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経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

なにかとキナ臭いイラン周辺・・・ホルムズ海峡タンカー攻撃?

2010-07-29 07:31:00 | 時事/金融危機



■ 日本のタンカーが攻撃される? ■

<asahi.com から引用 http://www.asahi.com/international/update/0728/TKY201007280400.html

商船三井に入った連絡によると、ペルシャ湾の入り口にあたるホルムズ海峡西側のオマーン領海で28日午前0時半(日本時間同5時半)ごろ、航行中の同社所有の大型原油タンカー、エム・スター(マーシャル諸島船籍、約16万トン)の右舷後部で爆発があり、乗組員1人が軽傷を負った。外部からの攻撃によるとみられる。船は自力航行できる状態で、損傷状況を確認するために同日夕、オマーンの隣国アラブ首長国連邦(UAE)のフジャイラ港に入港した。

 同社と国土交通省によると、同船の乗組員は船長を含むインド人15人とフィリピン人16人の計31人。負傷したのはインド人の男性乗組員で、爆発によって割れたガラスで右腕を切ったという。発生が深夜だったため船体の損傷や甲板の被害などの状況は詳しく把握できていないが、居住区のある船橋(ブリッジ)の窓ガラスが割れ、金属製の扉が吹き飛んだり、壁がへこんだりしたという。しかし、積み荷の原油が流出した形跡はないとしている。

 同社によると、爆発で損傷したのは、船体後方にある船橋と、その右舷側に取り付けられた救命艇の間の辺り。直前に当直の乗組員の1人が水平線上に光が走るのを目撃していたという。船体後部に原油などの爆発物は積まれていないことから、同社は外部から何者かに攻撃を受けた可能性が高いとみている。

 同省によると、ホルムズ海峡ではこれまで日本関係の船が襲われる海賊事件が起きたことはなく、爆発前後に船に近づいたり侵入を試みたりした不審者などは確認されていない。同省はテロや軍事演習の誤射の可能性もあるとみて、外務省などとともに情報収集を急いでいる。

 米海軍の第5艦隊司令部(バーレーン)も在ドバイの英国海軍情報機関のUKMTOを通じて情報を把握。「ホルムズ海峡は安全であり、航路は事件の影響を受けていない」としつつ、状況の監視を続けるとの声明を発表した。

 現場がオマーン領海のため日本側に捜査権はないが、日本の海上保安庁は船が日本に入港した後、任意の立ち入り検査に乗り出す方針だ。入港は2~3週間後になる見通し。

 同船は27日午前にUAEのダスアイランド港で原油27万トンを積んで出港し、8月中旬に千葉港に到着する予定だった。

 現場は、中東から日本に原油や液化天然ガスを運ぶタンカーが必ず通る海域。日本船主協会によると、2009年に同海峡を通った日本の海運会社所有の船舶約3400隻のうち、4割にあたる1400隻が原油タンカーという。

<引用終わり>

現時点では、攻撃なのか? 事故なのか? 海賊なのか? どこかの軍や諜報機関の攻撃なのか? 全く分かりません。

ちなみに、海賊が出没しているソマリアは1000Km程南に位置しています。





上の写真はタンカーの破損部です。原因を「地震による波」とする海外の報道もある様ですが、火薬の反応は直ぐに確認出来ますので、事故か攻撃かの結論は直ぐに分かる事でしょう。但し、事の重大性をから、「事故」として処理される可能性も十分あります。


■ 不自然に煽られるイラン危機 ■

イランの核開発疑惑に絡み、アメリカかイスラエルによるイランへの空爆が敢行されるのではないかという憶測が飛び交っています。

実際には、ロシアや中国、トルコなどの国がイランとの関係を深める中で、アメリカによるイラン空爆は自殺行為と言えます。核開発の根拠も希薄のまま攻撃に踏み切れば、イラク戦争の再現とばかりに、国際世論はアメリカを非難し、アメリカ国債を中国などの国が売り始めれば、アメリカ国債の暴落からドル暴落へと事態は進展する可能性も無視出来ません。

一方、イスラエルはイランまで往復で2000Km程離れており、直接空爆する事が出来あません。さらに、空爆の為にはシリアやトルコやサウジアラビアの上空を通過する事になり、これらの国の支持無くしては空爆は不可能です。

一説にはイスラエルはイラン北部のアゼルバイジャンに解体した爆撃機を持ち込んで空爆の準備をしているとの情報もある様ですが、ウワサの域を出ません。

いずれにしてもイラン危機は不自然に煽られ続けています

日本経済新聞の記事からして、下記の様な内容を報道しています。

<7月29日付け 日本経済新聞 ネット版 http://www.nikkei.com/biz/world/article/g=96958A9C93819499E0EBE2E38A8DE1E2E2E4E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2;p=9694E3E7E2E0E0E2E3E2E6E1E0E0 より引用 >

