円まで円安が進行するとは・・・。FX取引をされている方は冷や汗をかいた事でしょう。

アメリカの経済指標はあいかわらず良い数字と悪い数字がまだら模様に出て来る感じで、原油安によるガソリン価格の低下で、どうにか個人消費を持ち上げている感じにも見えます。

年内利上げが本当に可能なのか微妙な所ですが、実は利上げの影響は実態経済よりも金融市場の方が敏感に反応します。ある意味、実態経済の指標は「後付の理由」に利用されているだけで、金融市場のリスクテイクの度合いによって利上げをするかどうかの判断が成されるのだと思います。

イエレン議長は先日の「株価は高すぎる」等の発言で、リスクオフを促していますが、市場は結構強気を崩していません。バーナンキショックで損をした投資家も多いと思いますので、その教訓から市場がFRBの揺さぶりに鈍感になっているのかも知れません。


■ アジア新興国でバブル終焉の兆し ■

マレーシアやシンガポールで対外債務が積みあがっています。シンガポールはGDPの400%、マレーシアは65%。

シンガポールは金融センターなのある程度高くなるのは当然とも言えますが・・・この2国の建築物件をしばらく見てきた私としても、バブルの匂いがプンプンしていただけに、資金流入が逆流すると結構ヤバイ状況となります。

両国にはチャイナマネーも相当流入しているので、中国経済の変調の煽りをモロに受ける可能性も有ります。さらに米利上げによる資金逆流の影響もあるので、アジアの新興国の経済はこれから不安定になるかも知れません。

■ 英王手銀行の本社アジア移転 ■

HSBCとスタンダードチャータードという英大手銀行2社がアジアに本社を移転する事を計画しているとか。税制の問題が原因の様ですが、アジアで今後成長が見込める富裕層ビジネスを睨んだ動きだとも。

ここら辺は長期的な展望に基づく企業戦略なのでしょうが、世界金融を影で支配する英大手銀行のアジアシフトは次の時代がアジアの時代に成る事を予感させます。

まあ、その前に色々と混乱があって、世界の勢力地図に大変革が起き、元の国際化が達成されるという前提は付きますが・・・。


■ 米軍が南シナ海問題で中国にチョッカイを出し始めた ■

アメリカはこれまで東アジアの領土問題を静観していましたが、南沙諸島の中国の人工島建設を牽制するなど、中国にチョッカイを出し始めました。当然、中国もこれに強く反発しています。

まあ、ここら辺は表向きのパフォーマンスで、アメリカは本気で中国と事を構える事は無いでしょう。ただ、オバマ政権も大統領選を前にしてレイムダック状態にありますから、点数稼ぎのパフォーマンスは今後増えて来るのでしょう。

軍事的には南沙諸島に中国の飛行場が建設される事は、南シナ海の覇権にとっては重大な問題で、シーレンの要衝に中国の不沈空母がドーンと居座る事になります。

アメリカが本気になれば空爆でも何でもするのでしょうが、結局何もせずに米軍はハワイ-グアムラインまで後退するでしょう。

南沙諸島の中国軍基地は米軍無き後の「アジアの棘」としてアジアの軍事対立を煽る装置として機能して行きそうです。

■ ISILの勢力拡大とサウジアラビアとロシアの接近 ■

ISIL(イスラム国、NHKなどでは最近はISと呼称していますね)はイラク、シリアで勢力を伸ばしています。

そもそも欧米諸国と湾岸産油国の後押しで成長したISILなので、これらの国のメリットを生む為に活動しているはずです。短期的にはイラクやシリアのシーア派の弱体化と、イラク北部の油田地帯支配あたりが目的となりそうですが・・・・。

中東情勢で気になるのはサウジアラビアとロシアの急接近です。軍事同盟を締結するなど、アメリカ(イギリス)の傀儡政権であるサウジ王室は、イラクに対して毅然とした態度を取らなうアメリカに対して疑心暗鬼になっているのかも知れません。

巨大な産油国同士のサウジアラビアとロシアの接近は、石油市場にもある程度の影響を与えます。かつてのOPECでは有りませんが、原油カルテルとしての新たな枠組みが作られるのかも知れません。その過程でサウジアラビアとアメリカの関係性は薄れ、中東からアメリカは徐々に影響力を失って行くのかも知れません。

イスラエルの存在が不気味ですが、ロシアや中国が仲立ちとなってイランとのバランスを取るのかも知れません。それに対してISILがチョッカイを出すという構図が何となく見えて来たような・・・・。



本日は最近の気になるトピックスをメモ程度に取り上げてみました。

ピリピリとした空気は無いのですが、何となくオカシイ・・・。そんな所でしょうか・・・。

たかがラノベ、されどラノベ・・・作者が成長する文学 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』

2015-05-26 18:20:00 | 
 




本日はネタバレ御免!!でお送りします。


■ 全ての先入観を捨ててこのシーンを見て欲しい ■



普段アニメなど見ない方も、全て先入観を捨てて、現在放映されている『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている 続』の第六話を見て欲しい。

