■ 銚子リベンジ ■
前夜からの強風の名残で土曜日も風が強い一日になりそうです。自転車にとって風は天敵。そこで気象情報で風向きをチェックします。だいたい午前中は西風の様です。ならば東に向かうが「吉」。
千葉で東と言えば「犬吠埼」。利根川の河口の街、銚子市にある「本州最東端」の地です。実は先週、銚子まで自転車で行こうとして風に負けて挫折しました。本日はそのリベンジを兼ねて銚子を目指します。
■ 印旛沼サイクリングロードから利根川沿い追い風で走る ■
北西の風が強いので、追い風でスピードに乗ります。海岸沿いは車の後ろに着いて50Km/hなんて速度がメーターでチラホラ・・・。幕張の花見川大橋の手前を左折して、印旛沼経由で利根川に抜ける事にします。
花見川ー新川ー印旛沼 沿いは「自転車専用道」が整備されているので、千葉県北部の自転車乗りにはお馴染みのコース。ただ、日中は歩行者やジョギングの方も多いのでスピードは出せません。今は早朝なので人もまばら。
道は河や沼にそって蛇行するので、風向きは追い風になったり、向かい風になったり・・。一面の芦原ではオオヨシキリが盛んにさえずって縄張りを主張しています。上空を悠然とトビが旋回します。ハヤブサの仲間のチョウゲンボウも居ます。
この時期はキジも繁殖期でケーン、ケーンという鳴き声が其処かしこから聞こえてきます。自転車道を悠然と横切るキジは人馴れしているのか、あやうく自転車で轢きそうになるまでは逃げません・・・。
印旛沼は千葉県北部に広がる大きな沼です。平安時代はこの辺りは霞ヶ浦同様に海辺でした。平安時代は温暖で海水面が現在より高かったからです。その後の海水面の低下によって沼となったこの一帯は、大雨が降る度に洪水を繰り返していました。
洪水被害を無くす為に、増水した印旛沼の水を人口の河で利根川と東京湾に排水する工事が江戸時代から試みられますが、難工事の為に完成したのは明治に入ってからです。東京湾には新川-花見川で繋がり、利根川には長門河で繋がっています。
印旛沼は海抜が低いので、排水には巨大なポンプを用いています。花見川には大和田排水機場で、長門川は印旛沼水門にポンプが備えられています。
■ 利根川沿いは追い風でGO ■
利根川沿いは土手の上に立派なサイクリングコースが整備されています。障害物が無いので風をモロに受ける土手上のコースですが、本日は川側からの追い風気味の横風。これは楽です。
■ 水運で栄えた小江戸・佐原 ■
浦安から走る事100Km。4時間弱で「水郷」として知られる佐原に到着しました。
佐原は利根川の水運の中継地として栄え、「小江戸」と呼ばれる様に、江戸時代からの街並みが良く保存されています。
街の中心を流れる小野川沿いは、柳の枝がたなびき、まさに時代劇に出て来るセットそのものの風景です。観光の船下りで水辺の景色を楽しむ事が出来ます。
観光川下りの船着き場にある橋からポタポタと水が垂れているので変だなと思っていたら、いきなりジャージャーと水が吹きだしました。この橋、「ジャージャー橋」と呼ばれ、江戸時代前期に農業用の用水を橋の下を通していたそうです。
■ 佐倉と言えば「天地明察」で有名になった伊能忠敬 ■
ジャージャー橋のすぐ近くに、「天地明察」で一躍有名になった
伊能忠敬の伊能家の屋敷が有ります。(今はあいにく保存改修工事中で見れませんでした。)
伊能家は佐原の名家ですが、そこに養子に入った忠敬は1代で傾き掛けていた家業を盛り返しました。なかなかビジネスの才能に長けていた人物の様です。佐原の名士としての忠敬の人望は篤く、利根川の改修工事を監督したり、或いは田沼意次が河岸に課した増税に対して、それを撤回する様に嘆願などを行っています。
忠敬は大変な読書家で博学でした。特に「暦学」(現在の天文学)への興味は並々ならぬものが有り、50歳にして家督を息子に譲り、江戸の歴学者である
高橋至時に師事します。