戦争の足音近づくイラン周辺 元CIA情報員が明かす状況証拠

前略

そうした中でオバマ政権は、空母トルーマンを中心とする海軍の第10空母打撃群の派遣を皮切りに、ペルシャ湾に配備する米軍部隊の大幅な増強を指示した。6月18日には米国とイスラエルの軍艦12隻以上が、エジプトによる厳戒態勢が敷かれる中、スエズ運河を通過した。艦隊は紅海を目指し、そこからさらにペルシャ湾に向かう。さらに4隻の軍艦が同地に向かい、第10空母打撃群に合流する予定だ。米軍の指揮の下、仏軍、英軍と空と海からの攻撃を想定した合同軍事演習も実施した。ドイツも軍艦を派遣する予定で、米軍の指揮下に入る。


 イスラエルと米国は核武装した潜水艦をペルシャ湾地域に配備済み。イスラエルは戦争ぼっ発に備えて、国民を守るためのミサイル防衛システムの試験を繰り返している。両国は特殊部隊をイラン国内に送り込み、潜在的な攻撃目標を調査するほか、イラン国民の体制転覆に対する意欲を測っている。従来イラン政府の主な後ろ盾となってきたロシアもこのほど、イランに対する「S300」対空ミサイルの売却を凍結すると発表。ウラジーミル・プーチン首相自身も6月中旬にそれを明言した。

後略

<引用終わり>


■ ドル防衛の最終手段・・・中東危機 ■

国際金融資本がドル暴落を着々と準備する一方、ドルを防衛してアメリカの覇権を維持したい勢力も存在します。軍産複合体とその親玉のロックフェラーです。

ニクソンショックによって金兌換という価値の後ろ盾を失ったドルですが、石油の決済通貨として「原油」を価値の後ろ盾にして延命を図り、アメリカはその後も繁栄を謳歌してきました。これを「修正ブレトンウッズ体勢」と言います。

イラクがアメリカに理不尽な攻撃を受けたのも、原油の決済通貨をドルからユーロに切り替えようとした事が最大の原因だと言われています。

原油の決済通貨がドルである限り、原油が値上がりすれば、ドルの需要は高まります。現在世界に過剰に流通するドルはドル安圧力となっていますが、いざ中東有事となれば原油価格は高騰し、世界の国々はドルをかき集める事でしょう。

いざ有事となれば、ユーロが頓挫した現在、世界最強の通貨はやはりドルという事になります。

■ 中東有事でも結果は同じ ■

しかし、1970年代であれば中東有事でドルの価値は保持できましたが、現在はドルの死期を早めるだけの結果に終わるかもしれません。

何故なら、金融機関と国家が抱え込んだ負債は、現在持続可能な水準を超えています。中東有事の様な大規模な危機が発生すれば、金融機関はリーマンショック以上に過剰反応を起こして、レバレッジの大逆転が発生します。6京円というデリバティブ残高が一気に市場に襲い掛かり、金融市場が崩壊する事は必死となります。

限界以上に負債が積みあがっている国債市場も道連れで暴落し、結局、ドルとアメリカも崩壊を免れる事は出来ません。

■ 「しょうがない」と誰もが思える原因が必要 ■

ロックフェラーとて現在のアメリカが大規模な有事に耐えられない事は理解していますから、韓国の哨戒艇を沈めてみたり、イラン空爆を臭わせる程度で、世界を牽制しながらも、結局は大規模な戦乱の引き金を引くことはありません。何故なら、世界経済の崩壊の引き金を自ら引きたくないからです。

一方国債金融資本家達は、巧妙です。

サブプライムローン危機からリーマンショック。ギリシャ危機からユーロ危機。最後はアメリカの経済の二番底から、さらなる金融危機を誘発して、世界経済の崩壊が不可避であるように演出しています。

国債金融資本家達は市場に引き金を引かせる事で、自らの責任を隠蔽するでしょう。

だれもが「しょうがない」と思える状況を着々と準備しているのです。

■ 崩壊の材料に使われる有事 ■

もし中東有事や極東有事があるとしたら、経済の危機が極大に達した時の、ちょっとしたきっかけとして使われるのでしょう。

実際に軍事侵攻が行われなくても、危機の高まりを過剰に演出するだけで、世界経済は崩壊するかもしれません。

世界に喧伝される「イラン危機」や「北朝鮮危機」は、いつでも効力を発揮できるように、絶えず小さな危機を積み上げる必要があります。

今回のホルムズ海峡の日本タンカーの事件も、その一部なのかもしれません。
数日後にアメリカ政府がイランを非難し始めたら、「やっぱり」と思うと同時に、私達は経済崩壊に備えて準備をす必要がありそうです。