2つの高校が合同で地域のクリスマスイベントを企画する会議のシーンです。主導権を握る高校の生徒会長が会議の進行をしています。

「ロジカルシンキングで論理的に考えるべきだよ」 (会長)

・・それ同じ事言ってんじゃねえ、何回考えちゃうんだよ (主人公、心の中で突っ込む)

「お客様目線でカスタマーサイドに立つっていうかさ」 (会長)

・・だからそれ同じこと言ってんじゃないのか。何回客になってんだよ(主人公)


「意識が高い」相手校の生徒会長を始め役員は、覚えたてのブレーストーミングを実行すべく、これまた付け焼刃の横文字英語を連発して会議を進行します。しかし、その中身たるやカラッポ。社会人ならば、「あるある、こういう会議ある!!」と抱腹絶倒する事間違い無いシーンです。

責任の所在を明確にしない会議は何も決まらず、時間だけを浪費してゆきます。・・・あるある・・こういう会議。

私達が日々会社などで繰り広げる会議も、すこし引いた視点から、皮肉たっぷりに眺めると、こんなにも滑稽なやり取りがくりひろげられているのでしょう。

覚えたての経営用語や経済用語を使いたがる「意識高い系」の相手校の生徒会を「中二病と同じ」だと断じる主人公は、自らを「自意識高い系」と評し、高二病の一種だと心の中で説明します。

高校生が患う「自意識高い系」の物語が本日紹介するライトノベル作品、『やはり俺の青春ラブコメはまちがている』です。累計で400万部を超える大ヒット作品ですが、スーパーネガティブな高校2年生男子を主人公にした学園コメディーです。


■ 作者の成長を楽しむ文学 ■

ライトノベルは青少年向けのエンタテーメント小説です。私は文字が書かれたマンガ、或いはアニメのシナリオの一種だと捕えています。

1) キャラクターを中心に物語が展開する「キャラクター小説」
2) 一人称で書かれる事が多い
3) セリフやモノローグで状況や主人公の思考が丁寧に説明されて分かり易い
4) アニメ化を前提に書かれている作品が多い
5) 表紙や挿絵にアニメキャラ的はイラストをあしらっている
6) 登場人物が類型化されている(テンプレキャラ)
7) 作者が若い

ライトノベルを「小説」や「文学」に分類する事に抵抗する方も多いかと思います。しかし、最近書店に並んでいるベストセラー小説の多くが「キャラクター小説」という意味においてはライトノベルの影響を受けているとも言えます。

ライトノベルの原点は、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズまで遡れるかと思いますが、私は「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」も十分にライトノベルの資質を備えた作品だと思っています。

ただ、ライトノベルの特徴として「作者が若い」ということは重要かと思われます。大作家が大衆向けや子供向けに書いた作品では無く、読者と同世代の作者が自分のニーズを満たすべく書いた小説という意味において、日本のライトノベルは世界でも特筆されるべきジャンルかも知れません。

書き手と読み手の年齢が近い事から、「同人」的な閉じたサークルの中で作品が生産され消費される傾向にあることが、このジャンルから大人を遠ざけている原因ともなっています。一方で、大人の読者を想定しない事で、最新の若者の言葉遣いや、思考パターンがストレートに反映されており、今時の若者達を知る上で重要なサンプルです。

そして、このジャンルの面白い所は、「作者が急激に成長する」点にあります。 直木賞作家の桜庭一樹や、ベストセラ作家の有川浩がライトノベル出身である事は有名ですが、デビュー当時から個性が際立った作家でした。編集者もその才能を見抜いており、作品をlライトノベルの文庫版では無く単行本として発売するなど、ライトノベルというジャンルにカテゴライズされる事を巧妙に避け、彼女達をベストセラー作家として育て上げました。

上記の作家以外にも西尾維新奈須きのこなど個性的な書き手が多いのこジャンルですが、逆に汎個性な作家がほとんどであり、毎年多くの若者がデビューしては、数年で消えて行きます。

ただ、このジャンルの面白いのは、一見「汎個性的」と思われる作品の中から、かつての眉村卓や筒井康孝、新井素子の匂いを感じさせる作品がチラチラと生まれて来る所です。近年では『ココロコネクト』や、本日紹介する『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』は、古き良き若者向け文学の伝統を継承する作品とも言えます。

■ 自ら周囲から孤立する二人が出会う時 ■

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』は千葉県の海浜部にある高校の日常を描く作品です。主人公の比企谷 八幡(ひきがや はちまん)は頭は良いが超ネガティブ人間です。小学校の頃から浮いた存在で、高校二年の現在はクラスでは空気の様な存在。本人はステルス性能と称していますが、常に一人で行動し、体育で二人組になる時を一番嫌う様な人間です。