当時の江戸で使われていたのは宝暦暦という暦でした。しかし、暦の精度の判断とされる日食の時期の予測を度々外すなど、宝暦暦の精度が落ちて来た為に「改暦」の作業の必要性がありました。しかし、幕府の「天文方」には優秀な人材は居らず、代々暦学に携わって来た土御門家などの信用も失墜していました。
そこで幕府は民間で特に高い評価を受けていた麻田剛立一門の高橋至時と間重富に改暦の作業に当たらせる事にします。時を同じくして江戸に出てきた忠敬は50歳にして、当時31歳であった高橋至時の弟子となります。
至時らの暦学は西洋の最新の天文学も取り入れていたので、西洋に引けを取らないものでした。彼らは「子午線1度」の正確な測定から地球の大きさを割り出そうと夢中になります。この測定が後の日本地図作成に大いに役立ちます。
■ 当時の技術としては驚異的な精度を持つ日本地図 ■
当時北方に出没していたロシアは幕府に脅威を与えていました。そこで幕府は防衛の為い蝦夷地(北海道)の正確な地図を必要としていました。至時はこの測定に乗じて「子午線一度」の計測を行おうと考え、幕府に蝦夷地の正確な地図の作成を上申し、その任に忠敬が当たる事になります。
その後、忠敬は日本全土の地図を作成する事になります。始めの頃は、測量隊も少人数で、地元の領主とトラブルになる事もありましたが、その後、幕府は忠敬を全面的にバックアップし、測量隊の人数の増員されます。そして「御用」の旗をうち立てた測量隊に各地の領主は協力的になります。こうして、忠敬は73歳の死の直前まで、精力的に日本地図の製作を指揮します。
忠敬の作成した日本地図の精度は当時としては驚異的とも言えます。基本的には1尺の長さを繋ぎ合わせたメジャーで直接距離を計測する方法が取られますが、傾斜地の距離はきちんと平面上の距離に補正されています。(斜度と三角関数から求める)。さらに誤差を修正する為に、山の上などから三角測量なども行っています。
精度を上げる為には、測量基準点の正確な方位が必要ですが、忠敬は天体観測によって方位を正確に確定しました。ここに彼の長年の天体観測の技術が活かされたのです。
忠敬の作成した日本地図は形は大変正確でしたが、東西が少し伸びています。これは当時の時計の精度の限界であった様です。子午線の測定には正確な時間が必要ですが、当時の時計の精度はこれを満たすものでは無かった様です。
伊能忠敬の家と川を挟んで向かい側には「伊能忠敬記念館」があります。彼の作成した地図や、当時の測量道具などが展示されています。これらの収蔵品は国宝に指定されています。
■ 向かい風になってしまった・・・ ■
佐原には東国三社の一つ
香取神宮があります。香取神宮は全国の香取神社の総本社です。
香取神宮の一の鳥居が利根川に面して立っています。水運が盛んだった江戸時代は香取神宮の表参道口でした。
鳥居の近くには、江戸時代の灯台とも言える常夜灯が残っています。
本日は香取神宮には寄らずに、一路銚子を目指して利根川を下ります。
銚子まで30Km程の地点から風向きがやや向かい風に変わります。必死にペダルを漕ぎますが、27Km/h程度しか速度が出ません。土手の上のサイクリングロードは風の影響をモロに受けます。
河口まで18Kmの地点には利根川河口堰が有ります。この堰が出来るまでは、海水が内陸部まで遡上して塩害を度々発生していたそうです。水門の近くには資料館が有ります。ここでドリンク休憩。120Km走ってだいぶ脚も疲れて来ました。
この水門の先でサイクリングロードは突然終点となります。そこからは河と付かず離れずの一般道で銚子を目指します。途中、ロードバイクに抜かれますが、向かい風30km/hが維持出来ず、千切られちゃいました。ガッチリした体格の方は向かい風に強いですね。慣性でスピード維持に有利だからでしょうか?(ちょっと負け惜しみ)
■ 憧れの銚子電鉄に乗る ■
実は本日のメインイベントは自転車ではありません。
銚子電鉄に乗る事が本当の目的です。