猛暑だから深海に思いを馳せる

2010-07-27 13:43:00 | 温暖化問題




■ 今年は暑い ■

今年の暑さは半端ではありません。
先週は熱中症で、9436人の方が救急車で搬送され、57人死亡の方が無くなったそうです。

一方、国内ではこの暑さで、クーラや扇風機、ビールや、ヒエピタなど「暑さ対策グッズ」が大売れ。一説には、夏の気温が1℃上昇すると、1500億円の経済効果があるそうです。今年は平年を3℃程上回っているようなので、4500億円の経済効果があるかもしれません。

菅内閣がスタードから躓いて、ロクな景気刺激策も打てない一方で、偉大なる自然は4500億円の景気刺激をしています。しかも一銭の税金も掛けずに・・・。

■ 「猛暑は温暖化の影響・・」ってあまり言われない ■

昨年までなら、「猛暑は温暖化の影響!!」なんて見出しが新聞に躍ったのでしょうが、昨年のCOP15の失敗からか、はたまた「クライメートゲート」事件の影響からか、各誌とも短絡的に温暖化を扱う事に慎重になっている様です。

むしろ、二酸化炭素起源説の温暖化を今年の猛暑に絡めて喧伝すると、温暖化説がウソだという事がバレてしまします。何故なら、リーマンショック後の世界経済の低迷で、二酸化炭素の排出量が減ってい可能性があるからです。

尤も、北半球は猛暑ですが、南半球は大寒波が襲っています。チリやアルゼンチンでは寒さで家畜が死ぬなどの被害が出ている様です。

日本や北半球の猛暑だけで、地球全体の気温は推し量れません。


■ ラニーニョが猛暑の犯人? ■

今年の猛暑の犯人は、「ラニーニョ」だと言われています。

「エルニーニョ」は既に有名ですが、「ラニーニョ」に聞き覚えが無い方も多いのではないでしょうか。

「エルニーニョ」は、ペルー沖の東太平洋の水温が例年より高くなる現象です。東太平洋の気圧が低くなり、西太平洋の気圧が高くなります。エルニーニョが発生した年は、日本では「暖冬・冷夏」の傾向が現れます。

「ラニーニョ」は逆の現象で、ペールー沖の東太平洋の水温が低くなり、東太平洋の気圧が高くなり、西太平洋の気圧が低くなります。ラニーニョが発生した年は、日本では「厳冬・酷暑」となる傾向が現れます。

■ 貿易風の変化が「エルニーニョ」や「ラニーニョ」を作り出す ■



何故ペルー沖の海水温に変化が現れるかというと、その原因は貿易風にあります。

貿易風は赤道付近を東から西に吹いていますが、何らかの理由でこの貿易風が弱まると、東太平洋に暖かい海水が停滞して、東太平洋の海水温が上昇し、エルニーニョが発生します。

反対に貿易風が強く吹くと、東太平洋の表層の温められた海水が大量に西に移動して、変わりに冷たい海水が下から湧き上がってきます。

■ 地球規模の気象の変化の原因? 熱塩循環と深層海流 ■



「何らかの原因による貿易風の変化」を生み出す原因とは、いったい何なのでしょうか?

一説には「熱塩循環」の変化がその原因ではないかとも言われています。

「熱塩循環」は地球を巡る大きな海水の流れです。

① メキシコ湾流に乗って大西洋を北上した暖かな海水は、北極圏で冷却される。
② 海水の一部は海氷となる。
③ 氷が生成する過程で、塩分が締め出され、海水の塩分濃度が高まる。
④ 塩分濃度が増し、冷却された海水は比重が高まり、下降する。
⑤ 深海の海盆を高塩度の冷たい海水が満たす。
⑥ 海溝など深海の裂け目を通って、高塩度の冷たい海水があふれ出す。
⑦ 徐々に塩分を失いながらアフリカの南端を経て北上する
⑧ 一部はインド様で表層に浮かび上がる
⑨ 残りは、北東太平洋で表層に浮かび上がる
⑩ 再び表層海流となり、メキシコ湾流として北大西洋に戻る

放射性元素の測定によると、「熱塩循環」の1サイクルは2000年と判明しています。表層の海水は風の影響を受けて比較的高速で循環しますが、「深層海流」の循環速度は遅く、1cm/秒程度です。

全ての海水が「熱塩循環」のサイクルに乗るのでは無く、多くの海水は表層海流として、海の表面を循環しています。

■ 気象を支配する「海水」 ■

水は空気の1000倍の比熱があります。同体積の水の蓄えられるエネルギーは空気の1000倍です。その為、空気の温度である気温は、海水温の影響を大きく受けます。

例えば、北半球で太陽エネルギーが最大に降り注ぐのは夏至の6月20日頃ですが、気温が最も高くなるのは8月です。海水は比熱が高く空気より温まり難く、海水が最高温度の達するのが8月になるからです。