一方で彼は人間を良く観察しています。クラスの人間関係を緻密に分析し、それにネガティブフィルターを掛けて楽しむ様な性格人物です。

そんな彼の行く末を心配して担任教師が連れて来たのが奉仕部の部室。奉仕部とは他人に奉仕する部活で、実際には生徒の問題を解決する手助けをする部だと説明されます。

部室には黒髪の少女が一人本を読んでいます。学校でも秀才で有名なその美少女、雪ノ下 雪乃(ゆきのした ゆきの)は高圧的で比企谷を全く寄せ付けません。

「この部っていったい何をする部なんだ?」
「今私がこうしている事が部活動よ。」
「降参だ、さっぱり分からん」
「比企谷君、女の子と話したのは何年ぶり?」
「・・・」(中学時代の痛い思いでの回想)
「持つ者が、持たざる者に慈悲の心を持ってこれを与える、人はこれをボランティアと呼ぶの。困っている人に救いの手を差し伸べる、それがこの部の活動よ。ようこそ奉仕部へ。歓迎するわ。頼まれた以上責任を持つわ。あたなの問題を矯正してあげる。」


彼女の言動は一見高慢に見えますが、それは彼女が周囲から疎外された結果だという事に比企谷は気づきます。「優れた者故に世の中はそれを排除しようとする。そんな世の中ならばいっそ世の中の方を変えてしまえば良い」彼女のこんな発言に、比企谷は自分と同質の物を見つけます。


「・・・なあ雪ノ下、なんなら俺が・・友達に・・」そう言いかけた比企谷の言葉を雪の下は「ゴメンナサイ、それは無理!!」と一瞬で拒絶します。


その時、部室のドアがノックされ、一人の少女が遠慮がちに部室に入って来ます。彼女の名は由比ヶ浜 結衣(ゆいがはま ゆい)。比企谷のクラスメイトです。彼女は手作りクッキーが上手く焼けないとの相談を奉仕部に持ち込みます。

彼女の悩みを解決すべく、調理室でクッキーの焼き方を由比ヶ浜に教える雪ノ下ですが、その教え方は極めて厳しい・・・。言葉も相当にキツイ。そんな雪ノ下を由比ヶ浜はキラキラした目で見つめ「カッコいい」と言いだします。八方美人で他人の目を気にして学校生活を送る由比ヶ浜にとって、歯に衣着せぬ言葉でやり取りしている雪ノ下と比企谷の関係は、とても羨ましく見えたのです。

こうして奉仕部に新たな部員が加わり、この3人を中心に物語は周りはじめます。

■ 普通の学校生活をスリリングなエンタテーメントに昇華する ■

奉仕部に持ち込まれる問題は些細な事です。「自作のライトノベルを読んでくれ」だとか、「昼休みのテニスの自主練に付き合ってくれ」だとかそんな事ばかりです。しかし、性格が5回転位いひねくれた比企谷は、イヤイヤながらも意外にも真摯に問題解決に取り組みます。問題の本質を冷静に見極め、論理的に打開策を導き、さらには消極的ながら解決に対して努力します。

物語の前半は、問題解決の過程で比企谷と問題を持ち込んで来た人間の間に「関係」が生まれる事がコミカルに描かれます。比企谷は新しく生まれた関係を「友情」とは捕えていませんが、相手は比企谷に信頼を寄せ、彼を友人として慕う様になります。

そんな他愛の無い展開が続きましが、物語の進行にしたがってだんだんとシリアスなムードが漂い出します。比企谷の問題解決の手段は徹底的に合理的です。しかし、その方法は「普通」ではありません。「人間関係の機微」をあえて無視する事で最大の効果を上げるのです。そして、往々にして比企谷の自己犠牲によってそれが達成されます。

前半のハイライトは文化祭です。無能な実行委員長の下で副委員長の雪ノ下が仕事を抱え込む事になります。委員長は他人に仕事を押し付けておいて「実行委員も文化祭を楽しまないといけないと思う」と言いだす始末で、委員会の空気はシラケ気味です。

そんな空気を一変させたのが比企谷です。文化祭のスローガン決めの会議で彼は「人」という字を提案する。「人と言う字は一見お互いが支え合っている様に見えるが、実は一方が一方の寄りかかっている。この委員会にぴったりだ・・・」と言いだします。会議の空気は一瞬で固まります。そして、誰もが比企谷を敵意のこもった目で見つめます。

「分かり易い敵役」にあえて成る事で、彼は他の委員の結束を生もうしたのです。終始こんな調子で、仕事が円滑に進む様に彼は適役を演じ続けます。

学園コメディーだとばかり思っていた作品は、だんだんと変貌してゆきます。どこの高校にもある様々な人間関係の軋轢ですが、現実の高校生達は悩みながらそ何となくをれをやり過ごしています。問題を棚上げしたり、友人と距離を取ったり、時には友人を変える事で問題を解決しています。

ところが、をれは問題の解決では無く保留である事に比企谷は自覚的です。彼の冷静な観察を通して、私達は現実社会の人間関係の欺瞞を改めて突き付けられるのです。これはなかななスリリングです。殺人事件など無くても、普通の学校生活、普通の人間関係を観察するだけで、こんなにも面白いエンタテーメントが成立するのかと驚くばかりです。

■ 頭でっかちな高校生が必ず通る道 ■

私は高校時代ひねくれていたので、比企谷の姿は当時の自分にそっくりで、この作品を冷静に見る事を出来ません。もう、黒歴史をホジクリ出される様で、身もだえして見てしまいます。