JR銚子駅に着いたら早速自転車を輪講バックに仕舞います。丁度ホームに1両編成の銚子電鉄が入って来ました。これで、犬吠駅に向かいます。
銚子電鉄はJR銚子駅から犬吠埼の「外川」までを結ぶ私鉄の単線路線です。住宅地の中をトコトコ走るので車窓の風景はバスや都電からの眺めに近いものがあります。架線も電線がヒューーと一本通っているだけ。JRの様な頑丈なものではありません。
犬吠駅は白塗りの当時としてはシャレた駅だったと思います。今となっては・・・。
何故か駅前に「貧乏神」が居るんですよね・・・。
何故貧乏神かと言うと、「貧乏神がイヌ」という事らしく、頭の上の犬をなでるとご利益があるとか・・・。
元々この像、「しあわせ三像」と言って、2007年にゲームメーカーのハドソンがプレゼンtのしたもの。ハドソンは「桃太郎電鉄シリーズ」と言う電車ゲームをヒットさせていましたが、その頃、銚子電鉄は経営難に喘いでいました。ハドソンはそんな銚子電鉄をバックアップしようと、桃太郎シリーズのキャラクターでもある貧乏神をプレゼントしたそうな・・。
銚子電鉄と言えば「
銚電のぬれ煎餅」が有名です。電車の修理代が工面できなくなった銚子電鉄は、「電車の修理代が払えないんです」という名文句と共に「銚電のぬれ煎餅」を売り出します。それが2chを中心に話題になりTVなどでも取り上げられて「煎餅」の注文が殺到。一時は製造が間に合わなくなる程に。
煎餅の売り上げでどうにか電車の整備費に目途は立ますが、その後の保線などの費用が不足する経営が続きます。2011の東日本大震災の影響もあって銚子電鉄は自立再建を断念。現在は銚子市などが公的支援をしています。
自動車の普及で地方のローカル線の経営はどこも赤字です。(養老渓谷へ行く小湊鉄道は例外ですが・・)。少子化が進む中で、いつまでローカル線が維持できるか・・・。今の内に乗っておかないと廃線になる路線も多いでしょう。
時代の流れとは言え、寂しい限りです。
■ 地球は丸かった ■
犬吠駅から犬吠埼まではほんのちょっとの距離です。観光客はこの間を徒歩で移動します。
本州の最東端にある犬吠崎には、立派な灯台が設置されています。明治7年に立てられた洋式灯台で、世界の灯台100選にも選ばれています。
灯台の上へは100段余りの螺旋階段を上って行きます。上からの眺望は・・・。
「地球って丸かったんだ」と実感できます。
現在の灯台の光源は400Wの放電灯(メタルハライドランプ)です。スタジアムなどで2000Wクラスが使われているので、ワット数的には大した事は無いのですが、圧巻なのが遠くまで光を到達させる為のフレネルレンズ。直径は1m程もあります。
灯台の前には、珍しい真っ白な郵便ポストが設置されています。ポストカードにしても格好いい写真が撮れそうです。
犬吠崎には5年程前にも来た事がありますが、その時に比べお土産やさんが激減しました。逆に増えたのが中年のオートバイ。最近、何処に行っても大型バイクに跨った中年の一団に出会います。BMWやドカッティーの大型バイクはかつてのバイク青年の憧れの的でしたが、子育ても終わってお小遣いに余裕が出来た方型が夢を実現しているのでしょう。
■ 巨大風車 ■
本日は200Km程走ろうかと思いますので、後50Kmは走らなければなりません。ここからは九十九里を東金を目指します。
犬吠埼から九十九里浜が始まる飯岡までは台地の上を走ります。台地が海に浸食されて断崖が続く屏風ヶ浦は「日本のドーバー岬」などと呼ばれています。海底が隆起した台地は柔らかい砂岩質でその上に関東ローム層が堆積しています。柔らかな地層は有史以来数キロも陸側に浸食されました。
海からの強風が吹きつけるので台地の上の畑の中には、風力発電の巨大な風車が林立しています。かつてアメリカのサンフランシスコ近郊で似た様な光景を見て感動しましたが、日本各地に似た様な景色が出現し始めています。
プロペラの一枚の羽根は、旅客機の翼くらいの長さがあるでしょうか?