気温の変動には、一日の気温変動や、月毎の気温などがありますが、一日の気温変動は日射に影響を受けます。日の出から気温は上昇し、午後2時頃に最大を向かえ、それから低下し始め、日の出前に一日の最低気温となります。空気は比熱が低いので、日照によって直ぐに暖められ、日没と共にどんどん冷えて行きます。

日照による一日の温度変化のベースに、さらに海水による緩やかな気温変化が加わります。これは、気温の季節変動として表れます。

さらに、何年、何十年、何百年という周期での気温変化が存在します。地球に降り注ぐ太陽のエネルギーは比較的定常的で、地球規模の気温変化の原因にはならないと言われています。

一方、海水のエネルギー変動は気象に大きな影響を与えます。

表層海水は太陽によって直接暖められる海水ですから、その温度は地球規模で平均化すれば、現在の太陽の活動をリニアに反映していると思われます。現在の太陽のエネルギーが定常的であるならば、表層海水の蓄えるエネルギーも定常的であると考えたれます。

一方、熱塩循環によって深層海流を形成した海水は、2000年前の気温の影響を受けた海水です熱塩循環が、現在の太陽の活動とは異なる周期の影響を気象に与える可能性は否定出来ません。

■ 対流は定常的なのか? ■

熱延循環が定常的であれば、気象変動に原動力にはなり得ません。しかし、対流が定常的であるとは限りません。水は粘性を持っていまうから、暖かい表層水を押しのけて冷たい深層水が浮かび上がる時に、水塊となって浮上する事も十分予想されます。

この様な、定常的でない振る舞いを深層海水がするならば、熱塩循環が、エルニーニョやラニーニョの原因となる可能性は否定出来ません。

さらに、2000年前の気温変化をメモリーしているとすれば、現代の気温変化にも少なからぬ影響を与えるかもしれません。

■ 気候変動は複雑系 ■

気象や気候は複雑系の上に成り立っています。最近は単純な二酸化炭素の温室効果のみによる気温上昇説は、全く説得力を失っていますが、人間が気候のメカニズムを完全に理解するまでには、まだまだ多くの時間と観測結果の蓄積を必要とするでしょう。

コンピューターの進歩も目覚しく、シミュレーションの制度も向上していますが、熱塩循環のモデル化も出来ていない状況で行われるシミュレーションにどれ程の信憑性があるかは、中学生レベルでも分かる問題だと思います。

二酸化炭素による地球温暖化を主張するICPPに最も欠けているのは、自然に対する敬意の気持ちでは無いでしょうか。



愛すべき吸血鬼映画・・・「ぼくのエリ」

2010-07-25 04:22:00 | 映画



■ 猛暑には吸血鬼映画・・・しかもスウェーデン映画 ■

小学校の頃から「真のエコロジスト?」を目指す私の家にはクーラーがありません。しかし連日35℃を越す猛暑で、室温も日々34℃を越えています。扇風機から吹き寄せるのは「熱風」です。この暑さででは室内に居ながら熱中症気味。

そこで中2の娘を連れて映画館に緊急避難することにしました。どうせ見るなら涼しくなる映画が良い。そこで選んだのがスウェーデン映画。しかも吸血鬼映画。やはり人力流としては、古来日本人が求めた、「精神的な涼しさ」を追求したい所。

■ 映画はスチルで決める!! ■

学生時代は映画にのめり込み、モギリでもいいから映画業界に進みたいとも考えた時期があった私も、子供が出来てからは家族で近くのシネコンに行く事が多くなりました。当然、ハリウッド映画や、アニメ映画をばかり見ている昨今です。

しかし、冒頭に載せたようなスチル写真を見ると、「映画の虫」が騒ぎ出します。この色調、ボケ具合・・・・ヨーロッパ映画の臭いがプンプンしてきます。アンゲロ・プロスや初期のキエシロフスキーにも通じる臭いがします。

娘にはちょっと無理かとも思いましたが、12歳の少年と12歳の吸血鬼少女のロマンスという内容ならば、きっと血まみれのシーンは無かろう、いざ映画館へGO。

■ 血まみれの恋物語 ■

「ぼくのエリ」を一言で紹介します。・・・「絶対見るべきだ!!」


・・・・この映画を前に言葉は空虚ですが、気を取り直してチャレンジしてみます。

ストックホルムのアパートに母親と二人で暮らす12歳の少年オスカーはイジメられっ子です。そんな彼の隣の部屋に、娘と父親らしき二人が引っ越して来ます。

雪に埋もれた中庭でオスカーは娘に出会いますが、厳寒の中、ブラウスにスパッツ、足は裸足。髪は黒髪でエキセントリックな顔立ち、そして爪は垢にまみれ、さらにクサイ。普通ならドン引きする所ですが、孤独なオスカーは孤独な娘エリとの交流に心の救いを見出します。