私に限らず、この作品を支持する多くの若者達が比企谷に或いは雪の下にシンパシーを感じているのでは無いかと思います。普段は表面的にやり過ごしている人間関係ですが、その裏に様々な感情を押し込めて高校生も生活しています。

「人と上手くコミュニケーションが取れない」というのは、自我の確立期には誰もが通る道です。自我の成長の過程で、自我と周囲とのバランスが崩れるのです。特に運動部にも属さない文系人間は集団の中で自分を抑制する訓練がされていないので、自我は肥大化しがちです。

自我が肥大化した若者は、その自我の危機に何度も遭遇します。自尊心を保つ為には、自分が周囲より優れた存在であると自分に証明する必要が生じるのです。しかし、現実にはそれは不可能なので彼らは発想の転換で自我を保とうとします。

「自分が劣っているのでは無い、世界が悪いのだ」と。

この物語の主人公の比企谷と雪ノ下は頭脳は明晰ですが、コミュニケーションの能力が著しく欠けています。それ故に、彼らは世界や友人を拒絶する事で、自分の優位性や自尊心を維持しています。頭の良い彼らはそれが間違いである事も理解していますが、それを素直に受け入れて周囲に同化する器用さを持ち合わせていません。

■ 「本当」の関係とは何かを真摯に問う物語 ■

アニメの第二期は、第一期とは演出がだいぶ異なります。学園コメディー的な軽やかさは後退し、演出はリアルになっています。

仲良しグループの男子が修学旅行でグループ内の女子に告白したいと奉仕部に相談に来ます。一方、他のメンバーはそれを阻止したいと匂わせてきます。

リーダーの葉山は比企谷に「今のままの関係を保ちたいんだ」と打ち明けます。比企谷には表面的で薄っぺらな友情ごっこにしか見えない関係に葉山や他のメンバーが拘る理由が分かりません。そんな薄っぺらな関係のどこに守るべき意味があるのか・・・。

比企谷はまたもや自己犠牲によって問題をクリアーしますが、彼一人に汚れ役を押し付けてしまった事で雪ノ下と由比ヶ浜は自責を感じます。それが3人の関係をギクシャクさせます。

そんな折、奉仕部に持ち込まれた以来を巡って3人の関係は決定的に悪化します。本音で付き合っていたと思っていた3人は、実はお互いの事を何も分かっていなかった事に気づいてしまうのです。

そんな彼を見かねて担任がアドバイスをします。「考えて考えて、答がNOだたらさらに考えて、何も見つからなければ、それこそが答えだ。」「論理的に考えて分からない事こそが人間の気持ちだ」

一晩考えあぐねた比企谷は、翌日部室に向かいます。そして振り絞る様に「俺は本物が欲しいんだ」と口にします・・・。それを聞いた雪ノ下は「私には分からないわ・・・」と言うと部室を飛び出して行きます。

「孤独をあえて受け入れる」事で個人としての尊厳を守っている「同士」と思っていた比企谷が、「友達になりたい」という普通の感情を抱いている事にショックを受けたのです。その感情は彼女の中にも芽生えていたかもしれません。しかし、彼女をそれを認める事を敗北だとい感じている・・・・。

雪ノ下を救うのは由比ヶ浜です。感覚的にしか物事を判断出来ない彼女にとって、「本当の友達になる」事は至極当たり前で素晴らしい事に思えたのです。比企谷が言う所の「本当」とは何かは全く理解できませんが、彼女は直感的にそれが悪い事では無いと悟ります。由比ヶ浜は泣きながら雪ノ下に抱き着きます.

「由比ヶ浜さん、あなたずるいわ・・・」そ言うと雪ノ下も陥落します。感情を論理的にしか理解できない彼女にとって、感情をストレートにぶつけて抱き着いて来る由比ヶ浜はアイテデンティティーを揺さぶる存在であり、そして感じる温かさは論理では導き出せない真実を伝えているのです。

人と人の本当の関係は「論理」では導き出せない・・・きっとこの助言を与えた担任は、彼女自身が若い時に雪ノ下や比企谷と同じ経験をしたのでしょう。だからこそ、論理の鎧で心を守らなければならない二人の純真さを理解し見守ります。教師は比企谷に「お前は教師に向いている」と冗談ながらに言います。これは彼女の本心でしょう。きっと比企谷に自分の過去を重ねているのです。

■ 完成された作家には書けない物語 ■

作者は大学4年生の時にこの作品で賞に応募したそうです。元々は小説など書いていなかったそですが、就職がなかなか決まらず、作家という肩書があれば就職浪人と呼ばれないい・・・そう思って書き上げた作品です。当然、続巻が刊行されるとは夢にも思わず、累計で400万部の大ベストセラーになるなど、誰もが予想出来なかったでしょう。

作者はその後就職し、現在も会社員を続けながらこの作品を書いています。この作品を書き始めた当時は比企谷に感情移入をして書いてい作者ですが、社会に出て成長した今は、担任教師に感情移入しがちだとインタビューで語っています。作者が社会に出て成長する過程が、作品にも色濃く反映されています。