台地を走る道路はアップダウンを繰り返します。車なら気持ちの良い道ですが、150Km以上走った脚には堪えます。地味に脚力を奪って行きます。おまけに向かい風・・。
■ 震災の被災地の飯岡 ■
台地が終わって一気に坂道を下ると飯岡です。シラスで有名な漁港の街です。飯岡から海岸線に沿って自転車専用道路が整備されています。尤も、風で吹き寄せれた砂に埋まった所も多く、決して走り易い道ではありません。
潮風を浴びながら後ろを振り返ると、九十九里の砂浜の向こうに屏風ヶ浦の絶壁が遠望出来ます。
実は飯岡は東日本大震災で津波に襲われた町です。津波は局所的に7.6mの高さに達しました。
津波は防波堤を越え、家の一階部分に押し寄せました。防波堤の一部も壊されたので、改修工事が進められています。新しい堤防は現在の堤防より高くなり、海の眺めは遮られてしまう様です・・・。
■ 硬いフレームは脚に来る ■
実は本日はカーボンのレモン1号君で走っています。最近、クロモリのレモン2号君ばかり乗っていたのですが、どうも150Kmを越える距離だとカーボンバイクは脚に来ます。
多分1996年頃の古いTREKのOCLVカーボンのフレームで、TRECK5200辺りと同じフレームをLemondがフォーク辺りをチューニングした仕様かと思います。今のレーシーなカーボンバイクに比べたら剛性は劣ると思いますが、リアバックは結構ガチガチ。その分、出足は軽快ですし、アウタートップでも発進しますが、道が荒れた所では後輪が跳ねます。
先日、鹿野山にアタックした後に館山まで走った時も脚に来ましたが、本日も脚が売り切れました。
硬いフレームで脚に来るのはペダリングが下手だからで、重めのギアーを踏み過ぎなのが原因です。柔らかいフレームはフレームが変形する事で余分な力を逃がしますが、硬いフレームは踏み込んだ力に相応した反力がペダルから戻って来ます。変形によるロスは少ないので高率良く高速域に達するのですが、反力が脚に負担を掛けます。その結果、筋肉が疲労し、膝を痛める事にも繋がります。
ペダリングのスキルの影響もあります。軽いギアーでスムースに高回転が維持出来れば、脚への負担も軽くなります。
ロングライドにはクロモリや柔らかめのカーボンバイクが適していると言われる理由は、柔らかいフレームは速度を犠牲にして脚への負担を軽減するからです。ロングライドはレースとは違い、40Km/hなどという速度では巡航しませんから、後半で脚に来て失速するよりも、程ほどのペースを維持した方が結果的には早く目的地に着く事もあります。
九十九里からも向かい風基調なので、東金までの30Kmが長く感じます。日暮れの気配が濃厚になる頃、東金駅に到着。ささと輪行バックに自転車を仕舞って、丁度入って来た電車に飛び乗ります。
後は一路浦安へ。
本日はサイクルメーターが途中でリセットされてしまったので、多分210Km程度走ったでしょうか。朝の6時過ぎに家を出て、17時30分まで走りました。
でも、観光している時間の方が長かったかも・・・。