年齢を聞かれた娘はこう答えます。「多分、12歳」だと。

娘とオスカーはぎこちない交流を重ね、やがてお互いに心引かれて行きます。しかし、娘はクサイまま・・・。

時を同じくして近所で殺人事件が発生します。被害者は木に吊るされ、頚動脈を切り裂かれ、血を抜かれています。犯人はエリと同居する男。彼は犯行を繰り返しますが、血を採集する前にいつも邪魔が入って失敗します。

男が血を集めるのは、エリに飲ませる為。・・・そう、エリは吸血鬼だったのです。度重なる採血の失敗で空腹が満たされないエリはオスカの血を啜る事を必死で耐えますが
とうとう近所の男性に襲いかかります。

夜しか外出しない少女。度重なる殺人。血に興奮するエリ・・・。少年もエリの正体に気付きますが、孤独な少年は少女を拒絶する事が出来ません。

オスカーはエリに聞きます。「君は死んでるの?」。エリは答えます「生きてるわ」。
ただ少女の「生」は残酷にも他人の「生」を犠牲にするだけ。12歳にして吸血鬼になった少女は、12歳の無邪気ともいえる「生への渇望」を抱いたまま200歳という齢を重ねているだけ・・・。

しかし、彼女に危機が迫り、少年と少女の別れが迫ります。


■ 10年に一度の傑作吸血鬼小説 ■

欧米では何故か10年に一作くらい、吸血鬼小説の名作が生まれます。近年の傑作は、アメリカのアン・ライスの小説「夜明けのヴァンパイア」でしょう。人の心を強く持ち、人の血を吸う事を拒み続ける吸血鬼という、吸血鬼のアイデンティティを主題にしたモダンホラーは、吸血鬼小説の新境地を切り開き、ハリウッドで映画化されてヒットします。

一方、未読ですが、「ぼくのエリ」の原作は、スウェーデンのS・キングと呼ばれるヨン・アイヴィデ・リンドの小説「モールス」です。モールスとは、壁越しにオスカーとエリが交わす「モールス信号」の会話の事。

「夜明けのヴァンパイア」と「モールス」の最大の違いは、吸血鬼の精神年齢です。
「夜明けのヴァンパイア」の吸血鬼は肉体的には年を取らなくても、精神が老いるので100年、200年と齢を重ねる内に、吸血鬼達は精神を消耗し自滅して行きます。

一方「モールス」のエリは12歳の少女の初々しし精神を保ったまま、200年の月日を生きています。人を襲う時は理性を無くし、獣の本性をむき出しにしますが、吸血の後は我に返って悲しみます。

一方、「夜明けのバンパイア」の吸血鬼達は、吸血の時も冷静です。ブラム・ストーカーのオリジナルのドラキュラの血統を継ぐ吸血鬼とも言えます。

同じ吸血鬼小説と言えども、「夜明け」は「吸血鬼ドラキュラ」を現代風にリフォームした作品。「モールス」は吸血鬼を題材にした純愛小説という大きな違いがあります。

尤も、ブラム・ストーカーのドラキュラからして、吸血鬼は恋に弱いというのが定番の様で、吸血というプラトニックな関係しか築けない彼らは、以外とウブなのかも知れません。その結果、恋した女性のモトカレに殺される運命を辿る事が定番となっています。

■ R15でないのが不思議? ■

さて、娘の反応はと言うと・・・「胃が飛び出すかと思った・・・怖かった・・」だそうです。あれ、少年と少女の純愛には感動しないのか・・・?

尤も、狼少女宜しく人に襲い掛かるエリや、頚動脈を切り裂いて血を集める男や、吸血鬼パワーでバラバラに飛散する死体のリアルな映像を見せられたら、15歳の少女としてはそこに恋など感じる余裕は無いかも知れません・・。

って、この映画、R15じゃないのが不思議。料金も中学生料金の\1,000だったし・・・。間違っても、皆さん、中学生の娘さんを連れて行かないように。多分、軽蔑されます。

尤も、娘の心の中に10年、20年と残り続ける映画でしょう。そして、娘が成人する頃に、「また見たい」と思うのは確実だと思わせる映画です。

■ 今年1番の映画では ■

CGや3D化で映画がアトラクション化した時代に、実写の映画の懐の深さを思い知らせてくれる映画です。

画面左半分を流れるタイトルロールの右半分は、画面を斜めに横切る雪の映像が続きます。

ひたすらアップで押し捲る映像は、アウトフォーカスしてもアップを貫き、ヒッチコックの切り開いた世界を突き進みます。

一方、風景を中心としたロングの構図は、ブリューゲルの絵画の伝統を引き継ぎ、いくつかの現象を包括しながら、物語を俯瞰します。

日本映画も含め、最近の妙にツルンとした肌合いの対極にある映画です。
フィルムが銀の粒子で出来ていて、それぞれが光と結合して陰影を作り出すという、映画の本質に忠実な映像です。