成長に伴って、物語のテーマも「本当の関係とは」という重たいものに変化しています。表層的な友情をバカにしていた比企谷ですが、自分が求めているものと表層的な友情との間にさして差が無い事にも気づいてゆきます。ここら辺がこの作品の優れた所で、ラノベや漫画の多くが「本当の友情」を至上のものと持ち上げる傾向があるななかで、本元とは何かをひたすら追求し続けます。

「普通の関係」こそが「本当の関係」である事・・・そんな事をテーマにしながらも、しっかりエンタテーメントしているこの作品は、他のラノベ作品とは一味も二味も違う奥深さを持っています。

■ 聖地巡礼に行ってみた ■


実は『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』のモデルになっている高校は、千葉市の海浜部にある千葉市立稲毛高校です。

2年前、娘のバスケの県大会の応援にこの学校を訪れた時、中庭で強烈なデジャブに襲われました。「この校舎、見たことある・・・」



だいたい作品の心当りはあったので見直してみると、2話目でチラッとこの丸い校舎が出てきます。




第二期の7話目は担任教師が比企谷にアドバイスを与える名シーンが描かれますが、ここの舞台は千葉ロッテ・マリンズのスタジアム近くの「美浜大橋」。これは聖地巡礼に行くっしかありません。自転車で鴨川に行く前にサクサクと巡礼します。





夜のシーンでアングルも少し違いますが・・・夕方は夕日を見る人で賑わうポイントです。






手すりの落書きもこの通り・・・。






橋の下から見た所。








校門もほぼ同じですね。



最寄駅の稲毛海岸駅。ここも良く登場しましう。二期オープニングの電飾された植え込みの背景は駅前にあります。


ちなみに千葉都市モノレールがタイアップしています。


http://yusaani.com/event/2015/05/02/119392/ 写真を拝借しました。

ここまでやれば立派です。乗るのが恥ずかしい方もいらっしゃるでしょうが・・・。千葉都市モノレールは『俺の妹がこんなにかわいいわけがない』のラッピング車両も走らせていました。

千葉市はアニメのロケに協力的みたいで、アニメによる地域振興では成功例に入るでしょう。



本日は、私が大好きな超ネガティブ主人公比企谷が登場するラノベとアニメのお話でした。お子様との話題のネタになれば・・・・「やだ、お父さん、キモ!!」と言われるのが落ちでしょうが・・・。

ちなみに、私は聖地巡礼の写真を娘と息子の携帯に写メしちゃいました。食い付き良かったですよ!!



<追記>

アニメ第一期は低予算でした。それを逆手に取った様な割切ったカラリとして演出が、キャラクターの魅力を引き出す結果となり、この作品をベストセラーに押し上げたとも言えます。

一方、原作もコメディー色が薄らぎ、真剣に主人公達の心の成長を描く第二期は、製作がBONSに変わり、製作会社がブレインズベースからfeelに変わり、スタッフも大幅に入れ替わっています。内容もシリアスでリアルな表現にシフトしています。(これは賛否両論で、私は第一期の吉村愛監督の功績は多大だと思っています。)

アニメ的な演出が魅力だった一期とは反対に二期は実写的で丁寧な演出がされています。特に生徒会長の一色いろはがコンビニ袋を比企谷に手渡す交差点でのシーンなどは、引いたショットで会話も聞こえませんが、そのやり取りを視聴者が十分の想像できる名シーンでは無いでしょうか。

こういう表現はアニメばかり見ているスタッフでは作れません。優れた実写映画を見ているからこそ作り得るシーンだとも言えます。


原作でもそうですが、二期で一番魅力を発しているのは1年生の生徒会長の一色いろはです。打算的で自分が他人のどう見えるかを常に計算している様な女子ですが、比企谷には素直な所を見せます。

ただ、素直な様でいて、素直じゃない。学園のヒーローの葉山に熱烈アタックしていますが、その狙いは比企谷の注意を引く事・・・本人も自覚していないのでしょうが、雪ノ下と由比ヶ浜は女の勘で、うっすらと危機感を抱いている様です。(私の妄想かも知れませんが)


雪ノ下の姉の存在も含め、謎が多く残されており、10巻まで発売されている原作の続巻が気になって仕方がありあません。

「オスプレイまたもや墜落」のウソ・・・人は見かけで判断する

2015-05-24 10:16:00 | 時事/金融危機
 


■ あなたならどちらのヘリコプターに乗りますか? ■






20XX年X月X日。東京をM7.8の直下型地震が襲いました。多くのビルが倒壊し、火災も発生する中で、あなたは命からがら逃げ伸びました。救援を待つあなたの前に、米軍の2機のヘリコプターが飛来しました。

1機はオスプレイ。そしてもう一機は一般的な大型のヘリコプターです。この2機に分乗して避難する様に指示がありました。人々の間に緊張が走ります。「おい、オスプレイって大丈夫なのか・・・?」