映画館は大学くらいから老人まで、映画ファンと思しき人々が詰め掛けて、熱気に溢れていました。「ゆれる」の時とロビーの雰囲気が良く似ていました。

多分、ロングランを記録する映画、2010年を代表する映画になるでしょう。


凜とした潔さ・・・借りぐらしのアリエッティ

2010-07-24 08:11:00 | アニメ




■ この「視線の確かさ」は何だろう? ■

近所のローソンに貼られていたジブリの新作「借りぐらしのアリエッティー」のポスターを見た時から、そこに描かれているアリエッティーの視線の確かさに心引かれている。

「凜として潔く、遠くを見つめる瞳」は最近のアニメの画一化した媚びる様な視線とは一線を画しています。

■ 「借りぐらし」の小人 ■

「借りぐらしのアリッティ」は古い洋館に住む親子3人暮らしの小人の話です。
小人達は人間に気づかれる事無く、床下でひっそりと暮らしています。生活の基本は「狩り」では無く「借り」。

夜中にこっそり、人間の部屋から食料や生活必需品を「借り」てきます。そして、それらを再加工して、文化的な生活レベルを保っています。

小人の少女アリエッティは、父親に連れられて初めての「借り」に出かけます。壁の隙間を抜け、段差をよじ登り、角砂糖やティッシュペーパーを「借り集め」ます。

しかし、この夜、アリエッティは人間に見つかってしまします。人間は祖母の家に療養にやって来た心臓病を患う少年。

人間に見つかる事を極端に恐れる小人達は、住み慣れた家を後にする事を決意します。
しかし、少年は小人達を「狩る」事無く、どうにかコミュニケーションを図ろうとします。この家には祖父の代から「小人がいる」という話が伝わっていたのです。

少年の控えめながら根気強いアプローチと、些細なアクシデントからアリエッティは少年と交流を持つ様になります。しかし、その少年と小人を観察している者が・・・。

■ 宮崎アニメであって宮崎で無い ■

宮崎アニメの特徴は次のようなものでしょう。

1)「動き」の飽くなき探究
2)「少女」
3) 空や雲、飛行への憧れ
4) 冒険
5) 憎めない「悪役」

「借りぐらしのアリエッティ」では宮崎駿は脚本に徹し、監督をジブリ叩き上げの37歳の米林昌宏が担当しています。

しかし、そこはジブリ一筋だけあって、どこから切ってもジブリ映画に仕上がっています。ただし、今回は「空や飛行」は登場しません。

そして、「動き」が異なる事も特筆すべきです。宮崎アニメの動きが東映動画の伝統を色濃く残す、所謂「日本アニメの動き」であるのに対して、米林監督の「動き」は非常にリアルです。小人と言えども、飛んだり跳ねたりせず、アリエッティも父親も、しっかり一歩一歩を刻み、重力と戦いながら壁を上り下りします。

宮崎アニメの特徴をもう一つ挙げるならば、「破綻」があります。脚本を最後まで用意せずに製作される宮崎アニメは、物語の途中から話が暴走し始めたり、全体のバランスを欠いたりする事があります。

近年の「千と千尋の神隠し」や「崖の上のポニョ」はこの傾向が強く、宮崎駿は物語をまとめる事を放棄して、キャラクターの力に成り行きを任せている様にすら感じられます。

しかし、それが物語に新たな地平を与えていて、やはり「常人ならざる作品」を作り出す原動力になっているとも言えます。

一方、「アリエッティ」は良くも悪くもコジンマリと纏まっていて破綻がありません。キレイに話が纏まっています。

これらの点においては、「アリエッティ」は宮崎アニメであって、宮崎アニメでは無いと言えますが。

■ ジブリの伝統が宿る ■

しかし「借りくらしのアリエッティ」は、「ゲド戦記」に比べたら圧倒的に宮崎アニメです。

「ゲド戦記」は鈴木プロデューサーが宮崎無き後のジブリを意識して、「宮崎アニメの世襲」を目論んで、見事に失敗した作品です。名前こそ「宮崎」ですが、息子の宮崎吾郎は、宮崎アニメが何たるかが全く分かっていませんでした。

一方、米原監督はジブリ叩き上げという事もあって、ジブリが何たるかが良く分かっています。と言うよりも、ジブリ以外を知らないので、骨の髄までジブリが染み込んでいます。

ジブリをジブリたらしめているのは、「やさしさ」です。現代において、尤も恥ずかしい感情とも言える「やさしさ」を、何の躊躇も無く主題に据える事が出来るのが「ジブリ」らしさです。

少年と少女の間に、若者と老人の間に、人と自然の間に、敵と味方の間にすら「やさしさ」が通い合います。どんなドラマが進行しようとも、人々や事物が有機的に絡まり合った世界がジブリの世界感です。

「ゲド戦記」の様に、「個と世界が相克し合う」様な世界感は、ジブリ的ではありません。だから、宮崎駿は若い頃の夢であった「ゲド戦記」を撮れなくなったのです。

「ゲド戦記」の作者アーシュラ・K・ルグインはフェニミストの作家として、ニューウェーブSFの旗手として、常に「世界と相克する個人」をテーマにしてきました。これはジブリ的「やさしさ」と相反する世界です。宮崎アニメの登場人物は、誰一人として世界から孤立していません。孤立している様に見えても、どこかで世界と繋がれていて、物語の進行と共に、その関係性を再構築したり、深めていきます。

「借り暮らしのアリエッティ」が宮崎アニメと言える訳は、全編にしっかりと「やさしさ」が根付いているからです。この、濃密な関係性の表現こそが、ジブリの伝統なのかも知れません。

■ 「借り」こそが全て ■

物語の途中から物語が拡散する宮崎駿の作品に比べ、「借りぐらしのアエイエッティ」は短編小説の様に、アリエッティ一家の引越しで、あっさりと幕を閉じます。

少年との関係性もそれ程深まりませんし、アリエッティの成長もする暇すらありません。シンプルな出会いと別れの物語です。

短編小説の様なアニメですが、しっかりとした存在感を作品は有しています。それは「借り」の描写が、克明だからです。

小人が家の中をどうやって移動した「借り」を実行するかが、とことん検証され視覚化されています。「借り」のシーンは徹底して描きこまれています・・・・と言うより「借りだけ」で作品が支えられていると言っても過言ではありません。

結局「借り」とは、「存在を気付かれない」事であり、それこそが小人の存在理由そのものと言っても過言ではありません。

ですから、「人との交流」は「小人の存在理由の否定」に繋がり、アリエッティと少年との関係は一過性の関係でしか無いのです。

少年の祖母は、ドールハウスに残された「小人の痕跡」で満足します。アエイエッティ一家がこの家に長く住めたのは、人間が「探さない」からだったのです。ですから、少年や家政婦が小人を探し出した瞬間に、小人達はこの家には存在できなくなるのです。

■ 抑制こそ全て ■

「少年との交流」に抑制が効いている事が、この物語の重要なポイントです。

「少年は大きく、アリエッティは小さい」。こんな当たり前の事象ですら、二人の間には圧倒的な障壁として存在します。少年は緩慢で、小人は敏捷です。彼らの刻む時間すらズレを生じているのです。

一方、物語途中から登場する「森暮らし」の小人は、生活こそ野蛮ですが、小人という一点で、少年よりもアリエッティに近い存在で、同一の時間を生きる存在です。

この関係を崩す事無く、少年との間に一線を引いた事で、アリエッティの毅然とした視線が生きてきます。「借りぐらし」は、屈辱的な生活では無く、彼らの「生存の戦い」としてしっかりと定義されるのです。「借り」は「狩り」なのです。

■ 揺ぎ無い確信と伝統 ■

アリエッティの視線は凜として揺ぎ無ありません。最近の媚を売るような画一化したアニメ・キャラクターの目とは一線を画しています。

ジブリの若手クリエーター達の視線も、凜として揺るぎが無いのでしょう。それは、永きに渡って世界の一線で通用する作品を作り続ける事務所の自信と伝統なのでしょう。



金は天下の回りもの

2010-07-20 23:14:00 | 時事/金融危機




■ 宵越しの金は持つな・・? ■

「金は天下の回りもの」と申します。

バブルの時は、それこそ「宵越しの金は持たない」勢いで、国民がお金を使いまくりました。人々の手から手にお金が渡ってこそ、経済は回転します。

「景気が先か、消費が先か」という議論はありますが、「先行きに不安が無く、通貨が潤沢に供給されている時」好景気が訪れます。

仮に誰かが「預金」をして、通貨の循環が途切れたとしても、銀行が民間に融資をする限り、お金は回り続けます。この場合銀行は、お金が余っている所から、お金が足りない所へ迅速に資金を提供する役割を担います。言うなれば資金のハイウェーとして景気循環を加速します。

■ 資金の滞留と、海外流出が不景気をもたらす ■

国内でお金が人々の間を循環している事を「好景気」と言うならば、この流れが阻害される事を「不景気」と呼ぶ事が出来ます。

国内の資金の循環を妨げるものを挙げてみましょう。

① 海外投資
② 外債投資
③ 外貨預金

これら三つは、国内の資金が直接海外に一時的にせよ流出します。

④ 過剰な預金
⑤ 金融機関の日本国債の購入

これら二つは、国内の問題ですが、不景気や高齢化など将来の不安から銀行に過剰預金が生じます。銀行が民間に融資すれば問題はありませんが、銀行が民間融資を手控え、代わりに日本国債を購入すれば、民間の資金の循環は妨げられます。