人々は普通のヘリコプターの前に長蛇の列をなし、オスプレイに並んだ人はほんの少しです。結局、普通のヘリコプターに乗りきれなかった人達がしぶしぶオスプレーに乗る事になりました。エンジン音が高まる中で、オスプレイに乗った人達の間に緊張が高まります・・・。

ちなみに普通のヘリコプターの名前はCH-53E。通称「スーパースタリオン」。米軍の大型ヘリコプターで、日本でも自衛隊が6機運用しています。

■ オスプレイを選んだ人が正解!! ■

実はCH-53Eスーパースタリオンは米軍で2012年に2機、2014年にも2機が墜落して、問題点検指示が出されています。1981年から部隊配備されたスーパースタリオンは機体の老朽化が進んだ事もあり、事故が頻発しています。自衛隊では11期が配備されましたが、現在稼働しているのは6機、1995年に一機が事故で失われています。

一方、オスプレイの事故は今回のハワイの事故が前回のモロッコの事故から3年目になります。導入当初はトラブルの多かったオスプレイですが、だんだんと安定して来ている様で、重大な事故率は10万時間飛行当り2.12件。海兵隊機の平均が2.5件ですから、これは平均的な数字と言えます。

■ 慣れない見た目 → 墜落するのでは無いか? ■

配備当時はアメリカでも「未亡人製造機」などと揶揄されたオスプレイですが、現在は200機あまりが配備され運用されています。最早、普通のヘリコプターの一機種です。

人は見かけに左右されます。オスプレイは従来のヘリコプターとは違う見た目をしているので、「きっと堕ちるに違いない」という潜入感が働きます。アメリカでも導入当初はそういう意識が働いたはずです。

しかし、重大事故率が普通の軍用機と同程度である事から、次第にオスプレイを特別視する報道は消えて行きます。

日本では目新しさも手伝ってマスコミが恰好のネタにしていますが、導入されてしばらくすればニュースのネタにはならなくなります。

■ 老朽化した機体が頭の上を飛び回っている方が怖い ■

冒頭でオスプレイと比較してスーパースタリオンですが、積載重量を稼ぐ為に3機のエンジンを積んでいます。その為、構造が複雑化しており、部品が増えればそれだけトラブルも増えます。

さらに実践投入してから時間が経つので、老朽化した機体が多く、これも事故率を上げる結果となっています。自衛隊は11機を導入しましたが、輸入機体という事も有り、保守パーツの手配に苦労している様です。現在は6機を運用するのみとなっています。



上の写真は御岳山噴火の際に活躍した陸上自衛隊のCH-47「チヌーク」ですが、実はベトナム戦争当時から活躍する機体です。現在飛行している機体がこの当時の物という訳では有りませんが、軍用ヘリコプイターの耐用時間が6000時間(25年)ですから、自衛隊のチヌークは老朽化した機体をどうにか運用している状況かと思われます。当然トラブルも増えて来ます。こんな老朽機が住宅地の上を日々飛行していても、人々は「恐怖」を感じませんが、オスプレーが飛行したら大騒ぎになります。(チヌークは良い期待ですが)

■ オスプレイの真価は航続距離の長さと飛行速度の速さにある ■

自衛隊の保有するヘリコプターは老朽化が進んでおり、耐用年数を過ぎた機体をメンテナンスで維持しているものも少なくありません。

次世代機としてオスプレーの6機の導入が決まりましたが、反対派は「普通のヘリコプターを導入しろ」と主張します。

ところがオスプレーでなければダメな理由が有るのです。

オスプレイはヘリコプターと飛行機の良いとこ取りをした機体です。ヘリコプターより航続距離は2~3倍、そして飛行速度は2倍です。これは実践で大きな意味を持ちます。

例えば、搭載艦船からオスプレイが発進して敵を攻撃する際、遠くから作戦行動に入れるので、搭載艦船の安全性は格段に高まります。

さらに、飛行速度が速い事は、作戦中やその途中で地対空ミサイルなどに撃墜される危険性を大きく低減します。

仮に将来的に自衛隊が戦闘うする様な事態になった場合、普通のヘリコプターとオスプレイでは、隊員の生還率に大きな差が生じるものと思われます。だからこそ、米軍は普通のヘリコプターからオスプレイへの転換を進めているのです。

■ 軍用ヘイコプターの墜落をニュースにしていたら、日々そんなニュースばかりになる ■

軍用ヘリコプターは度々墜落します。世界の国々で運用される軍用ヘリコプターの墜落をニュースで取り上げていたら、それこそ、毎日そんなニュースが報道される事になるかも知れません。これではニュースになりません。

オスプレイは目新しくニュース性があるからこそ、新聞もTVニュースもネタとして取り上げるのです。

ところが、どんなに国民が興味を持とうとも、軍事的にメリットが有るならば導入を止める事は難しい。安倍総理がアメリカでチャッチャと導入を約束して来ました。

結局、メディアも話題性が有るからニュースで取り上げるだけで、本気で導入を止める気など最初から無いのです。

メディアが取り上げるべきは、老朽化した機体の更新の為の予算をどうするかという問題で、この方が国民の安全に関わる重大問題です。しかし、地味な問題はニュース性に欠けますし、軍事費増額に繋がるので報道機関には扱い難い問題です。