日本国債は財政支出として、国内の経済に還元されますが、銀行の融資の様に、資金需要が切迫した所には支出されず、衰退産業の保護や、社会保障など非効率な分野に投資される事は、近年の日本の状況が証明しています。

■ 不景気は資金流出によって作り出される ■

好景気・不景気の景気変動はいつの時代、どの国にもありますが、20年以上に及ぶ長期の不況は、自然な景気変動を阻害する要因がある事を示しています。

日本が長期不況に突入したのは、1991年のバブルの崩壊以降です。その後若干の利上げはありましたが、日銀は超低金利や量的緩和など、通貨供給量を増やす政策を続けますが、景気は浮揚しませんでした。

その理由は、「グローバル経済においては高い金利を求めて国内資産が海外に流出する」からです。

① 円キャリートレードの発生
② 投資信託など外貨による資金運用の本格化
③ 金融機関の外債投資など外貨運用

リーマンショック後FRBを初め各国の中央銀行が、「出口戦略」を目指す理由は、資金の海外流出を食い止める目的があります。

■ 金利を上げられないジレンマ ■

日銀をはじめ世界の中央銀行は、金利を上げたいと思っています。(ポーズだけかもしれませんが・・・)ところが、デフレ下で金利を引き上げれば景気はさらなるダメージを受け、悪性インフレを引き起こす可能性すらあります。

各国中央銀行は、金利のジレンマに陥っています。

■ アメリカ国債バブル ■

金融マフィアが誘導したギリシア危機以降、世界の資金は「安全資産」であるアメリカ国債に向かっています。

金融マフィアが演出した世界同時株安によって行き場を失ったお金も、アメリカ国債を買っています。

さらにドル安対策で、中国と日本が米国債を買い支えています。

これは「アメリカ国債バブル」とも言えます。

■ アメリカの倒産した地方銀行を買いあさる邦銀 ■

さらに不思議な事に、三菱東京UFJ銀行と三井住友銀行は、倒産しかけたアメリカの地方銀行を買っています。

人が来ないショッピングモールや、人が泊まらないホテル。空室が埋まらないオフィスビルに投資して倒産しかけたアメリカの地方銀行に、投資の妙味はあるのでしょうか?日本はバブルの時にアメリカの不動産に手を出して大火傷をしています。

本来なら日本人の預金は、日本国内で運用され、日本の景気循環に寄与すべきものです。ところが邦銀はその資金を、経営の危ぶまれるアメリカの地方銀行に投資しているのです。

もしドルが暴落したら、この損失を被るのは預金者である日本国民です。

■ 生命保険会社の資産運用規制の緩和 ■

金融庁は生命保険会社の資産運用の規制を撤廃すると発表しました。

国内株式や外貨建て資産での運用をそれぞれ総資産の3割以内に抑えるといった規制を撤廃し、海外を含めた柔軟な運用を認める方針です。

これによって生命保険各社が日本国債から、外貨建ての運用にどの程度シフトするかは不明ですが、外貨による運用の枠が外された意味合いは小さくはありません。

■ 個人年金など長期運用の危険性 ■

私は生命保険会社の個人年金は危険だと思っています。

バブルの頃に契約した商品は5%を超える様な結構な利回であったりして、老後の資金として多くの方が、コツコツと生命保険会社にお金を払い続けている事でしょう。

しかし、20年後の金利と元本を誰が保証してくれるのでしょう?

年金など返済期日の長い商品は、長期国債や住宅債権で運用されている事でしょう。海外の投資家は、現在長期の米国債にはほとんど投資していません。日本の機関投資家と政府がアメリカの長期国債を買い支えています。

■ 日本の不景気は意図的に低迷している ■

先日、ゆう貯資金の外貨建て運用が民主党政権になってから3倍に増えたと書きましたが(米国債は26倍)、この様に、国と民間を挙げて国内資産を海外に移転しているのですから、国内の景気が良くなるハズはありません。

「みんなと党」が主張する様に、日銀が紙幣を増刷しても、その資金は一時は国民の手に渡ったとしても、将来の不安を国民が抱く限り、貯蓄されて金融機関によって海外に投資されてしまいます。

理由は「国内より海外の金利が高いから」です。しかし、そこには本来織り込むべき、ドル暴落や、米国債のデフォルト。フレディーマックやファニーメイの破綻は織り込まれていません。

当然のリスクを国や年金基金や金融機関が無視する限り、「長期化する日本の不景気は意図的に作られたものである」と考えざるを得ません。

さて、皆さんはどう思われるでしょうか?