この様に、私達が日々触れる報道は「大人の事情」によるバイアスが大きく掛っています。ネットの発達した現代においてはニュース報道の検証は容易です。私達は自ら記者を雇って現場を取材する事は出来まんが、ネットに散らばっている情報の断片から真実を見極める事は可能です。

多くの方が「報道批判」をする時代になりましたが、批判しても彼らが変わる事は有りません。変わるべきは情報の受け手である私達です。「メディアリテラシー」とは報道を疑う事から始まり、報道がいかに巧みに私達国民を誘導し、煽動しているかを見抜く事で、報道による洗脳を無効化する手法なのだと考えています。



ちょっと大人の漫画読書・・・たまには腐った作品もアリかも

2015-05-21 08:59:00 | マンガ
 

■ 親は子供の成長を通して自分の成長を追体験する ■

娘が大学生になってアパート暮らしになったので、家の中でオタクトークをする相手が居なくなりました。すると、不思議な事で、アニメを見ても面白く無い・・・。結局、アニメは親子のコミュニケーションツールだったのだなと思うと同時に、親というのは子供の成長と共に、自分の成長を追体験するのだと、しんみりと実感しています。

思えば、日曜日朝の戦隊物が面白いと家内が観だした事をきっかけに、『メガレンジャー』や『仮面ライダー・クーガ』『ウルトラマン・ティガ』『おじゃ魔女ドレミ』などを子供達とワイワイと楽しんだ時から随分と時間が経ちました。

かつてはゴールデンウィークには映画館に『クレヨンしんちゃん』を観に行くのが家族の楽しみでしたが、今では新宿武蔵野館の映画を娘と観に行く様になりました。まさに私の大学生時代はミニシアターブームで、タルコフスキーやゴダールお映画を訳も分からず観ていました。

そんなこんなで、購入する漫画も、大人向きに少しずつ変化しています。本日は最近読んだ漫画の中から大人向きの作品を何冊か紹介します。


『ゴロンドリーナ』 えすとえむ



闘牛士同士のホモセクシャルを描いた『愚か者は赤を嫌う』という作品に何度手を伸ばしたか分かりませんが、やはりホモセクシャル物は敷居が高い。

『ゴロンドリーナ』はレズビアンの少女が彼女に振られた事で自暴自棄になった所を、かつて闘牛士のスターを育てた男に拾われ、闘牛の世界に魅せられて行くというお話。少女は振られたショックで命など惜しく無いと思っています。だから牛の前に立っても怯む事はありません。闘牛場で華々しく死んで、別れた彼女に見せつけるという歪んだ願望が彼女を闘牛の世界に駆り立てます。

私達日本人には馴染の薄い闘牛の世界を克明に描いて興味深い作品ですが、とにかく鋭敏に切り込む表現が素晴らしい。作品自体がカッターナイフを振り回すかの様な痛々しさと、激しさを持って読者の心に切り付けてきます。動きを描くのが苦手の様ですが、それを逆手に取ったモンタージュの連続による表現に魅力を感じます。ある意味、ヨーロッパ映画の様な作品です。

今、一番インパクトのある作品です。

作者のえすとえむはBL物の多い作者の様ですが、オーダーメイドの靴職人の世界を淡々と描く『IPPO』という作品を現在ヤングジャンプで連載中です。一足の靴にまつわる人間模様を丹念に描く作品で、こちらも読みごたえがあります。こちらもオススメ!!


『IPPO』 えすとえむ





『鉄楽レトラ』 佐原ミズ



相場ちゃんが主演したドラマ『マイガール』の原作者、佐原ミズが描く異色のフラメンコ作品。実はストーリーテーリングがあまり上手く無く、話の進行が良く分からない作品なのですが、表紙の素晴らしさに騙されて毎刊買わされてしまいます。

学校に馴染めない不器用な男子高校生が、ふとした切っ掛けで手に入れた女性用のフラメンコの靴に導かれる様に、フラメンコ教室の門を叩きます。老齢のダンサーの手ほどきで、少しずつフラメンコに興味を示しますが、クラスメイトのこれ又不器用な男子二人も何故だかフラメンコに興味を持ち・・・そんなイケていない高校生の日常がダラダラと続く作品。オススメかと言えば・・・NO。

しかし、『ゴロンドリーナ』が闘牛の知られざる世界を見せてくれる様に、こちらはフラメンコの知られざる世界を垣間見せてくれる興味深い作品です。

実は、ウエットでカビが生えそうなナイーブな表現が私的に苦手な作家です。もっと少年らしくイキイキと描写されていれば大変魅力的な作品になたのでしょうが・・・。素材としてはスペシャルに面白いので・・・残念。



『ユレカ』 黒沢要



こちらは酔っぱらって近所のダイエーの本屋で買ってしまった一冊。表紙からしてBL物の匂いを感じますが、『鉄楽レトラ』同様に、非常に鋭く切れ込みのある描線に我慢出来なくで買ってしまいました。70点位の作品ですが・・・でも面白いです。

吸血鬼を父親に持つ青年と、500年を生きる吸血鬼の交流の物語。アン・ライスの1979年の小説『夜明けのバンパイア』以降、吸血鬼物はモダンファンタジーに磨きが掛っています。ブラム・トーカーの『ドラキュラ』から始まる吸血鬼作品ですが、もともと気品とエロティシズムに溢れたジャンルでした。「吸血」という行為は「SEX」のメタファーですがで、「吸血によって仲間を増やす」という行為は「生殖」を意味します。

しかし、「SEX]や「生殖」を「吸血」という行為に置き換える事で、吸血鬼というジャンルはエロティックでありながらも高貴で清廉な雰囲気を手に入れる事に成功します。

これがBL的な匂いを発し始めたのは前出の『夜明けのバンパイア』からでしょうか。レスタトという魅力的なキャラクターを排出した事で、このジャンルに新たな地平を築きました。

『ユレカ』は死を望むが故に吸血鬼となった男と、吸血鬼を父に持つが故に迫害されて来た青年の交流と救済の物語です。BLジャンルを私達男性から遠ざけている「男同士のSEX」シーンが「吸血」に置き換わる事で、男性読者も嫌悪感が少ないのでは無いかと思います。

この作品自体がどうのこうのと言うよりも、BLというジャンルに腐女子が萌えるのは何故か・・・という興味に答える作品と楽しめました。

実はBL作品はオノナツメ『クマとインテリ』など、現代の最高水準の表現が沢山隠れているジャンルですが・・・このジャンルから前出のえすとえむなど優れた作家が一般作品で能力を発揮し出した事は非常に喜ばしい事です。



『うせものの宿』 穂積



『式の日』があまりに素晴らしかった穂積の新連載。

省略の美学としての短編・・・『式の前日』 人力でGO 2013.04.20

前作のゴッホとその弟の関係を描いた前作『さよならソルシエ』がいささか尻すぼみだったのは、この作者の長編の構成力が足りないからかなと・・・・。ただ、もともと短編の名手だけに、1話完結の連作として描かれる『うせものの宿』は、この作者の魅力が全開です。

人知れぬ宿に導かれ、或いは迷い込む宿泊客は、この世に未練を残して死んだ人々。彼らの未練は極些細な事ですが、それ故に「うせ物」は見つけ難く、彼ら自身、自分の未練が何であるのかに気づかずに居ます。

そんなこの世とあの世の境にある宿の主は、少女の姿をした「おかみさん」。彼女も又未練を残して死んだ存在かと思われますが・・・・。

穂積の作品の魅力は「思わせぶり」な所。セリフの表面的な流れと、絵の流れに少しずつズレが有ります。それが積み重なって、心に引っ掛かりを残す作風とも言えます。誰でも読みやすい作品なので、『式の日』とセットで是非!!



『水域』 漆原友紀



年末にブックオフに要らない漫画を売ったら1000円分のクーポンを貰いいました。それで買える作品を探していて見つけた上下巻。

『蟲師』漆原友紀の作品です。

部活の練習中に熱中症で倒れた少女。彼女は気づけば川のほとりに居ます。そして一人の少年に出会う。彼と父の住む村は、彼ら以外の住人の姿は無く、何故かいつも雨が降っています。

気付くと少女は病院のベットの上に居ます。彼女の見た光景を家族に話すと・・・家族の表情が変わります。彼女が夢で見た村は、かつて家族が住んでいた村。今はダムの底に沈んでいます。そして少年は死んだはずの母親の兄。そして父親は行方不明になっています。

雨不足でダムに沈んだ村が現れる事をきっかけに起こる様々な不思議な出来事が、家族の止まった時計を再び動かし始めます。

漆原友紀の作品は幻想的な物が多いおですが、こちらは現実とのブレンド具合が程よく、誰か実写映画にしてくれないかなと思える作品です。淡々と心のひだに沁み込んで来る作品です。少し前に刊行されたので、古本屋などで見つけたら是非手に取ってみて下さい。


『春風のスネグラチカ』 沙村宏明 
 


異色のチャンバラアクション『無限の住人』で文化省メディア芸術祭の優秀賞を獲得した沙村宏明が、ロシアのロマノフ王朝のその後を描いて再び優秀賞を獲得した昨年度の作品。

革命によって死刑にされたロマノフ家に生き残りが居た・・・いわゆる「もう一つの歴史」に分類される作品ですが、ソビエト発足当時のソ連の政治的混乱と収容所や監視生活を緻密に描きながら、社会の激変の中に生きる人々の力強い姿をミステリアスに描く傑作。

沙村宏明特融のグロテスクな性描写も、物語の展開に深みを与えているという点において、彼の諸作の中でも「成功」した作品であると言えます。

もともと「知的な作家」ではありますが、それが嫌味では無く、エンタテーメントとして成立している点が素晴らしい作品です。大人の「漫画読書」に耐えうる一冊として必読です。




本日は、最近買った漫画の中から「大人の鑑賞」に耐える作品をまとめて紹介しました。本当はここに『マギ』を入れても良かったのですが・・・。